マヤ暦で本当の自分を知ったら人生が楽しくなった話
「あゆみさんって他人に興味ないよね」
とある強み発掘のプロとして名高い
インフルエンサーの思ってもみない発言に
一瞬意味が分からなかった。
いやいや、何をおっしゃいますか。
人の目を気にして、周囲に振り回されて
嫉妬のかたまりのような私が
他人に興味がないですと?
人見知りはするけど
人並みに噂話も好きですよ?
ジャーニーズ大好きのミーハーですってば!
「だから人に何かを教えたり、話を聞くような仕事は向いてないよ」
「あゆみさんは、組織をまとめる仕事が向いてるよ」
他人軸で生きていた私は、言われるがままに
気が付いたら、彼の秘書チームのまとめ役を務めることになりました。
この時は分からなかったけど
マヤ暦を知った今なら
彼の言いたかったことが分かるし
どうしてそう見えたのかも分かります。
今の私なら
自分でマヤ暦を取り入れて総合的に判断して
前に進むことができたことでしょう。
はじめまして!
マヤ暦コーチの大木あゆみです。
マヤ暦をベースに自分らしく生きる方法をお伝えしています。
しっかり相手の話も聞きますので
安心してくださいね😊
「他人軸で生きていた幼少期」
物心ついた頃からおとなしい性格で
人の顔色ばかりうかがっている子供でした。
いわゆる「育てやすい子」だったと思います。
実際に母からよくそう言われてました。
母が嬉しそうに自慢げに言うから
褒め言葉だと思っていたんです。
自分が社会に出るまでは。。
なぜか幼稚園から仲の良かった友達は
お金持ちばかりでした。
一方我が家は公務員の父と専業主婦の母。
家などの外見に執着がない2人で
ボロボロの貸家に住んでました。
生活に苦労することはなかったけど
クラスの男子に「お前の家ボロ〜」
とからかわれることもありました。
なぜうちには家がない?
お金がない?
そもそも、
なんで私はこの家に生まれたんだろう?
私だって金持ちのお家に生まれたかった。
心の中で運の悪さを嘆いて
この世の不平等さに憤りを感じていました。
今思えば、完全に当時の自分は
被害者ぶってました。
「いい学校へ行き、いい会社に就職することが人生の幸せ」
と母は口癖のように言いました。
そうか、うちの親はいい学校へ行けず
いい会社に就職できなかったから不幸なんだ。
不幸な家に私は生まれちゃったんだ。
いい学校へ行って、いい会社に就職すれば
ここから脱出できるんだ。
そしたら両親とは違う世界に住める。
人に見つからないようコソコソ出入りする家に住む生活なんて
まっぴらだ。
と思っていたけど
口に出すことはありませんでした。
そんな事、娘を誇りに思っている両親に
言うことなんてできませんでした。
父は寡黙で、二人で遊びにいったり
こっそり何か買ってもらったり
そんな事は一度もありませんでした。
少しでも口答えすると、すぐ怒鳴られる。
娘に甘い父親に、蝶よ花よと可愛がられて
あれこれねだっているお嬢様たちが
羨ましくて仕方ありませんでした。
それどころか父は仕事優先で
一晩中体調不良で苦しんでいる私を
「仕事があるから」と言って
翌朝病院に連れて行ってもくれませんでした。
これは私が父に愛されていないと確信し
2人の間に大きな溝ができた
決定的な出来事だったが
きっと父も他人軸で生きていたのでしょう。
子を持つ今なら分かります。
クソが付くほど真面目な父は
仕事を放り出して
自分の思いを貫くことができなかったのです。
そういう事が許されない時代、職種だったのも確か。
母は常に家庭優先で、父の要望もあり
毎食ごはんを作り
外食やお惣菜を買ってきた記憶はほとんどありません。
