楽しい陶芸体験(カルマティックあげるよ ♯68)
高校3年生の頃、私はほぼ毎日自宅から40分ほど自転車を漕いで、とある絵画教室に通っていた。
そこは大人や子供を対象とした絵画のレッスンを行うのと並行して、美術系の大学への進学を志ざす高校生を対象とした、いわば予備校としての役割を持つ講座も開講していた。
先生一家の住宅を併用した、同学年の塾生は10人にも満たないような小さな画塾であったが、先生の指導力は優秀で毎年塾生達全員を現役合格で志望校に合格させ、送り出していた。
高校2年生の終わり頃から漠然と進路のことを考え、美術系の大学へ行ってみようかと思いたった私はその画塾の噂をききつけ、親に頼んで通わせてもらっていたのである。
先生は明朗かつ思いやり深い人であったが、美術の指導に関してはとても厳しい人であった。中でも私はデッサンも平面構成も塾生の中でいちばんヘタクソと言っていいくらいで、怒られてばかりいた。
それでも高校3年の冬が終わりに近づき春の息吹が感じられる季節になったころ、私も第一志望の大学に合格することができた。
そして半年以上の間苦楽を共にしてきた同塾生の皆も、順々に志望大学への合格通知を受け取った。
落ちた人は誰もいない。それまで長らく塾の教室を覆っていたピリピリと張り詰めた緊張感が吹き飛び、和やかな空気があたりを取り巻いていた。塾生みんなが高校生活のハッピーエンドを実感していた、とても幸せな時期だった。
「みんなよくがんばりましたね。おめでとう。」
いつも厳しく塾生をしかっていた先生も、にこやかな笑顔で皆を褒めたたえてくれた。
受験対策の指導は終わったので、先生からの一種のプレゼントであろうか、レクリエーションとして陶芸を体験させてくれることになった。
先生はきちんとした美術展に出展するプロの画家であると同時に、陶芸もこなせる人だった。絵画教室とは言えど、絵画だけでなく陶芸の制作指導もしていたのである。
レクリエーションのプロセスはこう。陶芸用の粘土が塾生の各自に与えられ、好きな形にこねて作る。焼き上がった際の色を想像しながら釉薬を塗る。そうして作った物を先生に渡せば、後は自宅の敷地内に設置された窯で焼いて仕上げてくれる。
陶芸の制作作業は先生の住宅とは少し離れて建てられた、物置を兼ねた小屋で行われた。6畳程度の広さのスペースにぶ厚い木製の長テーブルが陣取る。土をこね形作り、薬を塗る作業を各自このテーブルの上で行う。焼き上げ用の窯も小屋の中にある。さすがに塾生全員は一緒に入れないほどの狭さなので、交代交代で小屋に入って作っていた。
私の順番が来た。小屋の中には私と、塾生のHさんがいた。Hさんは名門高校に通う明るい女の子だった。
手元には渡された粘土がある。さて何を作ろう?
考えを巡らせながら棚のケースの中に納められた、他の塾生が先に作った物を見る。コーヒーカップ、花瓶、猫の置き物、そんな一般的な陶芸体験でもよく作られてそうな形の物が並んでいた。
別にそれらの作品を否定する気にはならなかったが、何かもっとインパクトのある物を作りたいなと強く感じた。こういう場面では私はやけに目立ちたがり屋だった。
1つのアイディアが私の頭の中に浮かんだ。
そして迷わず土をこね、形を整えはじめた。
大体の形を作ったら、次はヘラで表面を削り、細かい部分の造形を表現していく。
我ながらいい具合に作業は進んでいた。
せっせと制作している私の手元を、同じく近くで作業していたHさんが見かけた。
そして声高らかに叫んだ。
「うわあ、何それ!?」
その時のHさんは笑顔だったが、今思えば口元は笑っていても目が笑っていなかった気がする。
粘土をこね始めてから小一時間ほど経って、ようやく出来上がった。釉薬も焼き上がり後の色を計算した上で塗った。素人の我ながら自信作であった。
仕上がった品を先生に渡した。先生は目を丸くした。
「何だこりゃ!?」
驚いた様子ながらも、私の作品を慎重に抱き上げ、これから焼き上げる作品を納めるケースの中に入れてくれた。その後すぐに先生は小屋から教室へと戻っていったが、去り際に
「気持ち悪いな…」
ぽつりとつぶやいて歩いていった。
それから数日後。窯に火が通され、私の陶芸作品が焼き上がった。こちらがそれである。
私が一生懸命作ったのは脳みそだった。
直径は15cmほど。この原稿を書いている今、試しにこれを自分の頭の上に乗せてみたが、我ながら実際の脳の大きさと比べてもジャストサイズに近いと思う。
