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先天性心疾患持ちミドサーの急性骨髄性白血病治療②

先天性心疾患持ちミドサーの急性骨髄性白血病治療記です。
前回はこちら。


一時帰宅

たった2泊3日の一時帰宅は心底楽しかった。

病院では浸かれない湯船にゆっくり浸かり、手足の爪のルーススキンや甘皮を処理したり、制限の範囲内だけれど病院では絶対に食べられないようなものをテイクアウトやデリバリーで食べたり、まだ抜け切らずにちょっと伸びてきた髪の毛を夫にバリカンで剃ってもらったり、上司が送ってくれた探偵ナイトスクープのDVDを二人で観たり、1ヶ月間に起きたいいこと悪いことをひたすら夫に聞いてもらった。

夫は「養老の星 幸ちゃん」の回を観て死ぬほど笑っていた。
つられてわたしも病室で一人で観ていた時より数倍笑ってしまい、貧血で頭が痛くなる始末だった。

なんでも一人より夫と一緒のほうがいいな、と思った。

7月19日

またここから1ヶ月化学療法の入院が始まる。
今回は「地固め療法」の1クール目だ。

夕方には早速PICCを入れ、翌日から化学療法を始めると告げられた。
「副作用は寛解導入療法が一番つらい人が多い」という言葉に縋るしかなかった。あんな思いはもうごめんだ。

PICCが入らない

PICCを入れている最中、全然進む気配がなかった。
というか、シンプルに痛い。
自分の顔はカバーで覆われているので、何が起きているのか見えない。

主治医のチームは全員女性医師で構成されていて、傍目に見ても和気藹々とした雰囲気なのでそれは実に良いのだが、痛いし何が起きているか分からないのにキャッキャウフフした声だけ聞こえてくるので「なにわろてんねん」という気分になった。
「あの!痛いんですけど!」
と声を上げると、何をしているか説明してくれた。

前回の寛解導入療法では、点滴のライン2本分のPICCを挿入していた。
ただ、点滴の量が増えたり輸血になったりすると、場合によってはこの2本だけではラインが足りず、新しく点滴の針を刺す必要が出てきたりする。

今回は、ライン3本分の少し太めなPICCを入れようとして、血管の細さに苦戦しているということであった。
痛みを感じていたのは、細い血管に無理矢理太めのPICCを入れようとしていたからのようだ。
結局「太いのは無理」という結論になり、前回と同じライン2本分のPICCが腕に入った。

「今度からは最初から2本分のPICCしか入れないから!」と言われた。
是非そうしていただきたい。

地固め療法

前回の寛解導入療法で無事に寛解状態に入ったため、更に白血病細胞を減らすために別の抗がん剤を使っていく。
地固め療法の1クール目では以下の2種類の抗がん剤が使われた。
・キロサイド: 24時間連続投与×5日間
・ノバントロン: 30分×3日間
また、毎日吐き気止めの服用と点滴がある。

寛解導入療法と比べると抗がん剤投与の日数が減っている。
抗がん剤投与の期間が終わってもわたしは24時間ヘパリンにつながれているので不便さはあまり変わらないのだが、それでも抗がん剤の投与期間はどうしても浮腫みが発生してしまったり、点滴棒全体が重たくなってしまうため、抗がん剤投与の期間が短くなるのは嬉しかった。

念のため、抗がん剤を投与する5日間は心拍を24時間モニタすることになった。

懐かしいな!小さくなったなお前!

幸い、この時は抗がん剤による吐き気があまり酷くなかった。
また、前回あれだけ苦しんだ発熱が骨髄抑制期になっても一度も起きなかった。
看護師さんから「かきざきさん前回はあんなに血培(血液培養)とってたのに今回は全然ないですね!」とニコニコしながら言われた。
主治医も「今回は元気だね」と驚いていた。

理学療法士さんにリハビリに来てもらい、軽いトレーニングをすることも始めた。
理学療法士さんは平日しか出勤しないので、土日祝は自発的にやったりサボったりした。

コロナ禍での治療

わたしの入院していた病院は感染症指定医療機関ではなかったが、それでもこの頃には病棟の建物ひとつを丸々潰してコロナ病棟として使っていた。
そして、他の各病棟から毎月ローテーションで看護師さん達が助っ人として派遣されていた。

