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連載小説「出帆の時は来た」 第1回 サイエンティフィック・デイドリーム(科学的白日夢)!

この街では、9月初旬の夕刻は、午後6時過ぎに日の入りとなる。

オフィスルームが入っているビルの、12階。昼間は、大きな窓の眼下に大きな緑のパレスの空間が、そして、その向こうにはちょっとした摩天楼が拡がり、視線を上方に向かわせれば、雲ひとつなく透き通るような、大きな青空だったこの金曜日。

日の入りの時刻に近づくにつれ、濃厚なカスタード・プディングのような黄みがかった西の空は、その後、アプリコット・ジャムを逆光で覗いたような杏(あんず)色から、グレナディーン・シロップをダウンライトで照らしたような柘榴(ざくろ)色に一気に遷移していく。

その大きな窓から見る太陽は、遠くに霞んで浮かぶ綿雲に、オレンジに輪郭をつけたラベンダー色の紫の陰を残しながら沈んでいった。

この色の推移は、バーチュアル・リアリティ(VR = 仮想現実)でもなく、オーグメンテッド・リアリティー(AR = 拡張現実)でもなく、ミックスト・リアリティー(MR = 複合現実)でもない。リアル・リアリティー(RR = 本当の現実)の光景だ。

そんな光景を、この物語の主人公、龍之介は改めて、とても綺麗なものとして感じ入っていた。「RR」という言葉は、このところ、龍之介が頻繁に使っている言葉だった。技術がどんなに進んでも、リアルなリアリティー、実在する現実に勝るものはないという考えからだ。

この、1年に数度見られるかどうかという西の空の光景に見惚(みと)れ始めたときには1人だった窓際も、気がつくと10人ほどの人だかりとなっていた。

オフィスルームは、100人ほどは仕事ができるコワーキングスペースのある大きな一部屋だ。データサイエンティストの龍之介が所属する団体以外の人々も、リモート勤務の傍(かたわ)らやってくる場所なのだが、今日はスペースのデスクのほとんどが空いていたと感じていたので、それだけの人が集まっていたことに、少しビックリした。

その人だかりのうちの1人が龍之介に声をかけた。同じ団体に所属する同じくデータサイエンティストで、2歳年下の渋井だ。

「龍之介さん。スゴく綺麗でしたね!見惚れてしまいました。」

「渋井くん。僕も全く同じことを考えていたんだよ。神秘的だったよね。まさに、『RR』だった!」

普通の自然の光景が、神秘的なものに思えることはよくあることだが、今日の光景はその度合いを越していた。

「龍之介さん。ホントにスゴくて、神秘的で、リアルにリアルだったんですけれど、夕焼けの色は科学的に説明できるんですよね。」

確かにそうだろうと思いながら、龍之介は渋井の言葉に耳を傾けた。

「太陽からの光が、西の空低いところを通ってくると、スペクトラムのうち波長の短い青色の光が大気中の障害物に衝突して、僕らの目には届きにくくなるんです。それで、波長の長い赤色の光しか届かない状況が生まれるんです。」

「それが『夕焼け』ってこと、かな?」

「そうなんです。レイリー散乱という現象で、青空がなぜ青いかもこの原理で説明できるんです。」

「なるほど。スゴイね。こどものときからの疑問を、渋井くんが短い説明で答えてくれて、僕はすっかり理解できたよ。それにしても、そういう現象を初めに解き明かしたレイリーさんという人もスゴイね。」

「あ、この『レイリー』って言うのは、発見者の第3代レイリー男爵ジョン・ウィリアム・ストラット、略してレイリー卿(Lord Rayleigh)から来ているんですけれど、そのレイリーっていうのはイギリスのエセックスの小さな町の名前で、その土地の名前に由来して父方の祖父母のときにレイリー男爵(Baron Rayleigh)になったようです。だから、『レイリーさん』と読んでいいのかは疑問です。」

