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高倉さん家の雑談(7) 着物について



あけましておめでとうございます。
アップが遅くなってしまいましたが、2022年もよろしくお願いいたします。

いつも通り、これは劇作家の高倉麻耶とその夫Y.G(わいじー)の他愛もない雑談をメモしたものです。少々勝手な決めつけや独断偏見の類は笑い飛ばしてください。



・和服と着物警察

夫:私はさ、和服着たりするんだけど、私の着方は、実際の和服じゃない。男性用のデニム生地の着物を、腰ひもと兵児帯で縛ってるし、兵児帯自体も、左横のところでリボン的に縛ってる。中にはエアリズムかヒートテックのフリース着てる。着物そのものも、後ろ側にスリット入れたりフリンジつけたの作ってるし。着物警察にはボロクソ言われる(笑)。

妻:私は、昔、お茶を習ってたときに母親に教えてもらって少し着たけど、その後10年くらいまったく着てなくて、落語で高座上がる機会ができたから、ようやくちゃんとした自分用のを買った。着付けは友達から個人的に教えてもらって、教室とかで習ってはいない。いい帯買ったけどね。

夫:私のスタンスは、外行くときに、ジーパン履いたりするのと同じ感じ。スニーカーにしたり、ブーツにしたりするし、洋服のときに下駄履いたり草履履いたりする。私が感じた印象で言うと、着物警察の人は、自分が着るの大変なのに大変な目に遭ってないのが許せないだけな気がする。あと、和服の製造量が減っていて、利益を出すため、また、中間業者の利益を確保しようとした結果、和服は高額化しちゃってる。着物警察の人は、高い和服を買った自分と、さしてお金を使わずに気軽に着てる人との差に対しての「怒り」、「苛立ち」、そういうところがあるんだろうなと思う。

妻:着物警察とはちょっと違うかもしれないんだけど、前、着物着て駅に向かう途中、信号渡ったところで呼び止められて、帯締めの端を、横にしてキュッと差し込むんだけど、外れてダラッとなってたのに、私気づかなかったのね。そうしたら、わざわざ直してくれて、「たぶん帯締めを締めすぎだから」とか教えてくれたりした人がいた。「せっかくのお着物だから気をつけてね」みたいなことを言われたな。私はそのときは親切だと受け取った。

夫:それは着物警察じゃないよ。着物警察は、「長襦袢を着なきゃいけない」とか、「ブーツを履いちゃいけない」とか、理由を説明するとか無くて、ただ「いけない」と言う人かな。極端な言い方をすると、自分が嫌だけどやっていることを、他の人がしてないと「同じように嫌な目に遭え」と言ってるのと同じかな。発想が「オシャレをする」ではなくて、決められた手順に則って、決められたものを身にまとう、マニュアルをいかに自分が遵守できているかに重きを置いている人かな。正解か、間違いか、その二つしかなくて、マニュアル通りに従えば、正解が手に入るという考え方で、「自分は0か1の1を必死に守る世界に生きてるのに、目の前に多様な選択肢を持ち合わせている人がいる」ことに対して苛立ってて、「その苛立ちの原因を見ることもできておらず、余計腹が立っている」てのが着物警察なのかも。

妻:相変わらずディスり方がひどいな(笑)

夫:日本人って、海外の人に対してコンプレックスあって、それがけっこう強いと感じてる。海外の人が着物アレンジしたら何も言わないのに、同じこと日本人がやったら着物警察が出動してしまう。知り合いや友人は、自分と同等か、自分より下に見てて、そんな相手が海外の人と同じような事をしてるっていうのは、同等か見下してた存在が自分より上になってしまう、ということで引きずり下ろしたくなるのだろう。

妻:私は能狂言や華展を見に行くので、よく着物を着ている人をわりと見かける機会が多い。昔に比べて、今、着方が自由になってる気がする。ちゃんと髪をまとめてる人が、オシャレでブーツ履いてたりする。よく見受けられるようになった。NHKの「趣味どきっ!」とかを見てると、外国人の有名な着物マニアの人がそういう着方をしてるから、そこから広まったのかなあと思ってる。

夫:着物警察は余裕がないのかもしれない。「自分もまねてみよう」っていうのは今の状況に対して余裕があるからだよね。今の自分を変えるとかアゲるとか。それだけの時間、お金、気分に余裕がある。他の人の足を引っ張るってさ、自分を変えるわけじゃない。自分を変えようとする余地がない。余裕がなくて、多様性とかを受け入れる余地がなくて、最短で正解っていうのを求めるのかも。失敗するって事についても、一度しかチャンスがなくて失敗できないっていう余裕の無さかも。それに対して余裕がある人はいろんなことを試していける。試すってことは多様だよね。いつものオチですけど、世間の二極化。「マニュアル通りにしか和服を着れない余裕のない着物警察」と、「アレンジをきかせていろんな着こなしをする、それこそ他の国の布とか衣装とかを合わせて着るとか、服のひとつとして着物が着れる人」の二極化が大きくなってくと思う。あなたはどう思う?

