幸せじゃなくても別にいいんじゃないですか
世の中には、幸せにならなきゃいけないという呪いがあります。会社では出世するべきだし、結婚適齢期には焦るべきで、資格だとか、勉強だとか、運動だとか、自分がより良い状態でいる努力は永遠に続けなければいけません。今日も、友人の結婚式用のメッセージチップに、末永くお幸せにって書いたよ。勿論、多様性の時代なので、他の幸せの形とか、探したりもしましたが、他人の目を気にしない自信も、そんな自分を肯定し続ける自信もなかったので無理でした。
頑張って頑張って、得られた場所で、自分を認められたら、それはとても素敵な事でしょう。
でも、その呪いはひとを痛めつけます。同級生より、同期より、幸せにならなくてはいけない。そんな風に思っていて、期待する未来が訪れないので、私たちは駄目になるしかありませんでした。
現状の中から幸福を抽出する能力を身につける事が重要です。なんでもない仕事の中に面白い事を見出せたり、毎日見ている風景を愛たり、周りにいるひとを大事にしたり、自分にとって重要な事がわかっていて、幸福を幸福として味わえる人間になれたら、それが最高だと思います。
そういう心を育てられたらいいのだけれど、それができないのが、私たちです。
これは、私たちの背負ってきた過去が、形成した性質なので、仕方がありません。
私には、この性質を無視されて、大丈夫だよとか、なんとかなるよとか、気にしなくていいよとか、幸せにしてあげるよとか、って言葉を貰う方が哀しかった。
なんともなっていないままの、大丈夫じゃない自分のままで、生きている姿を肯定して欲しかった。鬱々しくて、オモロいねって言って、笑って欲しかった。
宗教とかの多くが、生きる事や労働を罪として、全ては極楽浄土へ向かうための修行であると定義していて、昔の偉い人たちもそういう考え方で、自分たちの生を肯定していたのだから、私たち凡人が、こんな感じで生きるのが下手なのは、当たり前じゃないかと思ったりします。
誰が何言ったって気にすんな
心なんて一生不安さ
syrup16g 生活
私の今の夢はユニークに生きることです。
だからって、ひとと関わる事や、社会に評価される事を諦めているのではありません。
深刻になったり、頑張ったり、頑張らなかったり、勝手に傷ついたりを繰り返して、全然幸せになれない自分を抱えながら、生きて、面白おかしく死滅できればいいなと思っています。
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