わたしの入院していたフロアからも毎月2人ずつ看護師さんをコロナ病棟に派遣していて、フロアは常に人手不足だった。
看護師さんは皆親切だったし、師長さんも本当に優しくていい人だったし、2年目の看護師さんも立派に活躍していて「自分が社会人2年生の時とはえらい違いだ」と感動したりしていたが、いかんせん人手不足なのでナースコールを押してもなかなか応答してもらえない時が多かった。
誰も悪くないのだが、少しずつフラストレーションが溜まっていった。

コロナ禍のせいで、入院患者は病院の外に一歩も出られない(そもそも無菌室の住民は無菌室から出られないが)。
コロナ禍でなければ無菌室ですら許される面会が、コロナ禍なせいで全く許されない。

医師や看護師、コメディカルの人達、出入りの業者さん達、皆通勤してこの病院に来る。
そのような人達が、通勤途中やプライベートで陽性者と接触していたとしても患者からは分からない。

白血球が減ってとても弱っている今のわたしが、もし何かの拍子にデルタ株に感染してしまったら死ぬんだろうな。

と考えていると、
・ワクチンを打てる体なのに打たない人
・マスクを付けられる体質なのに付けない人
・会食・パーティーをする人
・在宅勤務出来る職種の従業員を在宅勤務させない企業
に対して猛烈に怒りが湧いてきた。

パーティーに参加するのは本人の自由だが、参加するなら
「パーティーでコロナをもらっても医療機関のお世話にはなりません」
という念書を書いてから参加してくれと思った。

ブルーインパルスが飛ぼうが、オリンピックが開催されようが、心の底からどうでも良かった。
そんなことでいちいち喜んでいられる人達を「なんて呑気なやつらだ」と思うようになった。
こっちは生死がかかってんねんぞ。
政府の手の上で転がされてチョロくほだされるんじゃねーよ、もっと政府に対して怒れよ、と思った。

7月26日

夫がコロナワクチンの2回目を接種した。
夫はしっかり副反応が出るタイプで、接種した当日の夜から悪寒と頭痛が始まり、38度5分まで熱が上がった。
解熱剤を飲み、水分を摂ると大量に汗をかいて一時的に37度台まで下がるようだった。

副反応がおさまるまでの2日間でこれを何度か繰り返した夫は、
「このペースで着替えていたらたしかにすぐにパジャマの替えがなくなってしまうね」
「びしょびしょに濡れた状態で寝るのがどれだけ不快か良く分かった」
「これからはより一層洗濯に力を入れる」
と言ってくれた。

7月30日

弟のHLA型の検査結果が出た。

検査結果は、わたしと弟のHLA型は半分一致する、という、いわゆる「半合致」だった。
HLA型が半合致する場合、「ハプロ移植」という移植法が適用出来る。
しかも、血縁者から移植する場合は、骨髄バンクを介する必要がないのでこちらの治療のタイミングに合わせて弟から骨髄採取をすることが出来る。

わたしと弟は歳が離れているので、母が弟のことを妊娠していた時のことは大人になったいまも覚えている。
それでも「あなたたちは血のつながったきょうだいですよ」という客観的証拠を見るのは初めてなので、なんとも言えない感慨を覚えた。

もちろん、弟にはHLA型検査も、ドナーになることも断る権利があった。
でも、弟はきちんと説明を受けた上で、いざとなればわたしのドナーになるつもりで検査を受けてくれた。
ドナーになる場合はドナーとして健康診断にパスしなければならない。
弟はジョギングを始めた。

7月31日

「今のまま地固め療法を進めつつ、並行して骨髄移植を視野に入れて骨髄バンクからドナーを探したい」と主治医に告げられた。

弟からハプロ移植という形で骨髄移植を受けることは出来なくはないが、ハプロ移植は心臓やその他の内臓に負担がかかる方式であるため、それよりは骨髄バンクからHLA型がフルマッチするドナーを選んで移植したほうがわたしの体には良いだろう、というのがカンファレンスの結果なのだそうだった。

