東京と私の人生と、幸せの在処
東京で生活したことが、人生で一度もない。
私にとってそれはコンプレックスの1つだった。
もちろんそんな人たくさんいることはわかっているし、別段地元が嫌いとかそういうわけではない。
ただ、東京という日本で一番人が多い場所。
つまり、おそらく日本で一番競争が激しいであろう場所で、自分を試したことが一度もないということについて、私は時々考えてしまう。
「これでよかったのだろうか?」と。
ボーイ・ミーツ・ガール・イン東京
最近の邦画についておすすめ一覧をぼんやり眺めていた際に、東京を舞台に男女が出会い、恋に落ちる映画が多いことに気づいた。
『花束みたいな恋をした』
『明け方の若者たち』
『ちょっと思い出しただけ』
『僕たちは大人になれなかった』
『街の上で』
ちょっと遡ると
『劇場』
『愛がなんだ』
『生きてるだけで、愛。』
有名な作品だからとか、たまには邦画もとか、そんな単純でチープな理由で鑑賞し始めたはいい。
が、どれも最後まできちんと見れた経験が、なかった。
単純に映画として私に合わなかった作品もあるのかもしれないが、それ以上に東京の景色(光り輝く東京タワー、ネオン街、下北沢、お洒落な飲み屋等)を映し出す演出があると、その時点で思わず画面を見るのをやめたくなってしまった。
ストーリー構成は大体、おそらく上京してきたであろう2人が東京という場所で恋に落ち、幸せな日々を送ったりもするが、お互いに夢や仕事があって…というようなものが多かった気がしている。
東京という競争の激しい街に魅了され、暮らした経験がある人達が作成している映画だ。
そりゃそうだよな、と思う。
彼らと同じように上京し東京で大学生或いは社会人として生活した経験がある方、実際に経験している方であれば共感して鑑賞できたのかもしれない。
それでも、私はどうしても「東京という場所で恋に落ち生活する若者達」を見続けることに耐えられなかった。
結局、前述した映画の大半で、出会った男女はすれ違い、将来の展望の違い等で別れることになる(と思われる…最後まで見れてないけど)のだが、「恋人と別れることにはなっても、それでも東京という街で俺は(私は)、自分のやりたいことをやり続けるために頑張るんだ」というような演出を見ると、しょうもない劣等感にまみれた気持ちになった。
自分が、負け組のように思えてしまったのだ。
東京という場所以外で生きる人間は、諦めた人間、挑戦しなかった人間のように思えてしまい、東京に行くという選択肢を選ばなかったあの頃の自分を「これでよかったのか?」なんて思ってしまったりして、勝手に辛くなってしまった。
「どこで生活したいかよりも、何を仕事にしたいか」
思い返せば、東京で生活するという選択肢を選ぶ機会は今までの人生で二度あった。
1つ目は大学進学の際。
田舎の自称進学校に通う高校生であった私は漠然と「東京に行って生活してみたい」という、よくある首都東京への憧れを持っていた。
今思えば単純に実家から出て一人暮らしをしてみたい、こんな田舎から早く出たいという、それぐらいの憧れだったのだと思う。
しかし、これもまたよくある「東京の私大なんて」という両親からの言葉と自分の学力と覚悟のなさゆえに、怒りと悔しさゆえの涙を狂ったように流す日々を過ごしながら、結局地元の大学に進学することを決めた。
自分で決めたことではあったが、受験の下見のために大学へ向かうバスの中で、外の景色を眺めながら涙を溢したことを今でもよく覚えている。
「ああ、自分はこの街で生きていかなきゃいけないんだ」
絶望と悔しさと、安心が入り混じった涙だった。
2つ目は就職の際。
この時もやはり私はまだ「東京に行って生活してみたい」という憧れを捨てきれずにいたため、東京で生活するための公務員としての様々な就職先に挑戦した。
(なぜ公務員だったのか、細かいことは機会があればまた別の記事で)
幸運なことに、そのうちいくつかからは内定がもらえた一方で、地元の役所からも内定がもらえていた。
そして、地元の役所の方が、おそらく世間的には「良い就職先」であった。
当然、両親は「地元」を希望し、私を説得しようと試みた。
しかし私自身よくわかっていた。
「地元」で就職してしまえば、そこから「東京」に行くことはおそらくほぼできない。
ここが最後のチャンスなのではないか?
