Cinema Japan Retrospective

はじめに

阿羅健一著 「南京事件 日本人48人の証言」

私はこのYouTubeのCinema Japan Retrospectiveのチャンネルを立ち上げる前に阿羅健一氏によって編纂された「南京事件 - 日本人48人の証言」を英訳した。これは南京城が陥落した1937年12月13日当日およびその前後の期間に現場にいた人々の証言集である。

The Nanjing Incident: Japanese Eyewitness Accounts -Testimony from 48 Japanese Who Were There-
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第二次世界大戦後に開かれた東京裁判(極東国際軍事裁判 International Military Tribunal for the Far East ;1946年5月3日開廷、1948年11月12日刑の宣告)においていわゆる南京事件なるものが取り上げられ、松井石根大将はその罪を問われて絞首刑に処せられた。南京事件を調べるときはまずこの東京裁判の記録に目を通していただきたい。そこで虐殺の根拠として示された資料(たった一台の車で1938年4月のひと月で十万余りの死体を埋葬したという崇善堂の記録)はとても信頼に足るものとは思われない。

しかし、当時、日本は敗戦直後であり、人々は日々の糧をいかに確保するかに忙殺され、東京裁判についてもまたこの罪状の当否についても顧みる余裕はなかった。

戦後40年近く経たころにあらたにこの事件が取りざたされるようになり、それに疑問をもった阿羅氏はまだ生存されていた関係者の方々を訪ね、当時の様子を直接聞いてみようと思い立った。すでに鬼籍に入られた方も多く、氏の行動はぎりぎり間に合ったといえる。

阿羅氏がリストアップした方々は一般人ではなく、みなそれぞれ軍の行動を間近に捉えることのできる立場におられた方々であり、そこにはジャーナリストも含まれる。なにしろこの南京戦では各新聞社からぞくぞくと記者が派遣され、その数はじつに200人にも及んだという。
後で知って驚いたが、報道記者のみならず、作家や画家など、当チャンネルで紹介している「泣き虫小僧」や「放浪記」の原作者である林芙美子、そして「花つみ日記」「お絹と番頭」の吉屋信子など著名な女性作家らも積極的に参加していた。

なんの予備知識もないまま最初にこの証言集を一読したときは、まず次々と出てくる夥しい人名に圧倒されてしまった。また一読ぐらいでは証言者の置かれていたそれぞれの状況が十分に理解できず、何十万とされる市民の虐殺など誰も見ていないということはわかったものの、読後の印象としては、あふれかえる情報量に困惑したとしかいいようがない始末だった。

証言者はみなそれぞれ南京でも異なった場所、時、状況にあった。また異なった観点ももっているところから、当然のことながら本書にはひとつの物語としての整合性はない。ひとりひとりの話があるだけである。ある人の証言はある人の証言とつながることもあるし、時には相反することもある。

ただ、困惑しながらも、おそらく著者も意図せぬところで、私はこの本に惹きつけられた。そして何度も読み返した。読み返すたびに、南京城陥落当時の詳細とともに、折にふれ言及される軍の人間関係、あるいは軍票、法幣、伝単、通信筒、さらには新聞各社の競争など、戦時ならではの具体的な名称や事細かい事柄が頭になじんでくるようになり、それにつれて面白さが倍増していった。ここには当時の人々の生き生きとした姿があったのである。

何度か繰り返し読んだあと、翻訳に入っていった。翻訳は一語一語をたどる作業であり、じっくりと文章を追っていくと単に読むだけのときの速度では決して消化できないエピソードを多々発見する。
たとえば野砲兵第22連隊長三国直福大佐の証言の中に、「2.26事件のとき、私は戒厳司令部の参謀で、この後、中島閣下は憲兵司令官でした。そのとき宇垣首班阻止に中島さんが行っています」などとさらりと口にしている。それは当時を知る人々にとっては知っているのが当たり前の事実であったのだろうが、現代の読者にとってはただ一行の文章にすぎない。
だが、なんのことかとあらためて調べてみると、それは、組閣を阻止するために、宇垣一成大将の車を止め、乗り込んでその脇腹に銃口を突き付けたというドラマのような話。当時の軍内の争いには激烈なものがあった。2.26事件は当時においてはまだ前年の出来事だったのである。 私は、当時一兵卒だった落語家の柳家小さん師匠が、わけもわからぬままこの乱に駆り出され、あたふたした、という話しを聞いたことがある。

さて、日本軍が南京城を陥落させたのは昭和12年(1937年)12月13日。読むときは常にこの時間軸を押さえておいてほしい。

最初に登場するのは朝日新聞社の山本治氏。中国語に堪能な方だったようだ。氏は盧溝橋事件(1937年7月7日)前に南京支局で勤務していた。ということは日支が衝突する前にすでに南京には少なくとも朝日新聞の支局があったということがわかる。
といっても、昭和10年に南京に駐在し蒋介石の50歳の誕生日のお祝いに居合わせたという企画院事務官、岡田芳政氏によれば、政治の主要舞台はなんといっても上海で、上海の華やかさと比べると南京はまだ何も整っておらず、蒋介石の幹部たちも週末はいつも上海で過ごしていたという。
岡田氏は南京陥落後の12月23日に南京を訪れ、以前自分が住んでいた家に行ってみるとそのあたりはのどかな風景だったという。すぐそばに避難民を保護していた金陵大学があり、訪ねていくと顔見知りの門番がにこにこして迎えてくれたとのこと。難民区のアクセスは厳しく制限されており、ある記者は写真を撮ろうとして警護の日本兵に厳しく止められたと証言しているが、門番と顔見知りであった岡田氏は問題なく通れたらしい。それは戦いの前には日本人もごく普通に南京で暮らしていたということであって、この時代は日常の生活の合間に戦争があることが市民にとっても普通であった。
新聞社の下働きをするようになった中国人夫婦も、戦争に備えて米を蓄え、紙幣は服の裏に縫いつけて難民区に入った、と証言している。

さて、1937年8月15日には日本軍と国民軍との衝突が不可避となり山本氏もいよいよ南京を離れざるを得なくなった。本来なら上海に戻りたいところだが国民党の中央軍が次々と北上してきていてもはや上海への脱出は不可能だった。山本氏をはじめ最後まで南京に残っていた数十人の日本人は列車で済南を経由し青島に脱出した。列車は胸に蒋介石の写真をつけた蒋介石直系の兵隊の監視下におかれていた。列車の窓は板で覆われ36時間ものあいだ車外の様子を見ることができなかったという。敵の兵隊の指揮下において脱出するというのも不安であったろうが、この兵隊たちは蒋介石の精鋭部隊だったようだから規律は守られていただろう。
彼らはアメリカ映画「The Sand Pebbles ―砲艦サン・パブロ(San Pavlo)」に登場するチョーイェンのように蒋介石を神とするような忠実な兵士だったのかもしれない。

ついでながら、48人の証言者のひとり砲艦勢多の艦長、寺崎隆治少佐が「烏龍山の手前には閉塞線ができていました。この閉塞線というのは12隻ほどの船をワイヤーでつないで沈めたものです。勢多は爆破隊を護衛しワイヤーを爆破切断し、13日の午前3時に水路を啓開しました」と、語っているが、まさにその繋がれた船の様子をこの映画「砲艦サン・パブロ」で見ることができる。大河を抱える中国では軍事作戦として常套の手段だったのだろう。このワイヤーというのは竹だったという話も聞く。竹というのは使い方によってはかなり強力な材料になるらしい。

本書には、その他にも数えきれないほど戦争中のエピソードが、時にはひとつの単語あるいはセンテンスによって無造作に触れられている。それらのエピソードはひとりひとりが実際に体験し感じた事柄であり、各人の立場によっては司令官の評価などもまったく異なっている。
また、遠い昔のことゆえ、時には勘違いすることもある。
たとえばカメラマンの二村氏は「あなたはどこの部隊を追って行きましたか」と聞かれ、「上海を出発したところ第六師団の第47連隊と一緒になりました。私は大分生まれですが、この連隊も大分からだったのでそのままついていくことにしました」と答えた。それに対し阿羅氏は「第47連隊はコレラが発生し、しばらく嘉善にとどまっていますが」と正すと、「そうでしたか。コレラの記憶はないので、では一緒になったのはその後でしょう」と、素直に訂正している。
阿羅氏は当時の軍の行動をじつに綿密に追っており、だからこそこのようなチェックも可能だったのであろう。

証言者の方々は陥落日前後のそれぞれの位置や立場から状況を語っているが、東京日日新聞社の金沢喜雄カメラマンの話はいよいよ戦闘が始まろうとするまさにその瞬間の模様を伝えている。
「12月9日払暁、朝もやの中に南京城の大きな城壁がぼんやり見えました。あたり一面はシーンと静まり返っていました。真ん中に門がありそれが光華門でした。光華門から大きい道路がわれわれのいるほうに伸びていました。しばらくするとその道路脇の街灯が一斉につきました。中国兵は門の中で日本兵を待ち構えており、日本兵の姿が見えたので街灯をつけたのです。」

とつぜん一斉に街灯がつくところなどそのまま映画のシーンになりそうであるが、その街灯の点灯とともに攻撃が始まっていく。動画にはその戦闘光景も撮影されている。金沢氏が追っていた脇坂連隊長らの部隊は、光華門から600メートルほど離れた防空学校に入り、金沢氏も後を追う(図参照)。

松井大将の側近であった軍司令官付き岡田尚氏によれば、12月8日、軍司令部が蘇州にあったとき、岡田氏は松井大将発案の降伏勧告文を中国語に翻訳し、それは9日、南京城内にばらまかれた。その後、まだ紫金山で戦闘が行われている最中に、岡田氏と塚田参謀長ら4人は中山門に行って軍使を待っていたが、返答指定時間とされた10日の正午を過ぎてもけっきょく軍使は現れなかった。
氏は自らを中国びいきだと認めた上で、南京戦で降伏を拒否した蒋介石を批判している。岡田氏に言わせれば、「日露戦争の時の旅順攻略ではステッセルが乃木大将に降伏している。日露戦争は旅順陥落で終わったわけでなくその後も続く。南京でも南京の一局面だけ降伏していい訳だ」。

当チャンネルの映画「乞食大将(1945)」の中で後藤又兵衛がいうように、「勝敗は時の運。勝つときもあれば負けることもある。負ける度に頭を剃っていたら髪の伸びる暇もござらん」というセリフを思い出せば、この岡田氏の言も納得するところがあろう。これは戦国時代から日本人がよく口にする言葉であった。

松井大将は国民党軍の降伏拒否という報告を岡田氏から受け、非常に落胆したという。そして戦闘は続き、13日に南京は陥落する。ちなみに蒋介石は日本の陸軍士官学校で学んでおり、松井大将は蒋介石と親しい間柄であった。この時代、中国人にしろ朝鮮人にしろ将来の有望な指導者たちが日本の陸軍士官学校で学んでいたという事実をみただけでも日本の対外政策は欧米の植民地政策とは質が違うことがわかる。

南京戦で注目すべきは、南京戦に参加した軍は、非常にタイトなスケジュールであったということだ。後に画家の住谷氏に指摘されるように、南京戦は上海戦の帰結であって、当時の軍人の多くは南京戦より上海戦のほうが強烈に記憶に刻みこまれていた。そして、戦後南京事件なるものが話題になったとき、従軍した人々の中には、あのあわただしい状況の中で虐殺などする時間などあり得ないという意味できょとんとするほど南京戦の記憶自体が薄れてしまっている人もいたらしい。
実際、南京戦と比べると上海戦では日本人の戦死者もかなりの数にのぼっているのである。当チャンネルの映画「土と兵隊(1939)」や「西住戦車長傳(1940)」などを見ればその感じが多少ともつかめるだろう。上原謙扮する西住戦車長は偶然再会した戦友に「また南京でお会いしましょう」とあわただしく声をかけあっている。
そのように、軍は上海戦での戦死者を弔う暇もなく夜間も行軍しながら南京へと向かっていったのである。その上海戦に比べれば、南京戦は、南京行きの行進こそ馬でさえくたびれ果てて眠りこけるほど過酷ではあったが、ほぼ作戦通り順調に進んだという記憶しか残っておらず、市民の虐殺など、どの段階でもあり得ないという。

そして陥落後、南京の警護を打診された第9師団の参謀長中川広大佐は、「自分は上海に引き返して戦場掃除(戦死者の骨上げ)をしたい」といってその任を辞退し、南京は上海派遣軍16師団にまかされた。その他の一般の兵士は城内に入ることも制限されており、第十軍はもう12月18日には杭州攻略のために反転し、中支那方面軍も12月22日に江南全体を把握するために上海に戻っている。

すぐに転進していった軍と別れ、南京に残って南京の警備を担うこととなった上海派遣軍の大西一大尉は、この間、南京の町の復興実務に携わり日々走り回っていたという。ときには、ひとりの中国人が「日本兵が自分の家を壊している」との訴えで、行ってみるとその通りだったのでとりあえず日本兵に作業を中止するよう命じた。しかし、調べてみるとそれは谷田勇大佐の命令で、上海からの軍需品を南京駅周辺に積まねばならないため駅周辺の家を取り壊す必要があったということがわかった。南京ではとにかく物資がなく、新聞記者たちですら食べ物に苦労し「こうと知っていたら上海からもっと食糧をもってくるべきだった」と語っているぐらいだから、物資の確保は最優先すべき問題だったのだろう。大西氏はやむなく家を壊された中国人のために城外にバラックを建てたという。このあわただしい復興の様子は動画でも見ることができる。

繰り返すが、これらの記述はすべて1937年12月13日の陥落前から1938年にかけて実際に南京を自らの目で見た人々のものである。

そして筆者はどの証言者に対しても1937年12月17日の入城式のことを尋ねている。当初私はなぜ阿羅氏が繰り返しこの入城式のことを聞いているのかいぶかしく感じた。しかし訳し終えたときにはその意味がわかるようになった。

カメラマンは入城式の写真を撮るために入城式の前日の夜から城壁にかける梯子を用意し、どの角度が一番効果的かと下調べをしていたそうだが、動画を見ればわかるように入城式そのものはじつに簡素なものであった。橋本登美三郎氏などは記憶にもなかったぐらいである。
しかし、これはインタビュー時に証言者の記憶をたどる時間軸であると同時に、当時においては南京の市民に対する平和的入城式は絶対に必要なものであった。

はたして、その入城式が終わってしばらくするとあちこちから市民たちがわらわらと出てきた。無線技士の細谷氏は、いったいこれだけの人々がどこに隠れていたのだろうとあっけにとられたと語っている。

南京陥落直後に城内に入った人々はみな一様に、城内が比較的静かであり、城壁には縄のようなものが無数に垂れ下がっていたのが印象的だったと語っている。動画でも見られるが、それは軍服を脱ぎ捨てて、ゲートル等を紐にしてあわてて城内から逃げ去った中国兵のなごりであった。日本軍が攻撃したときには、すでに蒋介石はじめ最高司令官だった唐生智ですら南京から逃げ去っていた。

現代の人々は中国共産党が主張する一方的な南京事件を鵜呑みにし、当時日本軍が戦っていたのは国民党軍であるということすら理解していない人が多い。共産党軍にしろ国民党軍にしろ、彼らは自らの国民を守ろうとしていたのか、ということを考えてほしい。日本軍が入城したとき、金持ちたちはすでに上海等に避難し、そして蒋介石をはじめ司令官の唐生智すら逃げ去り、城内に残っていたのは他に行き場のない人々だけだったのである。
共産党軍と国民党軍はのちに日本に対して国共合作という作戦をとるが、それ以前は対立しており、また第二次世界大戦後はその対立は再び激化し、共産党率いる現在の中華人民共和国が覇権を握るまで激しい戦闘を繰り返していたのである。
現在、1937年当時の日本軍と蒋介石軍との戦いで、まるで共産党軍があたかも当時の南京市民たちの保護者であったかのように南京事件をとりあげるのはまるで辻褄が合わない。

記録映画「南京」は、これがどこでどのように保管されていたのか知らないが、私はこの本を訳し終わってからはじめてこの映画を見た。訳す前はこの映画の存在さえ知らなかったのだが、これを見たとき私はデジャヴのような感覚を味わった。何か月も自分がこれら48人の方々と共にしていたので、この映画の風景がすべて手にとるようにわかるのである。
ビデオには正月用品の荷揚げ風景も写されているが、証言集の中で、ある記者はひとりのクーリーが酒樽を落とすところを目撃し、「やっこさん、あとでこっぴどく怒られるだろうな、と思った」と話している。

また城外で駐留していた第二連合航空隊参謀、源田実少佐の「昭和13年の正月は南京で静かに迎えました」という言葉があるが、それは、中国人の子供たちが爆竹を楽しんでいるビデオの正月風景と一致する。
個人的には私はこのビデオでは積み荷に記されている「ノシ餅」「するめ」「刻み昆布」「昭和十二年」などの印字が印象に残った。その木箱の印字にまさにその時代を感じとったのである。

ここで、朝香宮殿下(1887-1981)について。殿下がCCPの主張するいわゆる虐殺に関わっていたかのような映画が海外で作られているようなので、ひとこと言っておきたい。
48人の証言者の中で何人か殿下について触れている。

上海派遣軍参謀、大西一大尉:
「南京攻略が間近に迫っていたとき、軍司令部は湯水鎮にあり、窪地の石造小屋を司令部にしていた。句容にいた自分は11日に司令部に呼び戻された。そこで周りの山から大勢の中国兵に囲まれた。なんとしても宮様をお守りしなければならないと、みな死を覚悟した。」
危機一髪だったそのとき、敦賀の連隊長が大隊を指揮して現れ、事なきを得たという。当時の戦争映画には現実の戦闘フィルムを使っていると思われる場面がしばしば見られるが、戦闘中に友軍がかけつけてくれた時の喜びは身に染みるものがあったろう。

同盟通信、新井正義記者によれば、「13日か14日だと思うが、郊外にあった軍司令部で宮様がやられたと聞いてあわてて取材に行った。車で40分ぐらいかかったと思う。宮様は、ゆうべえらい目にあいました、と、おっしゃっていた。」とのこと。
これは前述の大西大尉が話していた11日の襲撃のことであろう。新井氏は陥落後にそのニュースを聞いて急いで取材に出かけたらしい。殿下の「ゆうべえらい目にあいました」というどこかおどけた物言いは、京都の部隊を追っていたひとりの新聞記者が野営中、きゅうにあたりが赤くなって目をこすっているとひとりの兵隊から「起きんと焼けまっせ」と声をかけられた、というエピソードとよく似ている。
文字だけ聞くとのんびりした言葉に聞こえるが、生死にかかわる状況の中で発せられた言葉だと思うと妙な臨場感がある。

入城式の翌日、12月18日には、日中双方の全戦死者の慰霊祭が行われた。松本重治氏の「上海時代」によると松井大将は朝香宮軍司令官以下をお叱りになったという。松井大将は折に触れ、軍紀についていましめていた。また第三国の権益について配慮するよう徹底していた。ここで注目すべきは朝香宮軍司令官も松井大将のお叱りの言葉を受ける立場にあったということだ。
48人の証言者の中で、中支那方面軍参謀、吉川猛少佐は、「庶務参謀をしていたとき松井大将に呼びつけられ、味方の死体だけ丁重に扱い敵兵の死体をうち捨てておくとは何事か、といってこっぴどく叱られた。松井閣下はそういうお方でした。」と語っている。皮肉にも、敵兵の死体の扱い方がぞんざいだと叱責したその松井大将が、戦闘時の犠牲者を虐殺とされそれを唯一の訴因として処刑されたのである。

朝香宮殿下は登山がお好きであったようだ。ネットのフリー図書館、青空文庫に小暮理太郎の「朝香宮殿下に侍して南アルプスの旅」(1923)という短いエッセイがある。ふと手にした本であったが、山の情景描写が清々しく思わず最後まで一気に読んでしまった。登頂の成功を知らせるために伝書バトを放った、というのも時代を感じさせる。朝香宮殿下はこの登山を非常に楽しまれたようで、いっぽう筆者は殿下の御健脚ぶりに驚嘆している。
殿下としては最初から歩いていくおつもりだったようだが、地元の人が馬を用意していたので断るのも気の毒と思われたか、ふもとまで馬を使われたとのこと。高貴な方々にいろいろ献上したがる人は多いようで、筆者も、そういえば先日殿下に熊の子を献上したいと言っていた人がいたことを思い出した。で、殿下に「あの熊の子の話はどうなさいましたか」とお尋ねすると、「あれは断りました」というご返事。ご賢明であろう。そんなもの、もらっても。

登山口には地元の人々がひと目殿下のお姿を拝見しようと大勢集まっていたそうだ。
何時の世も人は物珍しいことに飛びつく。ましてやこの当時、片田舎で高貴なお方を垣間見るチャンスがあるとすれば後々までも語り草になったことだろう。
このエッセイの初出は「中学生」という雑誌だったようで、昔の中学生はこういう文に触れていたのかと思うと感慨深い。

もうひとつ、日本人の当時の意識を示す一つの例として、同じように軍事裁判において南京戦で100人斬りを行ったとして処刑された二人の軍人の名をあげておこう。この野田、向井の両軍人は、ふたりでどちらが早く百人斬りを達成できるか競争したという戦時中の与太話を面白おかしく新聞記事に仕立て上げられた。戦後、東京裁判において、ふたりはその新聞記事を唯一の根拠として罪に問われたあげく、中国に引き渡され処刑された。
記者であった証言者のひとりによると、新聞記者たちは戦場に行くときしばしば当時の人気タバコだったルビークインをリュックの隙間に詰め込んでいったという。そのルビークインをまあ一本と勧められて記者に促されたかどうかわからないが、いずれにしろお二人がそのような話しをしてしまったことは確かであろう。
お二人は自らの軽率な言動を認めた上で、死を受け入れられた。ただ、市民を殺害したとされることについては断固として抗議した。
その上で、自らの死が日中友好の妨げとなることだけは避けてほしいと繰り返し訴えながら処刑されたのである。
「中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」
それはまさに血の叫びであった。裁判の不当性に憤りつつ、最後の瞬間に中国万歳と言える日本軍人がいたことを覚えておいてほしい。

当時の日本人の規範として、「いいわけ」することを潔しとしなかった。
ひょっとしてGHQにとってはこれが不可思議だったのではないか。
負けたんだから仕様がない。ともあれ天皇陛下はご無事だった。あとは何を言われても仕方ない。それが当時の日本人の思いだった気がする。
GHQは日本人が「負け」を「受け入れた」ということを理解できず、日本軍に対する恐れからか占領時には日本主義的なものをことごとく抹殺しようとした。多くの古書古典が破壊され、これらの映画も再び鑑賞できるようになるまでに70年かかったが、それでもこちらは残っていただけでもよしとすべきだろう。

以下、野田、向井、両氏が残した遺書である。両氏は一介の将校にすぎなかったけれど、その気概は手錠腰縄の不自由な姿のまま毅然として「天皇陛下万歳」を発し、従容として巣鴨プリズンで死についた総司令官たちとなんら変わるところはない。

一 日本国民に告ぐ
 私は嘗て新聞紙上に向井敏明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以って世の中をお髄がし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。『馬鹿野郎』と罵倒嘲笑されても甘受致します。
 只、今般中国の裁判に於いて俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定されましたことに就いては私は断乎無実を叫ぶものであります。
再言します。私は南京において百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。
 たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個ぐらい日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以って今後中日間に怨みや仇を絶対に止めて頂きたいのです。
 東洋の隣国がお互いに血を以って血を洗うが様なばかげたことのいけないことは常識を以ってしても解ります。
 今後は恩讐を越えて誠心を以って中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいのです。
 中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以ってするなら中国人にも解らない筈はありません。
 至誠神に通ずると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。
 西郷さんは『敬天愛人』と申しました。何卒中国を愛して頂きます。
 愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中国提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に達し得た事を以って日本国民之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。
 猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以って神が教示されたのです。
日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は『愛』と『至誠』です。
 此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈りいたしまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。
 桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

死刑に臨みての辞世 野田毅
 此の度中国法廷各位、弁護士、国防部各位、蒋主席の方々を煩はしましたる事に就き厚く御礼申し上げます。
 只俘虜、非戦闘員の虐殺、南京屠殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。死を賜はりましたる事に就ては天なりと観じ命なりと諦めて、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
 今後は我々を最後として我々の生命を以つて残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代へられん事をお願ひ致します。
 宣伝や政策的意味を以って死刑を判決したり、面目を以て感情的に判決したり、或は抗戦八年の恨みをはらさんがため、一方的裁判をしたりされない様に祈願致します。
 我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携の基礎となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来する事を喜ぶものであります。何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様に、それだけを祈願致します。
 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳
 野田毅

向井敏明氏の辞世
 我は天地神明に誓ひ捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。死は天命と思ひ日本男子として立派に中国の土になります。然れ共魂は大八州に帰ります。
 我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨石となり幸です。
中国の御奮闘を祈る
日本の敢闘を祈る
中国万歳
日本万歳
天皇陛下万歳
死して護国の鬼となります
十二月三十一日 十時記す 向井敏明

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48人の証言者の方々の中には、「私たちは中国のプロパガンダに負けたのです。今更言っても始まらない。いずれ時がくれば真実が明らかにされるでしょう」と言う方もおられたが、昨今の状況を見るとその期待は心もとない。これは歴史の問題というよりむしろ政治の問題になってしまっている。
だが、映画は残った。残り続ける。
「中国万歳、日本万歳」と叫びながら死についた二人の軍人の気概を思い合わせ、これらの映画から日本人独特の心の豊かさと奥の深さを味わっていただければと思う。
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なお、阿羅健一氏の著作は以下より入手できる。
日本語版:決定版「南京事件」日本人50人の証言 (扶桑社BOOKS) Kindle版 (改訂版には二人の証言者が追加されている)
英語版:The Nanjing Incident: Japanese Eyewitness Accounts

できれば買って読んでいただきたいが、以下のページから読むこともできる。

http://www.sdh-fact.com/CL/Ara-Nanjing.pdf

参考までに48人の証言者の方々を示しておく。
Chapter 1 Nanjing, as Observed by Journalists
1. Asahi Shimbun Newspaper
1) Mr. Yamamoto Osamu (山本治), Staff, Shanghai Branch of Osaka Asahi Shimbun
2) Mr. Adachi Kazuo (足立和雄), Reporter, Tokyo Asahi Shimbun
3) Mr. Tomisaburo Hashimoto (橋本富三郎), Vice-chief, Shanghai Branch of Asahi Shimbun
2. Mainichi Shimbun Newspaper
4) Mr. Kanazawa Yoshio(金沢喜雄), Photographer, Tokyo Nichinichi Shimbun
5) Mr. Sato Shinju (佐藤振寿), Photographer, Tokyo Nichinichi Shimbun
6) Mr. Goto Kosaku (五島広作), Reporter, Osaka Mainichi Shimbun
7) Mr. Suzuki Jiro (鈴木二郎), Reporter, Tokyo Nichinichi Shimbun
3. Yomiuri Shimbun Newspaper
8) Mr. Jiro Futamura (二村次郎), Photographer, Hochi Shimbun Newspaper
9) Mr. Taguchi Risuke (田口利介), Reporter, Hochi Shimbun Newspaper
10) Mr. Higuchi Tetsuo (樋口哲雄), Film Operator, Yomiuri Shimbun Newspaper
11) Mr. Mori Hiroshi (森博), Photographer, Yomiuri Shimbun Newspaper
4. Domei Tsushin News Agency
12) Mr. Arai Masayoshi (新井正義), Reporter, Domei Tsushin
13) Mr. Asai Tatsuzo (浅井達三), Photographer, Domei Tsushin
14) Mr. Hosonami Takashi (細波孝), Radio Operator, Domei Tsushin
5. Other Newspapers
15) Mr. Minami Masayoshi (南正義), Reporter, Shin-Aichi Shimbun
16) Mr. Mitoma Mikinosuke (三苫幹之介), Reporter, Fukuoka Nichinichi Shimbun
17) Mr. Koike Shuyo (小池秋羊), Reporter, Miyako Shimbun
18) Mr. Yauchi Shogoro (箭内正五郎), Reporter, Fukushima Minpo

