感じるものの正体
まわりの人に意地悪されたなぁと感じる時ありませんか?
そんな時わたしは人差し指を自分のみぞおちに向けて
『その意地悪さはわたしの中に存在するよ?』と問いかける。
そう、起こったことに意味はない。
そこに意味付けするのは私の感情。
わたしの中にあるものの中から、この事象にはこういう意味づけをしよう!と自分で決めて意味をつける。
たとえばそれは、WordやExcelの予測変換の様に過去の自分の経験や思いに基づいてこの事象にはこれ!と、紐づいてどんどん変換されていく。
そしておなじ螺旋の中をぐるぐる
それ、いつ止めますか?
気がついた時が止める時で。
それを止められるのは唯一、自分だけなんです。
人は止めてはくれないの。
まわりの人がとても優しいなぁ〜と感じる時ありますか?
とても深い優しさが身に沁みて涙が溢れそうなことないですか?
そんな時はぜひ自分をたくさん褒めてあげましょう。
その優しさに気づけるのはあなたの中にも同じだけ、いや、それ以上に深い優しさがあるからです。
予測変換できないものは感じることはできません。
たくさん傷ついたり
たくさんの喜びの中を生きて
予測変換の幅は広がっていきます。
感じ方は自由。
ならば
自分が一番幸せになれる様に感じてみようか。
それがどれだけの日々を心地よいものにしてくれるのか。
試した人にしかわからないこと。
心地よさは自分でつくるもの。