「地元」で就職することは自分にとって正しい選択なのか?
後悔しないのか?
説得に応じようとしない私を見て自分達ではどうしようもないと判断した両親は、東京で公務員として生活したことのある叔父に電話し相談するよう私を諭した。
その上で、「お前の人生なのだから、最後はお前が決めなさい」と。
渋々電話をした私ではあったが、叔父は私の就職を大いに喜んでくれた。
「地元で就職するんだろう?」
「いや、まだ悩んでいて…」
私が東京で就職したいという話をすると、叔父は驚いた反応をした。
「なぜ?地元の役所の方がいろいろな仕事ができて面白いぞ、きっと」
「それはそうなんだけど…でも東京で生活したことないから」
地元から出たことがないまま一生を終えるのは…と私が言葉を溢すと、叔父は少しの間、黙った。
両親のように即座に「若気の至り」だと否定しなかった。
それでも
「東京に出て、お前は何がしたいんだ?」
そう聞かれ言葉が詰まった。
「その就職先がお前のやりたい仕事がやれる場所なら、良いと思う」
「だけど東京で生活したいだけなら、もう一度ちゃんと考えた方が良い」
「東京で生活するのはお前が思っているより大変だぞ」
「自分よりお金持ちで才能がある人間がわんさかいる」
「お金があって、自分に揺らぎのない自信がある人間なら良いだろう」
「しかもお前が内定をもらった就職先は1つの分野に特化したところだ」
「ずっと同じ分野の仕事を、ずっと同じ街でやり続けて暮らしていく、その覚悟があるか?」
その時ハッキリと覚悟があると答えることができなかった自分が答えだと思い、
結局、今の職場である地元の役所に就職することを決めた。
向き不向きで言えば今の職場の方が合っていたと思う。
電車やバスという他人に囲まれた環境がどれだけ自分の心の負荷になるか、自分より才能のある人間に囲まれて仕事をすることがどれだけ劣等感を生み、死にたくなるか。
そういったことを考えると、今の職場でよかったのだと思う。
後悔はしていない。
それでも、やはり思わざるを得ないのだ。
選べた道を選ばなかったことが正しかったのか、揺らいでしまう時があるのだ。
幸せの在処
就職後、東京の大学に進学したが、地元に戻ってきて就職した人達に出会った。
数で言えば結構多いと思う。
両手で数えきれない程はいるだろう。
「どうして地元に戻ってきたのか?」
思わず就活の面接官のような問いをしてしまった私に対し、それでも彼らは、彼女らは真摯に答えてくれた。
様々な答えがあったが、一貫して根本にあったであろう理由は
「この街では生きていけないと思ったから」
それだった。
「人が多すぎる」「なんか…疲れちゃって」
「遊びに行くのは良いけど暮らすには、ね」
「家庭を持って、とか考えると生きていけるのか不安」
東京で就職までしたが、仕事と暮らしに耐えきれず地元に戻ってきた子もいた。
就職先のあまりのブラック企業ぶりに心が病んでしまい、戻ってきたという。
「あの街で頑張れる人もいたんだろうけど、私には無理だった」
そう言った彼女は苦しげだった。
私が選ばなかった道を選びながら、それでもまた戻ってくることを選んだ彼女たち。
その選択の理由を聞いても、それでもやはり私はまだ東京という街で生活することへの未練を、憧れを持ち続けている。
結局、一生消えることはないんだろう。
一生抱えて生きていくしかないんだろう。
他人の選択を聞くだけでなく、自分で経験し、自分の心で感じなければ。
「生きていれば、どこでだって幸せになれる」
先日子供が産まれた先輩の話を聞きながら、当たり前のことを思った。
先輩は、田舎の実家の近くに家を建てることを考えているという。
幸せそうな家族写真は私には眩しすぎた。
「人はどこに居ても その人のままだよ」
東京について、歌った歌を思い出した。
そうだよな、そうなんだよな。
どこで生きようと私は私のままだ。
やりたいことは、きっとこの街でもできる。
現に私は今、ずっとやりたかった「自分の考えたことを正直に誰かに伝える」ということを、noteを通してできている。
「わかるよ」と誰か1人にでも言ってもらえることに、救われている。
幸せは、きっとどこにでもあるはずだから。
この街で、この部屋で。
私はそれでも今はまだ、生きていきたい。
そう、今はただ祈るように思っている。
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