Chapter 2 Nanjing, as Observed by Japanese Soldiers
1. The Army
19) Major Yoshinaga Sunao (吉永朴), Staff Officer, 10th Army
20) Major Okada Yuji (岡田酉次), Staff Officer, Special Duty Department of the Shanghai Expeditionary Army
21) Captain Onishi Hajime (大西一), Staff Officer, Shanghai Expeditionary Army
22) Mr. Okada Takashi (岡田尚), Attached to General Matsui
23) Colonel Tanida Isamu (谷田勇), Staff Officer, 10th Army
24) Captain Kaneko Rinsuke (金子倫助), Staff Officer, 10th Army
25) Mr. Okada Yoshimasa (岡田芳政), Officer of Planning Board
26) Colonel Isayama Haruki (諌山春樹), Chief of General Affairs, General Staff Headquarters
27) Major Otsuki Akira (大槻章), Officer, Military Formation Team of Military Affairs Section of the Military Affairs Bureau, the Ministry of the Army
28) Colonel Mikuni Naofuku (三国直福), 22nd Regiment Commander, Field Artillery
2. The Navy
29) Lieutenant Commander Terasaki Takaharu (寺崎隆治), Captain of the Gunboat Seta
30) Commander Doi Shinji (土井申二), Captain of the Gunboat Hira
31) Lieutenant Shigemura Minoru (重村実), Member of Press Bureau, Shanghai Military Office in the Navy
32) Lieutenant Commander Genda Minoru (源田実), Staff Officer, 2nd Combined Air Group

Chapter 3 Nanjing, as Observed by Painters and Photographers
33) Mr. Sumitani Iwane (住谷磐根), Painter and Naval Correspondent
34) Mr. Watanabe Yoshio (渡辺義雄), Photographer, Information Department, Ministry of Foreign Affairs.
35) Mr. Koyanagi Jiichi (小柳次一), Member of the Press Corps, Japanese Army

Chapter 4 Nanjing, as Observed by Diplomats
36) Mr. Eiichi Iwai (岩井英一), Assistant Consulate
37) Mr. Kasuya Yoshio (粕谷孝夫), Assistant Consulate

Supplemental Materials
38) Major Yoshikawa Takeshi (吉川猛,), Staff Officer, Central China Area Army
39) Lieutenant Colonel Terada Masao (寺田雅雄), Staff Officer, 10th Army
40) Captain Sento Shunzo (仙頭俊三), Staff Officer, 10th Army
41) Lieutenant Colonel Goto Mitsuzo (後藤光蔵), Chamberlain Military Officer
42) Captain Okamura Tekizo (岡村適三), Shanghai Military Police
43) Mr. Horikawa Takeo (堀川武夫), Reporter, Domei Tsushin
44) Mr. Fujimoto Kame (藤本亀), Reporter, Asahi Shimbun
45) Mr. Asami Kazuo (浅海一男), Reporter, Tokyo Nichinichi Shimbun
46) Mr. Nishino Gen (西野源), Reporter, Osaka Mainichi Shimbun
47) Mr. Otani Kosho (大谷光照), the Chief Abbot of Nishi-Honganji Temple
48) Mr. Ishikawa Tatsuzo (石川達三), Novelist and War Correspondent

記録映画「南京」


YouTubeチャンネルCinema Japan Retrospectiveを作ったきっかけ

「南京事件 日本人48人の証言」の中で、上海海軍武官府報道担当、重村実大尉の言葉が戦中の邦画に対する私の興味を引き起こした。

中国国民党軍との対峙が緊迫する中、揚子江上流の邦人引き揚げが、砲艦比良によって実施されつつあった。引き揚げてきた人々の中には武官たちも交じっており、上海の武官府の中ではそのような人々がオフィスの中を右往左往していたことであろう。
そんな中、1937年8月9日、上海海軍特別陸戦隊中隊長大山勇夫海軍中尉が斎藤輿吉一等水兵の運転する車で外出していた際、上海共同租界のエクステンションにおいて支那保安隊員によって射殺されるという事件が勃発し、重村氏はその対処に追われた。いわゆる大山事件である。この事件を機にようやく報道の任務が重要視されるようになっていく。
そのような状況下で、毎日新聞の林謙一記者が情報部に、敵の反日映画がどんなものか偵察してきてほしいと依頼されたというので、重村氏も彼に付き合って見に行ったという。それについて重村氏はこのように語っている。
「ガーデンブリッジの向こうの映画館に中国の反日映画を見に行きました。映画館は異様な雰囲気でスクリーンに「殺」という文字が映し出されこれがだんだん大きくなる。われわれから見ると日本人じゃない日本人が中国人の首をスパっと斬る。そういう映画でした。当時こういう映画が作られ反日を煽っていましたが、戦後のこの類の写真が日本軍の残虐行為の証拠として使われているのが多かったと思います。」
いわゆる南京事件があったとされる1937年とはいったいどのような時代であったのか。それを現代人の価値観で見るのではなくその時代の人々の目線で見てほしい。その一端となるのが当時の人々によって作られた映画である。
かの国で上記のような映画が上映されていた一方で、日本ではどのような映画が制作されていたのか。
有難いことにインターネットのおかげでパブリック・ドメインにある古いフィルムがどんどん視聴できるようになっている。
これらの映画の多くは戦後GHQによって接収、破壊されたとされている。これらがいったいどのような経緯でインターネットにアップロードされたのか、それはそれで興味深い歴史があろうかと思うが、それについてはいずれ誰かが調べてくれることを期待する。川喜多かしこ氏やマツダ映画社、その他映画人によって発見され保存されていたものも多いだろう。

いくつかの映画についてはロシアのアーカイブで見つかったとされるものがある。時にはドイツのアーカイブにあったとも聞く。
また当チャンネル登録者の米国人で、小津安二郎の「母を恋はずや」を上院議員会館の図書室でみかけたと知らせてくださった方がいる。このチャンネルのフィルムと同じように最後の一巻が紛失していたとのことで、やはり占領時代、米国によって接収されていたフィルムの大半が、戦後70年以上過ぎた今日、あちこちで拡散されているのだろうと推察する。

想像にすぎないが、ロシアやドイツのアーカイブで見つかったとされる邦画は、日本本国のみならず満州を通じて各国の映画人が入手していたものが保管されていたのではないだろうか。歴史的にはいろいろあったにせよ、各国の映画愛好家が保存してくれていたということは有難いことである。

当時の映画をすべてプロパガンダであったと切り捨ててしまう人がいる。しかしたとえプロパガンダであったとしてもそこにはその時代に生きていた人々の姿が制作者の思惑を超えて現れるものである。そしてそれは日本だけではない。この時代はどの国でも愛国的側面が強調されるのは当然であり、検閲もされていた。前述の中国映画など、そのような時代であったので仕方がないと思うが、かの国では今もなお同様の映画が作られている。

プロパガンダには「敵の悪魔化」と「味方の理想化」の二極がある。日本でも鬼畜米英などという言葉を使っていたことは確かである。しかし、もし日本側が前述の中国側のような反中映画を作ったとして、当時の日本人はそれを好んだであろうか。
たとえば「間諜未だ死せず(1943)」という映画がある。ここに出てくる敵の間諜はみな日本人が演じているが、敵役を演じていた俳優たちは当時誰にとっても馴染みのある俳優であった。これは外国人の目から見て、いや日本人にとっても非常に違和感があると思う。しかし、この時代の外国映画に出てくる外国人が演じる日本人と比べ、日本映画に描かれる外国人に対する悪意の度合はレベルが違う。この日本映画では、敵である中国人の間諜であっても愛国者として描かれているし、フィリピン人の間諜はフィリピン人の父と広東人の母との間に生まれたという練られた設定である。
斎藤達雄が演じる米国人の間諜と特務機関の責任者佐分利信との探り合いの会話は双方が実力ある好敵手として相手を認識していることをうかがわせており、その意味では対等である。この米国人のスパイは日米開戦直後に捕らえられるが、最後の「間諜未だ死せず」のセリフはこの米国人スパイが発しているのである。

この映画と前述の「殺」「殺」「殺」を強調するだけの映画を比べてみてほしい。
30年代、40年代という時代に日本映画では中国人の間諜でさえ愛国者として描かれ、かつその役割は好男子の日本人俳優によって演じられた。多くの日本人はそれを見て中国人の間諜に感情移入すらしていた。
かたやかの国の人々は前述のおどろおどろしい映画をその時代からずっと繰り返し見続けているのである。いまや最新技術で制作された現代版を。


 Cinema Japan Retrospective


(番号は単に便宜上のもので意味はありません)

1.Oboroyo-no-Onna 朧夜の女 1936


2.Katei Nikki 家庭日記 1938

https://youtu.be/QL8S9p4priM

3.Genroku Chushingura 元禄忠臣蔵 1941 (Narration)


(私はこの映画をナレーションで解説していますが、サブタイトル自体は私のものではありません。)

このサブタイトルは非常によくできているので、あらためて自分の翻訳バージョンをつけようという気にはならなかった。
ただ一点、綱豊が新井白石に、「われらは唐人ではない。先賢の言葉を聞く前に日本の武士たることを忘れてはならぬと思うがどうじゃ」と問い、白石は「よく仰せられた。まったく左様にございまする」と答えている場面がある。ここで唐人をChineseと訳しているのはやむをえないと思うが、ここにおいて使われていたのは「唐人」であって「中国人」ではないということも注目しておきたい。同様に当チャンネルの「浪子」というタイトルの原作「不如帰」では「清人」という言葉が使われている。時代感覚を見極めるうえでこういった言葉の違いを見極めることは重要であろう。

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この映画を単なるプロパガンダ映画としてしか見ることのできないコメントを見て、一言残しておきたくなった。
まず、軍が後援しているからといって溝口監督が忖度しているかのように捉えること自体、監督に対する侮辱であろう。そもそも当時の映画人はべつに戦争に反対していたわけではなく、軍と対立する存在でもなかった。
むろん軍関係者は映画の影響力を熟知しており、軍のイメージを損ねる部分があれば抗議したであろうことは容易に推測できる。
たとえば山本嘉次郎監督の「馬」では某大佐が必死になってある箇所を削除してほしいと頼み込んだというエピソードが残っている。山本監督は頑として受け付けず、大佐は最後には泣かんばかりに懇願したという話しだ。
結果どうなったかは知らないが、後に二人で酒を飲み交わしているところを目撃されているところからもその関係がうかがい知れるであろう。優れた映画監督は自らの創造性に易々と妥協を加えたりするものではない。

戦中映画がプロパガンダ性を帯びるのはどの国でも変わらないと思う。それが一目でわかる映画も多々ある。しかし、この映画をじっくり見ると、自分がもし関係者の立場にあったならむしろちょっと首をかしげるかもしれない。事件そのものは単純だが、この映画に含まれる人間関係はあまりにも複雑であり、もしこれをプロパガンダだというのなら、受け取る側にどういうメッセージを伝えるつもりで作ったのかと聞きたくなる。

事の発端は、江戸城において禁裏の使者を接待する重要な儀式の直前に、その所作万端の責務を負った浅野内匠頭が、殿中松の廊下で吉良上野介に突然切りかかり、その結果、切腹という処罰を受ける。赤穂藩は断絶。数百名の家臣のうち47人が吉良への復讐に加わる。これが歴史的事実である。
戦時中のプロパガンダというのなら皇室に対する意味合いかとも思ったが、ただ、この江戸時代において綱吉が皇室に対し深い敬意を払っていたのは事実である。だからこそ綱吉は内匠頭の不埒な行いを耳にすると即日切腹を申しつけるほど激高した。映画では切腹の場面は屋内になっているが、一説によると屋内にても許されず庭先で行われたともいわれる。

事件を知らされた後、赤穂藩の人々は江戸からの次の連絡を待っていた。使者が到着するやいなや内蔵助は真っ先に「式は滞りなく行われたか」と使者に問う。そして「急遽部屋を変更し、滞りなく完了」との返事を聞き、やっと安堵する。この意味をしっかり捉えておきたい。ただひたすら吉良憎しと血気にはやる若い侍たちと異なり、大石内蔵助をはじめとするシニアの家臣たちは若き主君が犯した罪の重大さも十分認識しているのである。

藩断絶との沙汰に今後どうすべきかとあわただしい城中の噂を耳にし、その短気な性格ゆえに禄を失った内蔵助の幼馴染である井関徳兵衛が「すわ合戦」と鎧櫃を背に張り切って大石の館にやってくる。禄をはなれたとはいえ亡き主君を弔うため幕府と戦って城を枕に討ち死に、それこそが侍の道であり忠義の道である、と、徳兵衛は疑いをもたなかった。だが、内蔵助は彼が城に入ることすら許さない。
かくなる上はと、徳兵衛は元服させたばかりの息子と共に殉死の道を選ぶ。
城を出た帰り道で、切腹した友を見て驚く内蔵助。

仇討ちは決して幕府に対する反逆ととらえられてはならない。それについてはのちのち内蔵助は非常に細かく気を配っている。しかし、そこで死にゆく徳兵衛の姿を見た内蔵助はその耳に「俺は幕府に挑む」とささやく。それは死にゆくものにのみ聞かせられる言葉であり、以後大石はその言葉を自らの胸に封印し、現実の行動としては死の直前まで体制内での礼をつくしそれに準じた。
私がこの物語をすごいと思ったのはこの場面を作ったことだ。それが原作者真山青果のものか監督によるものか知らないが。

もうひとつ重要なのが、この事件に関する禁裏の反応である。京から早船で帰ってきた十内から「御簾うちから同情の意を漏れ伝えられた」と聞き、内蔵助は有難さに涙しつつ衣服を改め京に向かって平伏する。ここは完全に創作だと思うが、禁裏から不問に付されたのならそれだけで上等であり、またどうも大石家と宮家の関わりは実際にあったような風なのでそれはそれで興味深い。江戸時代においても将軍家をはじめ武士たちがそれぞれの思惑で宮中との関わりをもとうとしていたのであろう。

さて、吉良への報復を決意した内蔵助はひとつの失策をする。それは藩の再興を願い出るというものである。内蔵助は願いは即却下されると思い込んでいた。ところが、意外にも願いはとどめ置かれた。物語ではここで次の将軍綱豊(映画では家宣の幼名が使われている)が大きな役割を果たしている。

もし赤穂藩再興が許され内匠頭の弟、大学殿、が新しい藩主になれば仇討ちは道義上許されない。それは再興を許してくれた幕府に対する裏切りになるからである。もともと私闘は許されるものではないが浪人なればそれで済む。
ここで「忠義」という概念を問うとすれば一筋縄ではいかなくなる。
忠義とは、赤穂藩の再興ではないのかと。
かぼそいながらそこに一筋の希望が見えてきたのだ、というか、見えてきてしまったのだ。
内蔵助がなぜぐずぐずしていたのか、この物語で初めて合点がいった。悩むはずだ。

綱豊はそれを察して再興願いを握りつぶす。つまり、ここでかれらに仇討ちを果たさせるために、という物語にもっていたわけだ。

この綱豊と赤穂藩の奏者番であった助右ヱ門の会話は実際にはあり得ないであろうが、なかなか面白い。助右ヱ門は幕府に対する日頃の不満を堂々と述べ立てる。それは幕府の下にある外様藩に共通する不満であったろうが、綱豊は鷹揚にそれを一興と受け止める。本筋からは逸れるが、この綱豊は次の将軍になると決まっていたとはいえ綱吉に対して何か思うところがあったのかもしれない。将軍の職をめぐってはそれはそれで目に見えない激しいバトルがあったであろうから。

討ち入り前、「南部坂雪のわかれ」で大石は主君の奥方、瑤泉院に、金銀受払帳を渡す。藩断絶の際にも、ただただ精神論のみを長々ととなえる長老たちを尻目に、なにをさておいてもまず藩札の清算に奔走する内蔵助であった。こういう実際的な側面が物語に深みを与えている。日本人としては、「何事があろうと、民の経済に支障をもたらしてはならない」という大石の姿勢にしっかり感情移入してしまうのである。
この南部坂でも、最初、奥方には討ち入りの名簿を渡したのかと思ったが、いやいやすでに監視人のいるこの屋敷でそんなものを渡したらすぐに露見してしまう。で、それが出納帳簿だったのでちょっと意表を突かれたが、藩札のことを思い出せばこれが大石流のけじめだと納得する。

しずまりかえった雪景色の中で、枝の雪がはらりと落ちる。
それが唯一の討ち入りのシーン。見事である。 

事が終わったあと、浪士たちに切腹を許すかどうかは幕府内でもかなり論議になったという。事実、為政者からすればこれは「犯罪」であるから打ち首にすべきだという主張もそれなりに筋が通っている。だからこそ、「本来なれば打ち首になるところを切腹をお許しくだされて有難い」と、これは内蔵助自身が感謝しているのである。
最終的に切腹を許したのは多かれ少なかれ世論が関わっているかもしれない。このセンセーショナルな事件に江戸の人々は飛びつき、幕府も無視しえず困ったであろう。江戸じゅうの人々が興奮の渦に呑み込まれ、浪士たちは英雄視された。後には浪士の誰それの娘だという女がひっきりなしに現れたという話もあったらしい。

映画では、十郎左を慕う町人の娘「みの」は、小姓のなりをして浪士たちを預かっている屋敷を密かにおとずれる。十郎左は戦略のために彼女と結婚し仇討ちのために彼女を捨てたのであるが、じつは彼は彼女からもらった琴爪を懐に抱いていた。
内蔵助はみのの素性を知って、「十郎左を立派な婿だというのは、われらが世にもてはやされるようになったからか」と皮肉る。
それに対し、「たとえ町人の娘だとて誠をお見せすることはできまする」、と、みのは自らの死をもって愛の証とした。ここは町人の娘の意地でもあった。

最後に、赤穂の若い侍たちは酒宴を開き曲舞を舞う。それは秀吉の水攻めで敗北を悟り、自分の身と引き換えに主家と家臣5千の命が助かるならば、と小舟の上で舞ったあと自刃した備中高松城の藩主清水宗治にならったものであった。
「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」

赤穂浪士の切腹の日、最後のひとりまで見苦しくなく終えるのを見届けたあと、大石もかれらの後を追う。

けっきょくのところ、浪士たちにとっての忠義とは何だったのか。
思うに、かれらは、吉良を討ち損ねた藩主の無念が直接の動機になったにせよ、藩主に対する忠誠という以上に自らの信条に忠実だったのかもしれない。

それは吉良にとってはつくづく不運であった、とつい同情してしまう。いくら吉良が嫌みな人間であったとしても、また吉良がどのような暴言を吐いたにせよ、将軍率いる大切な式の直前に刃傷沙汰というのは、そら、どう考えても許されんでしょう。
これを正当化するためにはどうしても吉良を悪者にしなければ物語がつながらない。だもんで大方の忠臣蔵の物語は吉良を徹底的に悪者に描いている。この映画では比較的抑えられているが、それでも決して好意的には見られないような役作りだ。

幕府の調べにおいて唯一吉良が咎められるのは「襲われたときに刀の柄に手をかけていたかどうか」である。これは当時において侍の矜持としてむざむざやられっぱなしというのは恥であったからだ。とはいえ、「殿中でござれば」と言われれば、現代感覚としてはそちらのほうが納得いく。

この映画は物語としてもまた映像からしても傑作である。とくに最初の松の廊下のシーンは素晴らしい。
監督が軍の威に屈したかのような捉え方しかできないのは実にもったいない。溝口監督は軍の威に屈するどころか軍の力を最大限に活用したのである。それは時代考証の堂々たるクレジットをみてもわかる。これは徹底的な時代考証を踏まえながらも監督の自由な想像力と考え抜かれたアイデアがぎっしり詰まった映画なのである。

4.Niji-tatsu-Oka虹立つ丘 1938


https://youtu.be/h3lD_Vg_Gmw

強羅のホテルでポーターとして働く弥太八と売店で働く妹のユリ。両親を亡くした二人は支え合いながら仲良く暮らしている。ユリを演じるのは高峰秀子。彼女の映画は戦後の少女漫画に大きな影響を与えている、と、これを見て今更ながら気が付いた。
そんな兄と妹をいつも微笑ましく見ているのが湯治客の早川夫人である。商用で忙しい夫はなかなか訪れる時間がない。
そこへ早川家と知り合いの水谷一家が子供連れでホテルにやってる。賑やかな水谷一家を見る早川夫人の目はどこか寂しそうである。

早川夫人は高峰秀子扮するユリを可愛がっていて、本その他いろいろ贈り物をくれる。ユリもまた早川夫人が大好きである。
早川夫人からもらった知恵の輪がなかなか解けなくて苦戦する兄の弥太八をユリがからかう。そんな二人を早川夫人は微笑ましく見守りつつ、翌日ユリを湖水遊びに誘う。
翌日、二人はボートに乗ったりおしゃべりしたり、楽しい一日を過ごす。

弥太八には競技場で働く不二子という恋人がいる。不二子はユリとも仲良しで時には三人で散歩に行ったりしている。
先日は湖水に行ったから、今度は山に行きたいとユリが言い、翌日、不二子とふたりで山に行くことになった。

ふたりが山に行く日、ホテルでは特にこのホテルを指名してくれた満州国からのお客からの予約が入っていた。マネージャーはくれぐれも粗相なくお出迎えするよう弥太八に何度も念を押した。弥太八はむろん大丈夫です、と答える。

山に行ったユリと不二子はハイキングを楽しんでいたが、突然、ユリが崖から転落してしまう。不二子を声をあげて助けを求め、通りがかったハイカーたちがかけつける。このハイカーたちはそこそこ名前の知られた俳優たちだが、ちょい役で参加したようだ。

不二子から電話連絡を受けた弥太八はあわてて現場にかけつけ、ロープを投げおろしてユリを助けることができた。ふもとでは、弥太八に背負われたユリを見て早川夫人が驚く。

一方、ホテルでは、ユリの事故のために弥太八は大事なお客を駅まで迎えに行くことができず、支配人はカンカンである。
「念のために聞いておくが、仕事ができなかった原因は公用か私用か」公平を期して支配人は弥太八に尋ねる。
ここで弥太八は「私用」だと認めるので、怒った支配人は弥太八をクビにする。
言い訳をしたいところだが、業務を果たさなかったのは確かだから仕方ない。弥太八は不二子にクビになったことを打ち明け、新しい仕事を探しに町に出ることにする。
一方、早川夫人は弥太八の姿が見えないので支配人に聞くと「仕事に不届きがありましたのでクビにいたしました」と言われ、「それはちょっと不当だと思いますわ」と、事情を説明する。
妹の生命に関わる問題だったと知って、支配人は弥太八を呼び戻す。
「そうならそうと言ってくれればいいのに。いや、しかし、満州国からのお客様も大変感心しておられた」
というわけで、弥太八はポーターから客室係に昇格されることになり、新しい制服も用意される。
現代の感覚では、弥太八がここでなぜ褒められたのか、理解しにくい人もいるかもしれない。しかし、こういう弥太八の態度は、職業に貴賎なく、職務というものに対する普通の日本人の感覚だったのであり、しかも言い訳をしないという潔さが、それを聞いた人々の心を打ったのである。むろんこれは極端な事例であり当時だって観客の立場でも「言えばいいでしょ」と思うところではあるけれど、ここで弥太八が称賛される意味がわからないと物語が成り立たない。

その後、早川夫人はフランス人形を抱えて怪我をしたユリのお見舞いに訪れる。そこで早川夫人はユリの机に飾ってあった古ぼけた人形を見て愕然とする。それは早川夫婦が震災で行方を見失ってしまった娘郁子の人形であった。この震災というのは関東大震災である。幼かった郁子はその人形を抱いてさまよっていたところを、同じく家族を失った弥太八と出会い、ふたりは兄と妹として弥太八はユリの面倒を見てきたのであった。

早川夫人はふるえる指で手紙を認め夫に事情を話してすぐ来るようにと連絡する。そして親子の感動の再会となる。
早川夫妻は丁重なお礼と詫びを入れながら、弥太八に向かってユリを引き取りたいと事情を説明する。失ったと思っていた娘に対する満ち溢れた思いを目の当たりにすれば、いかにつらくとも兄としてユリの幸福を願う弥太八には選択の余地はない。

数日後、ユリは両親と一緒に東京に帰っていく。
「ユリちゃんがいないと家がこんなに寂しくなるのね」
がらんとした弥太八の家の中で不二子は弥太八を慰める。
「ああ、でも来年またきっと来ると言っていたし、それを楽しみにしよう」と、弥太八は不二子だけでなく自分にも言い聞かせる。そう言い聞かせながらもてあそんでいた知恵の輪が、あれほど難しかったのに、そこでぽろっとほどける。

汽車の中でユリは母の隣で複雑な表情をして座っている。この高峰秀子の表情は本当にうまい。新しい生活を前に、兄と別れる寂しさと不安、そしてもちろん楽しい期待もあるだろう。単に浮かれ出る嬉しさではなく、その微妙な心持ちを実に見事に表している。

5.Shin-Josei-Mondo 新女性問答 1939

6.Aanishi Kakita 赤西蠣太 1936

個人的には好きな映画だが、どうもあまり人気はなさそうで、再生回数はそれほどでもない。これはある程度日本の歴史的背景を知っていないと外国人にはわかりづらいかもしれない。

ストーリーは有名な仙台藩伊達家の騒動が下敷きになっており、ここではお家乗っ取りをたくらむ原田甲斐が悪人として描かれている。原田甲斐は、後の解釈では幕府の陰謀を未然にふさいだ忠義の士でありながらその真意を曲解され非業の死を遂げた人物として描かれたりもするのだが、この映画では単純な悪人として描かれコメディを引き立たせている。
ここで驚いたのは、片岡千恵蔵が原田甲斐と赤西蠣太の二役を見事に演じ分けていることである。最初知らないで見ていたものだから、あとで知ってびっくり。原田甲斐を演じているときはいつもの片岡千恵蔵だと思ったが、それがあのとぼけた表情の赤西蠣太と同じ俳優だったとは。さすが役者やのう、と言いたくなる。
もうひとり特筆すべきは盲目の按摩、安甲を演じた上山草人である。太鼓持ちの語り口の見事なこと。調べてみるとこの人はハリウッドでダグラス・フェアバンクスと共演していたというからますます驚く。

ストーリーそのものはコメディ仕立てだが、若君暗殺をおおせつかった侍の末路があわれ。後に発覚して捕まり、事をもみ消すために、彼を抹殺すべく毒入り饅頭を手渡すはめになった志村喬演ずる角股鱈之進もまた身につまされる。

この映画の原作は志賀直哉の短編小説「赤西蠣太の恋」である。志賀直哉といえば「暗夜行路」や「城の崎にて」など、深刻な小説ばかり書いているのかと思っていたが、ここでは登場人物の名前がすべて魚介類の名前になっていたりして、この作者のユーモアのセンスもかなり洗練されたものだったのだと初めて知った。

7.Kibo-no Aozora 希望の青空

他愛ない映画であるが、4組の家族の描き方がなかなか興味深い。
登場人物が多くて混乱するかもしれないので先に記しておく。

太田鶴右衛門(明堂) 老舗の菓子屋明治堂の主人
亀造:明治堂の当主で入り婿 舅には逆らえない
亀造の妻タケ 明堂の跡取り娘
亀造とタケの子供たち
長男 進(すすむ) 農業 その妻美代子
次男 覚(さとる) 山師 その妻お千代
三男 務(つとむ) 学生
長女 真紀子 その夫 武田桃三郎 軍人
次女 明子  その夫 岸田 声楽家

成島文之進(文之)
娘 秀子
息子 秀明
ばあや キヨ

交番の岡田巡査 (巡亭)

(ストーリー)
秀子は楽しい女学生。だが、少しそそっかしい。スキー場では人にぶつかり、釣りをしては釣り針を人にひっかけ、ハイキングに行けば橋から水筒を落っことし、人の頭にぶつけてしまう。そのたびに「ごめんなさーい」と明るく謝る。