夜や休日に家を空けることもなく
もちろん飲みにも行かない。
対外的には完璧な妻であり、母でした。
そんな母も
他人軸で生きていたのでしょう。
「田舎の長男の嫁として変な噂話をされたくない」
と、人の目をとにかく気にしていました。
母の機嫌を損ねないように
嫌われないように
母の期待に応えようと
私は無意識に他人軸の「いい子」を演じていました。
過去を振り返れば
人にとにかく振り回されっぱなしの人生でした。
迷った時は、いい学校に行くための道を選びました。
だってお金持ちの子を見返すのには勉強しかない。
学力はお金だけで買えるものじゃない。
それなら私にも勝ち目はある。勉強は得意だ。
不良の多い地元中学を避け、私立中学を受験をしました。
進学校に行くため、中高一貫の特待生を辞退してまた受験。
アルバイトやデートで塾をサボっている子を羨ましいと思いながらも
ライバルが減ってよかったと言い聞かせて
「青春ごっこしているやつら、今に見てろ」と思いながら塾に通いました。
「初めての反抗」
そして問題の大学選び。
母の第1条件は、家から通えるところ。
これは一人っ子の宿命だと最初から諦めてました。
家は東京まではなんとか新幹線で日帰りできる距離。
本当は東京で一人暮らしをしたいという気持ちがあったのにもかかわらず
新幹線通学を選びました。
でも・・・
片道2時間かけて通学していた私は
結局、心の底から大学生ライフを楽しむことはできませんでした。
終電が早いので、飲み会に行っても一人先に帰らなければならない。
建築学科は授業数が多く、サークル活動を楽しむ時間もない。
母からは帰宅を催促する電話が鳴りっぱなし。
いつも消化不良で母を内心恨んでました。
今思えば、
母に自分の本当の気持ちを
伝えればよかったのかもしれないけれど、
それをする勇気のなかった私は
4年間耐え忍びました。
大学院に入る頃、私は耐えきれなくなり
奨学金とアルバイト、通学定期のお金を
こっそり貯めて
引っ越し資金を作りました。
そして住む家の仮契約をしてから両親に告げました。
「一人暮らしする部屋を見つけたのでサインしてほしい」と。
生まれて初めての反抗。
私の心臓はバクバクでした。
ビックリした両親も私の用意周到な計画に
本気だと気づいたのでしょう。
親に逆らっていいのだろうかと思いながらも、
これから手にするであろう自由への渇望感には抗えず、
ようやく実行に移すことができました。
ここまで追い込まれないと私は行動ができませんでした。
4年間の大学生活を犠牲にしてようやく動けたわけだけど
自分の心に向き合って行動をしていたら
この4年間はまた違ったものになっていたのかもしれません。
「ようやく手に入れた自由と幸せ」
母の言いなりだった私にとって
念願の一人暮らしはこの上なく快適でした。
が、新たな問題が浮上。
それは就職活動。
母から東京で就職するのはOKが出たが
地方転勤は許さないという。
どこまで私に呪いをかけてくるんだ、この親は。
こんな条件つけられて
どうやっていい会社に入れというのさ!
そんなところは高倍率すぎて足にも棒にもかからない。
マヤ暦を知らない私は
とにかく親のいう事を聞くことでしか
自分というものを成り立たせていませんでした。
今まで人の顔色を伺って生きてきた
「いい子ちゃん」でした。
「出る杭は打たれる」
「能ある鷹は爪を隠す」
と母に言われ続け
人前で積極的に何かをするということを
全くしてきませんでした。
そんな私がいきなり面接官の前で
自己アピールできるわけがない。
超就職氷河期と言われた時代に
学歴だけで採用してくれる会社なんてありませんでした。
いい学校に入ったら、