幸い、わたしのHLA型とフルマッチするドナーはバンクに「そこそこいそう」らしかった。
ただ、わたし自身を患者として正式にバンクに登録しないと、ドナーの最新の登録状況は見られないそうだ。
もし骨髄バンクがだめだったら、臍帯血バンクを当たるとも言われた。

骨髄移植を視野に入れるということ

前のエントリの通り、わたしは「予後中間群」という、「化学療法だけでは再発するかもしれないし、しないかもしれない」という分類にいる。
幸い化学療法は順調に進んでいるが、再発リスクがないわけではない。もちろん再発しないかもしれないが、それは誰にも分からない。

骨髄バンクからドナーを探す場合、
・登録されているドナーが登録時と変わらず現在も骨髄提供可能か
・ドナー自身が病気になったりしていないか
・骨髄採取の際にドナーも入院が必要となるため、いつなら都合が付くか
といった課題をクリアする必要があるため、ドナー探しの状況やドナーの都合によってこちらの治療スケジュールが左右されることになる。
それでも、ドナーがいれば御の字だし、幸運なことにいまのわたしは寛解を維持出来ているためドナー探しもドナーの都合も待てる状態にあった。

これが「骨髄バンクでドナーに打診をしている時間的猶予がない」病状だと、はじめから臍帯血移植になったりする。
臍帯血なら既に採取済みのものがバンクで凍結保存されており、それを取り寄せるだけだからだ。
更に、臍帯血移植ならHLA型が6/8合えば移植可能とされており、骨髄移植よりHLA型合致のハードルが低い。

入院期間は最低半年と一番はじめに言われたが、ドナー次第でその期間が延びることも考えられるとも言われた。
現に、池江選手は白血病の種類こそ違うけれど骨髄移植を受けて計10ヶ月入院している。

どうやって移植を決めたか

もちろん移植自体にもリスクがある。
合併症や晩期障害に悩まされ、移植後にQOLが下がる人もいる。
造血幹細胞移植についてのパンフレットをもらい、読み進めているうちにどんどん恐怖が広がっていった。

「いま寛解してるし移植しません」という選択肢もなくはない。
けれど、けれど…わたしはまだ35歳で、生まれつき心臓は悪いし障害者手帳も持っているけれど、それを普段気にしなくて良いくらい元気に生きてきて、この先の人生の方が長いと信じて疑っていなかった。

再発のリスクに怯えたり、万が一再発してしまうよりは、ここで思い切って移植したほうがより良い将来が送れるのではないか。
移植したから無事、とは言い切れないけど、尽くせる手を尽くした後で起きたことなら、その時はまたその時に考えるしかないんじゃないだろうか。
もし本当にこの先の人生の方が長かったら、治療期間が半年から10ヶ月に延びるくらい、誤差の範囲なんじゃないか。
と考えるようになった。

とはいえ「移植を受けます」と言い切ることは本当に怖かった。
移植を受けるなら、骨髄バンクへ患者登録することについて同意書にサインしなければならない。

治療の同意書にサインをするということ

わたしは自分の両親のことを思い出した。

生後半年で娘に心臓に病気があることが分かり、「手術をしないと一歳まで生きられません」と宣告された両親。
正中切開して、心臓を止めて人工心肺をつないで行う手術の同意書にサインをしたであろう両親。
当時の両親は、いまのわたしより若かった。母なんてまだ20代だ。

両親がわたしのためにやってきてくれたことを、いい歳した自分が自分で出来ないのはおかしいと思った。
自分のことを自分で決める方が、我が子の運命を決めるより何倍も簡単で覚悟が要らないはずだ。
子供のいないわたしでも、そのくらいの想像力はある。

循環器の2代目主治医の存在

わたしは生まれつき心臓に疾患があるので、0歳の頃から手術を受けたり病院通いをしている。
自分が成長するにつれ主治医もお年を召し、退官の日が来る。
いまのわたしの主治医は4代目だ。