そのハイキングの帰りの電車の中。ひとりの老人(老舗の菓子屋明治堂の主人太田鶴右衛門、俳号明堂)が前に並んで座っている女学生を見て「ハイキング、歩き疲れて女学生」と一句読む。隣の男(婿の亀造)は「けっこうですな」とおべんちゃら。しかし、そのうち車内では二人の男が喧嘩を始め、もっていた瓶が割れてそのカケラが床に散らばる。
「待って、待って、危ないじゃないの!」と秀子はとっさに席を立ち、ハンカチでそのかけらをひろい集める。それを見た老人はこの秀子のふるまいに感心する。喧嘩をしていた男たちも気勢をそがれてしゅんとなる。

まもなく駅についた電車。秀子が降りたのを見た老人はあわてて後を追いかける。突然のことで亀造は舅の後を追い切れず、電車はそのまま出ていく。

駅からの帰り道、老人に追いかけられていることに気づいた秀子は速足で逃げようとするが、逃げきれず交番に飛び込む。巡査は秀子を逃がしておいて、後からきた老人を職務質問し、「いい年をして何ですか」と叱りつける。

つらつら聞いてみると老人はカステラの老舗「明治堂」の主人であった。そして話をしているうちに、ふと机の前にあった俳句雑誌からさらに話が進み、老人の俳号が「明堂」であることもわかる。同時に明堂もこの巡査がふだんから馴染みのある俳号「巡亭」その人だと知って感激。ここで同じ俳句雑誌「水の音」の常連だとわかった二人は意気投合する。

家に帰った秀子。庭先では父と弟の秀明が剣道の稽古をしている。
秀子が男に追いかけられた話しをすると婆やは「だから、空手を習っておかないと、あれほど言っているのに」とお説教。
父は父で「だから女の一人歩きはいかん、と、あれほど」
士族だった父は口やかましい。

そこへ、「ごめんください」と玄関に現れたのは先ほどの老人明堂。
おびえる秀子を見て、父は、「すわ、来たか!」と、木刀をもったまま明堂を追いかける。明堂はあわてて交番に駆け込み、巡亭に助けを求める。
「成島藩の士族をあなどるな!」と父は交番でも雄叫びを上げる。
「二人とも、落ち着いて、落ち着いて、落ち着きなさーい!」巡亭がふたりを諫める。

しばらくして、誤解も解け、成島家の居間で三人は笑い合う。偶然にも(なにせ映画ですから)秀子の父もまた「文之」という俳号で同じ雑誌「水の音」に投稿していたのだった。
そして明堂はあらためて秀子を自分の三男、務(つとむ)の嫁に欲しいと申し出た。明堂は電車の中での秀子の行いを見て秀子の人柄にほれ込んだのだ。
そして迷惑ついでに巡亭に仲人になってほしいと頼む。
片や立派な老舗の主人、片や島津家につとめていた士族。そんなご立派なご家庭の仲人など、とてもとても、と巡亭は辞退するが、「いやいや、あなたは天から与えられた仲人です」と、二人のたっての頼みで押し切られる。ここは一介の巡査という自分の分を知っている巡亭さんの奥ゆかしさを示しているところだろう。

まだ女学生なのに、結婚のことなど考えられないという秀子にばあやのキヨがこんこんと諭す。
「お父様だってもうお年で、娘が嫁に行くまで安心できない。このばあやだってお嬢様の花嫁姿を見る前に死ぬんじゃないかと...」
年寄には時間がないのだから、と訴えられると、秀子も仕方がない。とにかくお見合いだけはする、と約束する。

父は父でやんちゃ娘の秀子の決心に感謝し、正直に家の事情を説明する。
「じつは貯金も心細くなってきている。お前の弟の秀明もまだ幼い。わしの身になにかあればどうなるかと思っていたところでな」
家柄は立派であっても元士族の生活は苦しい。泣き笑いしながら告白する父を見て秀子も下を向くが、じつはちょっとおかしくて笑ってしまう。

見合いの日、父は自ら剃刀をもって娘のうなじを剃り始める。
「痛いったら、お父さん」
「我慢せい! 近頃の娘はうなじをもしゃもしゃさせてみっともないったらありゃせん」
「旦那様、もうお時間ですよ」
「うるさい!」
あわただしい家の中。
庭先では弟の秀明が友達と話しをしている。
「姉ちゃん、きょう見合いなんだってさ」
「見合いってなんだ」
「お婿さんになる人と会うんだ」
「会ってどうするんだ」
「会って、こんにちは、って言うんだ」
「それだけかい」
「それだけさ」
そのお婿さんになる人がお菓子屋だと知って少年たちは当然期待する。

秀明たちの声を聞いた秀子は、
「秀明、おまえ、みんな喋ったのね! ようし!」
立ち上がる秀子をあわてて押さえようとする父。
「待ちなさい、まだ終わっておらん」
「待てえー」
秀子は秀明を追っかけていく。
「まあまあ、あれがお見合いをなさるお嬢様のすることですかねえ」
ばあやが溜息をつく。秀子はまだまだ子供なのである。

一方、明治堂では、見合いの席に一族郎党を呼び集めている。
「こんにちは、お父さん」
次女の明子が店から入ってくる。
「いったい、何なの、今日は?」
「まあまあ、いいから」
父の亀造は婿養子。当主とはいっても店の実権はまだ舅に握られており、妻にも頭があがらない。
「あら、真紀子姉さんも来てらしたの」
明子は長女の真紀子に挨拶する。
「みんな呼び出されたのね。いったい何なの」
「びっくりすること」真紀子はおもわせぶりに返事する。

奥の座敷では鶴右衛門が孫の進に苦情を言っている。
「進、おまえは当主の長男のくせに店を継がずに農場などをやっておる。また覚(さとる)は覚で金山だとかなんとか夢みたいなことばかり言っておる。」
覚というのは当主の次男である。
「けっきょく、家を継ぐのは務しかおらんだろう」
「そりゃ、僕より務のほうがずっといいですよ。あいつ、若いくせに案外しっかりしてますからね」
進は祖父に向かって穏やかに言う。
そこへ真紀子と明子も加わる。
「お祖父様、いったい何なの?」
「務ちゃんがお見合いするんですって」
「あーら、いやだ、務ちゃんたらまだ子供じゃないの」
という明子に母も同調する。
「私もそう思うんですけどね。おじいさまがどうしてもっていうのよ」
祖父は「何をいうんです。務はもう22です。この亀造がお前のところに入り婿したのは21のときです」
「は、21でございました。早いことはございません」
父の亀造は何事も舅には絶対服従である。
母のタケはせせら笑う。
「何おっしゃってるの。頼りなかったわあ、あなたときたら。もちろん今でもそうだけど」
「えへん」
妻の言葉にむっとするが、亀造にできるのは咳払いだけ。

祖父「早い、遅いとか言っていられない。とにかくよくできたお嬢さんで、ぐずぐずしているとすぐ誰かに取られてしまうからな。それで急いだわけだ。ま、見ていてごらん。素晴らしい掘り出しものだから」
この掘り出し物の定義となるのは祖父にとっては車中での秀子のふるまい。そういったところに当時の日本の観客が共感するということがこの時代の大衆的倫理の根拠ともなっているところに注目してほしい。
「またおじいさんの掘り出しものか」進が笑いながら言う。
「ま、いまにわかるよ。それより覚はどうした?」

店先ではその覚がタクシーを待たせている。山師の覚はいつも金に窮乏しているのである。
「運転手さん、ちょっと待っててくれ」
「まさか、すっぽかすんじゃないでしょうね」
「冗談いうな、俺はこの家の息子だ」

覚は奥に入っていき、母に「母さん、ちょっと」と目くばせするが、母は聞こえないふりをする。いつものことなのであろう。
それを察した真紀子が助け船を出す。
「いくら入用なの、さとるさん」
「たった2円でいいんですよ」
「2円でいいのね、ほんとね?」
「姉さんはやっぱり物わかりがいいなあ」
といって進はタクシーの運転手が待っている店先に戻ろうとするが、思い返して
「姉さん、ちょっと、ちょっと。10円貸してくれない?」
「ほーら、御覧なさい」
真紀子も弟の気性をよく知っているのである。
「後で返しますから」
「いいわよ、当てにしてないから」
「お、わりと良いこと言いますね」
と、あっけらかんというところに、女にとっては可愛げがあるのだろう。月田一郎はまり役。

覚が消えたあと、二階から原節子演じる三女の千鶴子が降りてきて真紀子に言う。
「務さんたらおかしいのよ。今から山に行くってリュックに荷物を詰めているの。みんながどう言おうと僕には僕の考えがあるって」
「きっとお見合いが恥ずかしいのよ」
と真紀子が言っているのを祖父が聞きつける。
「なに、務が山登りをするって? そんな馬鹿なことがあるものか。よしわしが言いきかせてやる」
そこへタクシー代を払い終わった覚が戻ってきて、
「あの、成島さまがいらっしゃいましたよ」と告げる。

真紀子と明子は務を迎えに二階に行く。
一方、明堂は落ち着かない進と覚を叱りつけている。
覚は
「10円札を落としたんですよ」
「後にしなさい」
「じゃ、おじいさんがくれますか?」
「ああ、やるとも、やるとも」
「ええと、落としたのは10円札が一枚、二枚、全部で10枚です。ください、いますぐ、ください」
ここでついに祖父も堪忍袋の緒が切れた。
「ばかーっ!」
と怒鳴っているところに廊下を渡ってきた文之と秀子たちが現れる。

亀造はあわてて、
「いや、あなた方のことではないので」
妻のタケが後を継いで
「いえ、うちには口の悪いオウムがおりまして」
「そうですか、オウムですか」
と文之進も鷹揚に返事し、秀子と巡亭たちは部屋に入る。

そこで、一同揃ったところで、務を待っているが、務はなかなか現れない。

やっと、「いやだなあ」と言いながらも説得されて部屋に入ってきた務。
そこではじめて顔を合わせた秀子と務は驚いた。
「あ、いけねえ、」
務は頭を押さえて逃げていく。なんと、務は秀子の数々のそそっかしい失敗の被害者だった。

二階で千鶴子が水筒を取り上げ務に話している。
「そう、これがその水筒なの。面白いじゃないの」
「ちっとも面白かないよ。ずいぶん痛かったよ」
「でも、そういうのが縁というものじゃないの」
「いやだよ」
「ねえ、務さん、あの方どう思う? とってもいいお嬢さんじゃないの。可愛くて、素直で、ほがらかで。務さんにはもったいようないい方。わたし、断然好きになっちゃった」
「だってまだ子供じゃないか。馬鹿馬鹿しくて」
「ねえ、務さん、わたし、おじいさんの早婚説に賛成するわけじゃないけど、あんないい方、めったにないと思うわ。いまのうちにお約束しておいたらどう?」
「いやだよ、ぼく」
「くだらない反抗はよして真面目に考えてみたらどう? 私がお嫁にいったらこの家は誰が面倒みるの?」
千鶴子は近々立花と結婚することになっていた。
そう言われると務も言葉が返せない。
「務ちゃん、頼んだわよ」

千鶴子に促され、しばらくして務と秀子は外に出て林の中で話しをする。千鶴子は犬のハッピーと共に少し離れて座っている。
「だめ、ハッピー、あっちに行っちゃだめ。二人はお話しているんだから。ねえ、ハッピー、私がいなくなったら寂しい?」

一方、務は秀子に傷のあとをみせている。
「これがあのときの傷、そしてこれがあのときの瘤...」
「あ、ほんとだ、瘤になってる、はは。それから?」
「それだけだよ」
「なんか話したい事があるって言ってたんじゃなかったの」
「一度君にこれを言ってやりたかったんだ」
言われて秀子は
「ごめんなさいね」と素直に謝ってから、
「じゃあね、あたしから正直に言っちゃいましょうか?」
「うん」
「あたしね、結婚なんて全然考えてないのよ。だってまだ学校に通ってるんですもの。そんなこと考えても見たことないのよ」
「僕だってそうさ」
「結婚とは何ぞや。結婚は幸福をもたらすか。自分が結婚の資格ありや? そんなこと考えてたら、頭がぐちゃぐちゃになってきた。因数分解のほうがずっと楽だわ」
「はは、君はうまいことを言うね」
「ねえ、お姉さまに結婚観を聞いてみない? お姉さまもうじき結婚なさるんでしょう」
「聞いてみるか。参考のために。ちい姉さん、ちょっと来てください」
務は千鶴子を呼ぶ。

尋ねられた千鶴子は二人に言う。
「たとえばあなた方は青い鳥を探してまわるチルチルとミチルのようよ。幸福のシンボルと言われる青い鳥を求めていろいろな国を探してまわる。いまのあなたたちがそれと同じ状態だと思うわ」
務「で、結論はどうなんです」
千鶴子「お芝居ではね、二人は色々な国を探し回っていくんだけど、けっきょく見つからなかったの。それが、ある朝、目覚めてみたら、自分の家で飼っていた鳥が青い鳥であったことに気づくの。つまり幸福というのは遠いところにあるのではなく、自分のすぐそばにあるということなの」
務「じゃあ、姉さんの考えはどうなんです」
千鶴子「わたしもそれと同じなの。初めて結婚の話がきたとき、結婚とは何ぞや、結婚して幸せになれるのか、とずいぶん悩んだわ。ところが、そんなこといくら頭で考えてもだめ。
向こうの方と交際していくうちにだんだん相手の心がわかってきて、近頃では安心して信じ切っていけるようになったの。そりゃあ、はじめは不安なものよ」
次のシーンでは千鶴子とその婚約者の立花が部屋で語り合っている。
立花「工場の同僚がね、ぼくがあなたと結婚すると知って明治堂の娘なら是非お菓子をもってきてくれとうるさいんですよ」
千鶴子「以前ならいいんですが、近頃おじいさま、とってもうるさいんですのよ。情実売りは一切ならん、て。私たちでさえ満足に口にできませんの」
戦争が始まり、明治堂ではとくに砂糖などの物資は調達するのも苦労していたのであろう。そこで、情実売りはならん、と宣言する明堂は、一介の菓子屋ではありながらも一族の長としてのけじめはもっていた。
立花「しかし、いいおじいさまですね」
廊下のほうから「ハックション」
「またわしの噂をしていましたな」と明堂が煙草入れをもって、亀造とタケと共に入ってくる。
立花「ええ、していましたよ」
立ち上がろうとする立花を制して、
明堂「かまわん、かまわん、どうせろくなこっちゃあるまい」
千鶴子は笑いながら、「ええ、悪口ばっかり」

亀造「さっそくですが、立花さん。婚礼の日取りを決めたいと思いまして」
明堂「まあまあ、そんなことよりももっと大事なことがある。ねえ、立花さん、君は赤い鳥っていうのを知ってるかね」
立花「ああ、子供の雑誌の」
明堂「いいや、西洋の芝居じゃよ、なあ」
千鶴子「ええ」
タケ「なんですねえ、おとうさま、西洋の芝居より千鶴子の婚礼のほうが大事じゃありませんか」
明堂「まあまあ、お前はちょっとお待ちなさい」
亀造「お前はちょっとお待ちなさい」
タケはぶすっとして夫をにらむ。
明堂「ひとつね、務とそのお相手を赤い鳥でいこうと思うんじゃよ。二人ともまだ若いからとぶちぶち言っておる。そこで赤い鳥でも青い鳥でもなんでもよいが、その芝居のようにみんなの家を回らせたらどうかと思うんじゃ。進の家でも真紀子の家でもうまくいっておる。それを見せてかれらに決心させようというわけだ」
タケ「そんな突拍子もないことを。まだ結納もかわしていないのに」
明堂「いや、若い者には若い者同志じゃよ」
亀造「そう、若い者には若い者どうし」

ちなみに、ここで「赤い鳥(1918―1936」といっているのは、鈴木三重吉の提唱で出版された子供向けの児童雑誌のことである。この時代、赤い鳥運動は日本の近代の児童文学や児童音楽、すなわち、日本の童話と童謡の雑誌の創世期に絶大な影響を与えた。

次のシーンはラジオ局。岸井明演じる岸田が放送局で歌っている。この時代のラジオ放送はすべてぶっつけ本番であった。
次女の明子はこの声楽家の岸田と結婚している。務と秀子は最初にこの夫婦の家を訪ねることになったもよう。
ラジオの出演が終わったあとは岸田の家でパーティーをすることになっていて、明子は友人を集め、務と秀子にも参加させていた。
「いつも放送局から45分で帰ってきますので、もう少しお待ちくださいね」明子の言葉に一同、うなづく。
ところが岸田はなかなか帰ってこない。
「もうあの人ったらどこをほっつき歩いているのかしら。皆さんもお待ちになっているのに。もう我慢できない。始めましょう」
と憤る明子に友人のひとりは、
「まあ、明子さん、もう少し待っていましょうよ」となだめる。
しかし、また一時間が過ぎても岸田は帰らない。
「もう、ほんとに癪に障るわ。きっとどこかで飲んでいるんだわ」
「そんなことはありませんよ」
ぷりぷりする明子を客のひとりがとりなす。
「あのひとったらね、いつも放送局でもらったお礼を全部飲んできてしまうの。くやしいー」
「いや、そんなことはありませんよ、奥さん」
そこで明子は思いつく。
「そうだ、いいことがあるわ。みんなちょっと待っていてね。ほーら、どう」
明子が開いた棚には洋酒がぎっしり並んでいる。
「これも、これも、みーんな本物なのよ。あの人、大事に隠してるの。これみーんな飲んじゃおう」
「いやあ、これはすごい」客たちは歓声をあげる。明子は続いて、
「秀子さん、練習室のピアノの上に葉巻があるからとってきてちょうだい」
ウィスキーも葉巻も今夜は大盤振る舞いになりそうだ。
「いい気味だわ。あの人きっと驚くわよ」

葉巻をとりにきた秀子の後を追って務も練習室にやってくる。
務「ひでえもんだな」
秀子「帰ってこない岸田さんも悪いけど、お姉さまもどうかと思うわ」
務「二人とも大バカ者だ」
秀子「第一、この時代に洋酒や葉巻をためているなんて大間違いよ」
秀子のこのセリフは戦時中ならではのもの。

客間では酔った明子が泣き出してしまう。
「わーん、馬鹿、馬鹿、岸田の馬鹿」
明子をなぐさめようと客のひとり、林が言う。
「奥さん、奥さん、ひょっとしたら岸田君は僕のうちに来ているかもしれませんよ」
「ほんと? 林さん」
「たしか、そんなことを言っていたような気がする。じゃ、岸田君が来ているかもしれないから、僕はこれで失礼。岸田君が来ていたらすぐ連絡します。ごちそうさまでした」
じゃ、私たちも、と、それをきっかけに居心地の悪くなった客たちはみんな引き上げ始める。
「あら、みなさん、お帰りになるの? もう少しいいじゃありませんか」

それからまた一時間ほど経過して、午前1時。居間で明子と務、秀子の三人は無言で火鉢を囲んでいる。そこへ、
「岸田さん、電報です!」
秀子が電報を受け取り、明子に渡す。
「キシダクン、イエニトマッテイル。ハヤシ」
「まあ、よかった。安心したわ。でも変なひとねえ、なんでこんな日に林さんのところに行ったんでしょう。まあ、いいわ。あんたたち、お腹空いたでしょう」
務「ああ、僕たち、ちょっとしか食ってないんだぜ」
明子「じゃあ、もう一度食堂に行きましょう」

夜食を前に、明子は務にワインをそそぎ、秀子も「少し」だけお相伴する。
明子「岸田と結婚して三度目よ。でもこんなに印象深いのは初めて」
務「じゃ、あらためて姉さんの誕生日、おめでとう」
秀子「おめでとうございます」
どうやらこのパーティーは明子の誕生日パーティーだったようだ。
そこへまた、
「岸田さん、電報です」
明子「あら、また?」
立ち上がろうとする明子をとめて秀子が、
「わたし、行ってきます」
「すみません」

電報は一通だけではなかった。
「キシダクン、ウチニトマッテイマス。イマイ」
「キシダクン、ウチニオトメシタ。タナカ」
「キムラクンノイエニトマッテイル。アンシンセヨ。キシダ」
明子「まあ、くやしい。みんな私を安心させようとしてこんなウソついてだましたりして」
明子はもう怒り心頭。

翌朝帰ってきた岸田は言い訳に必死となる。
「だからさあ、ウソじゃないんだよ。途中で警官の尋問にひっかかって、警察に行っていたんだよ。ウソだと思ったら警察に電話かけて聞いてみたらいい」
「もう知らない、知らない」
「ウソじゃないったら」
ガチャーン、ガチャーンと派手な音。秀子と務がかけつけると明子は大事な食器を片っ端から岸田に投げつけている。
務「姉さん、」
明子「うるさい、あんたなんか黙ってらっしゃい。秀子さん、何してるのよ、早くそれ、取ってちょうだい」
岸田「おい、君、なんとかしてくれよ」
務「姉さん!」
岸田「おい、それは北京の大事な壺、」
明子「北京もなにもあるもんか。はい、次、」
明子が秀子に命ずると秀子は素直に手渡していく。
岸田「おい、君、その皿は、」
明子「さ、秀子さん、いちいち言わなくても取ってよ」
そう言われて秀子は、素直に次の獲物を見つけてどんどん渡していく。
岸田「おい、君、その皿は、それは、一番大事な、」
ついに明子は皿を岸田の頭にぶつける。
秀子は明子にランプを手渡し、明子はそれも思い切り投げつける。しかし、投げてからはっとする。
岸田「あーあ、これは新婚記念の、」
正気を取り戻した明子「おやおや、どうしましょう、あなた」
秀子、うつむいて、「ごめんなさい」

秀子と務は明子の家を出て道を歩いている。
務「どう思う、あんな結婚」
秀子「いやあねえ」
務「要するにつまらない復讐心から皿を壊したんだ」
秀子「あんなところに青い鳥はいないわね」

二人が次に訪れたのは次男の太田覚の家。
茶の間で待たされている二人。務はきょろきょろ見まわしている。
秀子「そんなにじろじろみるもんじゃないわよ」
務「だって僕たち、見学に来たんだもの」
そこへ玄関口に男がやってくる。
「こんにちは、誰もいませんか」
秀子が出ていき、誰もいないことを告げると、
「米代、あずかってませんか。じゃ、言っといてください。現金じゃなきゃだめだって。」
このうちはいつもこうだ、と、ぶつぶつ言いながら米屋は帰っていった。

事情を察して務と秀子は無言になる。
そこへ覚の妻お千代が帰ってくる。
「ごめんなさい、遅くなって。遠いところまで買い物に行っていたものですから」務にそう言ったあと、
「さあ、お入りになって」
と、お千代の後ろにいた男女の二人連れに声をかける。女は務たちに気が付いて、
「いいんですか、お客のようですけど」
「主人の弟ですの。かまいかせんからどうぞ」
お千代は二人を務たちに紹介する。
「こちら、昔わたしがいたところのご主人の姉さんなんですの」
と言われて、ぱっとその関係を理解できる人がいるのだろうか。よくこんな曖昧な言い方を考え付くものだと感心するが、いずれにしろいかにも粋筋らしい二人であるところからお千代もかつてはそういう世界のひとであったことがわかる。
「そして、そのお連れ合いの嵐貫太郎さん。ちょうどそこで出会ったものですから」と務たちに説明し、二人には、
「こちら主人の弟さんとその許嫁」と、お千代は紹介する。
いかにもものなれたふうの女は
「ご立派な方。お嬢さんもお綺麗で。いいわねえ、若い方は」
と、そつなくお世辞を言う。

お千代は女に向かって、明るく、
「ほんとに私ったら、すっかりご無沙汰して。みなさんお元気?」
「ええ、ええ、もう、元気すぎてこまるほど。ねえ、千代ちゃん、今度このひとが名代になってね」
「まあ、それはおめでとうございます。貫ちゃん、よかったわねえ」
「いや、それどころか、千代ちゃん、じゃなかった、奥さん。すみません、つい昔のくせが出ちゃった。でね、奥さん、いまさら名代もないんですけどね、なにしろこいつが肩身が狭いとかなんとか、名代にならないと落ちついて芝居が見られないとかいうもので、」
貫太郎はぺらぺらとまくしたて、三人は懐かしそうに話し合っている。
「来月の芝居は鏡山ね。秀子さん、御覧になったことあります?」
お千代は秀子に問いかける。それは秀子にはほど遠い世界であった。秀子はもじもじしながら、
「お父さんがやかましいので...」
貫太郎は即うなづいて、
「いや、それはもう、ごもっともなことで。あなたさまが堅気のご家庭で、」
ほうっておくとまたまくしたてようとするので、女はあわてて貫太郎の袖を引っ張る。
お千代「それで貫ちゃんの役はなんなの?」
女「それがもういやになっちゃうわ。このひとのセリフは、られましょう、なのよ」
お千代「られましょう?」
貫太郎は台本を取り出す。
「姫君様には、いらせ、いやこれは他の人のセリフで、そのあとの、られましょう、というのがあっしのセリフで」
お千代「たったそれだけ?」
「ええ、たったそれだけなんで」
ここでみんながどっと笑いだす。
お千代「貫ちゃんたら。じゃ、切符いただきましょうか」
切符を買ってもらうのが訪問客の目的だということはその業界にいたお千代にはよくわかっている。
女「すみませんねえ、きょうはそれで来たのよ」
お千代「いいえ、何もできなくて。4枚で勘弁してくれる? こんな暮らしなもので」
女「けっこうですとも。お金はいつでもいいのよ」
お千代「本当なら20枚や30枚ぐらい買わないと義理が悪いんですけどねえ」
米代も滞納しているのにどうして支払うつもりか。しかし、ここは最低限の義理だてはしなくてはならないのだろう。
仰々しく挨拶して帰っていく客を務と秀子は複雑な表情で見送っている。

その夜、覚の山師仲間が二人来て酒を飲み始める。ひとりの男が務にも酒を勧めるが務はかたくなに断る。
お千代が客にお酌しようとするが酒がない。
覚「なんだ、酒がないのか。もっといで」
はい、と、返事をしたお千代は務と秀子に、
「あなたたちの食事はあちらに用意してるから」と言うので、二人は席を立って茶の間に行く。
覚「さ、遠慮しないで。今日は前祝いだから。やっと見込みがついたんだから」
男1「そうですとも。最後の岩盤に突き当たったんですから」
客たちは調子のよい話しをしている。
男1「技師たちも言っている。あの岩は卵の殻のようなものだからって。ちょっと穴をあければ中の石油がすぐ吹き出す、ってそう言ってたな」
男2「そうそう。間違いない。それで掘削の費用のことなんですが、」
話はますますいかがわしくなっていく。
覚「だから言ってるじゃないか、まかしておけって」
男2「何しろ御本家がしっかりしているから」
「おい、お酒まだかい」
覚はのんきにお千代をせかせる。お千代は低い声で、
「あなた、ちょっと」と覚を呼び出す。
「兄さん、呼んでますよ」務が隣の部屋から兄に声をかける。
出てきた覚は台所の片隅でお千代の話を聞いている。

奥では二人の客がひそひそ話。
「あれだろ、新橋で芸者していたっていうのが」
「そうだ。いろいろあってね。こんなところにいたってどこか違うぜ」
「粋だよ。もったいねえな」
覚は務と秀子に、
「お前たち、ちょっとお客さんのところに行って」と言い、部屋を明けさせる。
そして襖を閉めてから、箪笥を開ける。質草を探すためである。

奥の客は事情を察している。
「酒がねえんだよ」
「そうか。たいしたことねえな、この家も」
さっきからムカムカしながら客の話しを聞いていた務は、ついに怒りを爆発させる。
「馬鹿野郎!」
思い切り客の頬をひっぱたき、
「帰ろう!」と、秀子の手をとって家を出ていく。

電車の中で、
秀子「あのお義姉さんも可哀そうね」
務「可哀そう? 僕は反対だな」
「なぜ?」
「あんな忍従ぶりは無意味だと思うよ」
「そうね、忍従だけしていても青い鳥は来ないわよね」
「要するに古臭いんだよ」
「昔の悪いところだけとったのね。でも、あたし、感心したわ」
「何を?」
「務さんて案外勇敢ね。あたし、痛快だった」