妻:たとえば伝統芸能の人は仕事の衣装として和服を着るわけだから、守らなきゃいけない部分はあるけど、そうでもない一般の人は、何をそんなに取り締まらなきゃいけないのだろう。茶道やってますとか、家が着物を扱ってますとか、そういう人は別だけど、他は自由でいいんじゃないかと。着物の着方を教えてくれって言われたわけじゃないし、知らん人からいきなり俳句の詠み方を指導されるみたいな、ほっといてくれ感あるよね。

夫:技術を人から乞われて教えるのは良いと思う。ただ、ファッションによって自分を表現をしたいという気持ちに対して、技術を教えようとしてるのはただの驕りだと思う。


・着物は自己表現

妻:それで言うとさ、着物を着るっていうのはどういう自分を表現しようとしているかということだと思うんだよね。たとえば映画だと時代劇があって、江戸時代っていう設定だったらそれに合わせて着なきゃいけないけど、現代に生活してる自分、着物をオシャレで着てる自分だったら、誰にもどうこう言われる筋合いはないんじゃないかと。お茶の席じゃないんだし。フォーマルな場、たとえばお葬式だとか、そこで変な着方をしてはいけないというのはわかる。でも演劇を見に行きますとか、落語を聴きに行きますとか、そういうときは自由じゃないかと。

夫:それは、着物警察にとっては「お前もこっち側に来い! 私と同じになれ!」っていうセンサーに引っかかる話なんだと思う。

妻:どういうこと?

夫:たぶん着物警察は、いわゆるふつうの人だと思う。指摘する相手は、自分から見て同等か下と思える相手。年収が何千万とか何億の人には指摘しないんだけど、ふつうのサラリーマンには指摘する。そういうめんどくさい生き物なんですよ。いつもの話になるんですけど、私たち夫婦はお金の使い方が特殊。ふつうの人が使わないところにお金使って、ふつうの人が使うところには使ってないから。しかし、他の人から見たら、自分が使ってるところにはお金を使ってるはずだと。その上で自分が使ってないところにも使ってる(というふうに見えるはず)。同類と思ってる人間が自分より余裕があるように見えたら腹立つかなあ。あなたがさっき言ったのは、おそらく自分が使ってないジャンルにお金を使っていることなので、苛立ったのかと。

妻:私は今まで、誰かに、恋愛以外で、嫉妬するっていうことがなかった。それは、家が多少お金があったということでもあるかもしれないんだけど、人を羨むとか、足を引っ張るとか、そういう思考がない。自分の中に。

夫:誤解がないように言うと、たぶん着物警察も足を引っ張るという意識はない。「足引っ張ってやろう」と思ってやる奴は相当タチが悪い。そこまで思ってない。

妻:なんだろうね、どう思ってるのかな。「この人はちゃんとしてないから、ちゃんとさせてあげなきゃ」みたいな感じなのかな?

夫:それくらいの感じで、自分がなぜそういうことをするのか? みたいな自分の中にある行動のきっかけを見てないと思うよ。そんなもんでしょ。なかなか「私は嫉妬してる、あいつを引きずり落としたい」って認識して生きるのはつらかろう(笑)

妻:まあこれは今と昔の話になっちゃうんだけど、着物を着るっていうことがステータスシンボルだった時代があるよね。良家の証というか。今も名残くらいにはあるけど、昔に比べて、今着物を着るということの意味合いは変わってきている気がする。

夫:どういう風に?

妻:ファッション的に、よりステータスというよりは趣味嗜好。「七緒」とか読んでるとそんな気がする。コスプレと同じジャンルみたいな。

夫:着物に限らず、ファッションで着るということは、「特別で大事な一枚」ではなくて、「何枚もあるものの一つ」ということだと思う。何枚もある人はファッションで着れる。「特別で大事な一枚」の人からしたらステータスになる。

妻:つまり、自分にとっては大事なものを、同じように、特別で大事だと扱ってないのは許せないと、そういうこと?

夫:そういう感じ。それが同等か見下す対象だったら怒り倍増だよね(笑)


・着物と文化

妻:あなたが前話してたことで印象的だったことがあるんだけど、日本人は、外国人が日本に来て着物を気に入って、着るということを喜ぶし、受け入れるんだけど、外国人から見ると、それは文化的レイプだと、やってはいけないということになる。

夫:覚えとらんけど僕はネタにして言いそう(笑)。

妻:さっき言ってたコンプレックスとも関係あるのかな。

夫:海外の人の文化レイプに関しては、ガタガタ言うのはキリスト教徒ばっかだと思うよ。アメリカの山の方とか、ヨーロッパとか。

妻:なんで?

夫:「主の教えは絶対」だから。人は猿から進化したのではなく神によって作られた存在だから。

妻:なるほど。

夫:自分たちの価値観を乱されてはならない。神の教えの崩壊に至る。日本の着物を日本人以外が着るのは文化レイプという海外の人は、自分ところのものをブレさせるなよということも暗に言っているのじゃないかな、たぶん。ブレたら神の教え崩壊するもん。着物警察と文化レイプ警察は根幹は違う。嫉妬と宗教の差はある。

妻:宗教の場合、男装や女装をしてはいけないのだけれど、それと他国の民族衣装を着てはいけないというのは同じなのかな?

夫:後半の言い方が違う。キリスト教の教えを他の国の文化と混ぜてアレンジしてはいけない。キリスト教は他の文化を取り入れてはいけない。でもそう言ってしまうと角が立つから、他の文化を身にまとっては失礼ですよと言っているだけ。キリスト教徒が他の文化を取り入れなくするというのと、他の文化をレイプするなというのは同じことを言っている。要は、キリスト教以外の文化に手を出すな、学習してはならない、ってことだと思ってる。

妻:教えを広めるのはよくても、他の教えを受け入れるのはダメだってことね。

夫:神を信じるのはいい。否定してはならない。神の存在しない文化を受け入れちゃいけないでしょ。で、真向から邪悪な信仰に触れてはいけないとは、このご時世では言えないわけよ。で、言い方を変えて、相手を立てた感じにきこえるように、接触を禁じてる、と思ってる。

妻:これは、今までで一番感じの悪い会話になったね、客観的にみると(笑)。

夫:着物警察って平和だと思わない? 選挙の票にも影響しないし、宗教戦争も起きないし、人種差別にもならないんだよ(笑)。



(2022年1月10日)

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