2代目主治医はわたしが幼稚園に入るかどうかくらいの頃から大学4年までお世話になった、循環器小児科では権威と言われる方だ。
権威だけど気取ったところも偉そうなところもひとつもなく、目線を子供に合わせて話してくれる。
高校生になった時に、親に「ピアスあけるわ」と言ったら「先生に聞いてからにしなさい」と言われ、2代目主治医から「ピアスはだめです」と言われたので、JKのわたしは泣く泣くピアスを諦め、36歳になった今も忠実にそれを守っている。
2代目主治医の言うことは、わたしにとって親の言いつけより守るべきことなのだ。
(とはいえピアスをあけたい人生だった。来世に期待)

2代目主治医は大学病院を退官なさってからも別の病院で外来を持っており、半年に1度くらいの頻度で伺って、
「将来手術って言われたんですけど」
「そう?手術するかなぁ?ここ10年のデータはずっと変わってなくて悪くもなってないけど」
と心臓について話したり、
循環器以外にも知見をお持ちで、とにかく患者の心に寄り添ってくださる方なので、心臓に直接関係ない悩みを聞いていただいたりアドバイスをいただいたりしていた。
たとえば大学病院ではダメと言われたボトックスだが、2代目主治医が「いいよ!」と言ってくださったので、心置きなく打った。

実は6月の下旬にこの2代目主治医に会いに行こうと外来の予約を入れていたのだが、直前になって入院する事態に見舞われ、外来に行くことが出来なくなってしまった。

何故か2代目主治医のメールアドレスを知っているわたしは、入院してすぐに
「白血病になったので予約していた外来には行けない」という連絡をし、お返事をいただいていた。

移植するかどうかの選択を迫られた時、あと一歩背中を押してもらいたくて、藁にもすがる思いで2代目主治医に再度メールをした。
2代目主治医は欲しかった言葉をくださった。
「副作用が効果より大きい治療は基本的にありません」
いただいたご返信の中には他にもたくさんわたしの心に寄り添う言葉が連ねられていて、めそめそしていたわたしはご返信を見て一瞬で
「そうですね!」
という気持ちになった。
心の底から信頼出来る人がいると体だけでなく心まで救われるのだ。

8月3日

化学療法の最中は常に排尿の量を計る必要があった。
入れている輸液の量が多いため、排尿量と体重で浮腫みを管理するためだ。
毎朝体重を計り、担当医の決めた基準をオーバーしていた場合は利尿剤が投与される。
ラシックスは不味いので飲みたくないなと思っていたらPICCからの注入だったので安心した。

この日、夜中に尿意で目覚めたわたしは、いつものように計量カップに排尿をした。
が、寝ぼけていたこともあり尿がなみなみと入ったカップを床に落とし、尿をぶちまけてしまった。
床は尿まみれだし、部屋履きも履いていたパジャマのズボンも濡れてしまった。
情けない気持ちMaxになりながらナースコールを押した。

看護師さんはこういう事態に慣れているので
「全然大丈夫ですよ!」
と笑顔で言ってくれ、部屋履きとパジャマの仮洗いまでしてくれた。
わたしはショックのあまり、計ったはずの排尿量を完全に忘れてしまった。

8月6日

「骨髄バンク患者登録に関する同意書」にサインをした。

こんな様式です

よく見ると間違えて7月と書いてしまい、あとから8月に書き直している。

わたしは仕事をしていてもこういうしょうもないミスがとても多い
たぶん一生治らないと思う

別紙で、移植コーディネートに関わる費用の請求先等を書いた。
請求先は入院の治療費の請求先と同様に夫にした。
年収が一定の基準より低い場合は助成があるそうなので、安心して欲しい。

夫以外に2名まで、骨髄バンクにコーディネートの進捗について問い合わせると教えてもらえる人を登録出来るというので、両親の名前を登録した。

輸血について

輸血には赤血球の輸血と血小板の輸血の2種類がある。
赤血球の輸血はイメージ通りの真っ赤な血液パックで行うもので、血中のヘモグロビンが8g/dL以下になると行われた。
血小板の輸血は黄色いパックに入った血小板を輸血するもので、血中の血小板が3*10^4/μL未満になると行われた。

