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わたしのトラウマ

わたしは頑張ることがトラウマになってしまったと自分では思っている。

頑張って頑張って頑張った先にあったのは底のない苦しさと、その苦しさに比べたらちっぽけすぎる成果だったから。

ジェンダーセクシュアリティ学だって、ホロコースト研究だって、政治科学だって、障害学だって。セルフタイムマネジメントだって、チームマネジメントだって、根回しの仕方だって。スキムリーディングだって、高速アカデミックライティングだって、教授との関係作りだって、精神がこんなに壊れるくらいならいらなかった。

でも、過去に戻ることはできないのでわたしは得られた成果を限りなく自分のために生かす。命をかける程のものではなくとも、結果的には命をかけて得たものだから大切にする。

今でも私は他人からの評価よりも自分の心身の健康を優先するのがとても苦手だ。

危ない時に自分のことを大切に出来ないし、まだまだ全然向き合えていないことも沢山ある。

頑張らないことも、とても苦手だ。頑張ってない状態や、頑張れば達成出来たのに頑張らなかった自分がとことん嫌いになる。

頑張りたくない。努力したくない。努力や頑張りを評価する価値基準を自分の中から排除したい。

達成感や充実感、幸福感をもっと大きな指標として取り入れたい。金銭的報酬、心身の健康、精神の安定。それらをとことん優先したい。

そして自傷的行為から生まれる必死な快楽や成果はどんどん辞めていこう。

こんなにも自分を大切に出来ない人間はあまりいないのかもしれない。だから、精神疾患としてはそこそこレアなボーダーの診断が降りたのかもしれない。

自分は変な存在かもしれないけど、先天的なものと社会的な色んなメッセージを受信して出来上がった存在だから、完全に特異的な存在ではないと思う。

他の人にも当てはまることかな、と思ってブログ記事を書いている。私がリーチ出来る読者に居るかは分からないけど、頑張ることがトラウマになってしまい、それをなんとか乗り越えようとしてる人に、私もそれやってまーす!って伝えたくて。

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