フランスの仙台で大学病院の循環器科に通う。そして番外編。
もしあなたに持病があって定期的に通院する必要があるとして、言葉の通じない外国に長期間行くことになったらどうするか。
これは、先天性心疾患があり毎月都内の大学病院に通院して採血検査と医師の診察を受けていたわたしが、ある日「お前ちょっとフランスに行ってこいよ」と言われた時の話である。
レンヌ。それは、フランスの仙台。
フランスは勤務先の会社が同業他社との協業の一環で派遣してくれたものだ。
当初はスイスのジュネーブ行きという話だったものが、気が付くとフランス北西部はブルターニュ地方の中心都市、レンヌへ行くことになっていた。
レンヌは仙台と姉妹都市なのだが、まさにレンヌはフランスの仙台と言えると思う。
首都パリのモンパルナス駅からTGV(新幹線みたいなやつ)で2時間半ほどで着くのだ。
レンヌ駅前から出ている長距離バスに1時間半ほど揺られればあのモンサンミッシェルにも行ける。
そんなレンヌに3ヶ月ほど行けと会社で言われた。
折しもわたしは未来の夫となる人と大絶賛婚約中、新居探しに式の準備にと浮かれていた時期だ。
曲がりなりにも会社の顔として行けと言われたのは有り難い話だし、行くこと自体も婚姻届を提出する日までに帰国が出来るならやぶさかではないが、わたしは病院通いが必須の身だ。
わたしは先天性心疾患ゆえに心臓に人工弁(機械弁)を入れており、その機械弁のまわりに瘡蓋よろしく血小板が固まって血栓となってしまわないように毎日ワーファリンという抗凝血薬を服薬している。
ワーファリンは効きが弱いと血栓が出来てしまい、それが例えば脳に行ってしまえば脳梗塞を引き起こすし、逆に効きが強すぎれば血が止まりにくくなったり、少しぶつけただけで内出血を起こしたり、運が悪ければ頭を打って脳溢血を起こしたりしてしまう。
効きが弱くても強くてもだめな薬だ。
当時はそのワーファリンの効き目が不安定だったために毎月通院して採血をし、効き目の指標となるPT-INRという項目を調べ、服用するワーファリンの量を調整していたのだ。
…フランスに行ったら、それ、どうすんの?
フランスの仙台でACHDを診てくれる医者を探す
後述する番外編で触れるが、わたしは1歳から2歳にかけて家族でアメリカに住んでいたことがあった。
医療の発達した国であれば長期間の滞在が可能なことは分かっていたので「行かない」という選択肢は頭になかった。
ただしどうにかして現地でPT-INRの値とワーファリンの服薬量を管理してくれる病院と主治医を見つけることが最低条件だ。
まず当時の主治医(3代目主治医)にフランス行きについて相談したところ「海外にはつてがないから頑張って自分で病院を探してくれ」と言われた。
いやフランスの病院に詳しい知り合いなんておらんわ。
せっかく「こいつなら派遣してもよかろう」とお上が言ってくれているのに肝心の本人が「病院に通える見込みがないからフランスには行けません」というのではあんまりだ。
でも会社としてもフランスの、ましてやパリでもない地方都市で成人先天性心疾患のPT-INRを診てくれる医師をピンポイントで探せるわけがない。
そんな面倒なことをするくらいなら、健康体の人を3人くらい海外に派遣する方が会社にとってはよほど効率的だ。
(会社はわたしのような面倒な人間をよく海外に送ったなと今でも思うし、とてもフラットに扱ってくれていることを改めて有り難く感じている)
行く道筋を照らしてくださったのは2代目主治医だった。
3代目主治医に振られていっときは途方に暮れたが、2代目主治医なら海外の学会に出席していたこともあるし、海外につてがあるのではないかと親は踏んでいた。
メインの主治医が3代目主治医となってからも半年に1度ほどは2代目主治医に会って診察を受けていたので、相談するハードルが極めて低かったのも良かった。
2代目主治医はわたしが相談するとすぐにフランスの医師仲間(という表現は正しいのだろうか)にコンタクトを取ってくれ、3名ほどの先生方を中継して、遂にCHU(Le Centre Hospitalier Universitaire de Rennes / レンヌ大学病院)にいらっしゃる循環器のM先生に辿り着いた。
いまこれを書きながら当時のメールを見返しているが、20代半ばそこらのひよっこがたった3ヶ月間滞在するだけなのに、海外の学会で国際交流するような立派な先生方が人脈を活かして現地の先生を探してくださったのだ。
当時のわたしはもっと有り難がるべきではなかったか。
ご紹介いただいたM先生はGUCH(Grown Up Congenital Heart)かつValvular Disease(弁膜症)がご専門というまさにドンピシャの御方だった。
運良く病院が見つかったとしても通院のために毎回TGVに乗ってパリまで出ることも覚悟すべきかと思っていたが、すぐそこに通える病院があり、主治医が見つかったことにとてもほっとしたのを覚えている。
