担任制の意義とは? ~あらためて、問い直す~
こんにちは、SSAです。
前々から疑問を感じていた担任制。今日はこのことについて記事を書いてみたいと思います。
中学校や高校では、授業ごとに先生が変わることがあたりまえ。しかし、小学校では、ほとんどの授業を担任が担うことになります。
現役で働いたころにも多々疑問を感じていましたが、最近のニュースや届く声から、あらためて担任制にどんな意義があるのか、問い直す必要性を感じています。(この記事では小学校を想定しています)
【考えられる担任制のメリット】
・担任がより深く子どものことを知れる。
・信頼関係が構築でき、安心して学校に通える。
・自分のペースで授業を進められる。
・自分の思う学級をつくることができる。
・関わる子どもの数が少なくて済む。
・保護者が相談する窓口がわかりやすい。
このぐらいでしょうか。。では、デメリットを。
【考えられる担任制のデメリット】
・信頼関係がないときの対応が難しい。
・1年間、お互いの我慢が続く場合がある。
・担任が休むと授業が止まる。
・休みづらい。
・産休など、長期の休みに入ると環境ががらりと変わる。
・情報の引継ぎが難しい。
・学級が閉鎖的な場所になる。
・問題を抱え込みやすい。
・他の教師が状況を把握しづらい。
・隣の学級との差異が大きい。
どう考えてもデメリットの方が大きいと感じます。そして、子どもも教師も保護者も苦しくしている原因になっているのではないでしょうか。
担任制のメリットを見ていくと、結局は教師のエゴの部分が大きいのではないでしょうか。「思い通りにやれる」「自分のペースでできる」というのは、確かに教師の醍醐味として面白い部分です。しかし、中学校や高校では教科担任制が成り立っているので、小学校でも成り立つはずです。
文科省は2022年度から小学校高学年に教科担任制を開始する、と言っていますが、現状は教員不足により、そもそもクラス担任も不在の状況。教科担任制をするからには、パズルのように複雑な時間割を埋めるべく、少なくともクラス数より多い人数の教師が関わる必要があります。プラス1人、でも教科担任制で回すことは難しいでしょう。中学校のように、学年に関わる先生が担任プラス副担任くらいの配置があれば、小学校でも実現可能かと思われます。しかし、理想には全く届かない実態。以前は理科専科などの配置があったのに、それさえなくなっている学校も多々あります。
「給料を増やせば教員になりたい人が増える」という意見もありますが、私はあまりそうは思っておらず、増やしたところで今の状況であれば長続きしない可能性もあります。また、労働環境は別として、給与面や福利厚生はかなり保証されており、さすが公務員といった部分があると思います。
さらに恐ろしいことに、これは仕事に対して手を抜けば抜くほど手厚いシステムになっており、一生懸命すればするほど損をする仕組みになってしまっています。ここが一番イケないところではないかと考えます。これでは、教育の質は低下していく一方です。
やはり、きちんとがんばっている先生、よい授業を提供している先生、教育を誇りに思っている先生、そんな先生たちがいきいきと働ける労働環境でなくてはいけません。
さて、どんどん論がずれてしまいましたが、では現状でできる、教育界の環境を良くしていく上で可能性がある手立てはなにか。私は、「チーム担任制」の導入かと考えています。
(ここから先は仮定の話)
まず、小学校において担任1人で囲い込む、かかえこむ体制をなくす。これを第1におきます。すると閉鎖性が解消されてきて、価値観の変革が起きてきます。この価値観の変革が起きると、今まで停滞していた様々な取組がうごめきだすように思います。その結果、クリエイティブな発想が学校内部に起き始め、もっとよいシステムに変容していこうと教師自身が動き出すのではないかと考えています。
現在は担任1人が1学級をもち、昔から言われいるような一国一城の主のような状態。なかなか新しい情報が入ってきにくい状態です。教師が気づけば化石化していく危険性があります。教師の”信念”は素晴らしいものなのですが、この”信念”が阻害しているものも図りしれません。
チーム担任制を実施している学校は、全国でもまだ少なく、あまり研究や検証もされていないようです。
とにかく、1人が全てを背負い込むシステムをなくすことで、
・休みを取りやすくなる。
・一人でかかえこむストレスが減る。
・教師も子どもも保護者も相談先が多くなる。
・みんなで情報を共有できる。
・教師間の連携が取りやすくなる。
・教育の変革のスピードがあがる。
といった働きやすい環境ができるのではないでしょうか。
1学年にプラス1人配置して(配置できる学年とできない学年があってもよし)、初めは動きやすい学年から、そして、週に1度変わっていく、くらいのローテーションで、やってみる。そしてよりよい形を模索していく、といった試みができればいいのにと思います。
完璧な形ができて、”これなら絶対大丈夫!”という議論をしていては、何も動き出しません。一歩踏み出し、学校のシステムを変えていく勇気が必要ではないかと考えています。
神戸市では、教育委員会主導で導入が始まっているそうです。
先生たちが疲弊しきってしまう前に、できることから取り組んでいけたらいいですね。