シャンバヴィマハムードラを伝授されてから丁度1週間
秘伝の伝授
新しい活動をこの肉体と心とエネルギーシステムに取り入れるためにはそれなりの時間が必要とのことなので、40日間、1日に2回、この秘伝を続けることにしている。食事をしたら秘伝の修行まで4時間以上を空ける必要があり、完全に一人で集中できる場所と時間を作る人ようがある。
先週の日曜日に伝授し、7日間続け、さまざまさ変化をこの場で記録しようと思う。
体の変化
この修行は主に背骨のエネルギーチャンネルを活性化/浄化するためであり、初めの数日は背骨周りに付着している何か、メッキが剥がれるような感覚が生じ、時折、鼻の奥で燃えた後の何か、生物の一部の燃えカスのような匂いがしていた。
妙にリラックスし、何もせずとも気持ちの良い感じに包まれており、行動する気が起こりにくくなっている感じがした。それと、こんな状況で体を動かしたらどうなのかと気になったので近くのムエタイジムで体験クラスに参加してみた。
1時間半以上の激しい運動とキックやパンチと最後にスパーリングをしたが、少し汗を書いた程度であまり疲れていなかった。近くにいた若い参加者とパンチやキックをしあうドリルをしていたが、インストラクターが即座に違う大きな男と私がドリルをするように変えた。そして何度かキックやパンチをしているとまたそのインストラクターが他の経験豊富そうな男と私がドリルをするように変えた。そして私のパンチをその男が受け続けていると、手を振り、痛みや痺れを紛らわそうとしている。ジャブとストレートを繰り返すドリルでは私のパンチを受けきれず後ろ図さりになり壁に面して狼狽えているようになる。向こうも頑張ってパンチをするが、強いけども私からしたらとても遅く感じるようだった。
私もこの不思議な感覚に理解がついってきていないようである。翌日、あれだけの激しい運動と筋トレをしたにもかかわらず、さほどの筋肉痛が現れなかった。
間違いなく体の内側で何かの変化が起こっている。
そして、慢性的だった背骨の下部の痛みが朝起きると特に痛み、靴下を履く時や、ズボンを履くときなどに体を屈めたら痛みがより感じていたが、段々と痛みが気にならなくなってきた。
まるで背骨の下部で氣の塊が氷のように固まっていたのが、ゆっくりと溶解してきているようである。
伝授から次の日かさらに次の日くらいの朝、ベットでやけにただ背骨の感覚を感じているだけで深く気持ちいかんじに包まれていた。今までに感じたことのない気持ちい経験である。
心の変化
伝授から2日後、いつものように功夫学校で功夫をしていて、今まで少し鼻についていたルクセンブルク出身の男の態度に少しイラッときてもそれが水が漏れるように流れていき、心に残らず、私のパートナーが棍を使った型を学んでいる際にいつものようにすぐに忘れたり、うまくできずに困っており、師父に聞かれると何も覚えられないと即答しているのを客観的に見ていた。今までならなんでそんな簡単なことをなん度もやって覚えられずうまくできないんやと苛立っていたが、この時は私のパートナーの意識の奥の構造パターンが見えた。
ああ、だからできないのか。自分でできないと自己暗示しているのかと...