M先生とは渡仏前からメールでやり取りをさせていただき、渡仏の日が決まったタイミングでM先生のところに伺うアポの日時も決めた。
普通に考えたら大学病院の初診の予約を主治医と直接メールでやり取りして取るなんてえらいことだ。
M先生は、わたしがフランス語が出来ないことを知って、CHUの広い敷地のどの建物がCCP(Centre Cardio-Pneumologique / Cardio-Pulmonary Center)なのか、最寄りのメトロの駅で降りてからどの方角を目指せば着くか、受付は建物内のどこで、M先生は建物内のどこにいらっしゃるのか、などを全て事前にメールで教えてくださった。
もちろん、事前にCHUのホームページ(全部フランス語)やGoogle MapでCHUの敷地を調べて「絶対辿り着けない!」と思ったわたしがM先生に不躾にも「行き方を教えてくれ」とお願いしたのだが、それにしてもものすごく丁寧に行き方を教えてくださったので感動した。
M先生からは、「レンヌにいる間にモンサンミッシェルに行くのを忘れずに!」とも言われた。
2代目主治医に書いていただいた紹介状とM先生にいただいアポメールを携えて、わたしは生まれて初めてのフランスへ飛んだ。
はじめての国で主治医に辿り着く
はじめてCHUを訪れたのは渡仏してちょうど1ヶ月が経った頃だった。
メトロの乗り方にも慣れてきていたし、幸いCCPはメトロの駅を降りてすぐ目の前にあった。
ところが想定外なことに、受付でも、病院の廊下でも、誰も英語が話せないのだ。
たとえば、"I have an appointment with Dr.M at 10:00."と言っても、"Dr.M"のところしか相手には通じない。
しかもM先生のお名前は英語とフランス語では発音が若干違ったので、向こうも「え!?なんだって!?」みたいになる。
はじめはあまりの言葉の通じなさに愕然としたのだが、落ち着いて考えてみて欲しい。
ここは仙台だ。
仙台の病院でスタッフや看護師の方達が全員英語を話せるかといえば、答えはNOだ。東京の大学病院でもNOだろう。
だいたい何でフランス人が英語が話せないといけないんだ、ここはフランスだ。
フランス語を話せないわたしが悪いのだ。
愕然としたわたしがおこがましいのだ。
というわけで、仕方がないのでM先生の名前を連呼すること十数回、ようやく「この東洋人はDr.Mに用があるのだな」と察してもらうことが出来、「待ってろ」的なことを言われ、全く意味の分からない言語が飛び交う病院の廊下の椅子でしばらく待ったのちにM先生とご対面することが出来たのである。
M先生はとてもチャーミングな方で、無事にお会い出来た時には(言葉の面でも)とてもほっとしたのを覚えている。
ワーファリンの効き目やPT-INRの値はなんだかんだで命にかかわるものだ、異国の地でもプロに管理してもらわないと生きていけない。
フランスでのPT-INR管理
現地の患者が全員同じような流れでケアを受けているのかは分からないが、わたしの場合は、M先生の診察を受けて採血したら帰り、翌日あたりにM先生からメールでPT-INRの結果と、それを受けてのワーファリンの服薬量の指示、更には次回のアポの日時が送られてきていた。
日本にいる時は毎月1度の通院だったが、フランスに行ってからは食生活が変化したからなのかPT-INRの値が乱高下しており、結局2週間に1度ほどは通院して採血をしていた。
たった3ヶ月の滞在期間中にワーファリンの服薬量は1日4gから6gまで幅広く増減した。
当時のメールを見返していて興味深かったのは、フランスではPT-INRが2.5-3.5の間だと良しとされていたことだ。
2.61だった時のM先生からのメールには「It's OK」と書かれている。
日本だと2.0-2.5あたりが好ましいとされているし、実際に先日PT-INRが2.85だった時には服薬量を減らすよう指示されている。
言語問題
病院内で英語で話が出来たのはM先生と、M先生のところに研修で来ていたであろうおそらく医学生であるところの若い女性くらいで、あとはびっくりするほど英語が通じなかった。
ただし、想像の域を出ないけれども、M先生が「こういう人が来るから」と事前にアナウンスをしてくださっていたのではないかと思う。
おかげで病院の方達も「こいつはフランス語が分からないけどわざわざ来ているらしい」という認識を持ってくださっていたようで、言葉が通じなくても意思疎通のだいたいは何とかなった。
初回にM先生のお名前のフランス語発音も覚えたので、2回目以降の通院では受付で若干話が通じるのが早くなったような気もする。
正直、言語問題は病院に限った話ではなく、会社と滞在していたアパートメントホテル以外の街中では英語が通じたためしがほとんどなかったので、通院時だけがとりたてて不便だったわけではない。
電波さえあれば、基本的にはGoogle翻訳でどうにか乗り切ることが出来ていた。
でも、お高いんでしょう?
