暴力と血にまみれた幼少時代を過ごした雷帝イヴァン4世
今日8月25日は、雷帝イヴァン4世の誕生日だ。
1530年生まれ。先代からロシア統一政策を引き継ぎ、大小の公国が集う16世紀のロシア帝国を築き上げた。
一方で、ロシア史上、最も残酷で冷酷な暴君としても知られる。どんな残虐な行為を行ったのだろうか。
小鳥や犬を虐待した少年時代
イヴァン4世(以下、イヴァン)は幼くして父が病死。わずか3歳で、モスクワ大公に即位した。母と愛人が実権を握るが、その母も胸の発作で命を落とす。不自然な死だったため、一説には毒殺ともいわれている。
8歳で天涯孤独となったイヴァン。権力欲に憑りつかれた大人たちに囲まれながら、イヴァンは常に身の危険を感じていたという。そして、貴族たちが父の残した財産を好き放題に使うのを、ただ見つめることしかできなかった。
気が休まる暇がないなかで、イヴァンは怒りっぽい陰気な少年へと成長。自身は動物虐待をして楽しんだ。書くのもはばかられるが、小鳥を捕らえて羽をむしって目を潰して腹部をナイフでえぐったり、子犬を遠くに放り投げて足を骨折させたりと、残酷な行為にふけることで、自身の不安を払拭しようとしていたのだ。
最愛の妻の死と高まる人間不信
13歳のとき、イヴァンは勝負に出る。最も横暴な貴族アンドレイ・シェイスキーの処刑を命じたのだ。はたして、君主とはいえ、13歳の坊やが命令に兵たちは従うのか――。
その結果、若くても、君主は君主であることが証明された。命令は実行され、アンドレイは身柄を拘束。猟犬にその身体を食いちぎられている。
だが、23歳のとき、イヴァンは突然、病に倒れる。病状は重く、余命いくばくもないとさえも言われた。
そうとわかると、またもや、貴族たちは好き放題に振る舞い始めた。もう死にぞこないの君主には用はないといったところだろう。
ところが、イヴァンは奇跡的にも一命をとりとめる。その一方で、息子が病死。さらに、最愛の妻を病気で亡くしてしまう。人生において、これ以上の悲劇があるだろうか。イヴァンは、やけ酒をあおり、愛人を次々と抱くも、気持ちが晴れることはなかった。
自分が死ぬとわかれば、本性を現わして、自分勝手に振る舞う周囲の貴族たち――。やつらがのさばり、なぜ、息子や妻が亡くなってしまったのか。
はたして、人生はまっとうに生きる意味があるものなのか。
イヴァンは自暴自棄になった。
仮面をつけない貴族をめった刺し
イヴァンは自分が病のときに、裏切ろうとした貴族たちを次々と投獄して処刑。その兄弟や子供たちも容赦なく殺した。とるに足らない口論でさえも、イヴァンは短刀を振り上げて相手を威嚇した。
なかには、仮面舞踏会で仮面をつけなかっただけで、イヴァンから刺客を送り込まれて、めった刺しにされた者すらいたという。まあ、仮面舞踏会なら、仮面はつけろよ、という気もしなくはないが……。
それでもめった刺しはやりすぎである。イヴァンの苛立ちは高まるばかり。もはや本人にもコントールできなかったに違いない。
30代とは思えない醜い風貌に
イヴァンならではの恐怖の宴会も開かれた。
まず、イヴァンが強い酒を一杯飲み干す。すると、他の物も一杯、飲み干す。それを繰り返すという単純なものだが、途中で酒を拒否したり、椅子に座っていられなくなると、イヴァンは、
「こいつは自分に悪意を抱いてる」
とみなすという、理不尽すぎる宴会ルールだったという。
何かと理由を受けて、周囲の人間を殺しまくったイヴァン。その容貌もどんどん醜くなっていった。
背は丸く、顔には深いシワ、つやのない瞳。とても30代とは思えない風貌だったという。
前代未聞!街全体を虐殺した
そして、この醜い皇帝は、処刑の輪をどんどん広げていき、しまいには、街全体を虐殺するという前代未聞の暴挙に出ている。
そして、その報いなのか、自分の息子を誤って殺してしまう、という悲劇もふりかかる。
そんなイヴァンの暴君ぶりについて、『教科書には載せられない 暴君の素顔』(彩図社、2020年8月発刊)では書いた。
ほかの暴君たちも、その暴虐さとなぜ、暴政に至ったのか。その背景を幼少時代も振り返りながら、それぞれの破天荒な生涯を綴った一冊となっている。ぜひご一読いただきたい。