鎌倉。武田桃三郎宅。務の姉、長女真紀子の嫁ぎ先である。
証城寺の狸ばやしのレコードで、中村メイコ扮するおしゃまな一人娘、順子が踊りを披露している。父も興じて一緒に歌っている。終わったところで、順子は身体をくねらせて、
「拍手してくださらなきゃ、いやあ」
あ、はい、はい。パチパチパチ。
「ご褒美ちょうだい」と順子はおねだりする。
母の真紀子は仕方なく、
「じゃあ、きょうは特別ね」といってお菓子を与える。
「いやーん、もうひとつ」
「だめよ。ぽんぽんが痛くなるから」
「痛くならないもん」
順子はしつこくねだる。ついに父が、
「もうひとつぐらいいいだろう」
「もう、ほんとにこの子には負けちゃうわ」母は仕方なくもうひとつ与える。
順子は「さあ、順子」と腕を差し出す父の手に抱かれる。
「おとうちゃま、お世辞いったって分けてあげませんよ」
「なにをこいつ、大人をからかったりして、はは」
父は娘にべたべたである。
真紀子は秀子に
「お泊りになってもいいんでしょう?」
と言うが、秀子はためらう。
真紀子は明日みんなでお芝居に行きましょうと誘う。芝居の切符を4枚まわしてもらったから、と。それはお千代からの例の切符だった。
「芝居か、めずらしいな」と武田も身を乗り出す。
切符の事情を知っている秀子と務はどうも気が乗らない。
「お千代さんから? 僕は嫌だなあ、なんだか気の毒だから」
しぶる務に、
「あんたって男のくせにそんな心配することなんかないのよ。することはちゃんとしているから」
真紀子はお千代の家の事情を理解し、おそらくそれなりの価格で切符を買ってやったのだろう。
真紀子はなおも勧め、順子も
「ねえ、お泊まんなさいよ、おねえちゃまー」と秀子に後ろから抱きつく。さすが名子役、中村メイコ。
「そして、あたしとおねえちゃまとおねんねしましょうよ、ね」と言われればもう断れない。

翌朝、務と秀子は二人で歩いている。ふたりは夕べの武田家の生活をみて考え込む。
務「ずいぶん立派な夫婦だなあ、あのふたり」
秀子「あたしなんかとてもあんな高い気持ちになれそうもないわ」
務「普通の生活してたら10年たっても、20年たってもああはならないなあ」
秀子「あれが本当の青い鳥かしら」
務「さあ、僕たちにはわからない」

長男の進は農業をしている。務と秀子が訪ねてみると、進は留守で、妻の美代子が二人を出迎えた。
美代子「さあ、どうぞ、こちらへ」
務「そうですか、兄さん、留守なんですか」
美代子「ええ、三、四日前に出て行ったんですの」
務「どこか旅行ですか」
美代子「さあ。いつも私には何も言わないんです。さあ、どうぞ」
務「兄さんは相変わらずだなあ」
美代子「豚に餌をやらなければならないので、ちょっと失礼します」
秀子「どうぞ」
子供を背負いながら美代子はせかせかと動き回り、秀子たちに大きな瓶を指し示して、
「恐れ入りますが、あそこに牛乳が入ってますので、勝手に召し上がってくださいな。じゃ、お願いします」
秀子「どうぞ、ごゆっくり」

秀子と務は顔を見合わせる。
秀子「とてもお忙しそうね」
務「だけど、進兄さんって昔からとってものんきものなんだぜ」
秀子「そうなの。あ、牛乳いただきましょうか」
のどかな牛の鳴き声が聞こえる。
秀子「いいなあ」
外に出ると、鶏の鳴き声。
秀子「いいなあ、田舎はいいなあ」
務「進にいさんの気持ち、わかるなあ」
と、務もそう言いながら、秀子に牛乳のコップを渡す。
秀子「でも、お義姉さん、寂しくないのかしら。東京で生まれ、東京で育って、そしてこんな田舎に来て」
務「それよりあんなのんき坊主の奥さんになってよく辛抱できるもんだ。君ならどう?」
秀子「行く先も言わず、何日も家を明けて、でもそれを奥様は平気でいる。とっても幸せそうに見えるわ」
務「聞いてみないか?」
秀子「こんな状態で幸せですか、って? いやよ、そんなの」
務「それが一番重要なんだよ」
秀子「いやよ、じゃ、あなたがお聞きなさいよ」
務「俺はいやだよ」
秀子「じゃあね、ジャンケンしましょう」

ジャンケンをしてから、二人は豚小屋に向かう。
務「あのう、ちょっと聞きたいんですけど」
美代子「は?」
務「あのう、義姉さんは兄さんと結婚して幸せですか」
美代子「は?」
務「あの、幸せですか」
美代子「幸せって?」
怪訝な顔をしながらも美代子は仕事の手を休めない。
務「あの、つまり、満足しているか、楽しいか、って聞いているんです。あの、ぼく聞きたくないんですけど、ジャンケンで負けちゃって」
美代子「そんなこと、考えてみたこともありませんわ。さあ、どうでしょう。そんなこと自分でもわかりませんわ」
務「どうして?」
美代子「だって、あんまり突飛なことで」
務「突飛ですか」
牛がモーと返事する。

そうこうしているうちに進が子牛を連れて帰ってきた。「とーちゃん!」と子供たちが父のあとを追っていく。

しばらくして、囲炉裏を囲んでみんなで鍋をつつきながら、
進「今日は腹がへったぞ。駅から牛を引っぱってきたもんだから。さ、できたぞ」と、言いながら、進は子供たちに鍋からよそってやる。
務「にいさん、どこへ行ってたんです?」
進「芝の牧場さ」
務「牛の子を買いに?」
進「ああ」
進「品評会で一等をとった牛の子で、純粋のホルスタインだ。これから子を産ませるんだ」
務「にいさんは相変わらずのんきだなあ」
進「のんきどころか、この牛は申し込みが多くて苦労したぞ」
務「いや、そうじゃないんですよ。幾日も黙って家を明けて、家のことが心配にならないんですか」
進「ん? おまえなんだろう、結婚というのを幸福とか愛情とかそんなものを目標においているんだろう」
務「それがどうだっていうんですか」
進「どうっていうわけじゃないが。まあ、俺の考えをいえばだ、愛情とか幸福とか、そんな言葉はどうだっていいんだ。お互いに健康に気をつけて丈夫なぴちぴちしたいい子をたくさん産むことだ。どうだ、このうちの子を見ろ。だいいち、よく飯を食うだろう」
務「兄さんの考えは少し極端だなあ」
進「どうして?」
務「まるで牛や豚の繁殖を同じ考えだもの。少しひどいよ」
進「馬鹿、牛や豚の繁殖はそんな簡単なものじゃないんだぞ。何百年もかかって品種改良して、やっといまのような立派な種が固定したんだ」
務「兄さんはすぐ自分のことにしてしまうんだ。少しは人間の生活のことを考えたらどうです」
進「余計なことを言わずにさっさと食え。この豚汁はよそではめったに食えないんだぞ。ヨークシャーのぱりぱりなんだから」
務「野蛮だな、考え方が」
進「おまえのほうが甘すぎるのさ。お前なんかにまだ結婚の意味がわかるものか。ね、秀子さん」
秀子「は、はあ」
進「はは、さあ、食え、食え、食おう。おい、美代子、この間作ったチーズ、もういいだろう。もっておいで」
美代子「はい。ねえ、あなた、秀子さんのような若い方にあんまりずけずけ言わないほうがいいわ」
進「まあ、まだ結婚なんて早いよ。もう一度ふたりとも考え直してみるんだな、はは」
言われて秀子は考え込む。
秀子「あたしたち、少し夢みたいなことを考えていたかもしれないわね」
沈黙する務に代わって、
進「そうだな、はは」

鎌倉の真紀子の家に戻って、務と秀子は庭先であくびをしている。
ここは真紀子の家と進の家との間の時間の順序が少し合わないようだが、進の先の言葉を結婚に対する二人のためらいを示す最初の布石にするために順序を変えたのかもしれない。

秀子「あーあ、眠い、夕べはちっとも寝てやしないのよ」
務「少し甘やかしすぎるんだよ」
秀子「そうねえ」
二人は順子のわがままぶりが問題だと思っているのである。

家の中では順子が母の真紀子に駄々をこねている。
「いやいや、振袖着たいのよ」
「どうしてそうわからずやなの。お振袖はお正月のものなのよ」
「いやーん、いやーん、振袖が着たいー」

そこへ入ってきた秀子を見て真紀子は
「もうじき(芝居)に出かける時間ですよ」
秀子「ええ。お姉さま、お仕度は?」
真紀子「だって、この子が手を離さないんですもの」
秀子「じゃあ、あたしがお洋服着せます」
真紀子「そう? じゃ、お願いしますわ。すみません」

秀子「さあ、順子ちゃん、これ着ましょうね」
順子「いやーん。振袖でなくちゃいやーよ」
秀子「これにしましょうよ」
順子「いやーん、いやーん」
順子は服を投げ捨てる。
「だめ!」「いや!」「ね、着てちょうだい」「いや」「着なくちゃだめよ」「いや!」「だめ!」「お願い」「いや!」「だめよ!」「いや」「だめったらだめよ」「いやいやいやーん」「だめ、め! め! これを着るの!」
思わず手が出て、順子もついにうなづく。秀子はほっとする。
「ああ、お利巧さんねえ」
襖の陰でその様子を真紀子が見ている。

「ただいま」
玄関に声がして武田が帰ってきた。
秀子は順子を引っ張っていく。
「おとうさまがお帰りよ」
父の顔をみて順子も元気を取り戻す。
「おとうちゃま、お帰りなさーい」

武田は秀子に言う。
「秀子さん、お芝居はだめになりましたよ」
務「どうしてです?」
真紀子「おかえりなさい。お早いのね。なぜお芝居がだめになりましたの?」
武田「うん、急に船に乗ることになってね。今からすぐ支度だ」
真紀子は息をのむ。
「まあ、そうでしたの」
武田「おい、持ち物を出してくれ」
真紀子「はい。いつものでようございますか」
武田「あ、おい。今度は少し長いかもしれんぞ」

順子がねだる。
「おとうちゃま、遊びましょうよ」
「ああ、よしよし」
務「義兄さん、しかるべきところに電報を打つなり、ぼくがやりましょうか」
武田「いや、それには及ばんよ。いずれ知らせる」
務「でも、今度は、」
武田「いやあ、心配するなよ」
秀子も心配そうに、思わず「務さん」と声をかける。
この映画の封切りは1942年だからすでに真珠湾攻撃は終わっている。武田も今回の出航は生死をかけたものだと覚悟しているのである。

真紀子は神棚に火をともす。
「奥さま、」ばあやが心配そうに声をかける。
「大丈夫よ。旅行鞄を出してちょうだい」

庭で、武田は順子のブランコを揺らしている。
「あのう、支度ができました」
「うむ」ブランコの手を止め、武田は家に入る。

秀子「あのう、おねえさま、何かお手伝いすることありません?」
真紀子は微笑んで、「もういいのよ」と言ったあと、順子に何かのお守りなのか刀なのか画像がはっきりしないが、それをもたせる。それを仏壇に備えて、一同は手を合わせる。
武田自身は仏壇に軽く礼をしたあと、すぐに玄関に向かう。
「じゃあ、行ってくる、頼むよ」
務「兄さん、駅までまいります」
「そんなことしないほうが」という真紀子に呼応して、武田は「いやあ、かまわんでください」と、きっぱり言ったあと、
「じゃあ、いってまいります」
務と秀子は「お大事に」「ご無事で」と声をかける。

真紀子が「じゃあ、ご安心して」と挨拶すると、おしゃまな声で順子も「ご安心して」と続ける。
「はい」武田は順子に敬礼する。
「留守中はおとなしくして、言うことを聞くんですよ」
「はい!」
順子は元気よく答える。
「行ってらっしゃい!」
「はい、行ってまいります」

武田が出ていったあと、黙りこくっているみんなの顔をみて不思議そうにする順子。
「おかあさま、お芝居行かないの?」
「そうそう、そうね」と言いつつ、真紀子は順子を奥に連れていく。
玄関口で後に残った秀子の表情は今にも泣き出さんばかりである。
務も縁側でうずくまっている。

「おとなしく待ってるんですよ。いい? わかった? そう」
順子はお人形に話しかけている。おそらく母に言い聞かせられたことを人形に繰り返しているのだろう。

秀子は玄関座敷のところでまだうずくまっていたが、ついに泣き出してしまう。
驚いて真紀子がかけつける。
「秀子さん、どうかなさったの?」
「姉さん、すみません。順子ちゃんを、溺愛しすぎていると、わたし、思ってたんです。まだまだ足りないわ。わたし、いま、わかったんです、それを。おねえさん、すみません」
「あなたのがほんとよ。さっき順子をぶってくださったのを見てましたわ。あれがほんとなのよ ---- あなた、いい方ねえ」
武田の順子への溺愛ぶりを批判的に見ていた秀子だが、いかに甘かろうが武田は最後の時間をできるだけ娘のために費やそうとしていた。その武田の気持ちを秀子はやっと理解したのである。こんなことでは自分はとてもまだ結婚なんか無理だ。「甘い」と言われた進の言葉も思い出し、秀子と務は態度を決める。

次のシーンでは明堂、巡亭、文之の三人が揃って思案している。
巡亭「当人同志がどうしても気がすすまないとおっしゃるのなら、やむを得ませんな。では、当分の間、延期ということで」
明堂「いや、申し訳ない」
文之「いやいや、とんでもない。こちらこそどうもいたりませぬことで」
明堂「なお、今後ともおつきあいのほどを、とくに俳句のほうではな」
「いや、よろしく」
一同、状況にもかかわらずなごやかな雰囲気であるが、茶菓子を出しにきたばあやのキヨは縁談がまとまらないと聞いて思わず涙をもらす。
「なんじゃあ、お客様の前で取り乱したりして」文之が叱りつける。
その気持ちはわかる、と、巡亭が残念そうに言う。
「どうも、わたくしも年が若いのではないかと最初から、」

数日後、それでも秀子は相変わらず明るい。いつものように賑やかな女学生の帰り道。
「じゃ、さよなら」
「さよなら」
「あ、あのね、としこさん、あのねえ」
「なあに」
「ぽかん」
キャーキャーと響き渡る女学生たちの歓声。
なあに? ぽかーん、というのはわりと最近まで流行っていた遊びである。

次は秀子の弟とその友達たち。
「おまえの姉さん、どうしたの。お菓子屋に行かなかったの?」
「だめになっちゃったんだよ」
「ちぇっ、当てがはずれちゃった」

次のシーン。
明治堂の店先には臨時休業の張り紙が張られている。
今日は晴れの日、三女千鶴子の結婚式なのである。

店の奥では花嫁支度に余念がない。
「できましたかな」と、当主の亀造もそわそわと落ち着きがない。
「支度ができました」と、舅に知らせる。
「そうか、自動車はまだか」明堂もせわしない。
タケ「まだでございます」
亀造「まだです」
明堂「わかっているよ。じゃ、もう一度電話をかけなさい」
亀造「電話をかけなさい」
タケ「わかってますよ」
ぷいとタケは立ち上がって出ていく。

奥では身内の客たちが順子を相手にくつろいでいる。
「おばちゃん、このおべべ綺麗でしょう?」
順子は千鶴子の結婚式でやっと念願の振袖を着ることができたようだ。
「きれいなおべべねえ」明子も如才なく答える
「おじちゃん、この振袖きれいでしょう?」
「うん、きれいだねえ」
岸田もそつなくこなす。次に順子は進のところに来て、
「おじちゃん、お振袖、きれいでしょう?」
「子供のくせに生意気だあい」
進は思っていることは子供にもちゃんと言う。それが進のやり方で、むろんそれは順子の気質を承知した上でのことである。
「生意気じゃないわよう」
「生意気だよ、ーだ」
一同が笑いだす。

廊下の椅子に座っている覚を見て母のタケが驚く。
「お母さん、このたびはおめでとうございます」
「なあに、その恰好は」
「は、これはいまお千代がいまモーニングをもってくることになっておりまして」
晴れの日だというのにさとるは礼服の調達もままならないらしい。
「間に合わないとみっともないから、お父様のモーニングを貸してあげるから」
「いや、お母さん、大丈夫なんですよ。お千代がきっともってきてくれるから。大丈夫、間に合いますから。どうしたのかな、お千代は」
「ほんとにいやだよ、この人」
と、これは息子にいう言葉とは思えぬが、正直な気持ちの現れなのだろう。

二階の部屋でぽつねんとしている務に、女中が
「千鶴子さまがお目にかかりたいとのことですが」
「だめだよ。考え事をしているんだから」
務はそっけない返事をする。

明堂「何をしているんでしょうな、自動車はまだですか」
「は、まだのようですが」
「もう一度見てきなさい」
「はい、もう一度見てまいります」
舅の言葉には逆らえない亀造である。

廊下で出会ったタケに亀造は
「自動車はどうした? もう一度見てきなさい」
「もう来てますよ!」
すごすご引き下がる亀造を尻目に、タケは次男の覚に向かって小声で言う。
「早く紋付をお着なさい」
「大丈夫ですよ」
覚はいつもお千代が最後にはなんとかしくれると信じている。どうでもいいことだが、タケはさっきはモーニングと言っていたのにここでは紋付になってしまっている。

花嫁の支度を整えた千鶴子は、務はここに来ないと女中に告げられ、考え込む。
「困ったわね。話したいことがあったんだけど」
そこへ、女中が
「成島さまのお嬢様がお見えになりました」と告げる。秀子の顔を見て千鶴子の顔がほころぶ。
「おめでとうございます」
「ありがとう。よく来てくださったわね」
「お別れの言葉を言いたかったんです」
秀子は千鶴子の花嫁衣裳をつくづくと見る。
「きれいだわあ」
「私もあなたに聞きたいと思っていたことがあるの。ねえ、秀子さん」
「何です?」

そこへ女中が
「お車がまいりました」と告げる。
タケが入ってくる。
「さ、車が来ましたよ」
「おかあさま、ちょっと待って。五分間」
千鶴子は母にそう言って、秀子の手を引く。
「どこへ行くの、千鶴子」
「おいおい、千鶴子、どこへ行くんですか」
両親の声を尻目に千鶴子は秀子を二階に連れていく。

一方、階下では、
「あなた、」
「や、有難う、ご苦労だったね」
美代子が覚の礼服を整えてきたのだった。どこでどう工面したか、切羽詰まったときにはいつでも頼りにできる妻であった。
順子は礼服から転がり出たナフタリンを口に入れようとする。母が慌てて止める。
「まあ、だめよ、順子ちゃん。馬鹿ねえ、順子ちゃんは」
ナフタリンが日常生活に欠かせないものだった時代であり、口にしようとする子供も多かったであろう。

「さあ、」と秀子を促しながら、花嫁姿の千鶴子は務の部屋に入っていく。
「ねえさん!」と、思いがけない姉の姿に務はもっていた水筒を思わず取り落とす。それは秀子が務にぶつけた水筒であった。
水筒と取り上げ千鶴子は言う。
「あんた、寂しいんでしょう? ね? はっきりおっしゃいよ。これがあたしの最後の言葉よ。ねえ、寂しいんでしょう?」
務は黙ってうなづく。
「そう」
千鶴子は秀子の手を引っ張る。隠れようとする秀子に
「秀子ちゃん、あんたも寂しいんでしょう? ね、そうでしょう?」
秀子もうなづく。
千鶴子は秀子の手をとって務に向き合わせる。
「ふたりの気持ちの上でこれが一番必要だったのよ」と、言いながら千鶴子は水筒を渡す。
「安心したわ」
といっているところに祖父の明堂が現れる。
「おい、千鶴子、おまえいったい、なにをぐずぐずして ---- おや?」
なぜ秀子がここに?
「おじいさま、二人はやっと青い鳥をつかまえたんですわ」
「そうか」二人の顔を見て明堂の顔は満足げである。

戸外で務と秀子と犬のハッピーが草の上に座っている。
鳥の鳴き声をたどって首を回していた秀子。
「青い鳥がいるわ」
「どこ?」
「ほら、ほら、あそこ」

そこへ鳥かごを抱えた一人の男が走ってきた。
「もしもし、うちのインコを知りませんか」
「ああ、あっちへ行きました」
といった秀子の手がまた務の顔にぱちーん。
「わあ!」思わず務が叫ぶ。
「またやったね、君は!」
秀子は首をすくめる。また、やっちゃった。
そして恒例の「ごめんなさい」で、The End

ここで務を演じた池部良氏は、このあとご自身も戦地に赴きヘビやトカゲで飢えをしのぎながら生還された。戦時中をふりかえった氏のエッセイは興味深い。そしてそのような過酷な経験を経ながら、あの名作「青い山脈(1949)」ではまるでゆで卵のようにつるりとして何の苦労もないような(監督談)青年役を演じたのである。

8.Akai-te-no-Musumetachi 赤い手の娘達 1941


https://youtu.be/P6hdkOXXUFE
「赤い手」というので一瞬それは血まみれの手かと思ってしまったが、まるで考えすぎだった。これは少女漫画の原型かと思われるような映画である。子供のころから不幸にもめげず健気に生きる少女漫画や小説をよく読んでいたものだからこの映画はぴったりとハマった。

赤い手というのは地引網を引く少女たちのあかぎれの手のこと。母亡きあと父と兄と三人で暮らしていた少女ハマ。その父と兄が海から帰ってこなくなって数年。しかしハマはまだ彼らが死んだとは信じられず夕食にはいまも陰膳を欠かさない。

東京からやってきた画家島田は、海岸で子供たちとひるむことなく相撲を取っているハマの野性的な情熱と素朴さに画家としての意欲を掻き立てられ、彼女の後を追ってスケッチに励んでいた。が、それに気づいたハマは女の子の潔癖さから島田を痴漢だと思ってしまう。

だが、いつまでも地引網をしながら年若い女の子がそんな暮らしをしていていいはずはない。たまたま村に買い付けに来ている魚屋が出入りする東京のお屋敷で女中を求めているという話が伝わり、村人たちの気配りでそんなハマも東京へ女中奉公に出かけることになる。この映画はそこで引き起こす数々の愉快な失敗と成長の物語である。

行った先でハマの羽目を外した田舎ものぶりに周囲はあきれ果てる。朝のご飯を食堂にもっていくときも、両手がふさがっていてどうしてよいかわからず、扉を足であけたりするものだから家族全員噴き出してしまう。
奥様はそれでも「おまえ、手がふさがっていたら、お膳をおいてから手で扉をあけるものですよ」と、おだやかに諭す。そんな奥様の顔をにらみつけるハマ。
「なんです、その顔は?」と訝しがる奥様の顔をハマはひっぱたく。
あっと驚く奥様に対し、ハマは手のひらをひらげて、
「蚊がとまっていただよ、ほら、憎い奴だね。こんなに血を吸って」
家族全員がまた噴き出す。
奥様も落ち着いてきて、
「もうここはいいから、あっちへ行って庭の掃除でもなさい」
そしてハマが去ったところで、年かさのミネに向かって、丁寧に言う。
「ミネや、なにしろ田舎者だからお前たちがなんでも教えてやらないとだめですよ」
「はい、それはもう。本当に相済みません」
ハマにはがみがみ言いながらも、ミネも気のいい性分なのである。

しかし、幸いにも、大学教授の主人は、そんなハマが歌う地引網の歌も「面白いじゃないか」と調子を揃えて歌いだしたり、庭の野菜作り始めたハマに「なるほど理にかなっている、わしもやってみよう」と、自ら鍬を持ち始めてしまう始末である。

そうこうするうちに、ハマは主人宅を訪れた画家の島田がご主人のお嬢さん紀子の婚約者だったことを知らずに「痴漢」だと騒ぐ。むろんそれは濡れ衣であった。
お嬢さんは
「島田さんはハマを描きたいとおっしゃっているのよ。ただ座っていればいいの。お金だってくださるわ」というが、
「おら、そんなこと嫌だ。金なんて働けば手に入る」とハマはにべもない。
紀子はハマの気性をわかっていながらも嫉妬を押さえきれない。
バッグが無くなったとハマに対して嫌がらせをしてしまうが、後には自分の姑息さを恥じることになる。

それはそれとして、ハマは依然としてマイペース。
近所の知り合いの女中が、雇い主の主婦が重い病気になり辞めるに辞められず、そのうち過労でくたびれ果てていると知って、田舎の浜にいたときと同様、子供たちの力を借りて手助けする。ハマは手助けひとつでもそれをゲームにすることに長けている。
どうするんだい? と聞く子供たちに、しんちゃんは縄をもってきて、あんたはあれをやって、あんたはこれをすすいで、と、てきぱき指示をする。慣れたものだ。
それぞれ役割を得て働く子供たちがうたう歌。

戦に勝つにはお互いに、持ち場職場で命がけ
こんな苦労じゃまだ足りぬ
そうだその意気その気持ち
そろうそろう気持ちが国護る

輝く勲、皇軍にまけず遅れずがっちりと
共に戦う銃後軍
そうだ進めば盛り上がる
凱歌凱歌あかるい
大アジア

病気の主婦を抱える家は島田家の向いの家だった。島田の家では母と島田が話している。
「ねえ、お母さん、僕はやはりあの人と結婚したほうがいいのでしょうか」
島田はハマに対する紀子の思いがけないリアクションにとまどいを感じ始めているのである。
「それはお前、お父さんが生きていらしたときからのお約束なんですから」
「それはそうですが」
「何か気に入らないところでもあるの」
「なんていっていいのか、どういったらいいのかなあ」
「それはおまえ、誰にだって欠点というものがあるんだからねえ。それにお父様同志親友で、お前だって始めは喜んで承諾したんだからねえ。それにあの人だって根はいい人なんだから。なるべくならねえ」
母は息子に強制はしないが、言うべきところは言い含める。
そこで外のほうからハマと子供たちが家事を手伝いながら歌っている声が聞こえてくる。島田はそれに気が付いてまたスケッチブックを手にする。

母親がやってきて「おやまあ、お向かいの奥さんが御病気だっていうのは聞いていたけど、ねえやまでどうかしたのかねえ」
「ねえ、お母さん、うちでも手伝いにいかなくちゃいけませんね」
「そうねえ、ほんと、うっかりしていたねえ」
単なる近所という近しさでは、たとえ助けを求める場合でも、また助けを提供する場合でも、微妙な線があるということを示すセリフである。

子供たちとすっかり仲良くなったハマは子供たちとドッジボールをしている。主人の坊ちゃんも参加しているが、ボールを当てられて泣き出ししまう。
「いいか、ぼっちゃん、男というものは泣きたいときには笑うもんなんだ。さ、笑ってみな」
と言われて思わず笑いを浮かべるぼっちゃん。
「そうだ、その調子、えらいぞ、えらいぞ」
みんな笑いだす。
「そうだ、いい気持ちだろう。さ、もっと、やるべ、やるべ」
「やるべ、やるべ」
そのときから坊ちゃんはハマのファンになったのである。

この時代の日本の女中(戦後はお手伝いさんと呼ばれることになるが)というのは欧米の人にはなかなか理解しづらいのではないかと思う。むろんひどい主人もあったろうが、通常は準家族として扱われていた。谷崎潤一郎の「台所太平記」を見ればわかるだろう。この映画にある東京の教授宅では4人もいる女中のひとりにハマをいつもかばってくれる雪代という女学生もいるが、これも男子学生なら書生という住み込みので雑用をしながら住まわせてもらうというのが一般的だった。
当時の日本の女中というのは欧米の感覚の女中とは異なり、家事見習いという名目で入る人も多かった。むろん完全に使用人感覚で使っていた家も少なくなかったであろうが、この時代の日本の映画をみれば、女中の存在がごく自然に日常にしみわたっていたことがわかるだろう。学生にかぎっていえば西洋のオー・ペアという感じに近いかもしれない。