いい会社に入れるわけではないことを思い知りました。
なんとか教授のツテで就職先が決まり
東京残留が決まった私は
同期と楽しく研修を受けている
勝ち組の新社会人とは距離を置き
ひたすら猛勉強しました。
他人軸だった私は
とにかく他人に認められるための
スキルばっかり磨いていました。
大手企業に就職した同級生の彼氏とも
ギクシャクしだして別れました。
初めての大失恋で
しばらくは何も手につかなかったけど、
見返してやりたくて必死に頑張りました。
最短で一級建築士の資格を取り
仕事に必要な資格も
同僚のおじさんたちを差し置いて一番に取りました。
そもそも建築に対して何か情熱があったわけじゃないんです。
「一人でも生きていけるように、手に職を」
と母に言われ続け
消去法で確実なスキルという点だけで選んだ職業。
だけど結局、この業界に20年携わりました。
小さい頃から何かに没頭することや
攻略することが好きだった私は
建築の世界にのめり込んでいきました。
建物を構築していく過程を考えるとワクワクしました。
その後、今度はようやく実力が認められて
大手建設会社に転職するチャンスが巡ってきました。
「女子はいらない」と
新卒では門前払いされた会社だったけど
そこは目を瞑りました。
だっていい会社に入れたんだもの。
そのおかげで
将来の夫となる人にも出会うことができました。
これで私の人生は安泰になるはずでした。
そう、あのことが起こるまでは・・・。
「試練の連続からの決断」
結婚の翌年
歴史的大災害により、向こう数十年に渡って予定されていたプロジェクトは
すべて白紙に。
すなわち、私の人生設計にも狂いが生じました。
早急な事後対応が必要となり
業務内容は変わっても仕事量はより増えて
相変わらず忙しい日々を過ごしていました。
今思えば、この年が最初の試練の時でした。
マヤ暦でいうと
自分にとって本当に大切なものが見えてくる年。
そしてメッキがはがれてホンモノだけが残る「浄化」の時だったのです。
自分にはこの仕事しかない
と思い込んでいた当時の私は
将来への不安を抱きつつも
目の前の仕事をこなすのに精一杯でした。
その後、子どもを予定通り2人授かりました。
想定外だったのは
2人とも男の子だったこと。
そして2歳差男子の兄弟育児が
とんでもなく大変だということ。
ちなみに長男出産の年は
マヤ暦でいうと大変化の時代の1年目でした。
育休明けの時短社員が歓迎される組織ではありませんでした。
ワーママを経験された方ならお分かりだと思いますが
生きた心地がしませんでした。
父同様、仕事最優先の上司とのソリが合わず
子どもの病気や用事で度々休む負い目もあり
マタハラ行為をされても
何も言い返すこともできませんでした。
かわいい息子が癒やしのはずなのに
全然言うことを聞かず、かわいく思えない。
幼児教室に通わせても全く興味を示さない。
他の子と比べては、
発達の遅さが気になって仕方ない。
泣き止まない。
寝ない。
こんなはずじゃなかったと
母に助けを求めても
「あんたの育て方が悪い」
「仕事は楽させてもらってるんだから辛抱しろ」
「何があっても絶対に仕事は辞めるな」
と言われ、もはや相談する気もおきない絶望の日々。
いい学校に行き、いい会社に入ったのに。
ある程度のお金と地位は手に入れたのに。
まったく幸せを感じられずにいました。
自分が幸せになろうと思って進んできた道は
もしかしたら違うのかもしれないと
今まで疑問すら浮かばなかった人生に迷いが生じ、
この時ようやく自分の軸で物事を考えるようになりました。
このままあと20年
定年まで同じ生活を続けていくのか?