骨髄抑制期は血中のあらゆる血球が作られなくなってしまうため、赤血球と血小板の輸血をほぼ毎日行う。
わたしの場合はそれぞれ交互に行うことが多かったが、同日に両方の輸血をすることもあった。
血小板が少ないとうっかり転んだりどこかに体をぶつけたりも出来ないので、必ず手すりを掴むとか、シャワーで足を滑らせないようにするというように挙動にはとても気を使った。

輸血前、輸血開始5分後、輸血開始15分後にそれぞれ体温、脈拍、血中酸素濃度を測り、バイタルをチェックする。

赤血球の輸血はドロドロしていて、終わるまでとても時間がかかる。
輸血中は出来るだけ体を低く保っていようと寝たまま漫画を読んだり動画を見たりして3〜4時間過ぎるのを待つという感じだ。
一方で血小板の輸血はサラサラしているので、ベッドの上で起き上がっていても滴下速度にそんなに影響もないし、2時間程度で終わる。

8月7日:血小板輸血でアレルギー

いつも血小板の輸血の時には、事前に抗アレルギー剤の投与を行う。
この日も、いつも通り抗アレルギー剤の投与をしてから血小板の輸血を開始し、開始後5分も15分もバイタルに問題はなかった。

輸血を開始してから1時間くらい経った頃、
「なんだか喉が痒いな」
とふと思った。
わたしはいつも喉から風邪を引くタイプなので、
「いやいや、いまこのタイミングで風邪引くなんてやばすぎでしょ。しゃれにならん。早く看護師さんに言おう」
などと考えていたのだが、あれよあれよという間に全身に蕁麻疹が出始め、まぶたは二重を通り越して四重になり、鼻が詰まってきた。
心拍がガンガン上がり、爪がチアノーゼみたいに青くなった。

ここでようやく
「あ、これ風邪じゃない、アレルギーだ」
と気付いた。
血小板に含まれる抗体に反応して、血小板の輸血でアレルギーを起こすケースがあることは事前に知らされていたが、自分がそれにヒットすると想定していなかったので、気付くまでしばらく時間がかかってしまった。
(花粉症や一部のフルーツ等、元々若干のアレルギー持ちではある)

慌ててナースコールを押して、看護師さんに来てもらった。
その日担当してくれていたのはわたしより歳上のベテラン看護師さんだったが、その彼女ですら慌てているくらいの重度なアレルギー症状だったようだ。
次から次へと抗アレルギー剤やステロイドが追加投与され、輸血はそこで中断となった。
主治医も呼ばれたようで病室にやってきて、「おやおや随分と出たね」と言っていた。

「念のため1日モニタしますね」
ということで、心拍に加えて血中酸素濃度も24時間モニタされることになった。

この時はちょっと旧式のでかいやつだった

しばらくすると薬が効き始め、湿疹が引き、鼻の通りも良くなった。
喉が腫れて息が出来なくなるところまでは行かなかったので本当に良かった。
アナフィラキシーというのはこういう感じなのかぁ、と思った。

こうなってしまうと、血小板の輸血には慎重にならざるを得ない。
とはいえ選択肢がないわけではなく、「抗体を洗った『洗浄血小板』」が次からは輸血されることとなった。

洗浄血小板は、通常の血小板と違い真っ白になった血小板が入っている。
ただ、この「白さ」には個体差があり、いつも輸血の時に
「今日は真っ白ですね!」
「今日はちょっと黄色いかな〜」
などと看護師さんと感想を述べ合うのが楽しかったりもした。

「洗浄血小板」と書いてある
パックの中身は洗浄血小板にしては少し黄色め…かな

通常の赤血球や血小板の輸血であれば病院の輸血部に在庫があり、それを使っていくだけのようだが、洗浄血小板はその都度赤十字から取り寄せる必要があり、事前に「このへんで血小板の輸血が必要になりそうだな」と医師が予測してオーダーを入れる必要があるそうだった。

それまで「今日は◯◯の輸血をします」「明日は◯◯の輸血をします」という感じで輸血することを告げられていたが、洗浄血小板については「◯日と◯日と◯日にするから」という告げられ方をするようになった。