そして修行が終わり、パートナーと話をした時に、彼女もそれに気づいたことを私に話した。何も考えず、即座にできないと言葉を吐く自分を客観的に見たと。師父に何かを聞かれるとそう答えてその場を凌ぐパターンが自分にできていると。すごい、この目では認識できない、物質的ではない心の何かに私はアクセスをしたようである。そしてパートナーも何かそれに影響を受けたようである。
次の日はオーガニックマーケットの掃除と片付けをボランティアで1時間することになり、昔からのオランダ人の友達と掃除をするが、彼はいつものように少し意識がはっきりしておらず雲の中にいるようで、掃除をする時間でもゆっくりと夕食を食べ、私を待たせた。作業中も椅子に座ったり何かを書いたり、掃除や片付けをあまりせず、私が床を掃除している間に彼は水を汲み、モップで最後に拭く予定だが、彼は水を汲むだけであとは柱に紙を置き、何かを書いている。私が箒で床を掃いたので君はモップで拭いてくれと言っても大した反応はないので私は素早く終わらしてすぐに帰ることにした。そしてモップふきを半分くらいしている時に他にボランティアで来ていた老女が後は私がやると言って私のモップを取り、残りの作業をしてくれた。
いつもの私なら彼のその態度に苛立ち、彼が何かするまで強く非難し続けていただろう。しかしながら今回はそうならず、鼻歌混じりに続け、他の人からマヨネーズや、タッパーを貸してもらい、台所で作った夕食の残りを大量にいただいた。
私と彼との不公平な仕事量は認識しているが私の心に溜めることはなかくなった。そして周りの人たちの反応も今までと違ってきているなと感じるようにもなった。
エネルギー(氣)の変化
無性に料理を作りたくなり、カレーやラーメンスープなどこだわって作り、冷蔵庫には常に食べ物があるようになった。そして料理のレベルが目まぐるしく上がっているのも感じた。なぜかはわからない。自分でも食べてお店で食べているような感覚になる。
学校へ我が子を迎えにゆき、他の友達と遊ぶと、どんどんと他の子達が私と遊ぶようになった。今まで遊んだことのなかった子たちも近づくようになった。
性行為に励んでいる時もいつもなら射精に至ることを遅らせるためにタオの秘術を使ったり、動きを遅くしたりなど、あらゆる努力をしていたが、この時は大した肉体的な努力をしなくても時期を伸ばすことができ、射精の量もだいぶ抑えることができ、ことの後にどてっと疲れることはなく、いつでも再戦できる感じであった。相手はいつもより過剰に反応することなり、乱れに乱れ、恍惚としており、そんなに時間をかけずとも相手の体温がどんどんと上昇していることも私の突起するセンサーで感知することができた。
今朝は6時半に起き、秘伝の修行をして台所を片付けていたら7時半に我が子が起きてきて一緒に寝ようと言ってきた。
今まで我が子は私に対して憎たらしい態度ばかりしていたが、今朝、初めて向こうからI LOVE YOU といった。そしてハグすることを今まで嫌がっていたが、今朝は我が子からしてきた。
自分の意識をInner Engineering で学んだ事に向けることが大事なのが薄々わかってきたが、この秘伝で工学的に変化を感じるのも事実である。
人間という存在が、この世に存在する最も精密な機械生物であるという認識が段々と現実味を帯びてきた。マニュアルを読み、どのように使うかを分かれば、使いこなせるのである。 段々と私という意識と肉体/心/氣とに空間があることを感じ始めてきた。
体の癖と遺伝
これらの変化をこの7日間で感じてきて、友達などと話している中で感じたのが、持って生まれた体の姿勢や癖などは遺伝や過去生との関係で今現れており、それを溶かしてゆき自分のありたいように動き、考え、表現するのは、過去からの脱却に他ならないと感じた。私の母も父も兄も祖父も見渡せば似たように背筋がピーンとはって真っ直ぐで柔軟ではなく背骨の下部が動かない様子を私は見てきた。私もその一人であるが、それがゆっくりと動き始めているのを感じると同時に今までの私の先祖たちが築いてきた癖から解放されてきているのも感じるようになった。
ヨガとは
この秘伝を通して大きな疑問が生まれた。どのようにして古代の人間がこの方法を発見することができたのだろうか?古代であれば今よりも人生が短かかったと常識では考えるが、短い時間でこのようなことを見つけ出すのはどうも考えにくい。なぜならその結果を客観的に理解するために、他の修行との違いを比べないと何が変わったのかも確認できないからである。壮大なヨガの学校があったのか?変化を共有し合う多数のヨギが情報を共有し合い、導き出したのか?
瞑想をしてても同じような感覚に陥ることがある。何故自分では想像もできないことを体験できるのか?
卵が先か鶏が先かの不毛なサイクルに陥る。
どうもこの仕組みを作り出した存在がプログラミングをするように、人間という生命体を乗り物として作ったように感じる。そして我々がその製作者の一部であり、記憶を故意に一部なくし、無知の状態でこの乗り物に乗り、発見する喜びをあえて繰り返しているようである。
この予想はほぼ真実だろう。ならば何をしてこの有効期間の限られた乗り物を使ってこの地球という空間で過ごしたいだろうか?
私はまずはこの乗り物のマニュアルを読むことにしたのである。どうすればどのような反応が怒りどう体験するのか。周りで何が起こったとしても、結果としてどう対応、反応するかはこの内側で起こっているからである。
いいか悪いかの判断の前に私はまだ最高の気分を全部知っているわけではない事にも気づいた。この背骨が気持ちい感じは40年の人生で初めてのことであるからである。となると、他にもまだまだ知らない気持ちよさが待ち受けていることも容易に想像ができる。そしてそれは何かから、誰かからによってもたらされるものではないのだからもっとマニュアルを読解しなければならない。