自分に何度も問いかけた答えは「No」でした。
「リア充爆発しろ!」と心の中で叫びながら必死に塾通いをした高校生活。
4年間自宅から通学し不完全燃焼の状態のまま過ごしたキャンパスライフ。
仕事は楽しかったけど毎日22時過ぎまで残業していた過酷な20代。
家庭と仕事の両立で苦しみ抜いた30代。
そんな
自分の人生を幸せにしようと
必死で頑張ってきた間違った方向の努力や
その結果引き起こしてきた苦労を
思い切って手放そうと
初めて思えた瞬間でした。
会社を辞めるということを母に沢山匂わせて
会社への不満や愚痴を事あるごとに伝えてみましまたが
母はもちろん大反対。
その時は本心をはっきり言えなかったので
母に何度も押し戻されそうになりましたが
唯一、夫が賛成してくれたのもあり
母には言わずに黙って辞めることにしました。
大学院の時に
家を出る計画をしてようやく親元を離れ
この時も
自分の意志で会社を辞める決断をしました。
内心動揺が収まらず、不安もありました。
これまでの人生を否定することになるんじゃないかという怖れもありました。
それでもどうしても辞めたかった。
辞めるしかないと思った。
後から知ったことですが、それはマヤ暦で言うと
大変化の時代の目標を明確に決める年だったのでした。
「マヤ暦との運命の出会い」
転職先も決めずに退職し
子どもとの時間が増えたのにも関わらず
子育ては一向にうまくいきませんでした。
自分で決めて行動をしたはずなのに
どうもうまくいかない。
子育て講座をいくつも受けましたが
あいにくうちの子には当てはまらず
何をやっても劇的な効果はありませんでした。
それどころか、
次男に幼稚園退園の危機が迫っていました。
当時の私はとにかく子供をコントロールして押さえつけようと必死になってました。
保育園から転園した近所の幼稚園は
とても厳しい教育方針で
それについて行けない子は
園長判断により退園させられてしまうのです。
ただでさえ新しい環境に馴染むのが難しい子なのに
これ以上環境を変えることはしたくない。
なんとか兄と同じ幼稚園で
穏やかに楽しく過ごさせてあげたい。
そんな時に会社を辞める前から学んでいたアドラー心理学の師匠から
「子供によって生まれ持った特徴が異なるから、
その子に適切な対応ができるようになるマヤ暦を知ったら、
子育ての方法が具体的にわかるので楽になるよ!」
と言われて
藁にもすがる思いで勉強を始めました。
生年月日から生まれ持った自分の特徴を知ることができるマヤ暦は
首がもげるほど頷ける内容ばかりでした。
・心のつながりを大切にする
・超マイペース
・寂しがり屋なのに強がり
・束縛が嫌い
・良くも悪くも人の影響を受けやすい
・裏ボス的存在
自分の性格が言い当てられてドキッとしました。
これはまるで自分の解体新書じゃないか・・・・!!!
警戒心が強く、人見知りで大勢の場が苦手だったのも
マヤ暦的な視点で理解できました。
マイペースなくせに人に振り回されるので
自分の意見を言うことができずストレスを感じていたのです。
強がりでプライドが高く、弱音を吐けなかった。
だからいい子ちゃんになってたんだ。
マヤ暦でみると、母は自信満々で能力が高く、願望実現が得意な人。
心の底から喜び、楽しみつくす人生。
つまり、子に対する願望は叶ったかもしれないけど
母自身は自分らしく生きていなかった。
その影響を受けて私も自分らしく生きていくことができなかったという
今日に至るまでの理由が明確化されました。
そして、こだわりが強くて組織の中にいるのは向かないから
会社員を続けられなかったということが分かりました。
建築業界の中でも極めて特殊な建物の設計に長年携わることができたことは
私の好奇心を十分に満たしてくれました。
建築の仕事が向いてなかったわけではないし
費やした膨大な時間は
私の人生にとって決して無駄なものではなかった。
全てを手放した自分をようやく認めることができました。
さらには、本当は人と深く関わりたくて
でも心を許してない人に振り回されたくないから
自分のペースで信頼関係を築いていきたいから
一見、人に興味がないように見られていたんだ。
自分の防御反応だったんだ。
と全て自分を解説できるようになりました。
「闇の中から見えた光」
マヤ暦では、自分が知らない意外な一面も見ることができました。
説得力があり、言葉の力で人を動かすことができるということ。
心が強くなく、悩みやすいからこそ
人の心に寄り添うカウンセラーが向いていると。
自分の特性を知ってからは、自分の発言に根拠を持てるようになったおかげで
周囲の反応を恐れず自分の意見を言うことができるようになってきました。
