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先天性心疾患持ちミドサーの急性骨髄性白血病治療④

先天性心疾患持ちミドサーの急性骨髄性白血病治療記です。
前回はこちら。


一時帰宅

今回の一時帰宅は9/25~10/1の6泊7日。
いままでは一時帰宅の間「家にいる間にあれもしないと、これもしないと」とざわざわしていたが、1週間もあるので「何もしない」「家でくつろぐ」ことが出来るのが嬉しかった。
病院に母が「せかほし」のBlu-rayを送ってくれていたのだが、持ち込んでいるDVDプレイヤーはBlu-rayに対応していなかったため、家のテレビでゆっくり観た。今まで存在を知らなかったけれど、とても素敵な番組だ。

一時帰宅の期間中はほぼ平日だったので、夫には仕事があった。わたしは「せかほし」を観たり、職場から差し入れでいただいたSwitchのゲームをして昼間過ごしていた。

入院前から思っていたことだが、夫はかなりブラックな働き方をしている。息をつく暇もなくmtgが入り、資料作成や頭の体操をする時間が夜中に持ち越されている。
「カビやホコリは厳禁だからおうちの人に掃除してもらうように」と病院で指導を受けているが、一時帰宅していたこの1週間、わたしは夫に一度も「掃除機をかけて欲しい」と言い出せなかった。もちろん、一時帰宅の前には家の中を一通り掃除してもらってはいたのだが。

9月29日

せっかくなので骨髄バンクに電話して、コーディネート状況を夫と一緒に聞いてみることにした。

候補に選ばれた旨のお便りは5名の方に出しており、1名の方がお返事をくださり、確認検査も終えて結果良好とのことだった。残りの4名の方からのお返事はまだとのこと。
バンクのスタンスとしては、「この1名の方にドナーになっていただくか、他の4名のお返事を待つかを主治医に委ねている」ということだった。

登録した時とは違ってそれぞれの方にご自身や環境の変化がおありだろうと思う。けれども、「ドナーになれない」ということであれば、せめてNOの意思表示をしてもらえたら嬉しいな、と思った。

10月1日

また入院だ。
いつも病棟の1Fのエレベーター前で夫とはお別れになる。
エレベーターが閉まる瞬間は泣きそうになってしまう。
ここからまた1人で頑張らないといけないのだ。
いや、病院の外には夫がいるし、実家の両親や弟、友人、職場の仲間もいる。
みんな応援してくれている。1人ではない。頑張ろう。

10月2日

PICCを入れた。前回の教訓から、はじめから左腕に入れてくれたため、何のトラブルもなく30分でスムーズに完了。とはいえ痛いものは痛い。
週明けから地固め療法が始まる。

地固め療法3クール目

地固め療法3クール目では以下の2種類の抗がん剤が使われた。
・キロサイド: 24時間連続投与×5日間
・アクラシノン: 30分×5日間
また、毎日吐き気止めの服用と点滴がある。

具体的な日付の記録が残っていないので正確にいつからいつまでとは言えないが、だいたいこのクールの入院期間中は舌が荒れていて痛く、また日常的に下痢に見舞われている。

10月4日

初日の夕方から早速口の中が苦くなってきた。
また、夜には人生最大級の目眩に襲われ「これが目眩か…!」と衝撃を受けた。
それまで立ちくらみの経験しかなかったのだが、この時の目眩は脳みそを洗濯機に入れられてぐるぐる回されているような感覚で、起き上がることすら出来なかった。

スマホの画面を見ることもしんどいので、ただ目を閉じておさまってくれるのを待つしかないのだが、ふと時間を確認してみても10分しか経っておらず絶望したりなどした。

夫、メンタルをやられる

元々夫がブラックな働き方をしていることは、お互い在宅勤務をしているが故に見ていた。
追い込まれているようにも見えていたし、妻の立場からすると、真面目な性格の夫を会社が体よく使ってそれに見合ったリターンもしてないな、と快く思っていなかった。
「いざとなったらわたしがあなたのことを引っ張ってでもメンタルクリニックに連れて行く」とかねてから夫に宣言していたのだが、まさかの自分が入院してしまった。

そして、10月3日の日曜日「どうしよう、すごく無気力だ」と夫から連絡があった。
大慌てで電話をかけ、話をしながら一緒にすぐ予約出来そうなメンタルクリニックを探し、予約させた。

