多様性を受け取れることとは干渉しないことか
ドラマ『いちばんすきな花』への共感が止まらない。
第6話、ゆくえと夜々が椿の家からの帰り道、バスの中で織りなす会話で、ドラマのメインテーマのひとつでもある男女の友情は成立するのか問題について触れられた。
椿の家で出くわした赤田との口論内容からもわかるように、ゆくえは男女の友情を否定されることを極端に嫌っている。
うーん、これに尽きる。
二人の間のこと。
でも、男女になると、赤田の妻のように、第三者が介入してくる。
パートナーが嫌だと言えば、異性の友人との付き合いは控えなくてはならない、そんな暗黙の了解。
男と女の友情においては、赤田とゆくえの友情においては、ふたりはふたりになりきれない。
友達とパートナーが同時に海で溺れていてどちらか一人しか助けられないとしたら?という究極の問いかけのようだと思った。
パートナーを大事に思い、優先することはいいことだと思う。でもそうやって相手の人間関係を縛ることに意味はあるのだろうか、とも思う。
結局、答えは人それぞれで、成立しない人もいるし、成立する人もいる。
でも、どうしても人は自分の価値観を押し付けがちになる。
条件次第で成立すると言った夜々の考えにも納得がいった。
紅葉は友達。でも、一度好意を出してきた仕事の同僚は、条件が合わないから友達にはなれない。
どちらかというと私は夜々の価値観の方が近い。
ゆくえが多様性の理解について、
と言ったのにはそれな!!!?と赤べこにならざるを得なかった。
男女の友情に限らず、同性愛やセクシャルマイノリティについて、理解してあげよう、受け入れてあげよう、みたいなどこか上から目線な世論にモヤつくことがある。
別にあなたに理解されてもされなくても存在することに変わりはないから、そういう人もいるって知っていてほしいだけ。
干渉しないでほしいだけ。
自分のものさしで測りきれないからといって、他人の価値観を否定したり横やりを入れたい人が多すぎる世の中で、ゆくえの言葉は切実で、でも叶わなくて虚しい思いとして私の中に響いた。
あと、個人的にとてもいいなと思ったのが、椿とゆくえと赤田の謎修羅場に関して、誰も赤田が実はゆくえのこと好きなんじゃないの?と言い出さなかったことだ。
恋愛にあるんだから、友情にも嫉妬はある。
夜々がそう言ってくれたことが、私は嬉しかった。
十何年の付き合いの友人が自分の知らない相手と結婚するとなったとき、そのぽっと出の奴だれよ!?あんたのことちゃんとわかってんの!?と思ってしまうこと、なくはないので。
他人のことを決めつけないのが、よにんの居心地がいい理由なのだろうなと感じた。