心療内科へ行ってみた・・・日々の変化
さて、相変わらずの内容になってしまうけれども、占いのネタはどうしたって自分で突っ込んでしまうw w w
心療内科へ行った段階で、中等度の鬱と診断されお薬を飲んで、こんなにアップダウンするのかと感動ものではあった・・・・
その間に、縁があって「脳波」で発達障碍があることが明確になっていた。
まあ、娘がそうなら親もどっか変だしそうだろうなと思っているわけだったけど、医者にもかからずに「自分はそうなのだ」とか自己判断マニアにはなりたくはないので「医者で診てもらった」わけだ。
旦那氏は未だ持って自己判断で発達障碍だと言い張るので、現在は「そうであろうとなかろうと、医者の診断もねぇのに何ほざいてんだ・・・」で済ませることにした。
こう書くと、「発達障碍」を盾にしているかのようにイメージされるかもしれないけれど、私としては「凸凹の個性」だとしか考えていない。
よくいう、自分の中にはもう1人の自分が・・も、別段普通のことだと思っている。
かくいう私の中にも3・4人の私がいて、現在本体の私は疲れ切っているので寝かせている。
だからと言って記憶がなくなるなどのことはない、オンオフの切り替えスイッチみたいなものだ。
これも、人間に備わっているセキュリティなわけだが、記憶がなくなってしまうようなビリー・ミリガンさんなどの状態は確かにしんどいだろう。
彼も、54歳の若さで癌でなくなっている。
それまでの人生で自分の中の多くの自分のことで悩まれて、治療を行い少なかったかもしれないが、自分を中心にコントロールが効くようになって生きておいでの顔はテレビで拝顔した。
お元気そうなお顔はとても穏やかな人だった。
また女性性・男性性の問題も、別段私個人波気にしていない。
もし、娘が永遠の伴侶に女性を連れてきても「あら素敵!」と祝福はできる・・無論性格とか人格は一応確認はするが・・・
娘たちが息子で、息子が彼氏を連れてきたら、あらあらなんて微笑ましいと思えるほどに、可笑しい人と思われるかもしれないが、柔軟性を持っているつもりだ。
私が私のことでこの発達障碍の件や、弟のことを書こうと思ったのは、拙いながらに「こんな奴も生きてるよ」と見てくださっているかたに知ってほしいことや、私は中学が最終学歴なのだけど、勉強も基本の足し算や引き算ができればなんとかなるというのも書いてゆきたい。
「そんな恥ずかしいことを」
と、あなたは思うだろうか・・・
それとも、そうかなら自分だって・・と思うだろうか。
人は、持っているもので生きていく。
しかし、持っていないものを得ることもできないわけではない。
持っていないものを得ることができない場合もある。
持っていないもので生きられる人もいる。
要は、しっかりと頭を使おうと考えればいい。
1人でダメなら2人で考えればいいし、2人でダメなら3人で考えればいい。
世界は、思うほど狭くはないのだ。
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