集え、相馬の地へ ~相馬野馬追い2012(後)~
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「雲雀ヶ原へ向け、全軍出陣!」
勇ましい掛け声と、鳴り響く法螺貝の音。街を練り歩いた騎馬行列が向かう先は、今回の決戦の舞台、雲雀ヶ原。
ここは小高い丘の麓に開けた広い野原となっています。
その野原一面を埋め尽くすが如き、馬、馬、馬! 灼熱の日差しと人いきれ、時折響くいななきの音。ここはまさに現代に蘇った合戦場なのです。
ここでの第一のイベント「甲冑競馬」を前に、地元民謡『相馬流れ山』が鳴り響きます。
♪相馬流れ山 習いたかござれ 五月中の申 お野馬追い♪
東北独特の多重子音を用いた歌声が会場全体に鳴り渡ると、そこに執行委員長からの開会宣言が告げられました。
2011年3月11日、この街を襲った未曾有の大震災。そして忌まわしき福島第一原発事故。このために相馬の人々は長く続いた伝統ある甲冑競馬や神旗争奪戦を中止せざるを得ませんでした。
しかし関係者の野馬追い復興への努力、そして会場となる雲雀ヶ原の徹底した除染と放射線数値公表など、本当に頭が下がる努力を積み重ね、2012年には祭りの復活にまで辿り着きました。
開会の言葉の端々に、昨年の出来事に対する無念さが滲みます。
だが相馬の人々は決して嘆くだけ、文句を言うだけでは終わりません。全ては総大将が発したこの言葉に集約されていたと思います。
天に横たわる魔性を退治に、相馬軍、全軍出撃!
彼らに襲い掛かった天災、そして人災。だが総大将の勇壮な掛け声は、あまりに理不尽で無慈悲な運命に対する宣戦布告だったのです。
全身に電流が走るような力強い鬨の声に、会場は大歓声と拍手に包まれました。自然、そして原子力という名の恐ろしい敵に対しても決して怯まない相馬軍の勇ましさ。
そして、二年ぶりに甲冑競馬が始まりました! それぞれの旗印を付けた騎馬武者達が、馬場へ向けて急坂をゆっくりと降りていきます。
馬場は一周1050メートル。ちょっとした地方競馬場にも匹敵する距離の野原を鎧武者を乗せた馬達が駆け回ります。
巨大な旗を付けたまま、比較的狭いコースを器用にコーナリングしていきます。生半可な乗馬技術ではこんなことは無理。いかに彼らがこの日のために厳しい訓練を積んできたかが、この甲冑競馬で分かるのです。
見事に勝利した人馬は、丘の上にある待機所へ向けて坂を駆け上がります。
中にはガッツポーズを見せる騎手もおり、この甲冑競馬がただのエキシビションではなく、彼らにとって真剣な戦いであることを表しています。
そして甲冑競馬が終わると、メインイベントの神旗争奪戦へと移ります。
投げ込まれた神旗を巡り、多くの人馬が一斉に集中。手を使って拾ってはいけないというルールがあるため、いかに地面に落とさずに旗を手にするか、人間の乗馬技術の見せ所でもあります。
見事神旗を手にした武者は、やはり坂を駆け上がって勝利をアピール。
響き渡る馬のいななき、炎天下に消えていく蹄の音。相馬野馬追いとは現代の世の中に蘇った戦国絵巻なのです。
さて、ここからは少し嫌な話。
ここは福島県南相馬市と言うこともあり、どうしても原発事故の放射能が気になる方がいるかと思います。そこで私の知人が手にしていたガイガーカウンターがどのように反応したかを記しておきます(注:2012年7月現在です)。
原ノ町駅前:東京駅近辺とほとんど変化なし。
野馬追会場:やはり東京とほとんど変化なし。
驚くべき事に、事故後一年でほとんど空間放射線量は東京と変わらなくなっていたのです。しかし帰り道となった川俣町の国道で、ついにガイガーカウンターが反応しました。
事故直後の風向きの影響により、南相馬は想像よりも影響を受けませんでしたが、南相馬と福島を結ぶ直線状にある飯館村から川俣町にかけては高い放射線量が出ます。しかも山林地帯でもあり、土壌に放射性物質が残存しやすいことを私は否定しません。
よってこの祭りに行くかどうかは、個人の判断にお任せいたします。
しかし私は2014年も相馬野馬追いに行きます。私はこの地域の放射線量は健康に影響がないと判断していることもありますが、それ以上に
祭りのために人生を賭けてきた人々の熱い戦い
を見たいのです。
彼らに相馬軍の魂がある限り、この祭りは永遠に見る価値を失う事はないでしょう。
<おまけ>
福島名物「いかにんじん」……なぜイカ?! なぜニンジン?!
刻んで日本酒に漬けたスルメと千切りニンジンを合わせ、醤油で味付けたものです。シンプルだけど美味い♪
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「競馬最強の法則」にて血統理論記事を短期連載しておりました。血統の世界は日々世代を変えてゆくものだけに、常に新しい視点で旧来のやり方にとらわれない発想をお伝えしたいと思います。