さて、ハマは少女ながらひとりで家を守ろうとするぐらい一本筋が通っている。ハマに東京行きを進めた教師は亡き兄の友人でもあり、親身になって彼女のことを気にかけている。教師はハマの気質を知っており、ひとりでやっていける力ももっていると信じているので、
「いいこともあるだろう、そして悪いこともあるだろう。だが、君にはそれを自分で判断できる力があると思う」といって彼女を送り出したのであった。

ハマは数々の失敗をするが、たとえ主人の子供であっても間違っていることははっきり言う。たとえば最初の日、家の中で木刀を振り回す坊ちゃんには「あぶない」と叱りつける。そして、
「ねえやがぶった、ワーン、ワーン!」と泣かれても
「ウソつくな、このガキ」と一蹴する。
先輩の女中ミネは驚いて、
「なにするのよ、おぼっちゃんの言うとおりにするのよ」と説教するが、
「そんなことしたらろくな子にならねえだよ」とはっきり言う。
そのおぼっちゃんもハマに遊びを教えられ、のちにはすっかりハマのファンになったのだった。

あといくつかのエピソード後、数年たって見違えるようになって帰ってきたハマと教師のロマンスを予感させたところで映画は終わりとなる。

9.Magokoro まごころ 1939


https://youtu.be/XlJhY5MWW9A


10.Gishi-Gaiden 義士外伝 Chuboku Naosuke 忠僕直助 1939


https://youtu.be/MWklgyB6wpc

これは「忠臣蔵」から派生する無数のエピソードのひとつで、忠臣蔵というストーリーがいかに長きにわたり人々に好まれていたかがわかる。
最初タイトルを見たときは、忠僕かあ、ちょっと苦手かも、と思っていたら、これが意外。面白い。

この作品は忠臣蔵の小エピソードとして作られたもので、むろんフィクションであろう。直助は主人八十右衛門の忠僕であるが、その主人は浅野内匠頭の忠僕であって四十七士に加わり最後は切腹している。溝口健二の「忠臣蔵」では、八十右衛門は勘定方として、赤穂藩おとりつぶしの際、民の生業に支障をきたさぬよう藩札を適切に処理せよ、と、大石内蔵助から命じられている。

徳川時代においてはまだ下僕が忠義だてするのは自らの直接の主君であって、つまるところ徳川将軍にとっては「私の家来の家来は私の家来ではない」のである。戦いにおいても家人たちは自らの主君を出世させるために戦っていた。

武士道にとって忠義というのは決して盲目的な従順ではない。八十右衛門が妻に向かって、自分と直助は子供の頃から兄弟のように育ってきたと語る場面がある。そして子供のころ、熟した柿を直助にさんざんぶつけてからかっていたのを見た父が「(たとえ使用人の子であっても)幼いものをいじめることは許さん! 謝れ!」と襟髪を掴まれ直助の前にひきずっていかれたことがある、と、八十右衛門は笑いながら語っている。
直助の献身はそういう家風の下僕であったからこそ培われてきたものであり、憎き相手を殺したところで恥の上塗りになるのはわかっている。では主人の恥をそそぐために何ができるかと考え抜いたあげくとられた道である。
家計のためやむなく名刀を手放した主人。その代わりに携えていた粗末な刀を大勢の面前で笑いものにされてしまう。その出来事は直助にとって耐えがたい苦しみであった。その主人の恥をそそごうと思えば、刀鍛冶の修行の厳しさなどものの数ではなかった。
ひとふりの名剣をつくろうと心血をそそぐ厳しい修行の日々は盲目的な献身だけでは決してなし得ない。と、いう話を日本人は好んだのである。

コメントもいくつかいただいた。
直助のフィロソフィーに感銘し、具体的にどういうものかとの質問を受けてとまどった。いや、そういうHow toの問題ではない、と説明したが理解されたか心もとない。

もうひとつ、「最後の斬り合いのシーンはいらなくね?」というコメントには私もほぼ同感。しかしこれは最後の見せ場、すなわち斬り合いの後、昔のように手早く主君の草履を揃えようとする直助に対し、八十右衛門はその手をとって立ち上がらせる -- それは「そなたはもはやわしの僕(しもべ)ではない」という場面を際立たせるためで、そのためにはどうしてもあの斬り合いが必要だった、と、説明したら「ああ、そういう最後がまだあったのか」と納得してくださった。

11.Tetsurin 鐡輪 1939


https://youtu.be/VhPSDgPUAYA

12.Uwasa-no-Musume 噂の娘 1935


https://youtu.be/qjb3jHx5QKU

13.Taro-san-no-Kisha 太郎さんの汽車 1929


https://youtu.be/DdQnI7LbLPc

14.Kinuyo-no-Hatsukoi 絹代の初恋 1940


https://youtu.be/30PDj20GnUA

「惚れた...」    佐分利信のセリフはいつももそもそしていて聞き取りにくく、翻訳者泣かせだが、ここではそのぼそぼそっとした言い方が実に効果的。中途半端なラブシーンよりよほどぐっとくる。

田中絹代は往年の名女優。その作品数も数多い。個人的にはこの作品がいちばん彼女の地を出しているような気がする。幼友達である絹代の親友、水戸光子扮するおのぶとの掛け合いが実に自然。

映画のタイトル「絹代の初恋」からしても彼女のトップスターぶりがうかがえる。「絹代の女医」なんていうのもあった。

15.Asakusa-no-hi 浅草の灯 1937


https://youtu.be/SykEAobWCmI

16.Hyoroku-Yume-Monogatari 兵六夢物語 1943


https://youtu.be/wIIUQR6yZxE

17.Tokyok-Kenbutsu 東京見物 Koshu-saho 公衆作法 1926


https://youtu.be/eOJBEuvgJmI

18.Usizure-Chotokkyu 牛づれ超特急 1937


https://youtu.be/TjY1MA1HALw

19.Hanagata-Senshu 花形選手 1937


https://youtu.be/q93bP8MStQ4

20.Donguri-to-Shiinomi 団栗と椎の実 1941


https://youtu.be/I_cr2XFEACc

個人的に好きな映画のひとつ。最初、題名を見ただけでは意味がわからなかった(一般的にこの時代のタイトルの付け方はほーんといいかげんで、直訳しようとするとフラストレーションがたまる)。
「団栗と椎の実」? 何これ? 同じじゃないの。
しかし見ていくうちにやっとわかってきた。これは都会の「椎の実」と田舎の「団栗」のお話だったのだ。

叔父さんの養子となって東京から田舎の屋敷にやってきた少年秋雄。田舎の子供たちとなかなかなじめないでいる。さらに不器用なおじさんは可愛がっているつもりでも秋雄はなかなか「お父さん」は呼べない。
夜になって無理やり父の寝床に寝かされるが、新しい父の腕の中では秋雄は安心して寝ることができない。父がいびきをかきだすとすぐに母(義母)の寝床に移っていく。そういう日々が続いていた。
ただ、秋雄も気が強い少年で、子供たちは別に秋雄を仲間外れにするつもりはないのに、その子供たちを田舎の団栗だといって馬鹿にしているものだから、なかなかうちとけれらないのである。

秋雄が女の子と遊んでいるのを見て心配になった父は自分で秋雄を連れ出して山に連れていく。そこで川にかかっている小橋を四つん這いになって渡ろうとする秋雄を見てがくぜんとする。田舎育ちの父には信じられない光景であった。
秋雄はけろっとして「だって危ないもの」

そして父は秋雄を子供たちの遊び場になっていた栗の木に登らせる。父は、少しずつ、少しずつ、丁寧に励ましていく。時間はかかったが、父の声に従って秋雄も怖がりながらもなんとかてっぺんまでのぼりついた。

そして上りついたところで、なんと父は秋雄に背を向けてさっさと帰ってしまうのである。秋雄は必死になって「おじさーん、おじさーん」と叫ぶが、ついに父の姿は視界から消えてしまう。

なかなか帰ってこない秋雄を母はしきりに心配する。しかし、しばらくして秋雄は元気に戻ってきた。ポケットに栗をいっぱい詰め込んで。
「まあまあまあ、こんなにたくさん」と母は嬉しい悲鳴を上げる。

その夜、秋雄は新しい父の腕の中で父のいびきを聞きながらすやすや眠るのであった。

この秋雄の試練は家庭内でちょっとした議論になっていた。まず女親がよく言うのは「私には絶対できない」ということである。木のてっぺんに息子を残して去っていく、そんなことは絶対できない。自分もそう思っていた。
しかし年をとってからこの映画をみると、不器用ではあるがそれなりに愛情のある新しい父のやり方もなるほどと思えるようになった。
いったん登ってしまえばひとりで降りるしかない。助けがあると思えば油断もする。自分でやるしかないのだ。それは田舎育ちだった父親本人の経験からくるものでもあったろう。

21.Watashi-no-Uguisu 私の鶯 1943


https://youtu.be/l55aDTXqmDQ

22.Noroshibi-wa-Shanghai-ni-agaru 狼火は上海に揚る 1944


https://youtu.be/PWoFYgUHpVU

23.Daitoa-Kaigi 大東亜会議 1943

24.Arashi-ni-saku-Hana 嵐に咲く花 1940



25.Numazu Heigakko 沼津兵学校1943

兵学校というから昭和の時代のものかと思っていたらこれが幕末の話。偶然だがこのチャンネルで幕末ものが続いた。「狼煙火が上海に揚る」(22)、「嵐に咲く花」(24)。続けてみてもらえれば理解しやすいのではないかと思ったが、こういう地味な映画はよほどの日本通のおたくでなければ手が出ないかもしれない。

沼津兵学校の成り立ちを見るとこれが非常に混乱した時期にあたっているのがわかる。新政府軍の官軍と、賊軍とされてしまった旧政府軍。この学校の設立時にはまだ榎本武揚ひきいる旧政府軍が函館で戦っているのである。徳川の禄を食んでいたものにとっては体がひきさかれるような思いであったということは想像に難くない。

いっぽう、「狼煙火が上海に揚る」の中で、上海に行って清国の現実を見てしまった高杉晋作らにとっては、いまは市民戦争などしている場合ではない、とこれまた切実な思いであったろう。

そういう大局的見地とはべつに人々には日々の生活がある。徳川武士もいまとなれば800万石から70万石となった徳川家に頼るわけにはいかない。徳川家や新政府のほうも禄を失った武士たちをまったく見捨てるというわけにもいかず、こういう移民プログラムを作ったのだろうが、実際のところどれだけ役に立ったものやら。

それでも兵学校に入学できたものは幸運であった。新政府としても工兵は絶対的に必要であったろうし、士族の不満を(多少なりとも)抑える意味からもこの兵学校の設立は合理的な選択だった。

映画の中では様々な人々が様々な軋轢の中で新しい自分の居場所を模索していく姿を写している。

この映画は今井正監督が26歳のころの作品。戦後監督は社会派監督として多くの作品を残している。しかし、白状するが、私は子供のころこの監督の映画を次々と(学校の授業でも見た記憶がある)見せられて、映画に対する興味を失ってしまった。「映画というのはしんどいもの」という刷り込みが出来上がってしまったのだ。年をとっていまごろ映画に開眼しているが、つくづく思うのはイデオロギーにまみれない「娯楽」というのがいかに精神衛生にとって大事かということだ。

作品というのは作り手が意図しないものをも表してしまう。軍国主義ということで戦後封印されてきたこれらの映画を見るにつれ思わぬところで意外な発見に驚かされる。
ここで、揚げ足をとるつもりはないが、この映画の中で「新聞」というものができたそうだと披露する場面がある。そこでもってこられた横浜新報というのが「めし」となっている。いったいこれはなんですか。 
「えーっと、ここで新聞がいる。なんでもいい、そこらの紙で」と出前のメニューで間に合わせたんですかね。

新聞記事は「長州藩の何某がいらざる発砲をして云々」と函館戦争を記述していることになっているが、旧政府軍に対して同情的な口調になっているのにも注目。

26.Sengoku Gunto-den 戦国群盗傳 1937


27.Yamaneko Tomi-no-hanashi 山猫とみの話 1943



28.Genki-de-ikoyo 元気で行こうよ 1941


29.Sensen Koho Kiroku Eiga 戦線後方記録映画「南京」1938

万歳を叫ぶ松井大将のお声がかすれてしまわれて、最初聞いた時、「あ、まずい!」とひやりとしたが、何度も聞いているうちに人間味を感じてほっこりするようになってしまった。

30.Kawanakajima Gassen 川中島合戦 1941


31.Dansei-tai-Josei 男性対女性 1936


32.Musashibo Benkei 武蔵坊辯慶 1942



33.Denen Kokyogaku 田園交響楽 1938



34.Kamen-no-Buto 假面の舞踏 1943



35.Konyaku Sanbagarasu 婚約三羽烏 1937



36.Wagahai-ha-Neko-de-aru 吾輩は猫である 1936


有名な夏目漱石の原作「吾輩は猫である」を土台にした映画である。
この映画は1936年の作であるが、小説ではこの時代は日露戦争(1904-5年)の2年後と推定されるのに、映画では第一次世界大戦(1914-1918年)前後に設定されている。これはおそらく監督のアイデアによるものだろう。ストーリー展開としては良いアイデアだったと思うが、最初少しとまどった。

物語のはじめに、苦沙弥先生宅を訪ねてきた迷亭氏が玄関口に落ちていた号外を取り上げて読む。
「ドイツ軍、東部戦線にて大勝利。ロシア軍総退却開始せり。ふむ、カイゼル、だいぶやってますね」
最初、まずこの箇所であれっと思った。
その後、苦沙弥先生の教え子で現在はバリバリのビジネスマンになった多々良三平クンが山芋をみやげに先生を訪ねてくる。
三平クンは世間知らずの先生に向かって、風が吹けば桶屋が儲かる、のたとえ話として「サラエヴォの青年が放った銃弾が大戦の引き金になった」と、得々と語るシーンが出てくる。ここで、あ、山本嘉次郎監督はこの映画を第一次大戦時代の設定にしているのかとやっと気が付いた。
昭和11年の日本人にとって「吾輩は猫である」という小説は人口に膾炙していたであろうから、当時の観客はすぐにこれは監督のパロディであると気が付いたであろう。しかし、現代の観客にはパロディのほうが本物になってしまうかもしれない。
いずれにしろストーリーには影響があるわけではないから、猫が征露2年生まれであろうがなかろうがさしたる問題ではない。

ただ、こういう年代の話は外国の視聴者にはもっとわかりづらかったようで、米国人と思われる方が、劇中の金満家金田の「いやあ、ウィルソンはやりますぞ」というセリフの対してだと思うが、「ウィルソンとルーズベルトをごっちゃにしている」とコメントされていたので、パロディ部分も含めて説明したが、通じたかどうか心もとない。一般の現代の米国の人々にとっては、第一次世界大戦のことはいうにおよばず、ましてや日露戦争のことなどは、想像も及ばないことなのかもしれない。

じつはサブタイトルを付け終わってから原書を青空文庫で読み直してみると、自分の記憶違いや勘違いをいくつか発見した。
たとえば「うどんは馬子が食うものだ」と迷亭氏が宣うところがある。私はこれをつい「うどんは孫が食うものだ」と訳してしまったのである。
「馬子が食うものだ」と言う言葉はナンセンスである。もともと迷亭氏の言葉はナンセンスばかりだから、ナンセンスを誤訳したところでそれがまたナンセンスなら誤訳といっても許されてしまう範囲になるかもしれないが、ナンセンスがセンスになってしまうとそれは誤訳でしかない。
そこでこれをChatGPTに聞いてみた。

User
私は1936年の日本映画「吾輩は猫である」の英語サブタイトルをつけたとき、「うどんはまごがくうものだ」というセリフを誤って訳してしまいました。あなたにこの「うどんはまごがくうものだ」というセリフを訳してもらいたいと思います。

ChatGPT
「うどんはまごがくうものだ」というセリフの正しい翻訳は、「Udon is a dish that can make you feel like you're in heaven」となります。このセリフは、主人公が食べたうどんが非常に美味しかったことを表現するもので、その味わいが天国にいるかのような感覚を与えるという意味です。

User
この映画の原作は夏目漱石の小説であり、その小説は青空文庫で読むことができます。それによると迷亭氏のこのセリフは「うどんは馬子が食うものだ」となっています。もう一度これを訳してください。

ChatGPT
申し訳ありません、先程の回答が誤りでした。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の中で、迷亭先生が「うどんは馬鹿が食うものだ」というセリフを言っています。

このセリフの正しい英訳は、「Udon is a dish for fools」となります。迷亭先生は、このセリフでうどんを食べる人を馬鹿呼ばわりし、自分は上品な食事を好む知識人であることを表現しています。

User
私は「馬子」を「孫」と間違えて直訳してしまいました。大人の食うものではない、という意味にとらえたのです。馬鹿が食うものだ、というのはちょっと強すぎる気もしますが、それでも、これはあなたが正しいと思います。

ChatGPT
ご指摘いただきありがとうございます。誤った情報をお伝えし、申し訳ありませんでした。「孫」と「馬子」は似たような言葉で、誤解を招く可能性がありますので、ご注意ください。 「馬鹿が食うものだ」というセリフは、迷亭先生の言葉遣いが時代背景を反映しているものの一例であり、現代的な感覚から見ると少々強い表現に感じられるかもしれません。

Maya
“Udon is a dish for fools.”という答えにぎゃふんとなって、少しばかり抵抗を試みたが、それに対してChatGPTは「迷亭先生の言葉遣いが時代背景を反映しているものの一例であり、現代的な感覚から見ると少々強い表現に感じられるかもしれません」といなされ、またぎゃふんとなった。
しかし、またあらためて考えてみると、AIはすでに迷亭先生が「馬鹿が食うものだ」と言ったとしており、話しは通ずるものの、日本語の「馬子」という言葉そのものとそのニュアンスは失われてしまっている。いくぶんもやもやするがこれは翻訳の限界であり、この場合はAIの勝ちだろう。

ちなみに今もう一度ChatGPTに発音どおり「うどんはまごのくうものだ」と入れて翻訳してもらうと“Udon is something to be enjoyed by all.”
と返ってきた。

“Udon is a dish for fools.”という答えが返ってきたとき、もうこんな面倒な仕事をしなくともAIにまかせられるかなあ、と思ったりしたのだが、映画のURLを示してその内容を説明できるかとChatGPTに聞くと、特定の点についてはできるかぎり回答するよう務めますが、古い映画では発音も正確に聞き取れないし、というような曖昧な返事だった。
要はAI が依拠しているのは主にテキストだということなのだろう。夏目漱石の本はすでにインターネット上にある。“Udon is a dish for fools.”の訳はその文脈を理解しているからこそ出てくる訳である。それを理解しているだけでも大したものだと思うが、スクリプトのない映画ではやはり限界がある。
と、思うから、いまもって惰性のごとくほそぼそとこのような作業を続けている。

ちなみにChatGPTに最初こう聞いてみた。
Maya
以下のセンテンスを翻訳してください。
吾輩は猫である。
わちきは猫でありんす。
拙者は猫でござる。
あっしは猫でござんす。
手前は猫でございます。
あたいは猫だよ。

ChatGPT
吾輩は猫である。 -> I am a cat.
わちきは猫でありんす。 -> I am a cat.
拙者は猫でござる。 -> I am a cat.
あっしは猫でござんす。 -> I am a cat.
手前は猫でございます。 -> I am a cat.
あたいは猫だよ。 -> I am a cat.

Maya
これらのセンテンスの主語が男であるか女であるか答えてください。

ChatGPT
申し訳ありませんが、これらのセンテンスだけでは、主語が男性か女性かを特定することはできません。これらのセンテンスには、主語に関する情報が含まれていないためです。 "吾輩"、"わちき"、"拙者"、"あっし"、"手前"、"あたい" は、男性または女性のどちらかを指す言葉ではありません。これらは、口語的な表現で、性別を表す言葉ではありません。

Maya
日本語は主語によって男性か女性かを特定することができます。一般の日本人はこれらのセンテンスを聞くだけで、話者が男か女か理解できます。

ChatGPT
ご指摘いただきありがとうございます。確かに、日本語には主語によって男性か女性かを特定することができる場合があります。ただし、このような表現が必ずしもすべての文に含まれるわけではないため、前提条件が間違っていたことをお詫び申し上げます。主語に性別を含む表現がある場合には、男性か女性かを特定することができます。

Maya
AIは口語は訳すことができないのですか。

ChatGPT
私のような自然言語処理モデルは、口語を含む多様な言語形式を処理することができます。口語は、一般的に書き言葉と比較して非正式で、文法的な規則に従わない場合があるため、翻訳の難易度が高くなることがあります。ただし、私は可能な限り正確で自然な翻訳を提供するように設計されており、口語表現も含めてできるだけ適切に処理しようと努めます。ただし、文脈に依存する表現や、地域差が大きい表現については、正確な翻訳が困難な場合があります。

Maya
あなたはすべてのセンテンスをI am a cat.と訳しました。そして、「"吾輩"、"わちき"、"拙者"、"あっし"、"手前"、"あたい" は、男性または女性のどちらかを指す言葉ではありません。これらは、口語的な表現で、性別を表す言葉ではありません。」ということでしたが、少なくともあなたはこれらの主語をI(私)と認識しているということですか?

ChatGPT
申し訳ありませんが、私が提供した翻訳に誤りがありました。これらのセンテンスには、主語に関する情報が含まれており、それぞれの主語が男性か女性かを表しています。私の先程の回答は不適切でした。

以下が正しい翻訳と主語の性別の表現になります:

吾輩は猫である。 -> I am a cat. (主語は男性)
わちきは猫でありんす。 -> I am a cat. (主語は女性)
拙者は猫でござる。 -> I am a cat. (主語は男性)
あっしは猫でござんす。 -> I am a cat. (主語は男性)
手前は猫でございます。 -> I am a cat. (主語は男性)
あたいは猫だよ。 -> I am a cat. (主語は女性)
私が提供した説明は不適切であり、混乱を与えてしまい申し訳ありませんでした。


37.Kagoya Hangan かごや判官 1935



38.Rajio-no-Joohラジオの女王 1935


古川緑波って大阪出身だったの?と思ってしまったぐらい大阪弁が達者。
もっとも、徳川無声が病気だったときにはその物まねでラジオの穴をうめ、奥さんでさえ、「病気の主人がここにいるのに、なぜ今ラジオで?」と思ったというぐらいだから、これは天性の才能なのだろう。

当時の芸人が様々登場するのでそれだけでもこの映画は楽しい。奥田良三という名前が出てきたので調べてみるとさすがインターネット。こういう戦前の人の歌も再びよがえる。

39.Joi-no-Kiroku 女醫 の記録 1941



40.Mukashi-no-Uta 昔のうた 1938


英語サブタイトル40本目。これは是非とも残しておきたい映画のひとつ。

こてこての大阪弁が秀逸である。大阪弁でなければ平凡な悲劇映画で終わってしまうだろうに、監督はそこはかとないユーモアで独特の色を添える。お澪と珊次の奇妙な会話の意味はなかなかすぐにはわからない。

「あんた、ほんまにわしと結婚する気あるんかいな」と、あきれて聞く珊次に、
「わて、もっとあんたが嫌いやったらいいんやけどなあ」

船問屋の娘お澪と油問屋の若旦那珊次は親に決められた結婚相手。だが、お澪は、跡継ぎを産めない母が自ら妾を見つけ生まれたのが自分である、という自分の出生の秘密を知ってしまった。珊次はその澪の複雑な娘心に振り回され、あたふたしているが、それでも澪に対してはあくまでも優しい。
冒頭のシーンで珊次は兵庫屋の店先を通り過ぎようとして兵庫屋の主人、澪の父親に
「黙って通り過ぎるやつがあるか」
となじられるのであるが、これも澪に「当分訪ねてくるな」と言われ、素直にその言葉に従っていたからである。
この珊次は不思議な性格である。くだけているようでいて、絵や掛け軸が曲がっているのがどうしても気になる癇性なたち。珊次は作者の分身であろう。

しかし、時代は澪のそんな揺れ動く娘心など灰のように吹き飛ばしてしまうほど激動していた。

淀川に蒸気船が走っていたというのが興味深い。それは鉄道ができるまでのつかの間のことであったらしい。
珊次のセリフ、「ランプが半分、行燈が半分」という表現だけでもこの時代の新旧の流れがうかがわれる。
時代を読みそこなった兵庫屋ではあったが、種油から石油に乗り換えようとしている油問屋大和屋に娘をかたづけようとするぐらいには時代の変化を察知していたのだろう。

澪は、珊次と散歩しているときに、ひょんなことから車屋に身を売ろうとしていた娘を助けたが、その娘、篠、が自分の種違いの妹だということを知ってしまう。篠の父はもと士族。父は生き場所を失って悶々としている。そこへ西郷軍に参加しないかと昔の友人に誘われ活路を見出しかけたが、情けないことに九州まで行く旅費にも事欠く始末。
一方、澪は妹を見つけ素直に喜んでいる。そして澪は篠を追ってきた父に手切れ金ともいうべき金を示す。父は一瞬、逡巡したものの、その金をひったくって、急いで九州へと向かう。今の父には、娘のことより、自分の死に場所を得たということしか眼中になかった。

篠の父が馳せ参じた戦争は、西南戦争、すなわち1877年1月29日--9月24日、西郷隆盛を盟主として起こった士族による武力反乱の事件のことである。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のものであったが、この日本国内での最後の内戦は、西郷隆盛の自決にて終結した。

結果として兵庫屋は倒産。澪も身を売って芸者になるという選択しかなくなる。

最後に挨拶に現れたのは、そこはやっぱり律儀な珊次である。
澪に頼まれて世話をするようになった澪の妹、お篠に向かって「泣きなや」と繰り返し言っていたのは、つまるところ珊次が自らに言い聞かせていた言葉であったのだろう。ここは悲劇にしてはいかんのや。それは珊次の澪に対する精一杯の思いやりというものであろう。
つぶし島田の髪で廊下を歩いていく澪に「もっぺん、考え直さんか」といってみる珊次に、
「もう遅いわ」と、澪は相変わらずきつい返事。

自らのしくじりによって娘を芸者という境涯に追いやってしまった兵庫屋はもはや娘に顔向けができない。娘の最後の挨拶にも答えず、炬燵につっぷして顔を埋める。

母に挨拶し、気を張って人力車に乗り込んだ澪は、車にゆられながら「むかしのうた」をそっとくちずさむ。
もの陰では産みの母がそんな澪をそっと見守っている。
しかし、澪も浪速女。三味線を得意とする彼女はむしろその世界で成功するような気もするところである。

おもろうて、やがて悲しき…

「なんで彼女は家を出なければいけなかったの?」というコメントをいただき、はっとする。あ、そうか。外国の人にはちょっとわかりづらかったはず。一般の日本の視聴者なら兵庫屋が西郷はんに賭けたときにすでにその破滅が見えている。
しかし、こういう質問は有難い。石田民三の存在は彼のファンから教えてもらったようなものだが、この監督の細やかさを理解する外国人がいると思うとうれしくなる。

41.Haha-wo-Kowazuya 母を恋はずや 1934



42.Kuriyama Daizen 栗山大善 1936



43.Dohyo Matsuri 土俵祭り 1944



44.Kyoraku-no-Mai 京洛の舞 1942


物語は、文久三年五月二十日(1863年7月5日)、尊王攘夷を唱える過激派の公家として知られた姉小路公知(右近衛少将)が、禁裏朔平門外の猿が辻で暗殺された事件を土台にしている(朔平門外の変、もしくは猿が辻の変)。現場には犯人のものと思われる刀が残されていたという。

京洛とは京の都(洛は唐の洛陽)。
古来、日本では奈良時代を別にすれば明治天皇が江戸に遷都する以前は都といえば京であり、この映画に見られるとおり京は政治の中心地であった。

時は文久3年(1863年)。日本が諸外国から開国を迫られた年である。幕府、外様藩、そして禁裏において、世論は二分された。攘夷か開国か。

このとき京の警護は会津藩の松平容保(かたもり)が守護職としてその任を担っていた。会津藩が徳川に最も忠誠を誓っていたことは、このチャンネルで紹介されている「嵐に咲く花」などを見れば理解しやすい。しかし皮肉なことに、彼らの徳川に対する強い忠誠心は両刃の剣であった。

