
親切
もう私に会うことはないと分かっているのに親切にしてくれる人というのは有難い。人としての器とか心の余裕とか、そういうものがないとできないと思う。
最近何人かの親切な人に出会った。忘れたくないので記録しておく。
⚪️
M
分からないことを面倒がることなく全部説明してくれた。話を振ってくれた。悲しいことがあれば同情してくれた。
ただ、感謝していることを綴ったメッセージへの返信が未だにない(悲C)。
R
出会って数日の私を家に泊めてくれた。キャロットケーキを分けてくれた🥕信頼してボランティアとして受け入れてくれた。最後まで耳を傾けて私の話を聞いてくれた。
A
バスの座席がわからなくてアタフタしていると、良かったら隣にどう?と誘ってくれた。好きな食べ物の話を嬉しそうに共有してくれた。ローカルな知識をたくさん教えてくれた。
⚪️
このような親切心に見合う言語能力がなくてストレスフルだ。優しさに出会う度、言葉にできない感情が積もってはそのまま片隅に寄せられて埃と共に忘れてしまうような感覚になる。
母語言語でない限りこの感覚は無くならないのだろうか。どうなのか。