信じること、愛する事
若いときから自分の感情のアップダウンを乗りこなせず、暴れ馬のような感情の起伏に翻弄されるのが嫌で嫌で。
常に不安定で、あちこちの宗教団体の方からお誘いを頂くほど。
少しやってはみるものの、どうしても宗教というものに違和感を拭えなくて続かない。
だけども、その中で学んだ『中庸を生きる』という言葉が心に残り続け、いつしか私には目標となっていたのかもしれない。
いま、「自分を愛すること」を学び実践していく中で、『中庸を生きる』自分に出逢う。
あ、こういう事なんだなぁ。
悲しさも喜びも。淋しささえも。
昔の暴れ馬の時感じたものが100だとしたら、今は60くらいかな。
楽になった感じはするものの。ちょっとだけ淋しさ?つまんなさも感じる。
そう、感情が動くことは、本当は楽しくて仕方ない事なのかも。
次はどんな感情に移るのか?
つまり、生きている事それ自体が感情を動かす事なのかもしれない。
生きているから、感情は動く。
それでも暴れ馬を乗りこなせなくて中庸を選んだのだから、そこにも何か訳があって、それはこれから明らかになるのかもしれないなぁ〜なんて思いながら過ごす日々。
今なら信じることができる。
今起きていることの続きの展開は必ず起きて、私が思っている場所へと向かっていること。
そしてそれを信じているから、ベストなタイミングでそれは起こること。
私が自分を愛して愛して、ただご機嫌に心地よく過ごしていれば、大きな愛で包まれること。
私が、私を信じ、わたしを愛すること
それこそが真実。
愛の本当の意味を学べるスタート地点
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