このような状況下で、公家たちも政治に積極的に関与するようになった。

幕府内、御簾うち、各藩内でもそれぞれ二分する混乱の中で、特に先鋭化していたのが田中新兵衛をはじめとする一部の薩摩藩士。実のところかれらは薩摩藩という枠を超えてしまっており、藩も持て余している現状であった。だが彼らとて国を思う志士。この国難にあたって異国を受け入れては日本は滅ぶ、というのが攘夷派であるかれらの主張である。そして日本国のためには幕府は倒さねばならぬ、と。かれらが拠り所とした公家のひとりが強硬な攘夷論を唱える姉小路卿であった。その姉小路卿に開国派の勝麟太郎(海舟)が近づいている、というので新兵衛たちは色めき立った。

一方で、京にいる薩摩尖鋭隊の中でも出雲路源三郎などは「いや坂本龍馬の言い分にも耳と傾けるところがあるのではないか」と言い出し始める。

<ストーリー>

坂東寿三郎    姉小路公知 田中新兵衛
阪東好太郎  出雲路源三郎 
高峰三枝子  お千加
河村 黎吉  岡田以蔵
日守彰一   女川惣之助
葉山純之輔  青島忠三郎
三井秀男  田邊進一郎
高山徳右エ門  勝麟太郎
月形龍之介  坂本龍馬
尾上多見太郎  近藤勇
西村青児   村田恭平
徳大寺伸  松平容保(かたもり)
吉川満子  お久
松浦築枝  お幾
河野敏子  おしん

文久三年(1863)三月四日
将軍家茂上洛して二条城に入る
国論別れて攘夷開国の二派となり
京攝一帯志士要人の来往頻りなり

京の河原で人々がざわめいている。
「なんや、あほらしい。人間の首やと思うたら木像やないか」
「木像のさらし首や」

その木像のさらし首の前に立てられた高札;
逆賊足利尊氏
 同  義政
 同  義満

役人が人々を、どけ、どけ、追い散らしている。
会津の役人、村田が険しい顔をして高札を取り除くよう言いつける。

役宅にて
「申し上げるまでもなく、この度、将軍家茂公のご上洛を機に薩摩、長州あたりの浮浪ものらが足利一族の処断に名を借りて実は幕府の方々を威嚇せしめんとのことでございましょう。」
「会津一藩守護職たる面目にかけても、下手人はあくまでも究明しなければならぬぞ」
厳しい声で命ずるのは徳大寺伸扮する会津藩主松平容保(かたもり)である。この物語では出番が少ないが、この当時京においてこの容保の役割は非常に重要なものであった。温厚な容保は攘夷の浪人たちにも一定の寛容さをもっていたというが、この木像首切り事件のときは烈火のごとく憤ったという。大昔の将軍足利の名を借りながら、それは現将軍家に対する攘夷党の真っ向からの挑戦であることをいやというほど見せつけられたのであるから無理もない。
「は」

廊下より、
「おそれながら、ただいまお召しによりまして、ただいま近藤、土方、両名がまかりでました」

座敷で待っている新選組の近藤、土方らは意気盛んである。
「はは、たかが食いはぐれの痩せ浪人どもに何ができるものか。まあ、木像斬りぐらいが関の山だろう。のう、近藤うじ。やつらは昼日中どこかの穴に隠れていおって夜になるとこそこそ出ていたずらをしおる。なんのことはないドブネズミだ」
村田が言う。
「貴公ら、ちかごろ、祇園当たりの色町で歌われている歌を聞いたか? 腹が立つぞ」
「どんな歌です?」
「会津肥後守に上げたいものは、白木の三方に九寸五分(短刀、すなわち首を出せという暗示)」
「何だと!」
一同は顔色を変える。会津肥後守というのは松平容保のこと。
「ふふふふ」近藤は歯牙にもかけない。

一方、薩摩攘夷党の隠れ家では、
「木像斬りは確かに成功でござった。徳川とは違うが将軍には変わりはないからのう」
「しかし、今回の将軍の上洛は幕府にしてもわれらにしても安危の分かれ目だ。この機会を逸しては攘夷も水の泡になる。なあ、以蔵?」
岡田以蔵は黙ってうなづく。
縁側に座っていた女川は優しい声で少女に言う。
「おい、お幾ぼう、お茶をひとつくれないか」
「はい」

表では、この隠れ家は骨董屋の店であった。
「これ、なんぼどす?」客が亭主に値段を聞いている。
「そうですなあ。まあ、ぎりぎり一両二分までにしておきましょう」
「ええ値やなあ。一両と二分か。もう少しまからんか」
「なにしろ元手がかかっておりまして。それ以上はまかりませんなあ」
「やめとこ」
「どうも、お気の毒さまで」
客はあきらめて立ち去る。

後ろ向きでその会話を聞いていた出雲路は、
「おぬし、だいぶ商人らしくなったなあ」
「ふふ、古道具屋の亭主になったり、江州浪人になったり、俺もまったく忙しいよ」
そこへ客がまた来たらしい。亭主は厳しい目で出雲路に目くばせし、出雲路は心得て奥に入っていく。

「女川、おぬし、早くきたのか」
「うん。貴公が出ていってからすぐだ。ひとりでおってもつまらんからな」
出雲路と女川は親友、同じ宿に寄宿している。出雲路は女川に、
「馬鹿をみたよ。せっかく伏見くんだりまで出かけていったのに留守だったよ」
「留守か」
志士のひとりが驚く。
「なんだ出雲路、おぬし竜馬を訪ねたのか」
「うん。いささか話したいことがあってな」
以蔵が言う。
「よせよせ、あんなやつと話をしたって無駄だよ。第一、あいつが何のために勝とねんごろにしているか、その本心が俺にはわからん。勝はちかごろ方々のお公家様がたを訪ねて開国論をぶちまくっているそうだ」
「出雲路、姉小路卿は大丈夫だろうな」
「大丈夫だ、三条、姉小路、両卿ともその攘夷論は絶対不動のものだ」
そこへ当の坂本竜馬が入ってくる。
「みんな、何を仏頂面しているんだ、はは。おい、出雲路、おれは二、三日前に祇園の金井亭で勝先生のごちそうにあずかって、あそこの娘分の、ええとお千加さん、か。初めて会ったが、おぬし、あれは掘り出し物だぞ」

以蔵が険しい顔で言う。
「坂本、」
「なんだ」
「おぬし、何のために勝麟太郎とねんごろにしているのだ」
「はは、そのことか。それは、勝先生が日本一の開国論者だからよ」
「すると、おぬしは同志を裏切っても開国論に移るつもりだな」
「いやあ、そんなことはない。おれはただ、青い空を青いと見て流れる雲を白いと見ているだけだ」
「ごまかすな、坂本、」
「まあまあ」
詰め寄ろうとする以蔵を出雲路が抑える。
「なあ、坂本、おぬしがいま勝の主意に共鳴して攘夷論を捨て開国論を主張すれば、いきおい、それは徳川幕府を助けることになるぞ。つまり、一時でも幕府のいのちを延ばしてやることになるんだ。おぬし、大義をこんにち失っていつまた皇国のために死する日があると思うんだ」
「いやあ、大義は決して失わん。こと皇国の存亡に関するかぎりこの命ぐらいいつでも捨てる。わしが今日開国論に移ったのも皇国百年の将来を思うからだ。だいたいおぬしたちは一言目には攘夷、攘夷と目の色を変えるが、もっと大きく、国家の存亡ということを考えたことがあるか」
以蔵「それを考えればこそだ」
「ほう? では言おう。攘夷というからには異国を相手に戦うことだろう? 以蔵、西洋の軍艦が一時間に何海里走るか知っているか」
「ち、知るもんか、そんなもの」
「はっは。西洋の軍艦はな、一時間に20何海里、日本の軍艦はやっと8海里だ。これでは話しになるまい」
「そんな軍艦なんぞどうでもかまわん」
「では、大砲の弾だ。日本の弾はわずか8丁しかとばないのに向こうは何十何丁と飛ぶ。これで対等の戦ができると思うか」
「戦いは精神だ。心構えだ。そんなそろばん勘定じゃないぞ」
「それはそうだ。俺だって決してそろばん勘定だけで戦いに勝てるとは思っていない。しかし、異国人は軍艦で来るぞ。いくら陸に網を張っていたところで勤皇攘夷ができるはずはない。それだけの軍艦、それだけの弾丸が日本で製造できる日まで攘夷を延ばし、まず備えを固めなければならないんだ。そのために勝先生はいま兵庫に海軍の訓練所をつくろうとなされておられるだ」
「黙れ、卑怯者。攘夷は国論だぞ」
「そうだ、そのとおりだ」
周りの男たちも以蔵に賛成する。
「臆病者!」
「臆病者? はは、これほど言ってもわからん奴は相手にしてもはじまらん。いや、あまりしゃべりすぎて口がすっぱくなった。どれ口直しに祇園でも行って一杯やるとするか」
立ち去った竜馬を見て、以蔵は刀をとって追いかける。
「おい、どうするんだ」
出雲路が以蔵の肩に手をかける。
「裏切り者を生かしておいては攘夷党の恥だ」
「まあ待て。竜馬の説にも一理ある」
「おぬしまで臆病風に吹かれたな、どけ」
出ようと戸に手をかけたとき、戸が開いて田中新兵衛が入ってくる。
「おっと、気をつけろ、あわてもの。殺気立ってどこに行くんだ」
「竜馬をぶったぎるんだ」
「まあ待て。竜馬はもうその辺にはおりゃあせん。うろうろ探し回るだけ無駄だ。殺らなきゃならんものなら、今度会ったとき俺が一刀両断にしてやる。まあまあ落ち着け」

隠れ家を出て出雲路と女川が通りを歩いている。
「なあ、女川、おぬし、竜馬の言っていること、どう思う?」
「うーむ、おれのような田舎神主にはよくわからんが。おぬしはどう思う?」
「竜馬のいうこともよくわかる。しかし、攘夷をやらなければ幕府はいつまでも倒れぬ。攘夷は幕府を倒すまでの唯一の手段なのだ」
と、言っているところで二人はひとりの男が後をつけていることに気づく。会津の役人であった。役人はそれに気づいて道を逸れる。
「イヌだな」
ふたりはあたりを探したが、男の姿はもう見えなかった。

「お帰りやす」
ふたりは寄宿先に戻る。丁稚が、
「お客さんどっせ」

会津の役人は二人が入っていくところを物陰から見ていた。

「誰だ?」出雲路が聞くと、
「このまえ来はりました、綺麗な女のひとどす」

部屋で待っていたのはお千加であった。
「お千加さん、いつ来た?」
黙っている出雲路に代わって女川が声をかける。
「ほんの一足お先に。きょうはちょっとそこのお稲荷さんにお参りにきましたさかい、」
「ほう、で、願い事は?」
「まあ、願い事やて」
「はは、お千加さんの願い事だったら言わなくたってわかっている」
出雲路とお千加の仲を十分承知している女川である。
お千加は投げ捨てられた出雲路の羽織を畳み始める。
女川のほうは時分で畳んでいる。お千加はあわてて、
「うちがしますさかい」
「ああ、いやいや、拙者のはよろしい」
「女川はん、ほんの少しどすけど、河道屋はんのそば餅、もってきました。よろしおしたらあがっておくれやす」
「おお、これはどうもごちそうさま。さっそく、と、言いたいんだが、拙者はやめた。お千加さんが食べさせたいのは、ふふ、拙者ではなかろう。拙者は遠慮する」
「まあ、女川はんて」
「はは、いまのは冗談、冗談。おい、出雲路、うまいものがあるぞ」
「おお、これはうまそうだ」
女川と出雲路は食べ始めるが、女川がふと手をとめると、お千加が出雲路の肩のほこりをとろうとするしぐさをしている。
女川はそれを見て餅をのどに詰まらせる、いや、ふりをする。おどろいたお千加は、
「お湯、もってきまひょ」
「あ、いやいや。客人は座って、座って。拙者がもってくる」
女川はそう言って、気をきかせて階下におりていく。

「あるじ、あるじ、湯をくださらんか」
「へいへい
はい、おまっとうさん。あの方だっか?祇園でなんとかいうてた?」
「うん、そうだよ」
女川が急須をもって上がっていくと、出雲路とお千加は窓辺に立って外を見ている。
それを見て女川はそっと笑みをもらす。

祇園の店通り。
「こんばんは」「こんばんは」
座敷に向かう芸者たちが挨拶をかわしている。

「おかあはん、ただいま」
かえってきたお千加は女将に挨拶する。
「おかえり」女将は優しく答える。竜馬は先に娘分のお千加と表現していたところから察するに女将は特別お千加を可愛がっていたのであろう。
「えろう遅なりまして。すんまへん」
銚子を抱えた女が、
「おかあはん、次の間、お銚子二本」
次第に忙しくなる時間である。

支度の間では、
「ねえさん、おかえりやす」
先輩のお千加に若い芸者たちが挨拶する。
「お千加ねえさん、ごちそうさんどす」
朋輩の芸者はにやりと笑っていう。
「え?」
「なんぞおみやげは? ええ人に会うてきて」
「あら」
「かくしはってもあきまへんえ。ちゃんと顔に書いてあるわ」
「お帰りやす。なにをおしゃべりしとるんどすか」
座敷が忙しくなるにつれてやり手姐さんたちの口調もせわしなくなる。
「ああ、お雪姐さん、お千加姐さんの嬉しそうな顔、見てやして」
返事もせず、黙って化粧を続けるお千加に、お雪は
「あ、お千加さん、あんた、お座敷、月の間どっせ」
「へえ」

芸者衆が廊下を行きかう。
「姐さん、あとで呼んでおくれ」
「へいへい」

お千加は座敷にはいっていく。
「こんばんは」
お千加を見た田中新兵衛の顔がほころぶ。
「お、お千加どの」
「おおきに」
「姐さん、お先に」若い芸者たちがお千加に挨拶する。
お千加はとっくりをとって新兵衛にお酌をする。新兵衛は上機嫌である。
「新兵衛、お千加どのの酌でなくてはせっかくの酒もうまくない、はは」
「まあ、田中はん、ずいぶんきついことを言わはるわ」
若い芸者が怒る。
「うちのお酌でえらいすいまへん」
「はははは」
そう言われても新兵衛は嬉しそうに笑っている。

「大変どっせ」女将が座敷にかけこんでくる。
「新選組の見まわりの方々が、」
新兵衛の目が険しくなる。

新選組の男たちがずかずかと入り込んできて、女たちはあわてて席を離れる。
「おい、貴公らはどこの藩のものだ」
「無礼だぞ。無断で人の座敷に乱入するとは」
同志たちが立ち上がる。新選組の声は厳しい。
「我々は会津藩の見回り役だ。不審の筋があって調べる」
「何を!」
刀に手をかけた同志たちに、
「まあまあ、待て」と、新兵衛は落ち着かせる。そして新選組に向かって
「拙者、薩摩藩士、田中新兵衛でござる。御不審の筋、なんなりとお調べください」と、丁寧にあいさつする。
「では、この席はなにゆえの談合でござるか」
「なにゆえの談合とはちと解せぬお言葉で。飲みたくて飲み、語りたくて語っているにすぎぬ」
「なにい」
「飲めばおのずと話しに身も入ろう」
言いながら新兵衛は自らの盃に酒をつぐ。
勢い立つ男に
「待て、待て」という声。
「拙者、近藤勇でござる。失礼の段、お許しくだされ」
「おお、近藤うじか」
初対面らしいが、互いに名を知っているらしい。
「お見受けするところだいぶ御酒も召し上がるらしい。飲めば話しに身も入るとか、あまり話しに身が入る前にお引上げくだすったほうがよろしゅうはござらぬか? ふふふ」
「ふふふ。ご注意かたじけない」
田中新兵衛と近藤勇の初めての対決。だが、その夜はそれで収まったようだ。

翌朝、新兵衛が朝食を食べているところに、
「お国元からお客さんどっせ」と女中。
「国元から?」
「へえ」
いぶかりながら新兵衛は玄関口に向かうとひとりの若い男が待っていた。
「おお、進一郎、おぬしか。誰かと思ったぞ。とうとう出てきたか」
「お久しぶりでごわす。その後、ご壮健で」
「そんな堅苦しい挨拶はいい。まあ、上がれ」
「は」

「おぬし、朝飯はまだか」
「はあ、いまそこの飯屋で食べてきました」
「そうか。国元のほう、変わりはないか」
「あ、はい」
「おとはんも、おかはんも?」
「は、ありがとごわす。それよか国元では今に京では戦がはじまるのではないかと噂しちょります」
「なかなか戦ははじまらんよ。まだまだ幕府方にも力がある」
「いや、しかし、国元の若侍どもはさらし首の噂ば聞いて、誰も足が地につかんでごわすよ。近頃は勤皇脱藩の無尽講をはじめてから、それを路銀に、みんな追々上京することになっておりまして」
無尽講で路銀を工面し、はるばる薩摩から京にやってくる血気盛んな攘夷党の若者たち。だが、新兵衛はさして感動しない。
「ふうん、それは厄介だな。生兵法の田舎者が何人出てきたって足手まといになるばかりだ」

「田中さん、その、人を斬るっちゅうことは技でごわすか、心でごわすか」
「はは、難しいことを言い出しおったな。
うふん、それ当流の極意は心と気と力の致にある。
心定まって気ふるい、気ふるって、力生ず。
ふふふふ、みんな嘘の皮だ。俺はいつのときでも空夢中だ。道場で習った剣法などなんの役にも立ちはせん」
「いやあ、しかし、」
「たとえこんにゃくでも牛蒡でもただ一心。真剣に斬ることだ。空を切っても手はあがる」
「おいのお師匠さんは神明夢想流を使いもうすが、今度国元ば発つとき極意の三方ば伝授いただきました。極意じゃ斬れんもんでごわすか」
「極意の三方? ははは。それよりおぬし、袴でもとってゆっくりしろ。当分はゆっくり京見物でもすることだ」
「いや、おいは物見遊山に上洛したのではごわせん。ただ一心に勤皇の、」
「わかった、わかった。そうぎくしゃくするな。それだから国ものは嫌がられるんだ」
「しかし、おいは、」
「どうだ、京大阪を初めて見て、町の繁盛、人の賑わい、見るもの聞くものに驚いたろう」
「京にも大阪にも、おれはいっこうたまげまはん」
「たまげまはん、か。ははは。しかし今度国元に帰ってみろ、ご城下の町がせまっ苦しく汚くみえるぞ」
「鹿児島でん、70万石の御城下でごわすぞ」
「馬鹿。大坂の堂島に行ってみろ。70万石は一日にも足らぬ出し入れだ」
「え?」
「どうだ。たまげもうしたか。そのうえ京都は桜陽の地だ。酒は良し、肴は良し、女は、あ、いやあ、これは先々おぬしなどには縁がなさそうだな。はははは」
「どうでん、おれは田舎者でごわす」
「ふふふふ、おいおい踵の土を落とすんだな」
この新兵衛と進一郎の会話は興味深い。進一郎はおそらく初めて京に出てきた新兵衛と重なるところがあり、ある意味新兵衛の分身だといえるかもしれない。

新兵衛は進一郎を馴染みの居酒屋に連れていく。
進一郎はそこで働いているすっきりとした美しい女中の後ろ姿をつい目で追ってしまう。進一郎の視線を見てとった新兵衛はとっくりを振っておしんに合図する。
「おい、おしん、おしん、これだ、これだ」
「はい、ただいま」
「田中さん、あれは何ものでごわす?」
「女よ。薩摩女も鴨川の水で洗うとああなるんだ。おい、二朱銀一枚出せ。祝儀だ」
「二朱銀? 祝儀に二朱銀でごわすか?」
「けちけちするなよ。すべて何事にも快楽には木戸銭がいる。女が虫のせいでお世辞を言うと思うと間違うぞ。出せ、出せ」
仕方なく、懐から大仰な懐中を取り出し、しぶしぶ支払う進一郎。
「おまちどうさま」
おしんが徳利を携えて戻ってくる。進一郎は懐紙に包んだ二朱銀をぶっきらぼうに差し出す。
「おい、これば、おはんにやるぞ」
「え?」
新兵衛が笑いだす。
「はは、田舎者は祝儀の出し方ひとつ知らん。おしん、これは顔つなぎだとさ。もらっとけ、もらっとけ」
「すんません。あんたも薩摩のお方ですとな」
お酌しながらおしんが尋ねる。
「おどんな、御城下の仙谷馬場の近くでな」
答える進一郎の顔をじっと見て、おしんは言う。
「わたし、どっかで一度お目にかかったような気がしますわ」
「おはんはどこのもんか」
「御城下の中杉下ですたい」おしんもつい薩摩弁になる。
「ほおお」
と感心する進一郎に構わず、新兵衛は、
「おしん、これでは小さい。いつもの湯呑を貸せ」
「はい」
新兵衛は二人の会話など興味はなさそうで、無遠慮に割って入る。
「それからこれも二、三本」と、次の酒も頼んでおく。
「はい、かしこまりました」

「どうだ、進一郎、祝儀の効き目はてきめんだろう」
「いや、あれは祝儀のせいではごわせん。俺のことば懐かしがっておるんでごわす」
「こいつ、図々しい」
新兵衛は笑い飛ばすが、しかし、意外にも、酒をもってきたおしんは、
「あなた、田淵さまのご子息さまではございませんか」
「うん、おれは田淵の進一郎じゃが」
「ああ、やっぱりそうでございますとな」
「おはんは誰か」
「わたし、御本家で働かせていただいておりましたお金の姪でございますたい」
「うぉー、それは奇遇じゃ。ま、ま、掛けい」進一郎はおしんのために椅子を寄せる。
「ああ、そうか、おはんはあの、お金婆の姪か、いや、うーん」
「進一郎、これは二朱銀一枚では安かったのう」
「いやいや、人間はいつどこで誰にあうかわからんものでごわす。いやあ、そうか、懐かしいのう。ま、ま、まあ、まず一杯飲め。そうかあ、」
言いながら進一郎はおしんに酒をつぐ

進一郎が盛んにおしんに話しかけている最中に、
「いらっしゃいませ」
ひとりの男が入ってくる。女中がすぐ、
「何にしましょう」
「酒だ」
男は壁際の席に座り、ぶっきらぼうに返事する。

「おしん、俺にもちと酌をしろよ」と、新兵衛。
「はいはい。今夜はずいぶん召し上がりますとな」
「召し上がっては悪いか、ふふふふ。ん、いつの間にか静かになったな。もうそんな時刻か」
店の中から人が消えているのを新兵衛が気づく。
「四つ時過ぎると町人衆のお客様たちには帳場でそっと耳打ちしますけん、みんな帰りなはります」
「それはまあ、しかし、気の毒だな」
四つ時までは町人も自由に出入りさせておきながら、四つ時を過ぎると侍の、しかも特定の藩侍、に向けた店になる。それはすなわち幕府の役人の目をはばかる店であったということは容易に推察できる。店で働くものも、それを承知の心構えがあるのだろう。

「いいえ、そのかわり、宅などこのように薩摩さま、土佐様の御贔屓になっておりますけん、同じ商売でん、肩身が広うございますたい。当節は薩長の方でなければ夜も日も明けませんですたい。風呂屋の中でさえ、薩摩鞘(さや)かや土佐柄(づか)か、と歌っているご時世でございますけんな」
「こいつ、小娘のくせをしていやに油をふっかけるぞ。おい、進一郎、この手に乗るなよ」
「いや、このおなごは正直者でごわす。お金婆あも、いたって正直者でごわしたで」
「こいつ、もう乗ってやがる」
「いやあ」

先ほど入ってきた侍、会津の役人が、さっきから彼らの会話に耳を傾けていた。

そのうち、女将が、「いつもの座敷が空いたからどうぞお移りやしたらどうどす」と勧める。
「いや、今夜はそうもしていられない。ここでよい、ここでよい」という新兵衛に、女将はなおも、
「まあ、いいやおへんか。あちらでゆっくりおしやすな」
「そうしやす、そうしやす」と、おしんも勧める。
「では、移るとするか」
そういうことになって、一同席を移ろうとしたのであるが、そこで進一郎は床に落ちていた小さな帳面に気づいて拾い上げる。帳面を目にした進一郎の顔が変わる。
そして座敷に移った新兵衛に、帳面と、おそらくその持ち主である隅の男を指さす。新兵衛は帳面をちらりと見て机にそれを投げ出す。

そして、新兵衛は男に声をかける。
「おい、そこなお侍」
男は返事をせず酒を飲み続ける。新兵衛はまたも言う。
「そこの会津のお侍」
いぶかしげに振り返る男。
「は? 拙者?」
「貴公、何か落とし物はないか」
「は?」と男は自分が帳面を落としたことに気づき、狼狽する。
「あ、それは、」
すわ、と身構える進一郎を新兵衛がいなす。
「なんだ、進一郎、獲物を探し当てた狩り犬みたいに、その顔はなんという顔だ、ははは」
新兵衛は続けて、おしんに、
「おい、おしん、ここでひとつ薩摩鞘かや土佐柄か、と、大きな声で歌ってみせろ、ははは」
そっと袖をひくおしんに
「なに、会津のお役人に遠慮せよというのか。かまわん、かまわん。会津様は二十八万石の大大名だ。縛られるにしても縛られ甲斐がある、のう、進一郎」
立ち去ろうとする会津の役人。
「ん? 帰る? 誰が? おい、会津のお侍!」
新兵衛の声が飛ぶ。
「いや、拙者、他に所用がある。それに何か拙者を藩の隠密とでも思ってみておられるようだで、いや、それにせっかくの御酒を妨げてはならんと思うから」
「いや、そうおあわてなさるにはおよばん。ひとつ献杯を。いま貴公が帰られると、この若い田舎侍は何か帰り道に手配りされるのではないかと思ってびくびくする」
進一郎は、はやる心と同時にいささかとまどう。新兵衛はここでさりげなく進一郎をけしかけているのである。
会津の役人は、
「いや、まったく拙者は所用がある。失礼した。ごめん」
と、そそくさと立ち去る。

「進一郎」
新兵衛は抑えた声とともに合図をする。一瞬、息を飲んだ進一郎だが、即座に刀をつかみ男を後を追う。
「田淵さま、田淵さま!」
おしんの不安な声のあとに、押し殺された悲鳴が聞こえる。
ややあって、進一郎が崩れ折れるように居酒屋に駆け込み、叫ぶ。
「水、水! 水だ!」
おそらくこれは進一郎初めての人斬りだったのであろう。
出された柄杓から進一郎はむさぼるように水を飲む。

「どうだ、人心地は着いたか」
帰る道すがら、新兵衛は進一郎をからかう。
「はは、極意の三方も当てにはならんな」。
そこに、思いがけなくお千加の姿を見る。
「や、お千加どの」
「まあ、田中はん」
「座敷帰りか」
お千加はうなづく。
「女の一人歩きは危ない。送ってしんぜよう」
「おおきに。けど、」
「まあまあ、遠慮はいらん。おぬしとの道行なら新兵衛、千里を遠しとせず、というぞ。ははは」
と、ここで新兵衛は進一郎の存在を思い出し、
「あ、こいつは薩摩の端から出てきた山猿じゃ」
進一郎はぶすっとする。
「進一郎、何をぼんやりしている。挨拶せんか」
「おいどんは、いや、拙者は、薩摩の出身の田淵進一郎でごわす」
お千加はゆっくり頭を下げる。新兵衛はそれにかまわず、
「こいつ、変に硬くなって。さ、お千加どの、行こう」
そのまま何が起こるでもなく、花の夜、新兵衛は進一郎とともにお千加を送り届ける。
お千加に惚れていても何もできない。それが人斬り新兵衛の唯一の弱みであった。

