仕事なら何をしてもいいのか
仕事なら何をしてもいいのか。
こういう言葉を聞いてみたとき、どんな印象を受けるだろう?
クレームとしてだろうか?それとも野蛮で不適切な行為をたしなめるような言葉だろうか?
私の場合は後者の立場において、この文章を書いている。
携帯販売の仕事に関わることがあって、わずかの期間ではあるが、家電量販店やショッピングモールでお仕事をさせてもらっていた。
内容としては、店内を行き交う不特定多数の人達に対して、声掛けを行い、くじ引きに誘引したりして、お客様情報を引き出す簡易なアンケートを取ることが目的だった。
色々な人達がいるわけで、声掛けをしてもあからさまに無視をする人。睨みつけてくる人。はたまた笑顔で対応をしてくれる人。文句を言ってくる人。様々だ。
文句を言われたり、睨まれたり、声掛けをする側もストレスが溜まる。
だが、無理矢理見ず知らずの人に声を掛けられて、あれこれ言われるのだから、お客のほうだってストレスフルなのは当然だろう。
にも、関わらず無視をされたり、文句を言われた際に、声掛けを仕事としてやってる側の人間が、
「こっちは仕事でやっとんのやぞ!!」と声を荒らげて悪態をついている場面に多々出くわす機会があった。もちろん、お客さんに面と向かって発言するわけではないのだが、独りでそうボヤいたり、時には仲間内でボヤきあったりしている。
人間は自分を正当化したい生き物だから、仕事としてやってるその行為は、たとえ人様には迷惑になるような行為であったとしても許されるはずだ、そう思いたいのかもしれない。
だが、仕事とはいえそれが他人にとって迷惑だと思える行為なら、それは迷惑行為なのであって、仕事としてそれをやっているかどうかは関係ない。
「こっちは仕事でやってるんだ」というセリフにみられるような、仕事=迷惑行為の免罪符という、曲解は暴論だろう。
これらの事例は、仕事をすることには【至高の価値がある】が前提になっている。仕事をしていない人間は【無価値である】といっているのだ。
少し前にYouTuberであるDAIGO氏が仕事のないホームレスを糾弾して、炎上した事と本質は同じである。
いや、むしろ悪いかもしれない。なぜなら、「仕事をして今頑張っている我々」=店員。に対して、「休日にウィンドウショッピングする暇な奴等」=お客さん。という、恐るべき定式が持ち込まれている可能性も否定できないからだ。
彼らのような人達は、おそらく日常的に他人を差別している。そんな意識が日常的に介在していなければ、その場で突然そのような差別感情が顕になるわけがないからだ。
携帯販売スタッフには、高給を求めて入職する人が多い。お金持ちになりたい、贅沢したい、他人と違ったきらびやかな自分になりたい、つまり自分とその他大勢は違うんだ。そんな風に考えるようになっているのかもしれない。
資本主義の競争原理においてこの価値観は、素直な発露だ。店員が、「俺は金持ちになりたいから、下賤な客どもは金を差し出せ」「俺を勝者にさせろ」そう言ってるのである。
バカ正直な人達ではないか。
けれど多様性の世の中で、そういう価値観が全てではないことは、当然のはずなのだが。。
「資本主義で稼いで何が悪い?」
そんな悪態をついて憚らない人間も多数いる。
どこまでも競争社会では、他人を馬鹿にしないと気がすまない人たちで溢れている。
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