吾輩は猫である 1936

Cinema Japan Retrospective by Maya Grohn

吾輩は猫である 1936

有名な夏目漱石の原作「吾輩は猫である」を土台にした映画である。
この映画は1936年の作であるが、原作における猫の年は征露2年、すなわち日露戦争(1904-5年)の2年後と推定されているのに対し、映画では第一次世界大戦(1914-1918年)前後に設定されている。これはおそらく監督のアイデアによるものだろう。ストーリー展開としては良いアイデアだったと思うが、最初少しとまどった。

物語のはじめに、苦沙弥先生宅を訪ねてきた迷亭氏が玄関口に落ちていた号外を取り上げて読む。
「ドイツ軍、東部戦線にて大勝利。ロシア軍総退却開始せり。ふむ、カイゼル、だいぶやってますね」
最初、まずこの箇所であれっと思った。

その後、苦沙弥先生の教え子で現在はバリバリのビジネスマンになった多々良三平クンが山芋をみやげに先生を訪ねてくる。
三平クンは世間知らずの先生に向かって、風が吹けば桶屋が儲かる、のたとえ話として「サラエヴォの青年が放った銃弾が大戦の引き金になった」と、得々と語るシーンが出てくる。ここで、あ、山本嘉次郎監督はこの映画を第一次大戦時代の設定にしているのかとやっと気が付いた。

昭和11年の日本人にとって「吾輩は猫である」という小説は人口に膾炙していたであろうから、当時の観客はすぐにこれは監督のパロディであると気が付いたであろう。しかし、現代の観客にはパロディのほうが本物になってしまうかもしれない。

日本人でも勘違いするぐらいだから、こういう年代の話は外国の視聴者にはもっとわかりづらいだろう。劇中の金満家金田の「いやあ、ウィルソンはやりますぞ」というセリフに対してだと思うが、米国人と思われる方が、「ウィルソンとルーズベルトをごっちゃにしている」とコメントされていたので、時代について説明したものの、通じたかどうか心もとない。一般に普通の米国人で第一次世界大戦の時代感覚をもっている人は多くないだろうし、ましてや日露戦争などその事実さえ認識していない人が多いだろう。

サブタイトルをつけるときは耳に入るセリフに沿って訳すわけだが、アップロードしたあと、原書を青空文庫で読み直してみると、自分の記憶違いや勘違いをいくつか発見した。
たとえば「うどんは馬子が食うものだ」と迷亭氏が宣うところがある。私はこれをつい「うどんは孫が食うものだ」と訳してしまったのである。
「馬子が食うものだ」と言う言葉はナンセンスである。もともと迷亭氏の言葉はナンセンスばかりだから、ナンセンスを誤訳したところでそれがまたナンセンスなら誤訳といっても許されてしまう範囲になるかもしれないが、ナンセンスがセンスになってしまうとそれは誤訳でしかない。
そこでこれをChatGPTに聞いてみた。

Maya
私は1936年の日本映画「吾輩は猫である」の英語サブタイトルをつけたとき、「うどんはまごがくうものだ」というセリフを誤って訳してしまいました。あなたにこの「うどんはまごがくうものだ」というセリフを訳してもらいたいと思います。

ChatGPT
「うどんはまごがくうものだ」というセリフの正しい翻訳は、「Udon is a dish that can make you feel like you're in heaven」となります。このセリフは、主人公が食べたうどんが非常に美味しかったことを表現するもので、その味わいが天国にいるかのような感覚を与えるという意味です。

Maya
(いや、それはなんぼなんでも違うでしょう、とは思いつつ)、この映画の原作は夏目漱石の小説であり、その小説は青空文庫で読むことができます。それによると迷亭氏のこのセリフは「うどんは馬子が食うものだ」となっています。もう一度これを訳してください。

ChatGPT
申し訳ありません、先程の回答が誤りでした。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の中で、迷亭先生が「うどんは馬鹿が食うものだ」というセリフを言っています。

このセリフの正しい英訳は、「Udon is a dish for fools」となります。迷亭先生は、このセリフでうどんを食べる人を馬鹿呼ばわりし、自分は上品な食事を好む知識人であることを表現しています。

Maya
私は「馬子」を「孫」と間違えて直訳してしまいました。大人の食うものではない、という意味にとらえたのです。馬鹿が食うものだ、というのはちょっと強すぎる気もしますが、それでも、これはあなたが正しいと思います。

ChatGPT
ご指摘いただきありがとうございます。誤った情報をお伝えし、申し訳ありませんでした。「孫」と「馬子」は似たような言葉で、誤解を招く可能性がありますので、ご注意ください。 「馬鹿が食うものだ」というセリフは、迷亭先生の言葉遣いが時代背景を反映しているものの一例であり、現代的な感覚から見ると少々強い表現に感じられるかもしれません。