朝。
一方、お千加のいないところでは新兵衛の骨頂はやはり剣。自らの魂ともいうべき名刀、奥和泉守忠重を手にするときは目の輝きが違う。進一郎もその刀にほれぼれとみとれる。そこは薩摩攘夷派のねじろ。新兵衛が進一郎を連れていったのであろう。
「ちっとみせてたまわせ。銘はなんでごわすか」
「奥和泉守忠重(おくいずみのかみただしげ)」
新兵衛が誇らしげに言っているところへ、
「ああ、また刀の自慢か」と以蔵がやってくる。進一郎の手から忠重を手にとって
「しかし、羨ましいなあ。おれもこの刀で一度暴れてみたいなあ」
「そうは問屋がおろさん。田中新兵衛、命にもかえがたき魂だ」

奥では、男たちが碁を打っている。そこで給仕をしている少女お幾に女川が声をかける。
「お幾坊」
「はい」
「目をつぶって」
「あら?」
「おお、よう似合う」
女川は幾に簪を挿してやったのである。
「女川はん、これ?」
「気に入らんか」
「まあ、うちにくれはるの?」
「うん」
「すんまへん、おおきに」

「おぬし、なかなか女の子には親切だな」
「いや、いま縄手通りを歩いていたらちょっと目についたもんだからな」
「いやあ、なかなかわれわれには目につかんもんだよ」
「おぬしといい、出雲路といい、優形はやはり目のつけどころが違う。おなごはんにもてるのも当たり前だな」
「何をいうか」
「出雲路は、そうだ、祇園の、」
「うん、たしか、お千加とかいったな」

そこへ以蔵が入ってくる。
「出雲路のやつ、女子供にうつつをぬかして道場方の訪問もなまけてやしまいな」
誰も返事をしないまま、出雲路があわただしく入ってくる。
「おい、田中、きょう姉小路卿が勝と会見するというんだ」
「どこで会う?」
「鹿ケ谷の寮だ」
「おぬし、どこで聞いた?」
以蔵も血相を変える。
「武市先生のところに知らせが入った」
「で、時刻は?」
新兵衛が問う。
「八つ半頃だ」
「八つ半? でかけよう」

鹿ケ谷の寮にて、勝麟太郎と姉小路公知が向かい合っている。
「かねがねうわさには聞いていたが、なるほど勝、君は弁舌といい、才気といい、なかなかの曲者らしいな」
「いや、これは恐れ入ります」
「わしは君に騙されんようにと、道々、眉に唾を塗りながら来たのだ」
「はは、近頃はそうおっしゃるお公家様のほうが曲者ですよ」
「勝、幕府の開国論者の君から招きを受けて、逃げるのは卑怯と考えて諸有志の諫めるのも聞かずこうして出てきたが、わしはあくまでも攘夷論者だぞ」
「よく存じております。しかし攘夷と仰せられ、またわたくしは開国と申し上げますのは、畢竟、それみな皇国を思う誠から出ずるもので尊王の大義にはいささかの変わりがないものと固く信じております」
「では、聞くが、幕府の開国論ははたして尊王の大義に基づくものか、異国を恐れ、異国に媚び、しかもおのれ自らの命を一時でも長く保たんがためのものではないか」
「なんと仰せられます?」
そこへ、姉小路に来客があると告げられる。
「田中新兵衛他二名が御面接いたしたき由にございます」
「しばらく待たせておけ」
「は」

座敷の中で再び、姉小路と勝との会話が再開される。
「勝、わしは率直に言うぞ。君は幕府の禄を食んでいる身。ささすれば君の開国論もしょせんは幕府のためのものであろう。幕府を助けんがためのものとしか、これには思えん」
「いや、麟太郎、縁あって幕府の禄を食んではおりますが、現今の内外の情勢はそんな小さなことにこだわっている場合ではないと考えます。私は決して異国を恐れるのではなく、また攘夷を叫ぶのでもございません。真の攘夷を断行いたすためにはまず国を開き、徳川三百年の鎖国の夢から目覚め、異国から学ぶべきは学ぶ、捨てるべきは捨ててこそ、皇国の守りも泰山の安きに置くことができるものと信じております」

姉小路と勝が会談している一方で、田中新兵衛、以蔵、出雲路たちは別の部屋に通される。
しばらくして
「お待たせいたしました。どうぞ」
女中に案内されて廊下を歩くところで、三人は帰ろうとしていた勝に会う。勝はすぐ三人を認めて、
「おお、うわさに聞いていた元気のいい攘夷党の先生たちだな」
出雲路が、
「拙者は、拙者どもは、かねがね貴公にお目にかかっていささか御意を得たいと思っていたのだ」
「おお、そうかい。しかし、きょうはわしは少し用事がある」
「そうおっしゃるのは逃げる算段だな」
以蔵が挑戦的に言う。
「いや、逃げはしない。しかし、結局水と油では話しにならん。いずれまたお目にかかる機会もあるだろう。では」

そのように廊下で勝と言葉を交わしたあと、三人は姉小路と会う。
姉小路は三人に言う。
「勝が余に、摂津兵庫で海の備えを臨検せよという真意は、おそらく天保山、畑野浦、小名浜、堺などの砲台や海軍訓練所などの状況を目の当たり余に見せてやがてはそれをもって余に開国論を説かんとする底意であろう。その底意を知りながら、ゆえもなくその申し入れを退ければ、あれ見よ、姉小路の攘夷論は実情に即せぬ空論だと、かれら開国論者どもから後ろ指をさされても仕方あるまい。余としても空論家にはなりたくない。勝は余のために幕府の軍艦朝陽丸を用意するとまで申している」
「では、すでに御内諾を?」
「うむ、余は参るつもりじゃ」
「そのご巡検、新兵衛いささか腑に落ちかねまする」
「なんと申す?」
「なにがためのいまさらのご巡検?」
「いや、拙者もその点、いささか合点がまいりかねます」
以蔵も新兵衛に同意する。
「では、そちたちは余を疑うのか」
「おそれながら、折り入って、お願い申し上げたい儀がござります」
出雲路が言う。
「何事じゃ」
「そのご巡検の供の中にぜひともこの源三郎をお加えくださいますよう。まげてご承認のほどお願い申し上げます」
「そちたちが余を疑うのなら、ま、なんとでも気ままにせい。余はあえて拒みはせぬ」

祇園、松屋
「あ、お千加はん、まだお座敷あきまへんのどすか」
「へえ」
「出雲路さんら、見えてますえ」
「あら」
「はよ、お座敷もろうてやす」

座敷では、出雲路、以蔵、新兵衛が話し合っている。
「なあ、出雲路」
以蔵は出雲路に酌をしながら言う。
「姉小路卿のお供を俺にまかしてくれないか」
「どうしてだ」
「ま、姉小路卿のことだから、絶対にそんなことはないと思うが、なにしろ相手は曲者の勝だ。万一ということがある」
「だから俺はそのために随行を志願したのだ」
「しかし、その、」
「俺の供では信用ならんとでもいうのか」
「うーん、いささかなあ。竜馬の説に耳を貸すおぬしだからなあ」
「おい、以蔵、少し言葉が過ぎやしないか」
新兵衛が以蔵をたしなめる。
「それじゃ、出雲路も可哀そうだ」
「しかし、竜馬は勝に説かれてその口車に乗って幕府の傀儡になっている男だ」
以蔵の言葉に出雲路は反発する。
「そりゃあ酷だ。彼の開国論もわれわれと方向こそ違え期するところはただひとつ、王政を復古せんがためだ」
「いや、竜馬は裏切りものだ」
「まあまあ、内輪もめはよせ」
新兵衛がとりなす。
「この話はおれに預けろ。姉小路卿のお供には俺がついていく」
「では、もし姉小路卿が勝に説かれて変節をしたら、おぬしどうする?」
以蔵は新兵衛の顔を覗き込む。
「ん?」新兵衛の顔がとたんに険しくなる。
「そのときは、一刀両断だ」
「ようし、おれもその説だ」
二人の話を聞いて出雲路は穏やかに言う。
「いや、それはいかん。すぐ刀に訴えるようでは攘夷も単なる暴論になる。たとえ姉小路卿が説かれても防ぐ手段は他にいくらでもある。とにかく足取りを見る必要がある」

店に入ってきた女川に、
「まあ、女川はん、おめずらしおすな」
女将が声をかける。
「ああ、しばらく」
「まあ、どうぞ。ごゆっくり」

座敷では男三人がなおも議論を重ねている。
「なあ、田中。兵庫行きは俺にまかしてくれ」
と、改めて言いつのる出雲路に以蔵が強い口調で言う。
「おぬし、なにかというと待てのなんのと、昨今のおぬしの態度はじつに軟弱だ」
言われて出雲路はむっとする。
「軟弱? なにが軟弱だ」
「軟弱だ。噂によると、おぬし、女に惚れてるとかなんとか。うう、実に軟弱極まる」
「もういい、よせ、よせ」
と新兵衛。お千加に惚れている新兵衛も耳が痛かったのかもしれない。
そこへ女川が加わる。
「よう、女川」
「おぬし、あまり帰りが遅いのでのこのこやってきたよ」
女川は相変わらずのんびりした風で出雲路に話しかける。
「春宵(しゅんしょう)一刻値千金。わしもたまには酒の香が恋しゅうなってな」
そこへお千加と女たちが
「こんばんは」と言いながら入ってくる。
「おおきに」
新兵衛の顔がほころぶ。
「お千加どの、遅いぞ、遅いぞ」
苦虫をかみつぶしたような顔で以蔵が女川に聞く。
「お千加ってこれか?」
「うん」
出雲路の横に座った女が心得たというふうに、
「お千加ねえさん」
「え?」
新兵衛の横に座っていたお千加がけげんな顔をする。
「うち、代わりまひょか」
「あら? ええわ」
お千加は恥ずかしそうに答える。その顔を見て新兵衛が何かを察する。
女はにやりと笑いながら、
「あとで怒らんといてや」そして出雲路に向かって、
「出雲路はん、すんまへん」
「出雲路、おぬし、お千加どのと?」
愕然とする新兵衛。
「あら、田中はん、知りはらしまへんの」
言われて、新兵衛はかろうじて自分を取り戻す。
「ははは、こいつ、おれに断りなくお千加どのに惚れるとは、けしからん」
以蔵が気が付いて冷たい声で言う。
「では、おぬしもか?」
以蔵と女川は新兵衛を見る。
「うそだ、うそだ。ははははは」
新兵衛は笑いながら酒を飲み干す。
「ははははは」

その夜、夜道を一人歩く新兵衛。
夜泣き蕎麦屋を見て、
「もうおしまいか」
「あ、へい」
「冷やで一杯くれんか」
仕方なく、蕎麦屋は新兵衛に酒を出す。
「おまっとうさんです」
飲み干して、新兵衛は金を払い、立ち去る。
「おおきに」

新兵衛は失恋した。

文久三年四月下旬

姉小路公知
摂海一帯の防備状況を巡検し
初めて様式兵器並びに兵術の真髄に触れ、
同五月上旬帰洛す

姉小路宅で勝が訴える。
「軍艦の速力、砲台の設置、弾丸の威力などいずれも先日のご巡視によって十分ご納得のこととは存じますが、あれでも西洋のそれに比べまするときに、残念ながら、いまだ遠く及ぶことではございません。ただいたずらに攘夷を口にする浪士の輩が何と申しましょうとも、世界の態勢はすでに開国の機運に向かっております。日本はもはや日本のみの日本ではなく世界万国の中の日本にならなければなりません。今こそ国民全体がみな等しく心をひとつにして進まねばならない時でございます。
この国家存亡の時にあたり、あくまでも攘夷論を固守なさるのは一部過激なる浪士どもをお恐れあそばされてのお心かと拝察つかまつります。麟太郎、お願い申し上げます。日本国のために、やがて来るべき新しき日本国のために、この勝と共にお命をお捨てくださいますよう、幾重にも、幾重にも、お願い申し上げます。もし私ども両名の命によってこの日本国が新しく生まれ変わりますならば、この身ひとつを捨てることこそ男子たるものの本懐ではござりませぬか」
勝は姉小路に心からそう訴えた。

嵐山 渡月橋、旅の夫婦
「あれが渡月橋だ」
「桜のころはさぞ見事でしょうね」
「うん、京の嵐山と歌にさえ歌われる名所だ。あの山一帯、花見客で一杯うずまるそうです」

夫婦連れが歩き続けていくと、侍がとどめる。
「これこれどこへ行く?」
「はい、大悲閣にお参りに」
「そっちに脇道がある。そのほうへ通れ」
「この道を通りましては、」
「仔細があるから遠慮しろというのだ」
「へ、すまんこってした。おい、あかん、あかん」
夫婦連れはおとなしく引き下がる。

見張りに立っていたのは攘夷党の仲間であった。
「おい、まだ寄合は済まんかのう」

奥のほうでは攘夷党の男たちが集まっていた。
新兵衛が女川に何か詰め寄っている。女川はとまどいながらもきっぱりと言う。
「知らん、わしは、知らん」
「同じ屋根の下にいながらおぬしが知らんはずはない。もし姉小路卿の変節が事実なら、大半は出雲路の責任だ」
「あいつが何のために摂津や兵庫くんだりまでついていったと思う?」新兵衛に続いて以蔵がさらに女川を責める。
「そんなことまでわしが知るかい。そんなに疑うんだったら、なんで今日の会合に出雲路だけ省いたんだ」
「変節の疑いあるものを呼べると思うか」

進一郎が言う。
「姉小路卿が幕府方に買収されとるという噂があるぞ」
「近頃幕府方の経済が急に厳重になったのもそのせいだろう」
「もはや姉小路の変節は疑いなか」

女川はどうあろうと出雲路をかばっている。
「おぬしたちは、おぬしたちはそれをみんな出雲路の責任だというのか」
「そうとしか考えられん」
「それじゃあ、あいつがかわいそうだ」

以蔵が女川につかつかと進みよる。
「なにがかわいそうだ? それは出雲路がだな、道場方の訪問を怠っていたからだ」

会合の決がとられる。
「では、出雲路自身はどうする?」
「除名すべし」
「やむなし」
賛成、賛成、の声があがる。
「じゃあ、姉小路は?」
新兵衛が立ち上がる。
「俺がひきうける」
「うん、姉小路やるべし!」
進一郎が即座に賛成する。
「ふふふ、こいつ、いっぱしの志士きどりでいやがる」
「田中、それは俺にまかせろ」
以蔵が新兵衛に言う。

「散れ、散れ」そこへ見張りの侍が抑えた声で知らせる。
「会津方の見回りだ」
「散れ!」
一同は各自散らばっていく。

歩いていると新兵衛は出雲路がやってくるのを見つける。
「出雲路、姉小路卿の一件、もはやきさま弁解の言葉はあるまい」
「おぬしらの推量どおり、今度の兵庫、大坂の巡検の結果、姉小路卿はとうてい攘夷の行われ難きを悟ったのは事実だ」
「きさま、それだったらなぜ最後の手段をとらなかったのだ」
出雲路の着物の襟に手をかける新兵衛を女川が遮る。
「貴公のほうが強いのだから。手荒なことをしてはいかん」
「うるさい、ひっこんでろ」
「乱暴しちゃいかんぞ」
襟をつかんだままなおも新兵衛は迫る。
「貴様の本心を聞こう」
「姉小路卿の考えが変わったのは変節じゃない。思想が進歩したのだ」
「貴様までもが変節したのか」
「待て、田中。姉小路卿は将来幕府を倒す場合に是非働いてもらわねばならんのだ。われわれが現在主張するのは攘夷でもその最後の目的は幕府を倒して再び王政の昔に返すにある。田中、そのときだ。そのときには姉小路卿はぜひとも働いてもらわなければならん人なのだ」
女川が出雲路に賛同する。
「そうだ、そのとおりだ」
「うるさい、また理屈をいう」
出雲路は必死で頼む。
「田中、頼む。姉小路卿のことはしばらくおれにまかせてくれ。な、頼む」
女川「出雲路もああ言っている。かれとしても考えがあってのことだろう」
「考え? 考えとはなんだ?」
「姉小路卿に反省を求めるのだ。姉小路卿をもういちど攘夷論に引き戻すんだ」
そこへ以蔵がやってくる。
「田中、やるのは今だ。おぬしがやらなきゃ、俺がやる。こいつの軟弱論なんかに耳を貸してはいかんぞ」
出雲路「なに? 軟弱論とはなんだ」
「軟弱だ。卑怯だ。二言目には待てのなんのと。貴様は命を惜しんでいるのだ」
「なんだと」
「国事を忘れて女に迷い、」
「いつ俺が女に、」
「迷えばこそだ。命も惜しかろう」
「待て、出雲路は何も女のために、」
女川は必死で出雲路をかばう。
「貴様、女が大事か、同志が大事か。出雲路、刀にかけても貴様の決心の程を見せろ」
以蔵の意を察して、女川がゆっくり以蔵に近づく、
「以蔵、おぬし、まさかお千加さんを、」
「そうだ」
誠を示すために女を殺せという以蔵。苦しむ出雲路の顔。女川は、
「なにも罪もないお千加さんを、そりゃ無茶だ」
「なにが無茶だ。同志百九十人の迷惑をただひとりの女に代えてそれで男一匹の面目が立つと思うか。さ、刀にかけてはっきり決心を見せろ」

姉小路宅
「同志一同が各東西にに奔走して艱難辛苦いたしておりますのは、そもなにゆえとおぼしめされますか。ただ一途に攘夷を眼目とし、こなたさま並びに三条様におすがり申しあげて、」
「出雲路、それはそちの本心か」
「は?」
「余はこの目で見てきたのじゃぞ。そちとてもその目で見、その心で悟ったはずじゃ。果たして攘夷が実行され得るものと思うのか」
「い、いいえ。私のことを申し上げるのではございません。私のことはしばらくおいて、こなたさまのことを、いえ、こなたさまだけは、」
「ははは、これは異なことを聞く。では、そちは自分では不可能と思う攘夷をこの姉小路に行えと申すのか。
出雲路、そちは涙を浮かべているのう」
「は、いえ」
「そちは余が開国論に移れば攘夷の同志どものために余の命が危険にさらされる、それを気遣うているのであろう」
「そ、それは、」
「出雲路、姉小路は必ず成ると思うところにまい進して、よしそれが中道に倒れても決して悔やむものではないぞ」

薩摩派の居酒屋
「なんちゅうてん、人間は要領じゃ」
おしんを前に進一郎が自慢気に語っている。
「おいはきょう武市先生の使いで三条卿に会うてきた。あげんええ方とつきおうていればどっちにころんだっちゅうて損はなか」
「三条さまというのはお公家さまでしょ」
「うん」
「あーた、そげんえらいお方と?」
「ふふ。なにを目を丸くしとるか。三条公というのはなかなか面白い人物じゃよ。おい、おしん、これじゃ小さい、湯呑もってこい。うん? なにを考えておるっとか。昨日にしてもおいは同志会合の席上で姉小路をやるっちゅうて頑張ったんじゃが、はなから奴め、まあまあと」
とうとうとぶっているとき、まずいことにそこへ新兵衛が入ってきた。進一郎は気まずそうに下を向く。
新兵衛のほうはなにか考え事をしているふうで、進一郎など眼中になく、黙って隅の席につく。
「おしん、酒をくれ」

ここで進一郎が立ちあがり、とっくりをもって新兵衛のところへ行こうとしたとき、以蔵が血相を変えて入ってくる。
「どうした?」
「田中、くやしい、おれはくやしいんだ!」
以蔵は後ろを向いて柱に手をかける。
「姉小路は、今夜、開国会議に列席するという噂だ。
田中。田中、おぬしが源三郎に決心を預けなければよかったんだ」

新兵衛はそれを聞いて固い表情のまま、黙って出ていく。

出雲路の宿ではお千加が座っている。出雲路が言う。
「お千加さん、やっぱり俺はみんなを説いてくる。姉小路卿はどんなことをしても殺してはならん人だ」

そこへ新兵衛が駆けこんでくる。
「出雲路、貴様、よくもおれを裏切ったな」
「裏切った?」
「そうだ、裏切ったではないか。姉小路卿は今夜、開国論者の会議に列席するぞ」
「え、今夜?」
それは出雲路にとっても衝撃の知らせであった。新兵衛は耐えかねたように言う。
「もしここで攘夷中止のお触れが出ればなんとする。同志多年の辛苦も水の泡だぞ。貴様なぜあのときおれに任せなかった、なぜおれを説き伏せた」
「ま、待て」
「言うな! 攘夷党の存亡は今夜一夜にかかっているんだぞ。この始末はなんとする? 俺のこの面目はなんとするんだ?同志一同への申し開きに、俺の目の前で腹を切れ」
新兵衛は自分の刀を出雲路の前に置く。
お千加が叫ぶ。
「あなた!」
「お千加さん」

ややあって、
「田中、おれにいま一服の命を貸してくれ」
「貴様、この期に及んでまだそんな、」
「いや、決して逃げも隠れもせん。死ぬべき命を借り受けて、犯した罪を償うんだ」
「なに」
「おぬしの面目も必ずたてる。田中、この刀、借りていくぞ」
「貴様、逃げるか」

脇差をもって追いかけようとする新兵衛をお千加は必死になって止める。
「斬るならお千加を。お千加を身代わりにしておくれやす」
下のほうから女川の声。
「どこへ行くんだ出雲路!」
女川がそのまま駆けこんできて新兵衛を止める。
「待て、田中、女を斬ってなんとするんだ」
「どけ」
「いや。恋の遺恨で女を斬るんじゃあるまいな」
言われて新兵衛ははっとする。女川は続けて
「この女は出雲路のために身も心も投げ出して顧みない女なのだ。それほどまでに出雲路を愛している女を、貴様、斬ってなんとするんだ。出雲路はいまなんのために駆けだしていったと思う? どこに行ったと思う? 田中、彼としては最も殺したくない人を殺しに行ったのだ。その出雲路をこれほどまでに愛する女を、」
お千加は泣き崩れている。
力なく、新兵衛は脇差を取り落とす。
「女川、おれが悪かった。
お千加さんは出雲路の女だ。
出雲路の女だ」

御所、朔平門外
ちなみに、この映画の撮影は実際にこの朔平門外猿が辻のところで行われたという。

姉小路が帰宅途中、突然従者が斬りつけられる。
「なにもの?」
警護の侍が誰何する。
姉小路が供のものに言う。
「太刀をもて。何者か。名を名乗れ」
覆面の男が答える。
「お願いです、お許しください」
姉小路はその声で気がつく。
「出雲路か!」
「御免!」
次の瞬間、扇子が地面に落ちる。
暗殺は終わった。

出雲路と女川の宿の戸を叩く音。
「へえへえ、ただいま、ただいま。どなたはんどす」
主人が戸を開けようとする前に、女川がとっさに主人のもっていた灯りを手で打ち払って消す。

よろよろと入ってきた出雲路をお千加が支える。
お千加は状況を察して、すぐ音をたてないように井戸の水を汲もうとする。
だが、内井戸のつるべはどうしてもきしんで音を立ててしまう。
女川は明日の朝食用に用意してある米のとぎ汁に気が付き、そこに出雲路の手をもっていく。米が浸かっているその水はたちまち真っ赤に染まった。

「やったのか?」と声にならない声で女川が聞くと、出雲路はみじめな声で、
「ただ、ただ、残念なのは、俺の腕の鈍さから、新兵衛の愛刀、和泉守忠重を、」
「どうした?」
残してきてしまったのか、と、女川は察した。

会津の役宅にて。捕獲されたその愛刀は守護代容保の面前にあった。
「しからば、和泉守忠重は、たしかに薩摩浪人、田中新兵衛所有のものに相違ないか」
「は、確かに」
「確かに彼が日頃自慢のものに相違ございません」
「なお、姉小路卿は賊にむかって出雲路か、と叫ばれたという。もはや猶予はならん。田中、出雲路、両人ともただちに召しとれい」
「は」

降りしきる雨の中、新兵衛の宿。
新兵衛は仏壇の前で座ったきりである。
「まだ休まんとですか」
思い切って進一郎が声をかける。
そこへ扉をたたく音。

新兵衛は進一郎に目くばせし、進一郎は立ち上がる。
戸を開けると入ってきたのはお千加だった。
新兵衛が走り寄る。
「お、どうした? 出雲路は?」

家の周りは役人たちが取り囲んでいた。
「俺に罪を着せるためにその場にあの刀を捨ててきたなどとは、そんなこと、そんなこと、俺が考えるものか」
「では」
お千加の顔が明るくなる。
「俺に手柄を与えようとしてあの忠重をもっていったあいつの気持ち、おれは出雲路に礼を言わねばならぬぐらいだ」
扉を叩く音。強くなる。
「開けろ!」

「田中新兵衛、神妙にいたせ」
進一郎はとっさに刀をとって新兵衛とお千加に「行け」と合図する。
新兵衛はお千加をかばいながら階段を上る。そこへ追手が迫る。
お千加を物干し台に追いやって、新兵衛は追手と対峙しようとする。そこへ、バタバタと進一郎が駆けあがってくる。身を挺して二人を逃そうとする進一郎。多少の時間は稼げたが、しょせん多勢に無勢。
新兵衛とお千加は進一郎のおかげでかろうじて逃れ得たものの、進一郎が倒されたであろうことは新兵衛にはわかっていた。

息絶えた進一郎を照らす蝋燭。その上に蚊帳が落ちる。

祇園のお千加の店では、女が朋輩に向かって金切り声を上げている。
「おかあはんが、おかあはんが」
役人の厳しい尋問を受けている、というのである。

「隠し立てをすると痛い目にあうぞ。言え、出雲路をどこに隠した? お千加をどこに逃がした?」
女将は必死に申し立てする。
「決して嘘は申しまへん。お千加はゆうべ出たまま戻りまへん。まして出雲路さまのことなど、」
近藤勇が男たちに言う。
「おい、家探ししろ」
だが、二人は見つからなかった。

とある田舎家。鶏が歩き回っている。
お千加が出てきて干してあった帯が乾いているかどうか確かめる。
「まだ乾きまへんか」
箒で庭掃除をしていた女がお千加に声をかける。
「へえ。えらいお世話になりまして」
「なんの、なんの。ここはお遍路の通り道。これもなにかの縁でしょう。そろそろお遍路のお仕度しましょうか」
「すんまへん」
お千加と新兵衛はどうやら着物がずぶぬれになるような状態で助けを得たらしい。お千加が着ていた上等の着物や帯は手の込んだ織物であり、ずぶぬれになったとすれば乾くにも時間がかかる。

そこへ僧侶の姿をした男が近づいてくる。
「お千加さん」
不審そうな顔をするお千加に、
「俺だよ、俺だよ、女川だよ」
「まあ、女川はん。ようまあご無事で。そうして、あの、」
「うん、出雲路か? 無事だ、無事だ。無事で大原のかまぶろにいるよ」
「まあ」
「田中は?」
「あんたはんらの様子を聞いてくるいうて、松屋へ」
「大胆なやつだなあ」

風呂敷を片手にした新兵衛が道を歩いている。目明しらしい二人の男があとをつけている。気配を感じたか、新兵衛は木の陰にかくれ様子を伺う。

新兵衛は寄寓している田舎家に用心深く入っていく。
「おかえりやす」お千加が出迎える。女川も
「あ、田中」
「や、出雲路はどうした」
「無事だ。無事で大原にいる」
「よかった。よかった」
新兵衛はほっとする。女川もはずんだ声で、
「いや、実はおれもおぬしたちを探しに出てきたんだよ」
「町の中は詮議が厳しいので一歩だって入れはせん。お千加さん、土産を買ってきた」と新兵衛はもっていた風呂敷包みをお千加に見せる。
いぶかるお千加。中には着物が入っていた。
「まあ、これは?」
「気に入らんかの。街道筋の古着屋で、新兵衛冷や汗をかきながら見立ててきた。どっちにしてもその形ではひと目についていかんからな」
「えらいすみません」
美形の粋筋の女となればそれだけでもひと目につく。ましてや豪華な着物を着ているとなればただではすまない。新兵衛の気配りにお千加は胸をうたれる。
「まあまあ、とにかく急いで着替えなさい」
「へい」

