Too fast to live, Too young to die.
1980年代臭漂うタイトル。私、その年代じゃないですからね(苦笑)
とはいえ最近のネット文化の栄枯盛衰の激しさが目に余る。特にtwitterが一般化してからと言う物、あっと言う間に流行してあっと言う間に消えていくものが多すぎる。
noteは何となく画像直リンし辛い雰囲気がある(偏見)ので、リンクだけ。
◆「そして殺す」
https://pbs.twimg.com/media/BeghiNWCAAEAVys.jpg
◆「薬物の依存症状」
http://img-cdn.jg.jugem.jp/02a/1881874/20140115_694208.jpg
◆「ハンドサイン」
http://i.gzn.jp/img/2014/04/07/handsign-generator/02.png
◆「クッキークリッカー」※ブラウザゲーム
http://img-cdn.jg.jugem.jp/02a/1881874/20140115_694208.jpg
twitterにべったりな暇人(例:私)なら、これらが爆発的に拡散していくタイムラインを見てきたはず。最初は本物の紹介だったはずが、いつの間にか改造に次ぐ改造で見る影もなくなっていく。
クッキークリッカーはゲームですが、一時期は誰も彼も? 何かに取り憑かれたように地球を埋め尽くす程の膨大なクッキーを製造し続けていたもの。
しかしこれらの共通点は
「物凄い速さで流行し、物凄い速さで消えていく」
流行なんてものはまさに気まぐれ、長く残らないからこそ一過性のブームで終わる。文化として残り得ないからこそ消えるというのは理解できるのですが、それにしても消えるのが早過ぎる。Too fast to live, too young to die.
昔は流行と言っても、大体はこういう過程を辿っていました。
1.口コミで流行り始める
2.新聞やテレビ、雑誌などのマスコミが紹介する
3.人口に膾炙する
4.品不足が起こる
5.ニセモノが出回る
6.人々の間から消え始める
7.流行に疎い人が「今○○が流行ってるんだって?」と今更飛びつく
大事なのは7番。
「流行語はオッサンが使い出したら終わり」
と言いますよね、まさにあれ。
しかしtwitterでの流行は、マスコミも使わないし品不足も起きない。当然ニセモノも出回らないし、オッサンは知ることもなく終わる。確かにニセモノ被害が出ないのはいいとしても、あまりに使い捨てが激しすぎやしないか。
noteにおける「過疎」「一過性」という切り口に反論するコメントをよく見かけるようになりましたが、コンテンツを発信する人間にとっては「使い捨て」なんてとんでもない話。ただ情報を消費するだけの人間と考え方が違うのは致し方ないでしょう。
消費する方の気まぐれさを糾弾する、これも大切かもしれません。でも同時に大切なのは「安易に消費されないコンテンツ作り」でしょう。
音楽、絵画、文章、映像と種類はいろいろありますが、自分が作るものにどれだけの魂を込められるか。そこにnoteが他のSNSと住み分け、生き残る道はありそうです。
「競馬最強の法則」にて血統理論記事を短期連載しておりました。血統の世界は日々世代を変えてゆくものだけに、常に新しい視点で旧来のやり方にとらわれない発想をお伝えしたいと思います。