久し振りの甲子園に思う所
様々な事情により、昨年春、夏(交流試合はあったが)の甲子園が中止となり、久し振りの甲子園は東海大相模の優勝で幕を閉じた。本大会は投手保護のための球数制限及び申告故意四球(プロは申告敬遠と言っているが何故違うのかは不明)が導入された初の大会となった。それら(とりわけ球数制限)について様々な意見が飛び交っているので一ファンとして意見を書いておこうと思う。
1.甲子園大会の意義
そもそも甲子園大会の意義とは何かを考えていきたいと思う。俺個人の考えとしては選手目線では大きく二つに分かれる。
一つ目は夢。長い歴史の中で甲子園大会は大きな人気を獲得している。これは功罪含めて否定する余地がない。少なくない割合の高校球児が甲子園大会に出たいと考えているだろう。そしてこれは甲子園を目指さない球児を否定するものではない。一言で表せば「甲子園に出場する」「甲子園で活躍する」「甲子園で優勝する」こと自体が目的になっているパターンだ。
二つ目は舞台。高校野球でナンバーワンを決める大会といえば、甲子園以外に答えはないだろう。一応、明治神宮大会、国体などでも日本一を決定すると言えなくもないが、選抜の前哨戦、選手権後の消化試合という印象(ただし、甲子園がメインとなった結果、これらが添え物になったのか、甲子園がシステムとして優れていたからメインになったかは問わない)を拭いきれないだろう。いずれにせよ、最高の舞台であるからこそ、価値が生まれると言っても過言ではない。言い換えれば上述の「甲子園で~」が目的ではなく手段となっているパターンだ。プロのスカウトに自分に力を見せたいとか、そういったニュアンスが強い。
2.球数制限の運用について
今大会では1週間で500球という球数制限が定められている。9回完投で135球前後と考えると3~4試合が限界になるわけだ。今回初めてこのルールが導入された結果、多くの議論が巻き起こされたと思う。
今大会のルール制定で個人的に観測できた意見は以下になる。
1.球数制限が事実上機能していないor制限が緩すぎる
大まかな意見の内容としては「1週間500球というのは科学的根拠に基づくものではない」「日程的に中1日で3連投が可能であり、こういった事態を防げない」といった趣旨である。故に、意味がないという指摘だ。
これに関しては当初より指摘があった通りだ。
2.日程により有利不利が生じている
これは少なくとも自分の観測範囲ではあるが、実施決定当初ではこういった指摘はなかったと思われる。顕著な例としては、天理と中京大中京であるだろう。天理の達投手は20日(1回戦)、25日(2回戦)、29日(準々決勝)に登板している。一方、中京大中京の畔柳投手は25日(1回戦)、27日(2回戦)、29日(準々決勝)に登板している。31日に準決勝で登板する際の球数制限に含まれる試合は達投手:2試合、畔柳投手:3試合となっている。そのため、日程的に有利不利があるという意見である。
3.個人的な意見
まず1については、俺はこのルールが適切だとは判断はできない。例えば、安楽投手の時代にこのルールがあれば、232球(3月26日)、159球(3月30日)、138球(4月1日)、134球(4月2日)、102球(4月3日)であり、4月1日の時点で途中降板となるが、1週間経過したため、4月2日は完投可能。4月3日も前倒しで降板となる。つまり、日程的に恵まれれば全試合登板も可能な制度である。しかし、完全に無意味であるとは思わない。前述の両投手ともに実際にはチームが準決勝で敗退し球数制限に引っ掛かることはなかったが、先発を回避している。これは間違いなく球数制限を意識してのことであり、本来制度上の問題がなければ登板していた可能性は否定できない。つまり、運用上において意識させることができているだけで効果はあるというのが自分の考えである。実際に選手に怪我をさせないことだけを考えるならば5日間で300球くらいが目安が適切なバランスのように感じる。安楽の例を取るならば、2回戦で途中降板。3回戦は完投ができるが、準決勝、決勝は事実上登板ができない。イメージとしてはプロ野球で中4日ローテで完投までなら許す、くらいのニュアンスだ。実際には連投規制も必要だろうが、最低限レベルでは過酷な投球を減らせると思われる。
一方で、球数制限で投げたい選手に後悔を残すこともあるだろう。実際、甲子園(予選含む)で球数が問題になるような選手は仮に全ての高校がエース一人に投げさせ続けると仮定しても100校前後(4000校のトーナメントで5試合すると残る高校がそれくらい)だ。トーナメント序盤は日程が開くことを考えればもっと少ないだろう。こういった選手・高校にガチガチの球数制限を課すことは彼らの夢を途絶えさせる原因になったりはしないだろうか? 個人的には夢を途絶えさせても止めるのが大人の仕事だとは思うが、そういった意見もあるという意味で記載する。そもそもの話として、短期的な過投球が大きな問題を引き起こす、というのにはそもそも否定的で練習試合や日々の練習での投げすぎによる小さな積み重ねの方が問題視されるべきだという意見もあり、個人的にはそちらの方に理解を示したい。
2に関しては、個人的には今更感が強い意見だと感じた。日程的な差異は甲子園という単一の球場を使って試合をする以上、必ず生じる問題である。解決策としては、高校サッカーのように複数会場用意することで1日3試合とすると8会場で夏の甲子園の1回戦を消化することができる。別に甲子園でのみ試合を行うことが正義だとは思わないが、ビジネスモデルとして大きな変更を余儀なくされるだろう。
つまるところ、球数制限云々を抜きにしても日程的な問題は必ず付きまとうのである。5試合目のチームと6試合目のチームが同じ状態で戦えるはずもないし、更に言えば試合内容や対戦相手によっても不公平が生じるだろう。トーナメントという性質上、日程、組み合わせなどの運も含めての勝負であるはずだ。公平性を重視するのであれば全代表での総当たり戦しか選択肢はないはずだ。
4.総評
個人的には球数制限の導入は成功であったと考える。大きな理由として、今大会においては明らかな過投球と言えるような投手が(結果的にはであるが)出なかったこと。
準決勝ではそれまで投げ続けてきた投手が先発を回避しているし、継投策を取ったチームも多い。少なくとも球数制限の導入がそれに影響を与えたことは否定できないし、今後そのこの流れが加速するとすれば十二分に意義があることだと思う。
その上で様々な問題提起がされ、議論を巻き起こし、実験的であるとはいえ、実際に制度として導入されたことが一番の功績だろう。よく言われていることだが、新しい制度を作るよりも既存の制度を少しずつ調整する方が遥かに容易いという現実を前に球数制限が導入されたのは良いことだと考える。
現実問題として、この制度が緩いとして厳しくなることはあるだろうが、球数制限が不要として廃止されることは間違いなくないだろう。将来的により良いルールになることを願い、ここで筆を置くこととする。