「こんな事言ったらクビにされるかな?」
というような事でも、自分の本音を言えるようになっていきました。
しかも、相手の心に届くように。
その結果、ご縁がない人は離れていくし、
信頼関係ができている人であれば意見を尊重してくれたり
別の解決策を提案してくれたりもします。
相手に合わせていた「いい人」を演じることを手放したことで
気づけば自分で起業をして、時間も自由、収入もコントロールができるという
いわゆる、理想の働く環境を手に入れることができました。
今では、マヤ暦で本来の性質を知ることで
母の事を理解できるようになったのもあり、
母を尊重しながらも、適度な距離を持って対話できるようになりました。
今では母に言いたいことは事実として伝え、
受け入れるかどうかはお互いが決める。
お互いの思いやりがある信頼関係が築けるようになりました。
そしてなんと、子どもたちもみるみる変化しました。
マヤ暦でみると、
次男には一見表に見えない、潜在的な隠れた特徴があり
そこを尊重して伸ばしてあげるように接し方を変えただけで
驚くほど行動が落ち着いていきました。
自分のことを認めてもらえ、自信を取り戻した次男は
どんどん能力を覚醒させていき
退園危機からわずか1年で
「小学受験を検討してみては?」
と園長先生に呼び止められるほどに成長しました。
結局、本人の意思で受験の道は選ばなかったけど、
親や周りの言うとおりに小学校受験をさせてしまっていたら
私の二の舞。
マヤ暦のお陰で子どもたちの声に耳を傾け
それぞれの個性を活かして適切な対応を取ることができて
その結果、のびのび育っています。
マヤ暦を知って生活に取り入れることで
やっと自分らしい生き方ができるようになりました。
そしてマヤ暦のリズムを振り返って
今までの自分の決断と選択が間違っていなかったことを確信しました。
マヤ暦を知ると、人生は間違いなく好転する。
そんな思いから
他人に振り回されている人生から脱却したい人へ
マヤ暦を使って人生を自分らしく生きるための方法を
伝えていきました。
すると息子の不登校に困り果てていたママが
子どもの「好き」を応援したことで
フリースクールに通いだしたり。
友達とすぐ喧嘩することに悩んでいたママは
子どもの心の声に耳を傾けたことで喧嘩が落ち着き、
自分らしく生きるための仕事を新たに見つけたり。
マヤ暦で自分と子どもの特徴を知り
その親子に合った関わり方をすることで
親子関係が改善していきました。
子供が幸せになるためには
「ママが幸せであること」
それを改めて実感しました。
「あなたも本当の自分を見つけませんか?」
一見、悩みなんてなさそうな人生を送りつつも
実は他人に振り回されて生きづらさを感じていた私を
救ってくれたのは、「マヤ暦」でした。
「人々が自分らしく生きるための道筋を構築し、幸せな未来へと導いていく」
職種や提供するものは違っても
私のやりたいことは全てつながっていました。
マヤ暦はその人の生まれ持った特徴が分かるだけでなく
人生の流れやタイミングを知ることができます。
他人とのコミュニケーションの取り方も分かります。
そして、あなたの使命に気づくことができるツールなのです。
そんなマヤ暦を多くの方に活用してもらいたいと思い
初心者の方でも分かりやすい動画を配信しています。
マヤ暦は用語が難しかったり
覚えることがたくさんあって
途中で挫折してしまう方がほとんど。
また、一度聞いただけでは理解できず
学んだことはあるけど活用できてない方も多い。
正直すごくもったいないです!
そんな方にオススメなのが
繰り返し見て学べる動画講座。
定期的なフォローや勉強会も開催しています。
マヤ暦の基本が学べる基礎講座のほか、
子育てに特化したコースや
ご自分で鑑定できるようになる養成コースも準備しています。
「人生を変えたい」
「自分の本当にやりたいことを見つけたい」
「生きる意味を知りたい」
「後悔のない人生を送りたい」
もしそう思っているのであれば、
一緒にマヤ暦を学んでみませんか?
マヤ暦を活用して、自分の「本当の気持ち」が分かれば
どんな時でも自分で決断できるようになります。
「マヤ暦を生活に取り入れる方法が分からない」
「自分に向いているか知りたい」
「学びについていけるか不安」
という方には
今だけ、期間限定で無料の個別相談を行ってます。
こちらから「無料相談希望」とご連絡ください。
https://lin.ee/RNo2W8w
マヤ暦を生活に取り入れて
あなたの人生を切り開いていきましょう!
それでは、あなたとのこれからのご縁を楽しみにしています。
ありがとうございました。