10月4日の月曜になってみると、夫はベッドから起き上がれなくなっていた。
メンタルクリニックに行く気力は残っているとのことだったので、行ってもらい、まずは2ヶ月休職の診断書を取ってきてもらった。
クリニックに行く前に、最近の出来事をきちんと紙に書き出して医師にそれを読んでもらうことで状況を把握してもらったようだった。
ギリギリのタイミングでメンタルクリニックの予約を取れて本当に良かった。

仕事は詰められるわ、妻は死にかけるわ、ペットは死ぬわで夫にとって最悪の状況しかなかった。
わたしに責任があるわけではないが、夫のメンタルがやられた原因のひとつはわたしの病気なので、それに関しては本当に申し訳ないと感じた(まぁ一番悪いのは夫の勤務先だよ!)。

晴れて夫も病人?になったが、わたしの着替えや飲食物の差し入れのために外出することは苦ではない、むしろ外出する良いきっかけになると言ってくれたので、そのまま夫に甘えることにした。一方で、両親と弟には夫の現状について伝え、いざとなったらバックアップしてもらえるようにお願いした。

10月9日

ようやく抗がん剤が終わった。このクールは投与中もずっと吐き気がしていた。
嘔吐までいかないのがせめてもの救いだ。
結局この週はあまり動けず、少し体力が落ちてしまった。

病室にWi-Fi入れてくれ問題

ここまで長期の入院になってくると必須なのがWi-Fiだろう。
Wi-Fi経由でないとアップデート出来ないアプリ、iOS。Wi-Fiでしかアップロード出来ないSwitchソフトのプレイデータ。
PCやiPadを使いたい時もWi-Fiは必須だ。
入院を機にKindle Paperwhiteを購入したが、買った電子書籍のダウンロードにもWi-Fiは必要だ(5Gモデルを買ったがWi-Fiでないとダウンロード出来ないと言われてしまった)。
しかしわたしの入院している病院にはWi-Fiが導入されていない。
Wi-Fiを導入しないのは、患者のQOLを考慮出来ない病院側の怠慢だとわたしは思っている。

入院時に山口雄也さんのnoteを拝見して、Wi-Fiルータを別で契約することはせず手持ちのSIMのプランをアップグレードし、そこからテザリングすることに決めた。

楽天モバイルへ加入

どこのMVNOもだいたい月のデータ使用量や追加購入出来る量に上限があるが、楽天モバイルだけは上限がなかったので、入院してすぐに楽天モバイルを契約した。
元々IIJのSIMを挿しているが、楽天のeSIMなら契約が成立してインストールすればすぐに使えるので、入院中でも簡単に開通出来た。
たまに通信不能になるので楽天をメイン回線にすることは考えられないが、1ヶ月あたり200GBほど使っていたので、病室に楽天モバイルの電波が入るのは幸運だったし、楽天モバイルには本当に感謝している。

ただし、夫とFaceTimeをするようになってからiPhoneが度々発熱することに危機感を抱くようになった。
iPhone自体のバックアップは一時帰宅の時しか出来ていないし、いくらSIMをダブル使いしてもiPhone本体がダメになったらわたしの世界は終わってしまう。

サブ機導入

そこで、夫が楽天モバイルを新規契約し、格安のAndroidとセットでSIMを購入し、そのAndroidをモバイルルータ代わりにテザリングすることに方針を切り替えた。
安い端末なので万が一発熱して壊れてもそこまで惜しくないし、iPhoneもバックアップが取れるし、病室内に常にWi-Fiが飛んでいることになるのでこれはとても良いソリューションだった。

夫のおもちゃを嬉々として自分用にカスタマイズした

更に、新しく電話番号を取得したことでそのAndroid端末に一時的にわたしのLINEアカウントをもう一つ作り、夫のLINEと常時ビデオ接続しておくことも出来るようになった。
iPhoneに万が一のことがあった時に困らないよう、AndroidでSNS等の設定もして、心理的な安全はかなり担保された。

夫婦ブログの立ち上げ

まだ大したことは書けていないのだが、「一緒になにかしよう」ということで夫とブログを作った。

レンタルサーバを借りてドメインを取得し、WordPressを入れるところまで夫がやってくれた。
Google Analyticsの導入やSNSとの連携はわたしがやった。

