連載小説「出帆の時は来た」 第5回
「神坂さんがお望みの旅程や移動方法、それから一番大事だと思うんですが、旅行の目的地について提案いたします…」
萌音が、ビジネス優先と言わんばかりに、挨拶もそこそこに、プランの説明をせっかちに始めるのを、龍之介がさえぎった。
「あ、名刺をいただいたのですが、あいにく、僕、休日なので名刺を持ち合わせていないのですが。それから、もう少しゆっくりめにお願いします」
そもそも、名刺自体、「オールドファッションド」な龍之介でさえ、ここ数年、まったくもらったことがなかった。面会する相手のプロフィールは、データとしてもらうことはあっても、名刺のように物理的にもらうことはなかったということだ。
そのため、名刺を持ち合わせておらず、と言うよりも、名刺を作って持ち歩くということがないわけだが、龍之介はその辺をはぐらかすように萌音の言葉をさえぎりながら言うと、萌音は、当然そうだろうと理解しているように見える表情で、返した。
「いえ、神坂さんの情報はすでにいただいておりますので、まったくお気になさる必要はありませんよ。2022年水瓶座生まれの28歳。男性」
と、萌音は、まだ早口で自分の言葉を続けるが、
「あ、それから、すみません。神坂さんが、とってもお急ぎだとお聞きしておりましたので、わたくしも、説明を、急いで始めたんですが」
と言いかけるころに、やや反省口調で、ようやく緩やかなペースを修正した。
「いや急いでいるのは間違いないのですが、一刻一秒を争うほど急いでいるわけではないのです」
「わかりました。それでは『もう少しゆっくりめに』お話しいたします」
そう言いながら、萌音は応接スペースのソファーから立ち上がり、応接スペースのさらに奥の衝立の裏に、ゆっくりと、何かを取りに行くように歩いて行った。
3分ほど経って、萌音はペーパーカップに入れたコーヒーを2杯、持って帰ってきた。
コーヒーについては一言も言わず、
「ここでは乳製品と紙パルプ商品は使いたい放題ですから」
とだけ言って、萌音は龍之介にコーヒーを勧めた。
このミーティングの予約の際には、飲み物のことなど訊かれていなかったにもかかわらず、龍之介の嗜好が分かっているかのように、カフェオレ並みにホールミルクが注がれた(つがれた)コーヒーだった。
「僕のコーヒーの好みが分かるのですか?」
「なんとなく、カフェ・コン・レチェがお好きでいらっしゃる気がしたので」
「好きですが、大好きなのですが、なんで分かったのですか?」
質問されたのが聴こえていないわけはないのだが龍之介の質問には答えず、萌音のほうが質問をした。
「神坂さんは、昨晩、『PTA』にいらっしゃったけれども、閉店だったんですよね?」
「P・T・A?」
「昨晩、いらっしゃった対面のコンサルティング旅行サービスのことです。以前は『プライベート・ツーリズム・アドバイザーズ』という社名だったんですが、今は『PTA』という名前で営業しているんです」
「すみません。よく前を通るので昨日帰りに立ち寄ろうとしたお店だと思うのですが、お店の名前は気にしていなかったので、覚えていませんでした。確かに入口に『PTA』と書いてあったと思います」
「そこで、対面の旅行コンサルティングをお受けになりたかったということですね?」
「はい、そうです」と、龍之介。
「他社のことを悪く言うつもりはないんですが、あの会社は『アドバイザーズ』とは言ってますが、そんなに旅程のメニューはないんですよ。でも、おおかた、だいたい80%くらいだって聞いていますけど、そのくらいの割合で、客は自分にとって最適の提案を受けていると感じるらしいんです。だから、そんなに悪くはないみたいですけど」
「僕の友人も、その、『PTA』で相談して、南米に旅行していました、チリとアルゼンチンに」
「客にいくつか質問して、その応答からその客の意向を診断して、テイラーメイドで目的地やルートを提案するということですが、あれは全然テイラーメイドじゃないって話です。でも、対話があることに重きを置く客にとっては、そんなのはどうでも良いみたいですね」
