梅花詠讃歌への思い
梅花流御詠歌を初めて聴いた時、すごく懐かしい気持ちになり、
涙が溢れたのを今でもよく覚えています。
私の祖母は、信心深い人でした。
彼女の息子が漁師であり、遠洋で就業していたこともあり
安全祈願、豊漁祈願など、いろんな神様を信仰していました。
歳がおいてからは、いわゆる「念仏ばあさん」となり
亡くなった人がいれば、その人の家に行き
お唱えするということをしていたので
御詠歌は小さい頃から耳に残っていました。
祖母が亡くなってから長い月日が経ち
法具だけが手元に残り、捨てるに捨てられず
いつかできるかと思い、お友達のお寺でずっと預かってもらっていました。
学びたいと思うのですが、聞くだけで涙が溢れて止まりません。
まだ学ぶ時期ではないのかな、と思いながら月日が経っていっていました。
若い頃は、死と向かいかう機会があまりなく、あったとしても身近に感じられることがありませんでしたが、父親を見送ってから、自分の声で
お見送りができたらと思うようになりました。
混沌として世の中で、ニュースを見ても、いいお話より、不安が掻き立てられる出来事の方が多いせいか、記憶に残っているのは、悲しい話ばかり。
将来の不安を感じながら生きていくのは嫌だなと思い始めたのが
生まれてから50年という扉を開ける直前でした。
50からは将来、やっていてよかったと思えるものをやろう、と心に決め
祖母がやっていた梅花流御詠歌を学び始めました。
鐘(しょう)と鈴(れい)を使って御詠歌を唱えていく。
みなさんのお唱えを拝聴していたときは、難しそうだし、涙がでてくるし
私にできるのかなと思っていましたが
お寺の和尚さんや奥様の教え方がとても優しく、かつ丁寧で
急ぐことなく、ゆっくりのペースに合わせてくださり
初めての私でも、なんとかついていくことができています。
なにより、心が落ち着くのです。
混沌とした世の中で生きている私たち。
不安を煽るニュースを毎日、見聞きし、心に何かと不安を抱えて生きている人が多いなか、心を落ち着かせる音に合わせて歌を唱える
ということがどれだけ大切なことか、皆様もお分かりかと思います。
現代の1日に接する情報量は、平安時代の一生文、江戸時代の一年分とも言われています。情報が増え、ストレスが増えると、満足感が低下すると「共に、脳自体も疲れるという報告があるそうです。
そんな世の中で毎日暮らしていると
自分と寄り添うどころか、情報に振り回されて、何が自分の気持ちなのかさえ分からなくなってしまうときがあります。
そんなときこそ、御詠歌をお唱えして、心を落ち着かせ
自分と寄り添う時間を作ることが大切だと感じます。
祖母も、マグロ漁船に乗り、長い間家を空け
漁に命を懸けている息子の安否を案じて、不安になる気持ちを
落ち着かせるために、唱えていたのかもしれないと思いました。
私たちは、日々、生きていく中で
思いもよらないことが起きます。
喜ばしいこともありますが、そうではないことも沢山あります。
そんな中、自分の気持ちを落ち着かせる「何か」を
自分が持っているかどうかで、
日々の生き方が変わってくると思うのです。
忙しい時間の中でそんなことできないと思う人にこそ
学んでみてほしいと思うのです。
なぜなら、心が常に平安になり、自分に優しくできると
おのずと、まわりの人にもそうなり
それを受けた人たちも、周りの人たちに優しくなり
世の中のたくさんの人が、まわりの人に優しくできると思うのです。
平和は、笑顔から始まるという言葉があります。
御詠歌を唱えると、自然に気持ちが落ち着き、優しくなれる。
いまの時代だからこそ、必要な術がここにある。
御詠歌を唱えることができている私の選択は
大正解だと思います。
祖母に心から感謝し、御詠歌を教えてくださっている和尚さま、奥様
ご一緒してくださっているみなさまにも感謝の気持ちを送りたいです。
この夏、母と二人で、父を御詠歌で迎え、御詠歌でお見送りすることができました。
今年の夏は、いつもより近くで、父を感じられたように思います。
これからも御詠歌を唱え、苦しみや悲しみを癒し、
周りの人たちに、ペイフォーワード(恩送り)をし、人々を親切な気持ちで繋ぎあえる優しい関係性が築けたらと思います。