「どんなことを書こうかな」と考えるだけでも楽しい。
また、夫とGoogle docsで下書きを共有し、LINEで中身について話しながら同時編集でブラッシュアップしていく作業は仕事のようで本当に楽しかった。
入院して以来ずっと抱えていた「生産的なことがしたい」という願望をブログである程度消化することが出来た。

10月12日

主治医が来て、ドナーさんの都合上、1月の移植になりそうだと告げられた。

11月に最後の地固め療法を行い、12月は寛解を維持できるようなゆるい抗がん剤をする、というのが主治医のプランだった。
出来ることなら年内に移植を終えて新年度から職場に復帰したかったが、ドナーさんのご都合が最優先なのでこればかりは仕方がない。
ドナーさんが見つかっただけでも幸運というものだ。

そもそも、ドナーを探す時間的猶予がある状態でいることが素晴らしいのだ。
わたしの体重なら臍帯血移植も適用出来るが、「それよりはフルマッチの骨髄ドナーを探そう」という方針を取ることが出来、バンクにコーディネートをお願いしてきた。
不満より幸運に目を向けるべきであるのは明らかだ。

10月14日

入院して以来少しずつ不眠症(寝付けない、中途覚醒する)に陥っており、徐々に睡眠薬や睡眠導入剤を服用するようになっていた。
この日は午前3時頃にふと目が醒め、無意識にナースコールを押してしまった。
後で「あ!」と思ったがもう遅い。看護師さんに来てもらってしまった。
看護師さんは「この時間に呼ばれるなんて、寝れないか熱かの二択だから熱だったらどうしようかと思いました~」と言いながら戻っていった。
ここの看護師さん達は本当にいい人ばかりだ。

10月15日

職場の人たちが飲み会をするというので上司が声をかけてくれ、オンラインで参加させてもらった。
ごく一部の方しかわたしの病名は知らないが、皆「待ってるよ」と言ってくださったのがとても嬉しかった。
参加している途中で夫が荷物の受け渡しのために病院に来てくれ、ヘルパーさんが病室に出入りしたので
「夫が着替えを交換しに病院まで来てくれてるんです」
と言うと、部長さんが
「旦那さんに俺は言いたいね!かきざきさんはほんといい子だから!」
と仲人みたいなことを言い始めたので笑ってしまった。
「一緒に忘年会しようね!」と言ってくださる方もいたが、忘年会があっても行ける体ではないことを自覚しながら「そうですね~!」と返事をするのはちょっと切なさがあった。
わたしは本当にこの職場が好きだな、と思った。

10月16日

わたしにはかねてよりお世話になっている美容皮膚科の先生がいらっしゃり、一方的にお世話になっているだけとは言いつつももはや友人と思っていただいていると言って差し支えないと思うのだが、彼女から「よかったら自分の髪を使って欲しい」と連絡があった。

人工毛のかわいいウィッグもいくつか買ったし、治療が終わればまた髪は生えてくるというものの、そんなことは関係なくこういったお申し出は本当に心の底から温かい気持ちになる。
彼女の髪だけではウィッグにするには量が足りないかもしれないとのことだったので、自分の髪の毛を早いうちに切っておいて良かったと心から思った。

10月19日

白血球の底はもう打ったと思っていたのだが、朝の検温で37度3分あった。良くない兆候である。

10月21日

本格的に発熱した。38度8分。
悪寒が止まらず、熱がどんどん上がっていった。39度1分。39度6分。

血液培養のために採血し、解熱剤を投与してもらっても、薬が切れた瞬間からまた悪寒が始まる。最悪だ。
呼吸が荒くなり、酸欠のような状態に陥ってしまったため酸素を吸わせてもらった。
パルスオキシメーター上のSpO2の値は問題なく、動脈血の酸素濃度も問題はないようだった(鼠径部から動脈血を採ったのだが痛くてびっくりした)。

循環器の主治医が急遽心エコーをしてくれた。
「今39度あるんす、まじで寒気が止まらねぇです」と主治医に泣きつきながらエコーしてもらったが、幸い心機能には問題ないとのことだった。

10月22日

36歳になった。
無事に36年間生きられた記念の日だ。
そして体温40度7分という自分史上最高記録を樹立した日にもなった。
そうそうお目にかかれる値でもないので写真を撮っておけば良かったと後から思うのだが、最中はそれどころではないので仕方ない。