一方的に捲(まく)し立てるように渋井が「レイリー男爵」に関するトリヴィアを龍之介にぶつけると、さらに渋井は捲し立てた。

「龍之介さんも僕も、PNEH(ピーネー)なので、こういう感じで喋り合わないとお互いの知識や考えを理解し合えないですけれど。でも、僕は、逆にこういう『喋り合い』は大好きなんです。だから、今日もオフィスルームに来たら、龍之介さんがいらっしゃって、なんだかとっても嬉しかったんです。」

学を衒(てら)う感じの、知識の一方的な押し付けはイヤだと思った龍之介も、自分の姿を見つけて「とっても嬉しかった」という渋井の存在はとっても嬉しかった。

「そうだ。渋井くんもPNEHなんだよね。」

確かめながら、龍之介は独り言のように呟いた。

PNEHとは、龍之介が所属する団体の使う団体内用語で、ピュアリー・ノン-エキップト・ヒューマン(purely non-equipped human)の略称だ。「純粋に装備されていないヒト」ということだが、侵襲的・非侵襲的に関わらず、また、どんな方法かに関わらず、なんのチップも埋め込まれたり、装備されたりしていない状態のヒトを意味している。

一方で、これも龍之介が所属する団体の使う用語だが、EH(イーエイチ。エキップト・ヒューマン)と呼ばれるヒトがいて、この人口のほうが、PNEHのそれより断然多い。

EH同士は、それぞれが持つ知識や、それぞれが考えていることなどを、その設定により、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)を通して共有し合える。そのため、例えば、夕焼けを見た感動くらいならば、言葉を介さずに、それをお互いに共有することができる。

「とっても嬉しく」なり、気分が良くなった龍之介に、渋井が語りかける。

「ところで、今日、帰りに僕のアパートでビールでも飲みませんか? 僕のアパートのブリュワリーで、これから、樽出しをする予定なんですけど。」

「『僕のアパートのブリュワリー』て、なに?」

「あ、僕が今住んでいるアパートは、ビールの醸造所が併設されている、ブリュワリー・アパートメントなんです。住民同士でビールのタンクを管理していて、ハーベスト・パーティーといって、年に何度かビールの樽出しを目的に飲み会をやっているんです。結構、人が集まるんですよ。フィジカルな出会いもありますよ!」

「あれ?渋井くん、以前、ワイナリー・アパートメントに住んでなかったっけ?」と、御年28歳の龍之介は尋ねた。

「あ、よく覚えてらっしゃいますね。飲むことと考えることが趣味なんで、一緒に趣味を追求できるアパートを転々としているかもしれません。その前はチーズ・アパートでしたから。」

「渋井くん。ゴメンね。僕、今週末から、というか明日からフィジカル・リーブを取って、2週間、この街を離れるんで、これから旅行社に行こうと思っているんだよね。どこに行くかは、まだ決まっていないけれど、7時くらいに閉まっちゃうんで、ちょっと急いでいる感じなんだ。」

「あぁ。対面のコンサルティング旅行サービスですね、仲通りにある。土日なんて、開けてくれませんし、早く行かないと、閉まっちゃいますよ。」

「じゃ、ゴメンね。」

そう言いながら、龍之介は、ジーンズのポケットに入れていたリモートスイッチのボタンを押し、渋井を含む人だかりをあとに残し、大部屋の出口に足早に歩いていった。

リモートスイッチのボタンを押すことによって、龍之介が今日使っていたコワーキングスペースのデスクのステータスは「使用中」から「空き」に変わり、デスクは、自動に消毒・清掃をおこない、次の使用者を待つ状態となった。

(続く)

<気の早い執筆後記>
この文章は、サイエンティフィック・デイドリーム(Scientific Daydream = 科学的白日夢)と銘打ちます。「空想科学小説」未満の妄想として書き進めていく、という意味で考えています。

連載の形で、1回につきだいたい2,000〜3,000字くらいで、週1回ないし2回、(当初は不定期ですが)定期的にアップデートしていく予定です。
執筆内容の修正などをおこなうこともありますが、その際には、「執筆後記」で、その旨、告知します。
また、ビジュアル(画像)も現在は「(仮)」の状態で、こちらには(告知なしで)修正を加えます。

これから、どうぞ、よろしくお願いします。

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