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GIVERとは
ギバーギバー、、、
ある企業にて、有志で集まる学びの場にいます。
運営側として活動させて頂いているのですが、受講生の方々からGIVERという言葉をよく聞くようになりました。
それなに? どんな行動?と聞いてみると。。。
どうやら、利己的ではなく利他的に活動するという感覚が前面にあり、行動としては自身の知識や経験を惜しげもなく披露する、無償のティーチングを行うことになっているようなのです。
それを聞いて、私はそれって何の意味があるのだろう?と底知れぬ違和感を感じ、自分なりに考察しました。
ある種経済的に有用な何かを共有することがギバーではないと思っています。
私の想うGIVERは、その人の弱いところや辛いこと、楽しいこと、嬉しいこと、感じたこと、考えたこと、そんな個人のインサイトからあふれるものを包み隠さずに相手に伝えることが出来る人。
先日の受講生との1on1では、「あの人はいろんな記事を共有してくれるギバーです!」 「あの人はミーティングで知識を沢山出してくれるギバーです!」 という発言を聞いて、それってその人だけのもの? それ聞いて嬉しいのかな? 心があたたかくなるのかな? と疑問でした。
そう、私はそのような手厚いティーチングを受けて、感謝はするものの、心に触れるものが何もなく、無機質な感覚になるのです。
対話を通して受ける心地よさは、お互いを想う気持ちと信頼。 愛でしかない気がしていて。
それの無い会話にはギブが無い。
人と人のコミュニケーションにおいて「知識」というものが如何に陳腐なものなのだろうかとすら思えてしまいます。
※先人が考察を重ねた知恵・知識を軽視するつもりはありません。
最近、1on1やコーチングを通して気付かせて頂くことが非常に多いです。
それは知識や経験だけではなく、心が通う瞬間の自身への「響き」です。
ずっと手探りでつかめなかった感覚のものが、急に共鳴する瞬間があって、その喜びはこの上ないものです。
この頻度が上がってきたのは、自身が飾らずに心の声で会話をすることが出来始めているからだと感じます。
物理的な感覚で、脳や肉体を使った発声ではなく、自然と心から声が出てくる感じ。
これこそが、GIVERなんだと思うのです。
<ポエム>
私は海、 私は太陽
晴れの日も、雨の日も、荒れた日も、穏やかな日も、どんなときも相手を無限の広さで、あたたかさで包み込みます。
どれだけ汚されようと、どれだけ愚弄されようと、私は何万年もかけて自浄を重ね、あなたのそれを世の中に残さないようにします。