しかも前日からこの日にかけての夜中、どうやらわたしはおしっこを漏らしてしまったらしかった。
朝、看護師さんに「あれから大丈夫でしたか?」と聞かれ「何のことですか?」と聞き返したことで発覚した。

どうやら40度超えの熱と睡眠薬で朦朧としていたわたしはトイレでズボンとパンツを脱いだところで漏らしてしまったらしく、ズボンや部屋履きをずぶ濡れにしてしまったようだった。
しかもわたしは自分でナースコールを押して看護師さんを呼んだそうなのだ。
全く記憶にない。

ズボンと部屋履きは看護師さんが仮洗いをしてくれたので、夫に家で洗い直してもらうことにした。
部屋履きの予備を持っていて良かった。

まさかこの歳で夫におしっこを漏らしたパンツを洗ってもらうことになるなんて、と思ったが、既に寛解導入療法の時点で下痢を漏らしたパンツを洗ってもらっていたのだった。
夫はすごい人だ。

主治医からは「移植になったらこのくらいの熱は当たり前に出るんだから今のうちに慣れておいてね」と言われた。
移植怖すぎるじゃん。

また、昨日の血液培養の結果菌が検出されたとのことでPICCを抜かれた。
今クールは抗がん剤の投与はもうないので、ヘパリンや抗生剤の点滴用と輸血用に左右それぞれの腕にラインが取られた。

10月23日

朝はまだ39度台だった熱が夜には37度近くにまで落ちてきた。

10月24日

まだ37度5分くらいだが、39度や40度に比べれば屁のようなものである。

10月25日

不眠症が一向に改善されないこと、また、わたしのいる病院では移植時には心療内科のチームが担当につくことになっていることから、今の段階から心療内科の先生にかかることになった。

白血球の数が1,400を超え、一時帰宅出来る基準にはなった。
しかし、血液培養で菌が検出された場合、最低2週間は抗生剤の投与が必要というレギュレーションがあるらしく、早ければそろそろ一時帰宅かなと思っていた淡い夢は打ち砕かれることになった。

10月26日

夫も誕生日だ。自分の誕生日は無理でも夫の誕生日には家にいられたら良いなと思っていたが甘かったようだ。

この日は「学校へ行こう!」の特番があり、久しぶりにテレビをつけた。
中学生から高校生にかけて夢中になって観ていた番組だ。
看護師さんから「笑い声が廊下まで聞こえてますよ」と言われてしまった(お咎め的なトーンではなかった)。
無菌室と廊下の間には扉が2つあるので、余程大声で笑っていたのであろう。
「かきざきさんがそんなに笑うなんて珍しいですね」と言われたが、そもそも笑い声のでかさでわたしに勝てる人はいない。
何にせよ笑うのはいいことだ。

10月27日

血液内科から循環器へ経食道心エコーを打診しているそうだが、わたしの血小板の値が低いので断られているらしい。
経食心エコーの目的はもちろん、先日の感染で心内膜炎が起きていないかを確認するためだ。

調べてみたら、経食心エコーでは胃カメラよりでかいエコーを突っ込まれるらしい。
毎年の人間ドックの胃カメラでHPをガリガリ削られるわたしに果たして耐えられるのだろうか、と思ったが、経食心エコーでは鎮静剤を使ってくれるそうなので一安心だ。

10月29日

やはり移植は1月中旬で、と再度主治医に告げられた。

一時帰宅中にバンクに確認した時と違って2人目の候補の方からもお返事があったそうなのだが、その方は全体的な進捗が1人目の方より遅れているためまだ確認検査にも進んでおらず、早いに越したことはないので1人目のドナーの方を念頭に置くのが良いだろうというのが主治医の判断だった。

10月30日

推しが舞台をやることが発表された。本番は2月。
移植入院は最低3ヶ月は見ておくようにと主治医に言われているし、絶対に観に行けない。
コロナ禍で色々な公演が配信になったので病室からも有り難く視聴していたが、生の舞台をされても、行けないじゃん。
絶望がすごかった。

11月2日

家中のエアコンと浴室乾燥機を業者にクリーニングしてもらうことに決めた。
今の家に越してきてから5年間何もしていなかったのでちょうど良いタイミングだ。わたしも安心して一時帰宅出来る。

