ノンセクシャルからアセクシャルになるのか?セクシャルの流動性について
ノンセクシャルを自認して、八年ほどが経つ。
ここ三年は、恋愛、片想いはもちろん、両想いというものに無縁だ。
ノンセクシャルを自認してすぐの頃は、人を恋愛的に好きになるということ、手が触れてドキドキ!みたいな、そういう感覚がまだあった。
ただ、年齢を重ねていくにつれて、その先にある体の関係がチラつくようになった。
そうすると、途端に気持ち悪くなる。
まだ先の、だけど確実に訪れるその瞬間を思うと、面倒になってくるのだ。
以前にも書いたが、私は子どもみたいな恋がしたい。
子どもみたいな恋なら、したい。そうでないなら、いらない。
ここ三年、誰にも恋愛的に惹かれていないのは、結局恋愛の終着点は性的なことであると、脳内で分かってしまっているからだ。そう分かっているとどんなやりとりをしてもサーッと冷静になる。
最初からノンセク同士と分かっていて、お互いに好意を持てる相手となんて出会えない。人生はドラマとは違うから。
最近の私は、ノンセクシャルよりアセクシャルの思考に近い。
アロマンティックアセクシャル。AroAceとも略される。
他人に恋愛的感情を持つことも、性的欲求を向けることもない人。
以前までの私は、恋愛的感情はあった。
でも今の私は、恋愛的感情を誰かに持てる気がしない。過去のそんな自分を思い出しても、他人のように感じてしまう。ああ、そんな時期もあったねえ、懐かしいねえ、みたいな。
恋愛をしていた頃の私は遠い過去で、今の私とは無縁になってしまったみたいだ。
セクシャリティは流動的だという。
ノンセクシャルからアセクシャルになった、というのも不思議ではないと私は思う。
ただそれは結局今の自認であって、真の答え合わせができるのは、私が死ぬときだと思う。
死ぬまでに誰のことも恋愛的に好きにならなかったら、私は人生のほとんどをアセクシャルとして過ごしたことになるし、
もしこの先、誰かのことを恋愛的に好きになったら、やっぱりノンセクシャルだったんだね、ということになる。
ただ、まぁ、どちらでもいいかな、とも思う。
どちらにせよ今の私は、ひとりで生きていく未来を考えているから。
ひとりで生きていくにはなかなか厳しい世の中だけど、ひとりで生きていくことがきっと私にとって一番呼吸がしやすい道だということは分かっている。
どんな形でも、私は私が息のしやすい生き方をしたい。