フォトジェニックな人間でいたかった

自分はいつでも周りを楽しませる存在でなければ、少なくとも、戸惑わせたり、一瞬でも不快な人間と思われたらいけないんだって思ってた。

でもそんな完璧な人間、どこにもいるはずなくて、そりゃあ私だって喧嘩もするし、不貞腐れたり、悔しがったり苛立ったり、怒ったり、泣いたりもする。

でもそういう一面は、ほんの一部の、家族くらいにしか見せてはいけないわけで。
友達とか職場の仲間には絶対見せないし見られたらいけない。

Instagramに載せる写真と同じように、散らかったテーブルの一部分を綺麗にふいて、たまに作るオシャレな料理をアップして、丁寧に暮らしているかのように、私と言う人間の、汚い部分は、絶対に社会に曝け出してはいけない。

でもバレちゃったからな〜
私はめんどくさい女独特の汚い妬み嫉みの凝り固まった人間だってことが。
そしてそれに拗ねて引きこもってしまう面倒な性格だということが。
ドン引きしてると思う。
人間関係は必ず一線をおかないといけない。
インスタみたいに、よそ向きなところだけを見せて、フォトジェニックでいたかった。

私の周りの人はみんなちゃんと立場を弁えている。
所謂大人の対応というやつができる人たち。
こんな情緒不安定な大人は私の周りにはいない。
そんな自分が恥ずかしくてたまらん。
でももう取り繕うのも疲れた。
大人の対応ができるようになりたい。
けど
それより写真映りを気にしない生き方がしたい。

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