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君がBUMP OF CHIKENから離れたのは。
貴方が、10代の頃に出会ったBUMP OF CHICKENは、どんな姿だっただろうか。どんな風に、貴方の心と共鳴したのだろうか。
それぞれの経験と共鳴した振動数を、私は知らない。
それでも、貴方が、彼らの音楽を原点とし、燃やし続けた灯火が、今に繋がっている事を知っている。
だからこそ、BUMP OF CHIKENから離れてしまった貴方が、今、起き上がれなくなっているのなら、再会を果たして欲しい。
本日はその理由について語っていこうと思う。
立ち止まり、覗き込むべきものを見逃し続けている貴方へ。
もう一度、"エモい"の一言で片付けずにBUMPと向き合おうではないか。
少々芳しい文でも、ご容赦いただきたい。厨二病が起点なのだ。
そんな自分を思い起こしながらスーツを脱ぎ、一息ついて読んで頂きたい。
まず、10代の自分が何を求め、BUMP OF CHIKENにたどり着いたのか思い返して欲しい。
生きる事、死ぬ事、幸せの定義、自分の価値、信じる事、他人と繋がること...etc
多くの人はそれらの答えが欲しくて辿り着いたのではないだろうか。
ググれば何でもでてくる時代に、それでもわからなかった、知りたかったものの答えを、音楽の中に見出したのだ。
君の名はの台詞のようだが、"ずっと何かを探していた感覚"を覚えているだろうか。
自分がかわいくてかわいくて可哀想だったから、解像度の低い人間を侮蔑し、理解できない世界の方を憎んでよかった、あの感覚を、覚えているだろうか。
それらの感覚があったからこそ、ブラウン管の前で評価されたくないと叫ぶ彼が世界一かっこよく見えたのだ。そして、それは10代特有の感覚であり、10代が終わる頃には手放してしまっている。
何にも媚びず、あまりにも繊細な心をぶら下げながら生きる意味を探し、踠き、自分だけのものだと主張したい解答(だがその実、一般化された個性)を見つけ出す時間こそが、モラトリアムという言葉が区切る季節だ。
水槽のような教室の中にいて、呼吸の仕方を探していた日々は随分遠くなりった。今の私には、あの頃なんでもない自分自身で生き抜くために出しつくした言い訳が必要なくなっている。
10代の痛々しさだとか、最低さに気づき、鮮烈な情熱と離別し、現実と折り合いをつけて、これくらいの感じならという落とし所で居場所をつくっている。
大人になるというのは、経験値から抽出した、"ぼやかしながら何とかやっていける方法"を身につける事なのかもしれない。
お酒だったり、表情を繕う事だったりでやり過ごすことに慣れ、すっかり麻痺した痛みの居処をわざわざ探す必要はなくなった。
だから貴方はBUMP OF CHIKENから離れたのではないだろうか。
だから貴方は今、起き上がれなくなってしまったのではないだろうか。
10代の頃と何ら変わらないのに、無視し続けた哀しみは膨れ続け、大人になったと思い上がって、解答を探す旅を辞めた今、どうすればよいのかわからなくなっているのではないだろうか。
痛々しかった自分自身を思い起こす必要はなくて、ただ、眼前の問題を処理するだけの日々は、真綿で首を絞めるような苦しさがある。
描いていた夢も、希望も、叶えられないままで、私たちは大人になってしまえた。
勿論、大なり小なり、叶えられたりとか、そういう人もいるのだろうが、我々は、生きている時間の中で、絶対に完璧にはなれない構造の中にいる。
何者にもなれていない、そんな自分を許せず、すり減らしながら、誤魔化し続けているのは私だけではないはずだ。
私たちは変わったし、変わっていない。
ギターロックだけでは物足りなくなったから、色んな音楽に触れたし、憧れていたフジロックにだって毎年のように行けるようになった。
あんなになりたくなかったサラリーマンになって、順当に社会に出荷され、ごく普通の何ら不便のない生活を送っている。
少女だった時代に、何億光年も先にあったものが手の中にあり、手の中にあったものを宇宙へ放り投げているのだ。
そしてそれは、BUMP OF CHICKENというバンドもそうなのだ。
メディアへの露出が増え、荒々しかった言葉が丸みを帯びて、ギターロックだけではないサウンドが生まれるようになった事は大きな変化だ。
それでも揺らがない部分がある。
彼らの曲に対する誠実さ、優先すべき音楽のあり方、歌われ続ける命題、大切な事を大切にし続ける姿勢。
それらが失われない限り、我々の経験と重なり、共鳴した部分は失われないのだ。
もう一度言おう。
貴方の起点がBUMP OF CHIKENなら、今、再会を果たすべきだ。
今の貴方自身を写し出すには、原点回帰が必要なのだ。
何を得て、何を失い、何が変わり、何が変わっていないのか。
このまま見つめずにやり過ごしていては、いずれ破裂してしまう。
大丈夫だ。
BUMP OF CHIKENの曲たちは変わらず、貴方の苦しみを知っている。
貴方が、毛布の中に閉じ込めた苦しみを置き去りにして、すっかり忘れた顔で朝を迎えていることを、知っている。
だからこそ怖くとも、その井戸を覗かなくてはいけない。
勿論、覗く必要なく、貴方自身が健康で居続けてくれるなら、音楽なんて必要なくていい。
だが、身勝手な我々に対して、必要なときに寄り添ってくれるのが音楽であり、BUMP OF CHIKENの曲たちだ。
新しい曲を聴くでも、好きだった曲を聴くでも、なんでもいい。
信じてもいいはずだ。10代の頃の自分のお墨付きなのだから。
きっと、曲と共に記憶した放課後の教室の景色だとか、帰り道に好きな人と手を繋いだ事、泣きじゃくった夜の重さを思い出すだろう。
新しく見えるものもあるはずだ。変わった自分と変わったBUMP OF CHIKENの間でしか見えない景色もあるだろう。気付くべくして解釈が深まるタイミングもある。
再会を果たしたその先には10代の貴方がいて、本当に大切にしたい事を知っている。
ここにいるんだと叫んでいる。
私がそうであったように
再会の先に、見つけ出したものが、
貴方をきっと救いますように。