連載小説「出帆の時は来た」 第2回
龍之介が後にしたオフィスルームは、いくつかの企業や団体がコワーキングスペースとして利用している大部屋で、普段は自宅で仕事をしている龍之介も、週に2日ほどは、気晴らしを兼ねて出勤している。
この日は、終業後、オフィスルーム近くにある対面のコンサルティング旅行サービスのリアル店舗に立ち寄ることをもう1つの目的として、出勤してきたようなものだった。
オフィスルームでは、使用者の好みに応じて、持参したラップトップPCやタブレットが使えるテーブルやデスク、天板がタッチスクリーンとなっていてスタイラスペンなどが使えるテーブルなど、オフィス技術の変遷が辿れるような調度が、数種類、整えられていた。
持参したラップトップPCやタブレットが使えるテーブルやデスクは、「オールドファッションド」なテーブルやデスクと呼ばれていたが、その「オールドファッションド」なテーブルやデスクも、3次元センサーを搭載したイメージプロジェクションを使用できた。
このイメージプロジェクションは、タッチスクリーンすら使わないインターフェイスを備えているものだったので、単なる木製の天板のテーブルでも新鋭のデジタルデバイスの一部分を構成しているとも言えた。
そのため、IDを兼ねたリモートスイッチを持参すれば、他は、まったく、手ぶらでも十分にオフィスルームの機能を利用できるのだった。
実は、技術的には、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)を装備したEH(イーエイチ。エキップト・ヒューマン)なヒトであれば、そんなリモートスイッチも必要ないのだが、このオフィスルームは、あえて、リモートスイッチを使用させている。
というのも、龍之介の時代では、一般的に、コワーキングスペースは、サブスクリプション・サービスの契約を締結していれば、全国津々浦々、いたる地域の店舗を自由に使用できる。主流はオープンで完全なフリーアドレス制なのだが、このコワーキングスペースは、セキュリティーなどの理由からクローズドを売り物にしていて、特定の部屋しか使えないなど、いろいろと制限をかけている。
このコワーキングスペースも、この点で、場所自体が「オールドファッションド」と言えるかもしれない。
龍之介は、そんな「オールドファッションド」なオフィスルームの「オールドファッションド」なデスクに、ラップトップPCやタブレットを持参して使用する「オールドファッションド」な使用者でもあった。既製ではなく自作したPCやタブレットを持ち込む、当世、少し変わった人物でもあった。
そして、龍之介が急いで向かう先の対面のコンサルティング旅行サービスも、オールドファッションドなビジネスだ。
この時代、旅行の計画と言えば、計画する前に提案が作成されていることと考えられている。旅行のプランを検索する瞬間、あるいはその前にすでに、最適な提案がなされ、その提案に従って、旅行することが一般的な旅行の概念だからだ。
そんな中で、自分の趣味や嗜好を自分で確認しながら旅行の計画を自ら立てることを好む人たちもいて、そのような人たち向けのサービスが対面のコンサルティング旅行サービスなのだ。
しかしながら、市場規模は非常に小さく、龍之介の使用するオフィスルームの近くに1軒あるが、次に近いのは、それこそ、地理的には比較的遠く、いわゆる旅行先と言える場所にしかないという状態だった。
予約もなしに飛び込みで来訪する客を受け入れるのも、この時代では珍しい。客はきちんと対応してもらえるかどうかの保証がなく、店舗もどんな客でどんな意向を持っているか分からない、というスリルを共に味わう形になる。
龍之介も、うろ覚えの閉店時間の午後7時に間に合うか、閉店時間に間に合ったとしてもその日の営業として受け付けてくれるか、そして何よりも、明日の土曜日出発で、納得できる旅程を組んでくれるか、そんなスリルを感じながら、店舗のある仲通りを急いだ。
息急き切って駆けて行き、2ブロック先の店舗の前に着いたとき、龍之介は気づいたのだが、閉店時間は午後6時30分だった。渋井くんと夕焼けを見ながら話をしているときには、すでに店舗はその日の営業を終えていたのであった。
「ちゃんと検索しろよ!」と、周りに人がいないことを確かめながら、自分を責めるように龍之介は声に出して自分に叫んだ。
「明日からの旅行を、検索に頼らなければいけないのか?」と、これは声に出さずに独り言ちた。
渋井が誘ってくれたアパートメント・ブリュワリーのハーベスト・パーティーに、いっそのこと、行っておけば良かったかもしれないし、これから参加しても間に合うかもしれないとも思ったが、「まずは帰宅して、作戦を練ろう!」と考え、龍之介は踵を返し、まずは帰宅のため、家路に向かうことにした。
(続く)
<気の早い執筆後記>
この文章は、サイエンティフィック・デイドリーム(Scientific Daydream = 科学的白日夢)と銘打ちます。「空想科学小説」未満の妄想として書き進めていく、という意味で考えています。
2021年以降のある国が舞台の未来の小説ですが、場所や時代については、おいおい説明していきます。まずは週1回の予定で更新していますが、だんだんペースを上げて更新することを考えています。