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【留学体験】キッカケなんてどこにでも転がってる

英語が大好きで
英語にまみれて生きていたいと
常々思っている私だが

中学、高校の頃は
英語に全く興味が無かった。

まーったくのたくである(笑)

文法のぶ、も分からず
ただ、クールを装っていた私は
点数だけは落としたくなくて

密かに
範囲の単語と文章を覚え
なんとか80点台をキープしていた
そんなものだった。

高校卒業したら
仕事をするつもりだったから
商業科に入り

たいして勉強もせず
遊んでばかりいた。

なんなら
学校に行くよりも
家に友達を呼んで

カラオケと焼きそばパーリーを
していた方が多かったんじゃないか?
と思うくらいな有り様だった。

仕事を始めても
2年周期で辞めてしまう
全く、辛抱強さのカケラもない子で

やっと長く続けられる仕事が
見つかったのは

25歳も過ぎたときだった。

あの頃は
なぜ、あの仕事が
前の仕事よりも長く続いたのか
分からなかったが

今ならよーくわかる。

私はあることをキッカケに
自分という人間を

よーく知ることになり
そこから自分の続けられるものを
見つける事ができるようになった。

その
あることとは

【イギリス留学】である。


言葉に出すのも怖くなるほどの
何月が経っているが


今から27年ほど前
私は、ある英会話サークルに所属していた。

仕事仲間と一緒に
毎週通っていたそのサークルには

数人のおじさんたちがいて
常にネイティブの先生と
流暢な英語で会話をしていた。


そんな彼らを遠巻きに見るのが大好きだった。なにせカッコよかったのだ。
 
カッコ良さ、が
わたしの心を掴むキーワードらしいw

彼らのようになりたくなり
どうしたら
英語がペラペラになるのか聞いてみた。

彼らは口を揃えてこう言った。

「早く習得するんだったら
現地に行くのがベストだよな!」と。


それを聞いて
「そっか!」となり

1年間、仕事とバイトで
お金を貯めて

イギリスへと飛び立ったのだ。

なぜイギリスなのかは
また別の機会に書くとしよう。

親の反対もなかったわけではない。


なにせ、あの当時は
まだインターネットもなく

学校とのやりとりも
FAXだったのだから。

母は、泣いて
なぜ大阪や東京じゃダメなのか、
と言った。
 
 
いや、そこは海外ちゃうやん。
と心でずっと思っていた(笑)
 

それくらいウブだったのだ。


英語サークルの先生に
手伝ってもらって

私は向こうの学校から
レターを受け取り、学生ビザを取り
イギリスへと飛び立てた。

その模様もまた今度
詳しくお伝えしたい。

なぜなら
初めての渡英で
大変なことをやらかしたからである。

もう人生ダメだと思った。

今も元気にこうして生きているわけだから

本当に
人生で起こることは
かすり傷程度のことしか
起きないのかも知れない。

そうやって書けることを
心からありがたく思う。


はじめに言ったように

英語が好きだったわけではない。

一生の仕事にするなんて
夢にも思わなかった。

しかし
あれよあれよという間に
飛んでいたのである。


人生が変わるキッカケなんて
どこにでも転がっている。


ただ、それを
ワクワクしながら拾ってみるか

あるなー、あるけどなー
って思いつつ
拾わず見過ごすかなんだと思う。


もちろん
どちらでもいい。

拾ったら
あなたにチャンスがきて

拾わなかったら
別の人にそのチャンスが
いくまでのことだ。

だけどきっと
ワンネスっていうか、神さまっていうか
私たちを生かしてくれている
本体は

私たちに
色んな経験をして
楽しんでほしいと思っているはず。
 
 
他にも、絶対拾わないといけない
キッカケもある。
 
 
わたしの元生徒は
海外なんて無縁な、看護師という仕事を
選んだのにも関わらず
 
結婚した相手の仕事の都合で
今、オレゴン州にいる。
 
人生って
なんて面白いんだろう、って思う。


さきにも言ったように

イギリスに行ってみたから
わかったことが
かなりあった。

人生の中での
【大収穫祭】みたいなものだ。

だれにでも
そういう時期があるのかも知れない。

なんでも
行ってみないと分からないし
やってみないと分からないのだ。

わたしの楽しく恐ろしい
【留学体験】もまた
たっぷりあるので

またシリーズ化していこうと思う。

色々あるなぁ、、(笑)

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