ああ、2月10日がやってくる
――それは、祈りから始まった。
ファミコンの電源を入れ、コントローラを握る。
ブラウン管に映し出された「DRAGON QUEST III」の文字。
少年は、一心に祈る。
沈黙の数秒は、数時間にも感じられる。
ぴっ。
小さな音を立て、現れるのは「ぼうけんをする」の文字。
ここに来て初めて、少年はPrayerからPlayerへと変貌するのだ。
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1988年2月10日。ドラゴンクエスト3の発売日。
だが実際には、ゲームはそれ以前から始まっていた。
ゲーム発売前から、週刊少年ジャンプに小出しにされる情報。今にして思えばジャンプのスタッフとしてゲーム作者の堀井雄二氏が加わっていたのだから、情報は早くて当然だった。
僕達のドラゴンクエスト3は、発売日前から既に始まっていた――いや、事前から仲間内で盛り上がりすぎて、もはや発売日には
「勉強しつくした問題の答え合わせをする」
レベルに達していたのが事実だった。
2月10日。私は、当日予定されていた生徒会役員会議をばっくれた。
学校のことなんてどうでもいい。今の自分には、ドラクエが大事だ。
1988年2月10日は水曜日、学校をサボった多くの子供達が量販店に徹夜の行列を作っていた。
昼休みには公衆電話で家に電話をかけ、兄が徹夜で手に入れたドラクエ3を早速プレイし、既にアリアハン(最初の大陸)を脱出したとの情報を入れてくる同級生までいる。
もはや学校などどうでも良かった。まして生徒会? 知らん。
電源をオンオフする時には細心の注意が求められた。どれだけ丁寧に取り扱っても、それでもなおデータ消失の危険性は大きいソフトだった。
だから、祈った。
今の自分にとって、祈りを捧げる対象となるゲームなどあるだろうか。
ドラゴンクエスト3はただのゲームや趣味を超越し、学校における全ての話題の中心であり、雑誌を講読するモチベーションであり、一日の活力であり、同時に信仰の対象ですらあった。
当時としては大容量の2メガビット(バイトではない)ROMなど、今にして思えば貧相な容量でしかない。
だがそんな少ない容量の限界までゲームを詰め込むため、製作スタッフは魔物の数を削り、アイテムを削り、文字数も削り、挙句の果てにはタイトル画面すら削り取った。
ギリギリまで削りぬいた無駄の無さ、そこにこの作品の名作たる所以がある。
そしてグラフィックも今から見れば稚拙だが、それだけに想像と創造が入り込む余地が多分にあった。数色しか使えないキャラクター達は、脳内では数万色のフルカラーで冒険を繰り広げていた。
1988年、昭和がとうとう終焉の時を迎えようとしていた時代。バブルはどこまでも膨らみ続けた、昭和元禄の時代。
今ではほぼ失われたゲームへの憧れと夢が、そこにあった時代だった。
2015年2月10日、あれから28年。
2年後には訪れるドラゴンクエスト3発売30周年を、私はどんな気持ちで迎えるのだろうか。
「競馬最強の法則」にて血統理論記事を短期連載しておりました。血統の世界は日々世代を変えてゆくものだけに、常に新しい視点で旧来のやり方にとらわれない発想をお伝えしたいと思います。