海外では健康保険が使えないためおそろしく医療費がかかる、と思っていたので、渡仏前に人事に「業務都合で行くんで会社から医療費の補助とか出ませんか」と相談した。
人事からは、会社としての補助はないが、現地での医療費の支払いが一定額を超えた場合は会社の健康保険組合に超えた分の補助を申請できること、そのためには現地で実際に病院にかかったことを証明する書類を書いてもらう必要があることを教えてもらった。
現地でその書類をM先生に書いていただいている時に、計5回の通院日のなかで1回だけ突出して請求額の高い日があったことに気付いた。
他にどうしようもなかったわたしは、この「1回だけめっちゃお金かかってる問題」までM先生に相談した。
M先生はおそらく内部ですぐに調べをつけてくださって、請求額が誤りであったことを連絡してくださり、後日フランスの銀行口座を持たないわたしのために現金で返金されるように手配までしてくださった。
M先生なしにはわたしの病院通いもレンヌでの滞在も成立し得なかった。
ちなみに1回の通院で請求された額は採血や診察を合わせて平均するとだいたい20~25ユーロくらいだった。
ワーファリンなどは日本から持参していたため、薬代はかかっていない。
(というか、正直、全体的にかかったお金が安すぎて健康保険組合への補助申請は結局しなかった。だって5回通院したのに100ユーロちょいしかかかっていないわけですし。1回だけやけに請求額が高かった時も、最悪返ってこなくても仕方ないと思える範囲の額だった。どうなっているんだ…?全ては謎に包まれたままだ)
番外編:3x年前の渡米生活
わたしは1歳半で2回目の心臓の手術を受け、その際に僧帽弁を機械弁にした。
退院後ほどなくして、先に渡米して留学生活を送っていた父を追いかけるかたちで母とわたしもアメリカへと渡り、10ヶ月ほど現地で生活をしている。
当時も、日本でお世話になっている大学病院の先生方からのご紹介で現地の病院や主治医に巡り合い、なにかにつけてお世話になっていたようである。
いまと違ってインターネットやメールもないような時代に、日本からの紹介状を片手に異国の病院へ行くというのはどんなにか勇気が要ったことだろうと、親のことを考えると胸にぐっと来るものがあるし、ものすごく多くの方達に助けていただいて今があるのだということを改めて実感させられる。
わたしはアメリカにいるあいだに2歳の誕生日を迎え、2歳2ヶ月を過ぎたクリスマスの日に初めて自分の足で歩いた。
いまはなき世界貿易センタービルにも、フロリダのディズニーワールドにも、それ以外にも数えきれないくらい色々なところに連れて行ってもらったし、父と同じように世界中から留学に来ていたたくさんの研究者の方達にそれはそれは可愛がっていただいていたようだ。
父が一人で留学に行くことも出来たかもしれないが、一緒に連れて行くことを決意してくれてとても感謝しているし、父の渡米後にワンオペでわたしの面倒を見てくれた母にもとても感謝している。
そして、自分自身でも行ったからこそ分かるが、帯同が必須ではないにもかかわらずこのような大変な家族を帯同させることを良しとしてくれた父の当時の勤務先にも感謝をすべきであろう。
物心つく前のことだったのでわたし自身はアメリカ生活のことはなに一つ記憶していないけれど、大人になってから海外とかかわる仕事をしていたり、自分で実際に仕事で海外に滞在して生活しながら現地の病院に通院したりしていることに少なからず影響していると信じている。
備考と注意と補足
※1
フランスでの出来事は2012年10~12月のものです。
当時から時間も経っているため、現在は大きく事情が異なっている可能性があります。
あくまでもとある人間のひとつの体験としてお読みいただければ幸いです。
※2
レンヌとってもおすすめです。
滞在中に遊びに行ったパリでは正直何度か怖い思いをしましたが、レンヌでは夜中に一人でほっつき歩いていても一度も怖い思いをしませんでした。
学園都市や研究都市としての色が濃く、治安はかなり良い方だと思います。
モンサンミッシェルに行く前後で是非足を止めて満喫していただきたいです。
※3
投稿内容の性質上、現地での主治医や病院の方々にのみフォーカスしていますが、レンヌでは職場でもかなりたくさんの方達に良くしていただき、週末の家族イベントに呼んでいただたり、生活上フランス語でネゴしないといけない時に通訳していだいたり、誕生日を祝っていただいたり、仕事終わりにサッカーの試合を観に連れて行っていただいたりなどとプライベートでも相当お世話になりました。
本当に最高の3ヶ月間でした。
当時お世話になった方達とは今でも交流があります。
レンヌ大好きです。
※4
3ヶ月の滞在期間中に未来の夫が一度来てくれたので、モンサンミッシェルに一緒に行ったところ帰り際に二重の虹が出ました。
やっぱりうちら夫婦は何か持ってる(確信)
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