推しとノンセク

私には推しがいる。
推しという言葉が浸透するより前からそれなりの年数をオタクとして生きてきたのでその数は徐々に増えていった。
今はジャンル・二次元三次元を問わず、両手でギリギリ足りるかなくらいの数になった(最推しと呼べるのは一人だけ)。

二次元は平面なので置いとくとして、三次元の推しとなると、実在する人間なわけで。
推しの話をすると、好きなの?と聞かれることがある。
好きだけど、恋愛的な好きという感情と、推しへの好きという感情はベクトルがまったく違う。

私はノンセクであるがゆえに、誰かを好きになることにも躊躇いがあり、自分の気持ちを抑えてしまう。
しかし、推しは増えていく。
なぜか?

理由は簡単で、推しとは接触しないからだ。

推しに認知されたがるオタクも少なくないが、私は断固、認知されたくない派だ。
推しを見ていることで私は元気をもらっているので、推しも元気に活動してくれたらそれでいい。

私は外見よりも、声や芝居、パフォーマンスや生き様に惹かれたからという理由で推しができる。
そういうところを好きになると、不思議と見えているすべてが素敵に思えてきて、外見も好き、と感じるようになる。

ただ、推しは身近にいる人間とは違う。
私が見ているのは推しが見せてくれる一面に過ぎないので、私も推しが見せたい推ししか見ないようにしている。
こちらからどれだけ愛を注いでも構わない人。
一方的に見ていられる、応援できる、だからこそ推しに夢中になれる。

世間話をしていて好きな芸能人の話題になったときに異性の名前を挙げると「そういう人がタイプなんだ」と言われると納得がいかない。
推しと恋愛したいわけではないから。
違うんだけどな〜と思いつつ、世間話をする程度の間柄の人であれば面倒なので訂正せず適当に受け流している。
答える前に面倒な雰囲気を察知したら同性の名前を出している(そうなると恋愛に結び付けられることはない……それもどうかと思うが)。

「人生」の中にはいるけど「生活」の中にはいない、それが推しである。

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