あと100日、から数日。
30歳まで「あと100日。」の前編が、想像以上に多くの方に読んでもらえた上に、感想もいただけてびっくりしました。長くなりそうですが、24歳からの後編、参りましょう!
☀︎ものづくりを仕事にした24歳。
就活は楽しく、何社か内定をもらった。結局私は「宇宙のグラスを作りたいんです。」と面接で話したガラス食器のメーカーに入社した。配属は企画部で、新製品を開発する希望の場所だった。千葉にある工場で1ヶ月研修があり、期間限定だけど初めて一人暮らしをした。内定者懇親会で「まつ毛が赤い。ギャルだ。」と思っていた大阪出身の同期とは意気投合し、「今年の新卒は女が強い」と噂され、工場中に頼れる先輩を作って、本社に戻った。(ギャルとは親友になった☆)
☀︎時間が経ってから気がつくこと
2回転職をして気が付いた。大学生に毛が生えただけの私に、上司や先輩が自然と「基本」を叩き込んでくれていたことに。ビジネスマナーはもちろん、物事をスムーズに進めるための小さな嘘のつき方や、仕事以外の話をして関係構築をしておく大切さも。いま、当たり前だと思ってやっていることは、周りの人のおかげで「出来るようになったこと」だった。
ガラス屋での3年間は、ここには書き切れない。「売りたいもの、そして売れるものを一緒に開発しよう」と書かれた課長からの手紙は宝物で、今でも読み返す。会議や展示会本番に胃が痛くなったり、トイレで悔し涙を流した日々もあったけど、記憶に残っているのは、あたたかくて確かなものばかりだ。
☀︎わたしの正月は、夏。
北海道、石狩市で開催される「RISING SUN ROCK FESTIVAL」。20代の半分以上、お盆は北海道で過ごした。ライジングが私たちの年越しで、合言葉は「また来年!」。この日のために頑張って働き、終われば全てのスタッフとアーティストに感謝を叫ぶ。
モンゴル式ゲルを立てて天窓から雨水を食らった年。紛失した友だちの服が、雨水の溜まったテントの下から見つかって大笑いした年。小田和正を最前で見た時は嬉しくて涙が止まらなかったし、佐野元春の歌声で泣くおじさん達に釣られて泣いたりもした。サムデイ最高!
みんなで涙を流して笑って、歌って踊って、食べて呑んで過ごす。また、ライジングのある夏が私たちに訪れますようにと、切に願う。
一昨年の朝陽。
☀︎ずっと、なんてない。
これはとても幸せなことだと思うのだけど、私には、好きなバンドがたくさんある。その中でも、ヨギー、ネバヤン、ホムカミ、シャムキャッツにはたくさんの時間とお金を使った自負がある。誇らしい。ライブのために働き、ライブのために有給を使った。ライブ後に、友だちと語り合う時間も含めて、大好きだ。でも、コロナ禍で、シャムキャッツは解散した。(その時の想いはここに書いた)この5年でヨギーもネバヤンもメンバーの脱退があった。その度に、失恋したような気持ちになった。ずっと、なんてないのだ。それでも、彼らの音はずっと残る。ずっと聴いてられる。
Yogeeのなおきくんが脱退した時の曲。泣ける。
☀︎社会人4年目の新たな挑戦。
ガラス屋を辞めて、化粧品会社で営業をするようになった。決して楽な仕事ではなかった。真夏も真冬も歩き回って営業して、毎日のようにお客さんの無茶な要望を聞いた。着信がないのに、着信が聞こえていたし、朝は早く、夜は遅かった。それでも、関わった製品が世に出た時は嬉しかったし、出来ることが増えていくこの仕事が好きだった。あまり興味のなかったお化粧が好きになって、友だちからは「垢抜けた」と言われた。新宿の近くで一人暮らしを始め、友達が遊びに来たり、近所に住む同い年の同僚と呑んだりして、自由で自立したOL生活を過ごしてた。
☀︎息が出来なくなった、5月のこと
きっと、頑張り過ぎたんだと思う。人に頼る力が、足りなかったのかもしれない。どうしたら良かったのか、今考えても分からないけれど、小さな「我慢」や「無理」の積み重ねで、ある日、私は前に進めなくなっていた。
新宿のカフェで父親に電話して、声を聞いたら泣いてしまった。その日は、気晴らしに新宿・武蔵野館で映画を観て帰り、落ち着いたと思った。翌日は出社した。でも、席についたら息が出来なくなった。気づかれないように必死に耐えて、早退した。そこから、会社には行けなかった。適応障害だった。
2019年の初夏、働き盛りの27歳。明るく、ポジティブで社交的な私が「精神的に病む」人生を考えたことなどなかった。両親にも、弟たちにも心配をかけて、私は実家に帰った。悔しかった。情けなくて、自分の部屋で、時には病院帰りの駅のホームで、何度も何度も泣いた。こんなはずじゃなかったと、自分の弱さに苦しくなった。
病院に通ってたあの時から、まだ2年も経っていないことに驚いている。夏の間休んだ私は、図書館でバイトをして、ジョージアに行った。きちんと働けることに安心して、ジョージアの街や、犬や猫、自然に、心が癒された。
アイコンの写真はジョージア。また行きたい。
まとまらなかった。
10年って、長いな・・・・。今はもう病院には行かず、健康に働いている。父の仕事の都合で、両親はドイツに行き、上の弟はメキメキと庭師のスキルを上げて、一番下の弟も立派な社会人になった。コロナが流行り、リモートに切り替わったおかげで、満員電車も通勤時間もなくなったけど、仕事帰りに友だちに会うことも、ライブもなくなった。スケジュール帳は白が増えた。
3.11で始まった20代は、コロナ禍の中で終わっていく。不安なことも、心配なことも人並みにあるけれど、わたしは30歳になるのが楽しみ。やりたいこともたくさんある、やらなきゃいけないことも、同じくらいある。
みんなで作った宇宙の会社のこと、20代後半で行ったサンフランシスコ・ジョージア・ポーランド・ドイツのことは、気が向いた時にまた書きます。
☀︎最後に
この10年間、わたしの友だちでいてくれたみんなに感謝を伝えます。みんながいたから、わたしはわたしでいられたよ!アイラブユーフォーエバー!
会いたい人がいる、それだけで生きる意味があると、29歳のわたしは強く思う。30歳まで残り93日!きばっていこ〜!
旅行したいぜ