釉薬を使い、左右で色を赤と緑とに分けてある。確か特撮番組のメタルヒーローシリーズで、メタルダーという左右でボディの色が違うキャラクターがいるだが、そこからヒントを得て色を塗り分けたのだと記憶している。しかし、なぜメタルダーが頭に浮かんだのかはわからない。
実際の脳の写真など資料を見ながら作ったわけではないので粗さはあるが、それでも見て脳みそとわかるくらいのクオリティは表現できたかなと思う。
なぜ陶芸で脳みそを作りたいと思ったのか。
これは周囲の注目を集めたかったのと、脳みその造形が醸し出すグロテスクさに惹かれていたのと、2つの理由があった。
私は普段は大人しくしているものの、何かクリエイティブな課題が与えられると得体の知れない物を作って周りをびっくりさせてやろうと目論む、隠れイタズラ小僧とも言える性分があった。自身の作品に対して人が驚いてくれるのがとても嬉しいのだ。
形として脳みそを選んだ理由については、「宇宙家族カールビンソン」という漫画に出ていたターくんというキャラクターがアイディアの根源となっている。穏やかな性格なのだが顔がそのまま脳みそになっているという強烈にグロテスクな外見の持ち主で、読んでて気持ち悪いなと思いながらもその内面と外面のギャップから気に入っていたキャラクターだった。彼が私に造形物としての脳みそへの興味を持たせた。「人間なら誰しも頭部の中に納められているものなのに、なぜこんなにグロテスクに感じてしまうのだろう?」と。
その疑問から、自分でも脳みそを作ってみたいという欲求が無意識のうちにあったのだと思う。それが前述の性分と相まり、陶芸作りがきっかけとなって表出したのだった。
焼き上がった完成品を私は塾生の皆に自慢げに見せた。
皆からは
「すごい」
「本物っぽくてリアル」
「気持ち悪いけどおもしろい」
と、わりと肯定的な意見をいただけた。
皆笑ってくれていたが、内心は退いていたのかもしれない。
今思えばありがたいのが、絵画教室の先生がこの作品の存在を許してくれたことだ。
デッサンや構図など美術の技法についてはとても厳格な人だったが、芸術として何を作るかにおいては個人の意志をきちんと尊重してくれる人だった。
よくマンガに出てくる頑固な陶芸家のような感じで「貴様何だこれは! こんなものは芸術ではない! ガッチャーーン!!!」と、自分の作品を割って壊されていたりしたら、私も芸術の世界に対して絶望していたかもしれない。
個人の創造性に関して寛容な先生で、本当によかったなと思う。
その絵画教室では後にも先にも大勢の塾生が巣立っていったが、陶芸で脳みそを作ったのは恐らく私だけだと思う。
この脳みそは、青春時代の想い出の1ピースとして、今でも大切に自室で保管している。
のだが、ここで1つ白状しなければならないことがある。
実は希望の大学に入って間もない頃、新しくできた友人の部屋に遊びにいく機会があり、調子に乗っていた私はこの脳みそを見せびらかすために持っていった。
そして何を思ったか、ノリで「これあげるよ!」と言って、脳みそを一方的に押しつけ彼の部屋に置いてきてしまったのである。
それから時々、離ればなれになった脳みそのことを思い出し若干自身の言動を後悔する気持ちにはなれど「まあ、いっか!」と開きなおり過ごしていた。
時は流れ、大学も卒業し、さらに長い年月が経った頃。
脳みその存在などすっかり忘れてしまっていた私の元に、前述の友人から荷物が届けられた。段ボールの中を開けてみると、想い出の脳みそが入っていた。当時友人は遠くへと引っ越すことになり、それを機に私の元へと脳みそを送ってくれたのだ。
私の押し付け行為にも関わらず、彼はずっと脳みそを大切に保管してくれていた。
後から聞くところによると、部屋に置いていた円柱形のゴミ箱の上に飾ってくれていたそうだ。まるでゴミ箱に脳が取り付けられ、意識を持ったかのような外観だったのだろう。
ありがた迷惑とはいえ、それなりに脳みそが部屋にある生活を楽しんでくれていたらしい。
ちなみに友人の名前はエツという。
カウントすると、私より彼の方が脳みそと共に過ごした時間は長かったりする。
文・写真:KOSSE GIFアニメ:ETSU
関連作品→「はじめて遊ぶ友達には脳みその贈り物を」
目次→https://note.com/maybecucumbers/n/n99c3f3e24eb0