加藤史帆さん卒業セレモニーを終えて

2024年12月25日
日向坂46東京ドーム公演にて、メンバー加藤史帆さんの卒業セレモニーがおこなわれた。
とても大事な推しメンの卒業を記録に残したい。

加藤史帆さんは、グループ結成メンバーのひとり。
当時、欅坂46の明確な下部グループとして存在したひらがなけやき。
私は乃木坂46アンダーメンバーの報われなさに辟易していたため、
とてもではないが彼女らを能動的に知る勇気が持てなかった。
そんな中でも、圧倒的に好みな容姿を持つ加藤史帆さんは、
正直自然と記憶に刻まれていた。

真正面に向き合うこととなるのは日向坂46に改名後。
オードリー経由で日向坂46を知り、ディグり出すと、
加藤史帆さんがレギュラー出演していた生放送ラジオ番組『レコメン』が
情報ソースに持って来いであった。
番組内では「かとしさん」と呼ばれていた。
へにょへにょとしたゆったり優しい話し方は温かく感じられた。
かとしさんは、面白くなりそうなフリに果敢にチャレンジする。
時にはハネるまで続けるタフさもあった。
話し方で誤解されることもあるが、本当に真面目で努力家なのである。

かとしさんは、ライブに行くと最も目が行くメンバーのひとりであった。
遠巻きにステージを見てもわかるほど、
大きく、命掛けとさえ思える気迫で踊る。
何よりかわいらしいのは、その気迫はかとしさんの余裕と比例する。
MCでのガヤ量もそうだが、
セットリストの山場を越えるまではそちらに全リソースを割いているのか、
獅子を彷彿とさせる気迫は隠される。
かとしさんのパフォーマンスは素直でド直球。
ブレの無い歌声と合わせて、
その時々に体感する価値のある圧倒的なパフォーマンスは、
ライブの楽しみのうち大きな部分を占めていた。

ビジュアルで推すことは敬遠したにも関わらず、
かとしさんの内面とアイドル力の両方向から、
気付けば推しメンと言いたい存在になっていた。
コロナ禍ではレコメンが一番の娯楽だったこともあり、
一方的に大きく依存していたように思う。

そして、卒業を迎えた。
かとしさんは言葉少なに去っていった。
ここまで散々な文字数を綴っている手前、納まりが悪いが、
かとしさんが何かを表現する時、言葉は必要最低限でいい。
へにょへにょしたトーンで紡がれる言葉には嘘がない。
メンバーからも言われたように、本当の言葉を投げかける。
本人は「誤解されやすい話し方」であると
時折コンプレックスのように評価していたが、
受け止める側の問題ではなかろうか。
かとしさんの真面目で真っ直ぐな性格を知っていれば
普段から多くを語る背中からたくさんのことを得ているし、
内面の本質に近寄らなければ言葉足らずに思われることもあろう。
届けるべき人には届く、優しい口調の短い言葉たちは、
ついつい着飾った言葉を遣う私には、かっこよく響いた。

送り出す側のメンバーたちは、ほぼ全て送辞をマイクに通していた。
これも、かとしさんが見せ続けた正々堂々真っ向勝負の精神への
アンサーであるように感じられた。

かとしさんは、セレモニー開始と共に「しんみりしないで」と語った。
卒業スピーチ開始前に「朗らかに」と語った。
かとしさんの初センター曲のタイトルであり、
日向坂46のコンセプトともなっている『ハッピーオーラ』を、
忠実に自然に表現できるのはかとしさんより他ないことを確信した。
と同時に、「無理に決まってるだろ!」とツッコミを入れたくなる気持ちは許してほしい。

かとしさん、結構涙もろいからさ。
最終盤まで堪えていたのもグッときたなあ。
いざ泣き始めたら少年のようにピュアな泣き顔だったしなあ。
(これは佐々木久美さんも!)
知ってから卒業するまで、
本当に目の離せない、魅力の宝庫のようなアイドルでした。
アイドルになってくれてありがとう。

束の間の幸せをくれて、
でもニコニコしながらどこかに去って行って。
違う時間軸や価値観で生きているのでしょうか。
自称しているように、加藤史帆は天使なのかもしれない。

かとしさんが匂わせしてそのまま終わるようなオンナじゃないことは、
もう散々証明されてきたことだからね。
きっとこの先も応援する媒体があると信じて。
私はラジオがいいな。
いや、あやひろもよかったからドラマも捨てがたい。。。
またね。

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