当日の日記
「あなたの見ていた景色を、私も見てみたい」
そこから始まった世界に私はいる。
どこかへ逃げてしまった私を探しながら、
なぜ私は逃げるのだろうと考えていた。
ずっと昔、ちゃんとしたファンになりたいと思っていた。
こんな私では申し訳なくて…
でもきっといつか、恥ずかしくないファンになれると信じていた。
けれど何の努力もせずに時だけが過ぎていった結果、
何も変われていないことに気付かされるばかりか、
歳を重ねたことで、悪いところがより一層目に余るようになった。
私に残された時間は、そう長くはない。
これまでの時間とこれからの時間を見比べれば、
気持ちは急激に、諦めへと傾いた。
趣味の世界だけの話ではない。
家庭人としても社会人としても、同じことだった。
しかし味気ない日々はうっすらと息苦しく、
自我を見失っていることへの危機感も徐々につのってくる。
今日という日に、できることなら思い出したかった。
愛情。好きだったものたちのこと。
私の主体性を形成しているあれこれ…
どこかにヒントの気配はあるのだ。
それを掴みさえすれば、手繰り寄せられるのでは?
ふと、noteの記事一覧に散らばっている、
いくつもの歌詞の断片が目に映った。
構想はあるのに、数行から広げられないメモ。
きっと、こういう時もあったのだろうな、などと思う。
そう、こんなふとした瞬間にも、
やっぱり思いを寄せてしまっている。
以前のように、ぎゅーっと寄せるのではないけれど、
ふわふわと、それでもいつも、心の中にいる存在。
そうだった。
私が歌詞を書き始めたのは、
「あなたの見ていた景色を、私も見てみたい」
その想いからだった。
止まってしまった時間を、再び動かせるように思えた。
それは、今にして思えば、「立ち直り」の瞬間だった。
新しく生きられるような、そんな感覚。
私なりの愛し方は、そうやって始まった。
向き合おうとするのではなく、同じ方を向くことにした。
そのほうが罪は軽いように思えた。
きっと、思うように作れずに悩んだ時期もあっただろう….
私は今もまだ、「同じ景色」を求めている。
(だから本当は、いつかヒット作も作ってみたい)
ただ私はそれを「努力」とは感じられていない。
心の中に追い風があるだけだ。
今のこの気分の中で、今日、何を言ったらいいのだろう?
できるだけ、形にこだわるのではなく、
本当の気持ちをそのまま言葉にしたい。
生まれてくれてありがとう。生きる力をありがとう。