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読了、とオーバーツーリズムのこと。
某仕事で、春に他県への団体旅行を企画している。夜にみんなで行きたいなあと思っている店があるので予約の電話をしてみると、「そんな先のことは分からない」と言われた。それはちょっと困るんだけど、それもそうだよね~と思った。
普段、京都を生活圏としていると、どこへ行っても要予約または行列で、すっと入れる飲食店の確保はかなり重要。急にごはんを食べに行く、または流れで食事をする、となると、わたしの感覚ではお店の候補を5個くらい考えておかなくてはならない。京都での日常はそんな感じだから、いくら先とはいえ、団体ならなおのこともう予約をしておきたい。気ままにその日その時食べたいものを食べるでやってきたのに、いつの間にか、かなり前から入念に計画を立てないと食べたい店では気軽に食べられないというのがデフォルトになっていた。
少し前まではそんなことなかったのになあと思う反面、京都のオーバーツーリズムに白い目を向ける地元の人にはどうしてもなりたくないというささやかな抵抗もある。店のある一乗寺は普段、そこまで観光のお客さんが溢れるということはないものの、叡山電車はわりといつも満席だ。店にも何を見て来てくれるのかは分からないけれど、他府県だけでなく、世界中からお客さんが来てくれる。過ごしてきた環境、文化、言語も違うはずだろうけど、本を媒介として生まれる会話はそんな差異や距離なんてものともせずとても楽しく、子どもの頃から何でも知りたいわたしにはすごく新鮮で、救われている。観光客で京都の景観が~なんて一方的なことはぜったいに言いたくない。それに自分に置き換えてみても、これまで訪れた街や国はすべて大切な記憶で、しっかりと自分の血や肉になっている。わたしもそんな街の一部になりたい。
ただ、たまに街中に出かけると、明らかにキャパオーバーに押し寄せる人波、おそらく人が来すぎて疲れ果てた飲食店の少しさみしくなるような接客など、自分たちの生活が脅かされつつあると感じることがあるのもまた事実でもある。
……と言った感じで、オーバーツーリズムについてはいまいち自分の中でよい答えを見つけられずにいたのだが、前回のnoteにも書いた『シソンから、』を読了し、すべてが腑に落ちるかのようなうれしい答えが見つかった。『シソンから、』は本当に隅から隅まで心に沁みて元気が出る。ぜひぜひ読んでみてほしい。読み終えたとき、なぜかちょっと、ガッツポーズとかしたくなった。
『シソンから、』は群像劇で、しかも登場人物はみな韓国の名前なのでややこしいと感じる方もいるかもしれない。わたしの大好きな一冊である『百年の孤独』もそうだけど、ややこしくても家系図を見るのは最低限、とりあえず力業で読み進めることをおすすめする。よい本は、物語がすすめばすすむほど登場人物の性格や行動パターンが自分の中で理解され、ある瞬間から勝手にいきいきと動くようになると思う。たぶん。
『シソンから、』は、10年前に亡くなったシソンの祭祀のために、シソンの子孫たちがハワイで思い思いの時間を過ごし、シソンに見せたいとびきりのものを見つけてくるという話なのだが、そのうちのひとり、ミョンヘは一週間フラの野外レッスンに通う。うつくしいハワイだが、その歴史は侵略と収奪の歴史だ。民族としての傷を受け継ぎながら、自分たちのパラダイスを守ろうとするフラの先生(タムフラ)の言葉は、とても普遍的で、すべての地域で考えてもよいことだと思う。
タムフラは「ローカル」という言葉をよく使ったが、それは先住民とはまた違う意味らしい。ローカルには人種も血統もないのだった。ハワイで長い間生きてきて、地域共同体に愛情のある人ならみんなローカルに含まれるらしい。
『シソンから、』チョン・セラン 斎藤真理子訳
ローカルというかなり開かれた考え方、とてもしっくりくる。街を消費するのではなく愛をもって訪れ、暮らしてほしい。それはなんの遠慮も罪悪感もなく主張できることではないか。わたしたちが恐れているのは街が変わることではない。この街が、薄っぺらな市場経済の場になってしまうことが怖いのだ。
もちろん、安易にハワイの歴史とオーバーツーリズムを引き寄せて考えてはいけないと思う。だけど、タムフラのローカルという概念は、これから日本でもどんどん進むであろう多文化共生を、否定するのではなく構築する方向に道を開いてくれる考え方なような気がする。とてもよい言葉に出会えた。
久しぶりに5日間連続で店に入った。京都は雪予報でとても寒かったが、久しぶりに何も考えずに店番できるのがうれしくて、自分でも驚くほど掃除、整理、棚替えと働いてしまった。すっきり。
わたしの大切なローカル。よくよく考えてみれば、本を売ってくれるお客さん、買ってくれるお客さんにとってもローカルではないか。大切にしたい。