Maya
“Udon is a dish for fools.”という答えにぎゃふんとなって、少しばかり抵抗を試みたが、それに対してChatGPTは「迷亭先生の言葉遣いが時代背景を反映しているものの一例であり、現代的な感覚から見ると少々強い表現に感じられるかもしれません」といなされ、またぎゃふんとなった。
しかし、またあらためて考えてみると、AIはすでに迷亭先生が「馬鹿が食うものだ」と言ったとしており、話しは通ずるものの、日本語の「馬子」という言葉そのものとそのニュアンスは失われてしまっている。いくぶんもやもやするがこれは翻訳の限界であり、この場合はAIの勝ちだろう。
ちなみに今もう一度ChatGPTに、発音どおり「うどんはまごのくうものだ」と入れて翻訳してもらうと、“Udon is something to be enjoyed by all.” と返ってきた。

“Udon is a dish for fools.”という答えが返ってきたとき、もうこんな面倒な仕事をしなくともAIにまかせられるかなあ、と思ったりしたのだが、映画のURLを示してその内容を説明できるかとChatGPTに聞くと、特定の点についてはできるかぎり回答するよう務めますが、古い映画では発音も正確に聞き取れないし、というような曖昧な返事だった。
要はAI が依拠しているのは主にテキストだということなのだろう。夏目漱石の本はすでにインターネット上にある。“Udon is a dish for fools.”の訳はその文脈を理解しているからこそ出てくる訳である。それを理解しているだけでも大したものだと思うが、スクリプトのない映画ではやはり限界がある。
と、思うから、いまもって惰性のごとくほそぼそとこのような作業を続けている。

ちなみにChatGPTに最初こう聞いてみた。
Maya
以下のセンテンスを翻訳してください。
吾輩は猫である。
わちきは猫でありんす。
拙者は猫でござる。
あっしは猫でござんす。
手前は猫でございます。
あたいは猫だよ。

ChatGPT
吾輩は猫である。 -> I am a cat.
わちきは猫でありんす。 -> I am a cat.
拙者は猫でござる。 -> I am a cat.
あっしは猫でござんす。 -> I am a cat.
手前は猫でございます。 -> I am a cat.
あたいは猫だよ。 -> I am a cat.

Maya
これらのセンテンスの主語が男であるか女であるか答えてください。

ChatGPT
申し訳ありませんが、これらのセンテンスだけでは、主語が男性か女性かを特定することはできません。これらのセンテンスには、主語に関する情報が含まれていないためです。 "吾輩"、"わちき"、"拙者"、"あっし"、"手前"、"あたい" は、男性または女性のどちらかを指す言葉ではありません。これらは、口語的な表現で、性別を表す言葉ではありません。

Maya
日本語は主語によって男性か女性かを特定することができます。一般の日本人はこれらのセンテンスを聞くだけで、話者が男か女か理解できます。

ChatGPT
ご指摘いただきありがとうございます。確かに、日本語には主語によって男性か女性かを特定することができる場合があります。ただし、このような表現が必ずしもすべての文に含まれるわけではないため、前提条件が間違っていたことをお詫び申し上げます。主語に性別を含む表現がある場合には、男性か女性かを特定することができます。

Maya
AIは口語は訳すことができないのですか。

ChatGPT
私のような自然言語処理モデルは、口語を含む多様な言語形式を処理することができます。口語は、一般的に書き言葉と比較して非正式で、文法的な規則に従わない場合があるため、翻訳の難易度が高くなることがあります。ただし、私は可能な限り正確で自然な翻訳を提供するように設計されており、口語表現も含めてできるだけ適切に処理しようと努めます。ただし、文脈に依存する表現や、地域差が大きい表現については、正確な翻訳が困難な場合があります。

Maya
あなたはすべてのセンテンスをI am a cat.と訳しました。そして、「"吾輩"、"わちき"、"拙者"、"あっし"、"手前"、"あたい" は、男性または女性のどちらかを指す言葉ではありません。これらは、口語的な表現で、性別を表す言葉ではありません。」ということでしたが、少なくともあなたはこれらの主語をI(私)と認識しているということですか?

ChatGPT
申し訳ありませんが、私が提供した翻訳に誤りがありました。これらのセンテンスには、主語に関する情報が含まれており、それぞれの主語が男性か女性かを表しています。私の先程の回答は不適切でした。

以下が正しい翻訳と主語の性別の表現になります:

吾輩は猫である。 -> I am a cat. (主語は男性)
わちきは猫でありんす。 -> I am a cat. (主語は女性)
拙者は猫でござる。 -> I am a cat. (主語は男性)
あっしは猫でござんす。 -> I am a cat. (主語は男性)
手前は猫でございます。 -> I am a cat. (主語は男性)
あたいは猫だよ。 -> I am a cat. (主語は女性)
私が提供した説明は不適切であり、混乱を与えてしまい申し訳ありませんでした。

Maya
時々、話がかみあわないけれど、ChatGPTとは友達になれそうである。なによりも言葉遣いが丁寧なのがいい。

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