実家に帰りたくない女
正月が苦手だ。
世間から、この日は家族と過ごさねばならぬ、という圧を感じるから。
友人たちは当たり前のように実家に帰る予定があるから誘えない。
まぁ結局一人が楽なのでいいのだけれど、SNSや街の空気などから醸される実家のあたたかさ系の空気。
それに馴染めない自分に、罪悪感を覚える。
突然のカミングアウトになるが、私はいわゆる宗教二世であった。
今年話題になった統一教会ではないが、両親が熱心な信者である家に生まれ、小学校に上がるまでうちが「普通」と違うことを知らなかった。
私に選択の自由はなかったし、誕生日も、クリスマスも、家でお祝いしたことはない。
詳しくは割愛するが、高校生のときに私は親に泣いて頼み、なんとか宗教組織から抜けることに成功した。
それでも周りからは神の教えから離れるなんて可哀想、あなたのために言っているのに、などといった言葉をかけられ、引き戻そうとされた。
特に病死した母は最期まで、私が教えを学ぶことを拒んだことを嘆いていた。
神様が本当にいるのなら、あれだけ神を信じ尽くした母を病気で何年も苦しめることなどしないだろう。
母を亡くした二十歳の頃、私はそう思った。
神などいない。
教えを学ぶことをやめたとはいえ、幼い頃から刷り込まれてきた考えや価値観を変えることはそう簡単ではない。
私は皮肉にも、母の死をもって神の存在を完全に否定することができた。
祖父母や親戚の半分ほどは今もその宗教を信じている。会うと、未だに私に教えを説こうとする。
それなので、できれば葬式まで会いたくない。
父は、私の選択を尊重してくれているのか、私をその道に引き戻そうとはしない。母を亡くしたことで少なからず父も思うことがあったのかもしれない。
そんな父がせめて正月くらいは食事をともにしてほしいと言うので、私は渋々、正月だけは祖父母や親戚に会う。
愛想笑いを貼り付けて、無遠慮に私の心を傷つける彼らに会う。
コロナ禍のときは自粛という名目で帰省しなくてもよかったので、その点だけは楽だったな、と思う。
正月が苦手だ。
私の心を否定してくる人たちと会わなければいけないから。
それが家族だということ。
家族は仲がいいもの、支え合わねばならぬものという価値観の押し付けが苦しい。