見出し画像

連載小説「出帆の時は来た」 第3回

龍之介は、ジーンズの左の前ポケットには、日頃使用しているコワーキングスペースのセキュリティーのリモートスイッチを、右の前ポケットには腕時計型のウエアブルデバイスを入れていた。「オールドファッションド」な彼には、身体に何かを装着することは、鬱陶しいことだった。

すでにこの週の営業を終えていた対面のコンサルティング旅行サービスが面している仲通りから、1ブロックほど移動して大通りに差し掛かると、龍之介は、その腕時計型ウエアブルデバイスをジーンズのポケットから取り出し、ロボタクシーの配車を、依頼した。

龍之介が呼んだロボタクシーは、流線型でカプセル剤の形状をした1人乗り地上自動運転車だ。PCなどを入れているバックパックを左の肩にかけた龍之介が大通りで深呼吸をひと呼吸すると、呼んでから30秒もかからず、ロボタクシーが龍之介の目の前に現れた。

龍之介が乗り込むと、目的地登録で頻繁に指定していた「自宅」をロボタクシーの自動音声がアナウンスする。車内カメラが龍之介の表情を読み取り、目的地を同意したとみなすと、ロボタクシーは走り始めた。

いつものコワーキングスペースに向かうときは、路面電車のような乗合の移動手段、LRT(ライトレール・トランジット)のコミュータートレインに乗っていく。帰りはたいていの場合、ロボタクシーを利用している。

この行き帰り、いわゆる通勤には、地上移動手段を使い、空中移動手段は滅多に利用しない。それほどの遠距離でないことと、複数の人数が乗車するロボタクシーは、呼ぶのに少し時間がかかることがあるからだった。数名での移動や遠距離への移動にはスカイタクシーを利用する。

広大なパレスの緑を右手に見ながらロボタクシーが進んでいくと、10分ほどで、自宅のあるアパートメントのビルディングの前に到着した。龍之介がロボタクシーを降りると、ジーンズの右の前ポケットのウエアラブルデバイスがチャリンと鳴って、ロボタクシーの代金の情報を伝える。

龍之介の帰宅を感知したアパートメントのエントランスでは、エントランスドアとエレベーターのドアが同時に開き、龍之介を迎え入れる。

自宅のアパートメントユニットがある5階に到着し、自宅のドアの前に立つと、ロックが自動に外れ、龍之介はドアを開いて中に入った。考えてみれば、コワーキングスペースから帰宅するまでの間、自宅のドアのみが手動ということになる。

1人住まいの自室のデスクの前に腰掛けると、すぐにバックパックからPCを取り出して、開いて起動する。

「明日 遠く 旅行」と検索をかけると、結果が戻ってくる。

一番上からではなく、検索結果の中ほどから内容をチェックした。

4番めの検索結果には、
「モスキートドローンで感じる旅の愉しみ」
との文字が見えた。

「『モスキートドローン旅行』って、最近流行しているVR旅行体験のことだね。」と龍之介が呟いた。

「モスキートドローン旅行」は、バーチュアル・リアリティ(VR = 仮想現実)で挙行される旅行体験のことだった。VR旅行の目的地である遠隔地の「現地」で、モスキート型ドローンを飛ばして、そのドローンが映してくる映像などを「地元」から楽しむ体験だ。

モスキートドローンは、「モスキート型」、と言ってもモスキート(蚊)の形状をしているわけではなく、蚊よりも小さいサイズで、「現地」では、2台1対を、VR旅行者の眼(身長から15cmほど下)の高さで、両眼の間隔の距離を保って、飛ばす。ドローンは、装備したカメラやスピーカー、各種センサーモジュールで感知し、映像や音響、気温や湿度、気圧や風力、匂いや二酸化炭素濃度などの周囲の情報を収集する。

収集された情報は、リアルタイムで「地元」のVR旅行者に伝達され、VR旅行者は、旅行先の「現地」に行かずとも、映像は立体的に、音響はステレオで、見たり聞いたりすることが出来る。

「地元」で歩けば歩くスピードで「現地」の景色が変わっていき、「現地」で風が吹けばその風を匂いとともに「地元」で感じることが出来る。「地元」で能動的に行動すれば、あたかも「現地」で能動的に行動しているかのように「現地」を「地元」で感じることが出来るのだ。

モスキートドローンの飛行路の先に障害物がある場合、その障害物に衝突しないように回避し、その間に収集された映像などは、元の飛行路で収集したもののように補正される。

あたかも「現地」にいるような体験を、「地元」にいながら五感で感じることができる「旅行」なので、移動時間は必要ない。そのため、流行のVR体験ではあったが、リアルタイムで情報の収集と伝達がなされるため、「地元」でも「現地」の時間で行動しなければならないというデメリットがあった。つまり、「地元」は昼でも「現地」は夜の場合がある。

この問題を解決するため、昼夜が逆転するような時差のある目的地の「モスキートドローン旅行」の場合、目的地に本来移動するための高速移動手段に席を用意し、「地元」の空港からモスキートドローンを乗せて、あたかもその高速移動手段に乗って旅行するような体験まで準備されていた。「移動時間」がかかるという新たなデメリットはあるが、気分を盛り上げる効果というメリットや移動手段に乗る時間が楽しいという人たちにとってのメリットはあった。

「でも、透明人間が行くような『旅行』だから現地の人とのインタラクションもないし。バーチュアル・リアリティーというよりも、僕に言わせれば、複製現実(デュプリケイテッド・リアリティー)だし。リアル・リアリティーじゃないから、これじゃないな。」
と、龍之介は、一番上の検索結果の内容を確認した。

一番上の検索結果には、
「今すぐ翔べます! 速くて安くて、心地良くて気楽 東亜旅行公社」
との惹句。

「『翔べます!』って、なんか、ダサい感じがするけど…。」

そう思いながらも、場所を確かめると、「東亜旅行公社」は、いつも行くコワーキングスペースから環状線で南に2つめの駅に近いところにある。この旅行社も、どうやら対面のコンサルティング旅行サービスのようだった。

検索結果をクリックして、「東亜旅行公社」のページを見てみたところ、窓口の予約の情報が出てきた。「ダサい」と思いつつも、相談する気持ちは湧いてきたので、今度は窓口でのミーティングの予約までしてみた。

「『明日午前11時にミーティングの予約完了です。旅の支度をしてご来訪ください。』か。」

先ほど午後7時前の検索すらしなかった自分から考えると、学習効果なのか、龍之介に大きな進歩を見ることが出来た。

「とりあえず、明日、どんな旅ができるのか相談に行ってみよう。」

龍之介はそう決めて、明日に備えた。

(続く)

<気の早い執筆後記>
この文章は、サイエンティフィック・デイドリーム(Scientific Daydream = 科学的白日夢)と銘打ちます。「空想科学小説」未満の妄想として書き進めていく、という意味で考えています。

2021年以降の何年か何十年先のある国が舞台の未来の小説ですが、場所や時代については、おいおい説明していきます。まだプロローグの段階です(このプロローグ的な状態はもう少し続きます)。まずは週1回の予定で更新していますが、だんだんペースを上げて更新することを考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?