石塊のひとりごち vol.2
nicht diese Toüne !
マスクに閉ざされている第九
学校の校舎から聞こえてくる歌声。合唱部の練習であるらしい。いくつかのパートが、めいめいに短い小節を反復している。ところどころにハーモニーを伴った、音韻の断片。それらは重なり合い、曖昧な響きとなって、開け放たれた教室の窓から漏れ出していた。
窓越しに見える教室の中の人影は、みなマスクをしていた。マスク越しに歌う声が、こんなに澄みわたって響いてくるものかと、少し驚いた。
「歌う」という営みの場もまた、世界を脅かす新種の感染症によって、すっかり病んでしまっている。声をあわせて歌う者がいて、それに耳を傾ける聴衆がいる・・・ごく当たり前な、幸福の営みであったはずだ。それが今や、非難こそ容易いが歓迎するには難いという風潮だ。
今はただ真冬のつめたい空気を振動させている、教室の中の閉ざされた歌声たち。いつか誰かの心を震わせるときが来ることを願って。
季語について
◆第九
日本では年末に聴かれる機会が多いことから、冬の季語。世界的には祝いの演目として、新年に演奏される。
「歓喜の歌」の呼び名で親しまれている第四楽章は、不協和音の強奏に幕を開け、バリトンの独唱がこう応える。
「おお友よ!
こんな音ではない!もっと楽しい歌を歌おう!」
◆マスク
こちらも元来、風邪とセットで冬の季語ということになっている。しかしコロナ禍の中にあって年中マスクを着けて生活している今、季語としての役目を果たせていないのではないだろうか。
俳句・文:石塊
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