8月8日

夜中にふと目が覚めて
「夫にくっついて寝よう」
と思って右を向いたら、視界に入ってきたのは夫ではなくベッドの柵だった。

そうだ、わたし入院してるんだった…
いつも家のダブルベッドだと、夫が右、わたしが左に寝ているのだ。

ベッドの柵を眺めているととても悲しい気持ちになった。

8月13日

「移植に踏み切る前に循環器の主治医とも話をさせて欲しい」
とお願いしたところ、主治医が心エコーを録ってくれることになった。

心エコーされながら
「先天性心疾患と白血病のどっちも持ってる人って他にいないですかね?」
と聞いてみたところ
「いやー、いないんじゃないかな。白血病の方がレアでしょう。
 だって、軽いのから重いのまで全部含めたら赤ちゃん100人に1人は先天性心疾患持ってるんですよ」
と言われた。
「そういうことならわたしのことは是非論文にしてください!」
と言ったら苦笑いされた。

循環器の主治医のご友人にも2人ほど造血幹細胞移植を受けた方がいらっしゃり、その方達はお仕事に復帰されているという話を聞いた。
ちょっと勇気が出た。

8月18日

骨髄バンクにいるドナー候補から枠最大限度の10名を選定したと主治医から告げられた。
HLA型に加えて血液型が合う人も割と多かったらしく、更にその中から若めの人をピックアップしたそうだった。
若いドナーが歓迎されるのは、それだけ移植される造血幹細胞も若いからだ。
若い人にはドナー登録をとてもとてもお願いしたい。

骨髄バンクに登録して欲しい

ドナー登録自体はとても簡単で短時間で終えることが出来るが、実際にドナーに選ばれると、検査のために通院が必要だったり、そもそも骨髄採取のために入院が必要だったりして仕事に穴をあけることになるので、「やっぱり出来ません」と断られるパターンもあるようだった。
会社員ならともかく、自営業だと仕事に穴をあけることが収入源に直結するので尚更だろう。
※自治体によってはドナーに対する給付金があったりします
子育て中の人であれば、入院期間中子供をどうするか、という問題もあるだろう。

また、最終的にドナーとなるにはご家族の賛同が要るので、全身麻酔をする等のリスクを知らされたご家族に反対されてドナーになれなくなる場合もあるそうだ。

今回、有り難いことに何名かの友人や知人から
「自分がドナーになれるならなる」
と言っていただくことがあった。
ただ、非血縁でHLA型が合致する確率は限りなく低い。
合わない確率が限りなく高いHLA型を調べるために何万円もする検査費を自費で出すのも効率が悪いし、もし出してもらったりなんてしたらその時こそどうしていいか分からない。

気持ちだけ有り難くいただき、「ぜひ骨髄バンクに登録して欲しい」とお願いしたが、実際にバンクに登録までしてくれる人はなかなかいなかった。
わたしのためならドナーになる覚悟が出来る、それはとても有り難いことだけれど、どこの誰か分からない人のためにドナーになる覚悟は出来ない、そこがドナー登録における難しい問題なのだと痛感した。

一方で、何名かの友人や職場の方が
「ドナー登録したよ!」
と教えてくれ、泣くほど嬉しかった。

8月20日

元々の見込みではこのあたりで白血球の値が一時帰宅出来る基準まで回復しているはずだったが、回復が遅れているので翌日に予定していた一時帰宅を見送ることにした。

一時帰宅した時に食べようと思って通販で冷食を色々家に送っていたので残念だが仕方ない。
この段階で体をリスクに晒す必要はない。

8月23日

午前11時にマルクがあった。
何度受けてもマルクは痛い…

主治医から、
「朝の採血の値が良かったから帰っていいよ」
と言われた。
「明日の朝帰ってもいいし今日これから帰ってもいいよ」
とも言われた。

再入院の日は27日と決まっているため、家で過ごせる時間が少しでも長いに越したことはない。

例外的な措置だが、「今から帰ってもいいよ」と看護師長さんが言ってくれ、夫もその日の仕事を全部放り投げて迎えに来てくれることになったので、慌てて荷造りをした。


続きます!


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