11月4日

経食心エコーの日程が翌週になったため、「週末帰れるかも」という期待は泡となって消えた。
プランとしては11/12~17で一時帰宅だ。

白血球もあり、抗がん剤も経食心エコーの結果が出るまで始まらないので本当に暇だった。
PICCも入っていないし、夫と常時LINEでビデオ通話しているので、オガトレのトレーニング動画をシェアしながら一緒にストレッチをしたりして過ごしていた。

11月5日

マルクをした。いつも一時帰宅の前日か当日にしていたマルクなので、「マルクに耐えれば帰れる」というモチベーションがあったのだが、今回はそれが全くない。

主治医に「移植後の家での過ごし方」を聞いてみたのだが

  • 順調にいったとしても5月いっぱいくらいまでは家で夫のサポートが必要と考えること

  • 免疫抑制剤を使っている間はホコリの出るような家事は全て夫にやってもらうこと

  • 仕事が忙しくて時間が取れないなら家事代行を入れること

  • あとはもうその時のあなたの経過次第です

といったようなことを言われた。
先は長い。

11月6日

マルクの初報について主治医から聞いた。

  • 芽球5%未満を維持出来ている

  • 前回のマルクで突発的にWT1が7.1×10*1と増えてしまっていたので、今回きちんと5.0×10*1未満に戻っていることを翌週以降確認する

とのことだった。

また、この日からヘパリンでの凝血管理からワーファリンの服用に変わり、点滴台から開放されることになった。
白血球が1,000を超えているから無菌室の外にも出られるし、自由だ!と嬉しくなり、寝る前に病棟の廊下を散歩するようになった。

11月8日

朝、循環器の主治医が病室に来てくれた。
循環器の基準では、感染症に罹ったら最低3週間は抗生剤の投与が必要らしく、血内と基準が違うので血内の主治医と確認して欲しいとお願いした。

血内の主治医からは「2回目の血液培養では菌が検出されなかったから大丈夫だとは思うけど、週末(11/12)に必ず帰れる、って思っておかない方がショックが少なくていいかもね」と言われてしまった。

11月11日:経食道心エコー

経食道心エコーの日。
いつも心エコーを受ける雑然とした部屋で経食心エコーもするのでちょっと驚いた。
喉に麻酔をし、点滴のラインから鎮静剤を入れてもらって、肩を叩かれたらもう終わっていた。
人間ドックの胃カメラも毎回こうであって欲しい。

経食心エコーは食止めがある

経食心エコーの結果、怪しい影が心臓内にあり、菌ではないとは言い切れない、と告げられた。
抗生剤の投与期間は3週間から6週間に延びるそうだ。
毎日抗生剤の点滴が必要なので、今回の一時帰宅は一泊しか出来ないと告げられた。
帰る日の朝抗生剤を点滴したら針を抜き、家で一泊して、再入院したらすぐラインを取って午後に抗生剤の点滴をするのだ。

抗生剤の投与期間が延びたことで、今月予定していた地固め療法のスケジュールも練り直さないといけなくなってしまったようだった。

正直かなり精神的にキツいが、一泊でも帰れないよりはましだと自分に言い聞かせることにした。

一泊しか帰れないが、その代わりにいつ帰っても良いと言われた。
貴重品以外の全ての荷物は病室に残して行って良いと師長さんが言ってくださった。
「いいよぉそんなの」とおっしゃっていた。
本当に素敵な師長さんだ。

11月12日

舌の荒れが一向に良くならない。
寛解導入療法の時からハチアズレを使っているのだが、口腔外科の医師に相談して半夏瀉心湯という漢方を処方してもらうことにした。
実際に効いていたかは今になってみると分からないが、とにかく歯が黄色く染まった。

11月13日

11月は抗生剤の投与があるため地固め療法を行わないことになった。
次の抗がん剤投与は12月になり、今までと同様の地固め療法にするのか経口の抗がん剤も使うのかをこれから考えるとのことだった。
11月末か12月の頭に再度経食心エコーをすることも告げられた。
当初は年末年始を家で過ごせるようにと主治医も考えてくれていたが、こうなるともはや分からんな、と聞いていて思った。

11月15日

夫も休職しているのでいつでも良いのだが、とりあえずこのあたりで、ということで一泊だけ帰宅することにした。


続きます!

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