いくつになっても夢をみるでしょう。
noteの長尾スエオさんの「将来の夢はなんだ?という問いに答えつづける。」という、記事を読んで、自分もずっと将来の夢を答え続けてきたような気がしています。ちょっと書きたくなったので書きます。
私の場合、未だ何者にもなれていませんが。
どんな人になりたい?よりも、どんな生活がしたい?というほうがしっくりします。
どんな生活?…結局「毎日ぼーっとしてすごせたらいいなあ」
これにつきますかね。
必要なのは
●美味しいご飯が食べれること
●ぼーっとしたり好きなことができること
そのためには、ある程度のお金と健康が必要ですがね。美味しいご飯というより、ご飯を美味しく感じられることが大事ですかね。納豆と卵かけご飯だって美味しくて美味しくて、生きててよかったと思うでしょ。
子どもの頃、「大作家の先生は締め切り間際は温泉旅館に缶詰にされて書き続けるんだって」ときいてうらやましかったものです。温泉で美味しいお料理食べてずっと本を書くなんて、いいなぁ。
自分もいつかそうなりたいと思っていました。
また、あるときは、宇宙のどこかにポワーンと浮いているだけでも、自分は生きていけるなぁと思ったこともあります。宇宙服を着けて酸素と栄養は補給されている状態で、あとは自分の頭の中の世界で遊んでいられるという変な自信をもっていました。
でも、「あんたはいったいどうしたいのさ?」という親の問いに「ぼーっとしたい」とは応えられず、「自由にしていたいだけ」などと曖昧に応えてきましたが。
そもそも、そもそもです。人生って生まれてから死ぬまでの暇つぶしともいえるのですから。何が欲しいとか、世のためとか、後世に遺ることをしたいとかは、それ自体夢のようなお話ではありませんか?みんないつかこの世を去らねばならないのですから。
とはいえ、この世にいる短い時間、幸せでいたいです。
家族にも幸せでいてほしい。みんな幸せでいてほしい。
そんなに難しいことではないでしょう。
人が嫌がることをしない。
これだけで、ずいぶん幸せではありませんか。