「確かに、僕の友人も、相談を受ける前は行くつもりはなかったようですが、もともとチリやアルゼンチンには友達が住んでいるらしく、ちょうど良い提案だったと言っていました」
「金融機関でテイラーメイドのポートフォリオ提案だって言ってるのとおんなじなんですよ。テイラーメイドだって言ってても、リスク許容度とか投資目的とかで自動的に提案が決まっちゃうのって、実は全然テイラーメイドじゃないですよね。でも、レディメイドだったとしても、結果として、ほとんど投資家の意向にぴったりマッチしているということとおんなじで、フリーサイズ(one-size-fits-all)から始めて、そこからどう微調整(fine tuning)していくかということのようです」
「なんか、ワン・サイズ・フィッツ・オールな物差しを使って、ファインチューニングしてくるというのは、占いか怪しいコンサルタントか何かのようですね」
「旅行のプランなんか、いま、自動に提案を受けている人が多いから、人に頼んで立ててもらうことが大きな意味を持つんでしょう。怪しくても、そのやり取りが楽しければ良い。もっとも、旅行することが許されている人と、そうでないヒトとの違いもありますけど」と、萌音。
「念のために言いますけれど、僕は包括的な旅行の許可をもらっています」と、龍之介。
「ええ、承知してます。お仕事柄、絶対そうだろうとは思いましたが、一応、あらかじめ確認いたしました。フィジカルに旅をしたいということでよろしいですね?」
「はい」
と、龍之介が答えると、萌音は奥の衝立の向こうを手のひらで指し示しながら、
「弊社でもモスキートドローン旅行のサービスのご提供はしていますが」
と返した。
手のひらで指し示す先には、応接スペースのある部屋の奥にさらに2つ扉が並んであり、その一方、左側のほうがモスキートドローンの部屋のようだった。
「フィジカルトリップでお願いします。本当で真実で、リアルなインタラクションというか、現地での交流をしたいと思っているので」
「フィジカルでインタラクティブですね?」
「できれば今日から、1週間から10日間くらい、物理的に国外に出たいと思っていますが、オススメはありますか?」
「ええ。それでは、シドニーあたりの新しいカフェでスペシャルティコーヒーをお飲みになるなんて、いかがでしょう? 今日の午後にはたっぷりと牛乳を注いだ(ついだ)淹れたてのコーヒーを堪能できますよ」
「え、今日の午後?」と、怪訝な顔で龍之介。
「ええ、こことはそんなに時差がありませんから」と、事もなげに萌音。
「ハイパーループ(The Hyperloop)ですか? それとも、ストラトフェリック・フライト(stratospheric flight)ですか?」
「いえ、もっと早い『乗り物』です」と、萌音は、応接スペースの向こうの2つの扉の、もう一方、左側のほうを手のひらで指し示した。
(続く)
<気の早い執筆後記>
この文章は、サイエンティフィック・デイドリーム(Scientific Daydream = 科学的白日夢)と銘打ちます。「空想科学小説」未満の妄想として書き進めていく、という意味で考えています。
小説のタイトル「出帆の時は来た 〜 Long Distance Voyager 〜」に変更はありませんが、毎回のnote記事のタイトルは短縮版(「出帆の時は来た」)で表示します(以前のnote記事のタイトルも2021年4月7日に短縮版に修正しました)。
2021年以降の何年か何十年先(今回、年代が特定されました)のある国が舞台の未来の小説ですが、場所や時代については、おいおい説明していきます。まだプロローグの段階です(このプロローグ的な状態はもう少し続きます)。
4月に入った段階で、週2回の更新で、少しペースを上げる予定でいます。また、それに合わせて、以前に書いた文章に、描写などをもう少し追加するつもりです。