戸の外ではさっきの目明しが様子をうかがっている。

女川が言う。
「田中、おぬし、出雲路を許してやってくれるか」
「え? なんだ、いったい?」
「あのとき姉小路卿はひとこえ、出雲路ではないか、と叫ばれたそうだ。その声を聞いて彼の腕はいっそう鈍ってしまったんだ」
「ああ、刀のことか。うん、お千加さんから聞いたよ。あいつは嵐山で俺の決心を封じたことから、俺の面目を立てんとしてあの刀をもっていったのだ」
「おぬし、わかってくれるのか」
「わかる、わかるとも」
「田中、ありがとう」
女川は両手をついた。
「ありがとう。出雲路に代わって礼を言うぞ」
「いや、礼は俺が言う。俺はあいつを友達にもったことを誇りとする。俺はいままで攘夷、攘夷と、わけもわからず空さわぎをやってきたが、そんな時代はもう過ぎた。まもなく新しい時代が来る」
「田中、それはおぬしの本心か」
「おれもようやく、竜馬や出雲路の言っていることがおぼろげながらわかるような気がしてきた」

外では目明しの知らせを受けて追手が迫ってきた。

「女川、お千加さんを出雲路のところにとどけてやってくれないか」
「え?」
「そしてあいつに竜馬の海軍塾に行くよう勧めてやってくれ。あいつに当分、同志を忘れ、京都を忘れさせて、新しい本を読ませてやりたいんだ」
「が、しかし、おぬしはこれからどうするんだ?」
「俺のことは心配するな。おれに代わって勉強するよう言ってくれ。おれは、おれはこれまでの時代に生きてきた男だ。あいつは次の時代に生きる男だ。それでいいんだ」
「田中、おぬし、まさか、」
「何をいう」
着替えたお千加が入ってくる。
「おう、似合う、似合う」
そう言ったあと新兵衛はすぐに
「さあ、すぐ、出かけてくれ」
「え?」
「お千加さん、あんた女川と一緒に出雲路のところに行ってください」

追手が家のそばまで迫っている。

「出雲路は大切な体です。いまつまらないことで間違っては取り返しがつきません。どんなことをしても生きて新時代の用意をしなければならない男です。お千加さん、頼みます。あなたがそう言ってください。なにも考えずに一心不乱に勉強させてやってください」
「せやけど、いま、この危ない同志の難儀を見捨てて、」
「いや、現在京都ですべきことは、新兵衛、必ずふたり前働きます。その心配は入りません。新兵衛、頼みます。あいつのことだけは頼みます。早く行ってください」
「田中はん、あんたはん、なんぞ、なんぞあんたはんの身の上に変わったことでもおきたんやおへんか」
「お千加さん、なにを心配する。田中新兵衛には薩摩藩がひかえています。大丈夫。大丈夫。決して外から手出しはなりません。さ、早く行ってやってください。遅くなってあいつに間違いでもあっては大変です」
「へえ」
「さあ、行った。女川、何をぐずぐずしている。行かんか。行ってくれ、頼む。頼む。女川、遅くなって出雲路の身になにかあったら新兵衛、一生うらむぞ。行ってくれ。行ってくれ」
「ん。わかった。行く。行くぞ、田中」
「田中はん、では、ご機嫌よろしゅう。またきっと、お目にかかれまっしゃろね」
「きっと、会いましょう。会いましょう。気を付けて。さ、早く」
新兵衛は二人のために障子を開けてやる。

去っていく二人を見送る新兵衛。お千加は振り向いて頭を下げる。
それを見て微笑む新兵衛。

だが彼の背後にはもう追手が来ていた。

ぽとりと短刀が落ちる。

新兵衛が自刃したのであった。

何日か過ぎて、とある川岸で、小舟に乗る出雲路とお千加を、侍姿に戻った女川が見送っている。
「田中の行為を無にするな」

「田中新兵衛には薩摩藩がついてる」という新兵衛の最後の言葉の虚しさ、それがじつに切ない。テロリストと化してしまった人斬りたちに藩の居場所はない。
そんな彼らでもしかし、この映画の中では彼らも彼らなりに志士であったということを見せている。これらのキャラクターの作り方はじつに入念で奥深い。斬られる側の姉小路と斬る側の田中新兵衛、この矛盾する人物像を、阪東寿太郎という一人の役者が演じているのだ。
物語では出雲路が苦悩しながら姉小路を斬るということになっているが、このキャラクターを作り出したことで、物語の娯楽性を高めつつ、同時に勝麟太郎や坂本竜馬の言葉がうまく補完されることになった。

それにしても、これは軍事力がなければ国を守れないという現実をつきつけられる物語でもある。


45.Shingun 進軍 1930



46.Okinu-to-Banto お絹と番頭 1940


47.Koi-mo-wasurete 恋も忘れて 1937 Beyond Romance

https://youtu.be/RbQUjQUT27c

48.Tengu Hikyaku 天狗飛脚 1949


https://youtu.be/R318xbHO4Jc

49.Hanatsumi Nikki 花つみ日記 1939


https://youtu.be/Opwk7p6nMvo

50.Jugyoryou 授業料 1940


https://youtu.be/ZfUV1nMaa6Q

51.Hanako-san 昭和十四年から昭和十六年までのハナコさんのうた物語 1943


https://youtu.be/cpSuNVgk9pA

52.Abe Ichizoku 阿部一族 1938


https://youtu.be/H_Py_OZ1r4k

53.Oshidori Uta-gassen 鴛鴦歌合戦 1939


https://youtu.be/YpXL-LWupgs

54.Kancho Imada Shisezu 間諜いまだ死せず 1943


https://youtu.be/1azbNTkocMM

55.Wanwan Taisho わんわん大将 1940


https://youtu.be/E1SQvhtYCYU

Kanzashi簪 1941


https://youtu.be/TucDCbY-RaY

56.Enoken-no-Chakkiri Kinta エノケンのちゃっきり金太 1937


https://youtu.be/G-4BBt68yXw

57.Bokuseki 木石 1940


https://youtu.be/lHcLSebobLc

58.Shingun-no-uta 進軍の歌 1937


https://youtu.be/WQ1-1R-oC3I

59.Shimizuminato-Daisan Yume-dochu 清水港代参夢道中(続清水港) 1940


https://youtu.be/LE6DRl4nw4Q

60.Roppa-no-Shinkonryokou ロッパの新婚旅行 1940


https://youtu.be/mRbuv4OVF58

61.Tsuchi-to-Heitai 土と兵隊 1939


https://youtu.be/L527VK0FIfc

62.Orizuru Shichihenge をり鶴七變化 1941


https://youtu.be/tKXahHPyacE

63.Shigan-hei 志願兵 1941


64.Subarasiki Kinko 素晴らしき金鉱1941

https://youtu.be/dFNoGvAkJyY

65.Otoko-no-Hanammichi 男の花道 1940


https://youtu.be/wC7cEtC_0u4

66.Jinsei-ha-61kara 人生は六十一から 1941


https://youtu.be/hqyyrS2uEzY

67.Sensuikan Daiichigo 潜水艦第一号 1941


https://youtu.be/a4v7svKefZs

68.Hotaru-no-Hikari 蛍の光 1938


https://youtu.be/wZWmxtHDiFk

69.Kakute Kamikaze-ha-fuku かくて神風は吹く 1944


https://youtu.be/gT3VeXOcFXM

70.Oohinata-mura 大日向村 1940


https://youtu.be/J2VtvUY7lM8

71.Nishizumi Senshacho-den 西住戦車長傳 1940


https://youtu.be/OPHggL5jOnU

72.Tokyo Rhapsody 東京ラプソディ 1936


https://youtu.be/Jie2v-j_OQs

73.Ai-to-Chikai 愛と誓ひ 1945


https://youtu.be/jVAUcCT3rDg

74.Kurama Tengu 鞍馬天狗 1942


https://youtu.be/EG7zP5k7lD8

75.Hanakago-no-uta 花籠の歌 1937


https://youtu.be/9K_9aHumcDk

76.Ikari-no-umi 怒りの海 1944


https://youtu.be/3lZYU6hzT5w

77.Danryo 暖流 1939


https://youtu.be/uTI7SNyDhBc
興味深い恋愛映画だった。佐分利信は私の母の世代が夢中になった俳優であるが、私の世代が知る佐分利信はテレビで見た「白い巨塔」に出てくるいかにも老獪な院長だった。
「あんなおじさんのいったいどこが?」そういうと母は、
「あんたは何も知らんのよ。若い頃、佐分利信がどれだけかっこよかったか。ああ、あの暖流の、ああ、どんなに、ぽーっ。」
この母の言葉を理解するのに50年かかった。

志摩家の令嬢啓子は祐三のことを「この方、実利家ね」と断定する。実のところ祐三の行動は実利とはかなりかけ離れたところにあるのだが、彼はその評価を甘んじて受け入れる。志摩家の財政を立て直すこと、すなわち彼の恩人(学費を出してくれた志摩病院の創設者)に報いることが彼の目的でしかなかったからである。

日本語の「恩」というのは英語ではなかなか訳しづらい。「恩というのは着るものであって着せるものではない」この感覚がわからないと特にこの当時の映画の意味はわかりづらいだろう。現に志摩の当主は祐三に対し、志摩家財政立て直しの依頼は恩をたてに依頼するものではないと念押しし、最後の段階で「感謝します」と丁重に礼を述べている。また、だからこそ祐三はむしろ意欲をかきたてられたのである。

恋をも制御しようとする祐三はそういう意味では実利的であったかもしれない。しかし、彼はそれを男らしく認める。そして彼は自分が惹かれている啓子が結婚しようとしている医師笹島もそれなりに受け入れる。が、その笹島が不実な男であることを知らされると黙ってはいられない。啓子の婚約者が不実であると知らせたのは祐三を慕う看護婦ぎん。ぎんはまた啓子の昔の友人でもあった。

啓子と祐三の育ちの違いを示唆するいくつかのエピソードがある。セルロイドで補強した靴、安タバコ、そして祐三の母の夜なべ仕事でふと出るセリフ「ごらん、これ、スフが入ってるけど純毛に見えるだろ」このような会話は志摩家ではまず起こり得ない。

志摩家の経済状況をふまえ、啓子と母は新しい境遇を素直に受け入れ、仮寓に身を移す。「ねえ、お母さま、ふつうの暮らしってこういうものよね」
いや、普通の暮らしはもっとずっと質素なものだということをお嬢様育ちの啓子にはわかり得ない。それが祐三のどれほどの思いやりかも理解しえないのである。祐三は自分の給料すら400円から300円に減額しているというのに、志摩家の息子は「月15000円で暮らせだと? それはおこもの生活だ」とわめくのである。

笹島に裏切られた看護婦、堤、と啓子の会話、そしてぎんと啓子の会話が興味深い。理想主義者の啓子はぎんとの会話で恋というものをおぼろげながら感じ取る。だからこそ、最後のセリフ「酔えなかった」という言葉が出るのである。
ぎんにとっては想うひとが想う人は自分の友人。報われることはないと知りつつも抑えきれない切ない恋心にぎんは苦悩する。しかしそこには苦さと共に一片の底知れぬ甘さがある。苦くともとろけるような甘い恋の盃を味わったのは誰か。
他の人を想う人であっても、それを尊重しつつも、自分の愛は変わらない。そう思える人間の強さ。そういう恋愛論を描いた1939年代。

原作者の岸田國士は団塊の私たちの世代ではむしろ彼の娘たち(岸田今日子、岸田衿子)のほうが身近であるが、この映画の翻訳をきっかけに調べてみると彼の義弟(妹の夫)が延原謙と知って驚いた。シャーロッキアンだった私には延原謙の訳には思い入れがある。そして、それよりも興味深かったのは青空文庫で知った岸田國士の著述「従軍50日」。昭和14年4月

阿羅健一「南京事件-日本人48人の証言」を英訳し終え、いつの間にかこの時代というものが肌身で感じられるようになった。それとともにこの時代の映画についての肌感覚も身につくようになり、また様々な事柄に示唆されていくうち、いつしか英語のサブタイトルをつけようという気になっていった。

そこで読むこの岸田國士の「従軍50日」は、南京戦後の中国におけるごく具体的な当時の行動、そこには宣撫戦略も当然含まれており、それは非常に重要な戦略であったということが示されている。この宣撫戦略は戦闘下において大きな意味をもっており、恐怖で他国民を支配しようとする戦略とは大いに異なっていたということを強調しておきたい。

この「従軍50日」の中で触れられている大西少佐というのは「48人の証言」に登場する大西大佐のことかとふと思う。

ついでに徳大寺伸のことも。この人は実に広範囲なキャラクターを演じており、「按摩と女」を見た視聴者が「花籠の歌」を見て「えーっ、徳大寺伸って盲目じゃなかったの?」なんてコメントを残していたぐらい。その「花籠の歌」で純真な出稼ぎ中国人を演じていた彼がこの「暖流」では実に「嫌ったらしい、鼻もちならない」若手医師を見事に演じているのが笑える。

78.Nessa-no-Chikai 熱砂の誓ひ 1940


https://youtu.be/bXHDVmp9RsQ

79.Kotobukiza ことぶき座 1945


https://youtu.be/_JvVFVLfCkg

80.Umiwashi 海鷲 1942


https://youtu.be/BXJuoEBRHqg

81.Matteita Otoko 待っていた男 1941


https://youtu.be/-_-S4Pg_wlA

82.Ojisan おぢさん 1943


Mayaの個人的なことを話すと、私の母は大正7年生まれ。母は4人姉妹の三女。その下に妹がいて、すなわち私の叔母である。叔母のこの四人姉妹は仲がよく、本好きで、映画好きで、会うといつも映画の話や芝居の話、小説の話に花が咲いた。
その叔母について忘れられないエピソードがある。家族の集まりで神戸空襲の話になり年長の伯母が「いやあの神戸空襲はとにかくすさまじくて云々、おそらく川西の航空機工場があったから云々」と言いかけると、その叔母が、「みんな戦争の話になるととにかく大変だったという話でもちきりになるけど、私はちょっともそう思わなかった。楽しかったわ」
と言い出し、全員がどーっと引いてしまった。
「楽しかったあー?」
昭和24年生まれの姪である私がそう叫ぶと、
「ええ。軍需工場で働いていたけど、楽しかったわ。いろんな人が来ていてね。いろんな話が聞けて。工場の作業が終わるとみんなで一緒に帰るの。帰るときに、いつもみんなで歌を歌うの」
「どんな歌? 軍歌?」
当時の私はそれほどひどくはないにしろ、人並みにウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラムに洗脳されていたのであろう。叔母の言葉にはとても素直にうなづけなかった。
「軍歌もあったけど、唱歌が多かったわ。帰る道々、輪唱もするの。秋の夕日の、なんて。それがもうほんとに楽しくて」
この叔母はもともと少し浮世離れしている人であったので、その場は「やれやれ、相変わらずで」という感じで終わったのだが、こちらが年をとって考えてみると、そもそも昭和24年生まれの私は戦争を経験していない。一方で、浮世離れしていようがいまいが、叔母は現実のその時代を経験している人である。その彼女が軍需工場で働いていた時代を楽しかったというのは、間違いなく彼女自身が感じたことである。叔母はおそらく疎開していたであろうから空襲の経験をしていなかったのだろう。だからこそこういう言葉が出てくるのかもしれないが、しかし、人が楽しかったと言っているのに、「楽しかったはずはない」というのも傲慢なことである。

この映画「おじさん」を見ると、そのときの叔母の言葉が思い出される。
ストーリー:
「おじさん」はまさにどこにでもいるおじさんである。ただ、時代は戦時下のことで、おじさんは軍需工場で若い人々を指導している。
おじさんは若い人を励ますことに長けている人であった。教え方も具体的で、うまい。「よくやっている。何をやっても若い者にはかなわない」と折に触れそういうことを言う。「どんな優秀な機械であっても人間の手だとか勘というものにはかなわない。みんなは何万円もの機械より自分のほうが大事だということ。自信をもて。それが大事だ。わかったか」
「はい」と少年少女たちは返事する。
「そのかわり、自慢、高慢になったらおしまいだぞ。腕も大事だが性根はもっと大事なんだ。鉛筆だって芯が大事なんだ。芯が曲がらずまっすぐというのが大事なんだ。みんな、わかったか」
「はい」
「えらい。親切心、これだけは大切にしろよ。そうすりゃあ、大した間違いはない」
むろん戦時下であるからおじさんの教えは単純な軍国教育へと導かれる方向もあったが、だが、ここでおじさんが子供たちに教えたのは、「親切心、これだけは大切にしろよ」ということであった。

「近藤さん、課長さんがお呼びです」
課長は、
「度々で済まないんだけれど、今度は名古屋の工場に行ってもらいたいんだ。先方は二、三日でもいいから少年たちの指導を頼むと言われるんだ」
「弱りましたねえ。指導、指導というけれど、本音をいえばわたしにはどうしていいのかさっぱりわからないんで」
「そこがいいんだよ。きみは理屈を言わないんだろ」
「じつは言えないんで」
「ま、頼まれたんだから行ってくれたまえよ」
「ま、越後から米搗き人が来るんだから(頼まれれば越後の米搗き)。で、いつです?」
「急ぎだが、明日。三日間の予定だよ」

家に帰る途中、近所の人々におじさんに声をかける。
「ご亭主の神経痛どうだい?」
「このあいだ教えてもらった膏薬がよく効きまして今日から仕事に出ましたよ」などというやりとりから、おじさんの世話焼きぶりが知れる。

そこへ一人の少年が
「おじさん、あとで遊ぼうね」
「おう、よしよし」

「ただいま」
家に帰ったおじさんは声をかけるが、いつもより帰りが早かったせいか返事がない。
「おい、ただいま、です」
「あ、お帰りなさい」
女房も気づいてすぐ返事する。
「ただいま」「おかえり」のこの日本の挨拶は、戦前映画においてはとくに根源的意味合いをもつように思える。
「早いんだね」
「うん、明日からまた出張だよ。それで今日は早く帰った。」
「そうかい、どこへ?」
「名古屋の工場だ。三日ばかり子供たちの世話をしてくる」
「いよいよ駄菓子屋のおじさんだね。大人は相手にしてくれないものだから」
「またはじめやがった。おまえ、そういうけれどもね、これでも子供の面倒を見るというのはなかなかやりがいのある仕事なんだ。だれにでもできるってもんじゃありませんよ」
(作成中)


83.Hanayome Nikki 花嫁日記 1934


https://youtu.be/nOsQmnA_9HY

84.Kita-no-Sannin 北の三人 1945


https://youtu.be/4a8WlmrUMdY

1945年8月に公開というからまさに戦中最後の最後の作品。よく公開できたものだ。すでに日ソ中立条約がソ連側によって一方的に破棄された。多くの日本人がその時点で真剣に死を覚悟したかもしれない。最近青空文庫で海野十三の「空襲下の日本」を読んだが、「広島の原爆はかなりの衝撃ではあったが、新しい爆弾ができるという予測はあったのでそれによって意気消沈することはなかった」と記されている。しかし、ソ連の参戦は決定的であった。もはやこれまで、あとは亡者となって祖国を守らん、と、いかにして死を迎えるか子供を含め家族全員で話し合うところまで思いつめる。そのような状況であった。

この映画「北の三人」を見て思い浮かぶのは樺太の真岡郵便電信局で散ったうら若き乙女たちを描いた「氷雪の門」。彼女たちがこの「北の三人」の映画を見ていたはずはないが。

85.Hamonika Kozo ハモニカ小僧 1940


https://youtu.be/pl16B876sEE

86.Namiko 浪子 1932
https://youtu.be/TJfMySL6kDs
秀逸なコメントを頂いたが、そのようにストーリーはもう絶望的なまでに時代遅れと言われても仕方がない。ただ、原作にある武男の母、すなわち浪子の義母のキャラクター描写が秀逸で、これは是非オリジナルの文章を味わってもらいたい。
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 武男が母は、名をお慶と言いて今年五十三、時々リュウマチスの起これど、そのほかは無病息災、麹町上二番町の邸より亡夫の眠る品川東海寺まで徒歩の往来容易なりという。

 体重は十九貫、公侯伯子男爵の女性を通じて、体格(がら)にかけては関脇は確かとの評あり。しかしその肥大も実は五六年前(ぜん)夫通武|(みちたけ)の病没したる後の事にて、その以前はやせぎすの色蒼ざめて、病人のようなりしという。されば圧しつけられしゴム球(まり)の手を離されてぶくぶくと膨くれ上がる類にやという者もありき。

 亡夫は麑藩の軽き城下士にて、お慶の縁づきて来し時は、太閤様に少しましなる婚礼をなしたりしが、維新の風雲に際会して身を起こし、大久保甲東に見込まれて久しく各地に令尹を務め、一時探題の名は世に聞こえぬ。しかも特質(もちまえ)のわがまま剛情が累をなして、明治政府に友少なく、浪子を媒(なかだち)せる加藤子爵などはその少なき友の一人なりき。甲東没後はとかく志を得ずして世をおえつ。男爵を得しも、実は生まれ所のよかりしおかげ、という者もありし。されば剛情者、わがまま者、癇癪持ちの通武はいつも怏々として不平を酒杯に漏らしつ。三合入りの大杯たてつけに五つも重ねて、赤鬼のごとくなりつつ、肩を掉ふって県会に臨めば、議員に顔色ある者少なかりしとか。さもありつらん。

 されば川島家はつねに戒厳令の下にありて、家族は避雷針なき大木の下に夏住むごとく、戦々兢々として明かし暮らしぬ。父の膝をばわが舞踏場として、父にまさる遊び相手は世になきように幼き時より思い込みし武男のほかは、夫人の慶子はもとより奴婢出入りの者果ては居間の柱まで主人が鉄拳(てっけん)の味を知らぬ者なく、今は紳商とて世に知られたるかの山木ごときもこの賜物たまものを頂戴して痛み入りしこともたびたびなりけるが、何これしきの下され物、もうけさして賜わると思えば、なあに廉い所得税だ、としばしば伺候しては戴きける。

右の通りの次第なれば、それ御前の御機嫌がわるいといえば、台所の鼠までひっそりとして、迅雷一声奥より響いて耳の太き下女手に持つ庖丁取り落とし、用ありて私宅へ来る属官などはまず裏口に回って今日の天気予報を聞くくらいなりし。

 三十年から連れ添う夫人お慶の身になっては、なかなかひと通りのつらさにあらず。嫁に来ての当座はさすがに舅や姑もありて夫の気質そうも覚えず過ごせしが、ほどなく姑舅と相ついで果てられし後は、夫の本性ありありと拝まれて、夫人も胸をつきぬ。初め五六度(たび)は夫人もちょいと盾たてついて見しが、とてもむだと悟っては、もはや争わず、韓信流に負けて匍伏し、さもなければ三十六計のその随一をとりて逃げつ。
そうするうちにはちっとは呼吸ものみ込みて三度の事は二度で済むようになりしが、さりとて夫の気質は年とともに改まらず。

末の三四年は別してはげしくなりて、不平が煽る無理酒の焔に、燃ゆるがごとき癇癪を、二十年の上もそれで鍛われし夫人もさすがにあしらいかねて、武男という子もあり、鬢に白髪もまじれるさえ打ち忘れて、知事様の奥方男爵夫人と人にいわるる栄耀も物かは、いっそこのつらさにかえて墓守爺の嬶ともなりて世を楽に過ごして見たしという考えのむらむらとわきたることもありしが、そうこうする間につい三十年うっかりと過ごして、そのつれなき夫通武が目を瞑って棺のなかに仰向けに臥し姿を見し時は、ほっと息はつきながら、さて偽りならぬ涙もほろほろとこぼれぬ。

 涙はこぼれしが、息をつきぬ。息とともに勢いもつきぬ。夫通武存命の間は、その大きなる体と大きなる声にかき消されてどこにいるとも知れざりし夫人、奥の間よりのこのこ出で来たり、見る見る家いっぱいにふくれ出しぬ。いつも主人のそばに肩をすぼめて細くなりて居し夫人を見し輩ものは、いずれもあきれ果てつ。

もっとも西洋の学者の説にては、夫婦は永くなるほど容貌、気質まで似て来るものといえるが、なるほど近ごろの夫人が物ごし格好、その濃き眉毛まゆげをひくひく動かして、煙管(きせる)片手に相手の顔をじっと見る様子より、起居(たちい)の荒さ、それよりも第一癇癪が似たとは愚か亡くなられし男爵そのままという者もありき。

 江戸の敵かたきを長崎で討うつということあり。「世の中の事は概して江戸の敵を長崎で討つものなり。在野党の代議士今日議院に慷慨激烈の演説をなして、盛んに政府を攻撃したもう。至極結構なれども、実はその気焔の一半は、昨夜宅にてさんざんに高利貸アイスクリームを喫いたまいし鬱憤うっぷんと聞いて知れば、ありがた味も半ば減ずるわけなり。
されば南シナ海の低気圧は岐阜、愛知に洪水を起こし、タスカローラの陥落は三陸に海嘯を見舞い、師直はかなわぬ恋のやけ腹を「物の用にたたぬ能書」に立つるなり。

宇宙はただ平均、物は皆その平を求むるなり。しこうしてその平均を求むるに、吝嗇者ものの日済を督促するように、われよりあせりて今戻せ明日返せとせがむが小人にて、いわゆる大人とは一切の勘定を天道様の銀行に任して、われは真一文字にわが分をかせぐ者ぞ」とある人情博士はのたまいける。

 しかし凡夫は平均を目の前に求め、その求むるや物体運動の法則にしたがいて、水の低きにつくがごとく、障害の少なき方に向かう。
されば川島未亡人も三十年の辛抱、こらえこらえし堪忍の水門、夫の棺の蓋閉ずるより早く、さっと押し開いて一度に切って流しぬ。

世に恐ろしと思う一人は、もはやいかに拳を伸ばすもわが頭には届かぬ遠方へ逝きぬ。今まで黙りて居しは意気地なきのにはあらず、夫死してもわれは生きたりと言い顔に、知らず知らず積みし貸し金、利に利をつけてむやみに手近の者に督促(はたり)始めぬ。その癇癪も、亡くなられし男爵は英雄肌の人物だけ、迷惑にもまたどこやらに小気味よきところもありたるが、それほどの力量はなしにわけわからず、狭くひがみてわがまま強き奥様より出でては、ただただむやみにつらくて、奉公人は故男爵の時よりも泣きける。

 浪子の姑はこの通りの人なりき。

badHannibalecter

It's highly interesting that whenever a new technique of filmmaking (such as sound) is introduced the artistic advancement of filmmaking itself is somewhat stiffled by it. Here, everything is shot in single-take setups and some of the cinematic techniques (the superimpositions in the last part or the awkward close-ups) make this seem like it was shot in the early 1920s. It's almost an atavistic return to shinpa cinema with its evil stepmother vs devoted wife subplot, only that the female roles are actually played by actresses. The very archetypical characterisation certainly don't help in this matter. I read that director Eizo Tanaka was a noted reformist and innovator of early Japanese cinema. It seems by 1932 his own modern style was already outdated and archaic. Still, very interesting to watch this one as a historic landmark. However, when we compare it to Mikio Naruse's or Ozu's film during the same period it seems hopelessly out-of-date.

Maya
Hopelessly out-of-date, that is exactly the taste of this movie, haha. But in the original book by Tokutomi Roka, the character of Namiko's mother-in-law is described in very colorful way with good and sharp sense of humor. In the movie, unfortunately all the wasabi spice gone in every character including Namiko's mother-in-law and her stepmother. Maybe it was out of capacity then.

87.Tsubasa-no-Gaika 翼の凱歌 1942


https://youtu.be/4E1xOfIKAnA

88.Yukinojo Henge 雪之丞変化 1935


https://youtu.be/wOSjgiqiK-E

89.Tekki Kuushu敵機空襲 1943


https://youtu.be/p0uCS5G8tc0

90. Boro-no-Kesshitai 望楼の決死隊 1943


https://youtu.be/l2hw1YLYS-o

<ストーリー>
物語の時代は1935年。鴨緑江を挟んだ朝鮮と満州の国境で働く南山駐在所の警察官たちの物語。警官といっても実際は国境警備隊、すなわち防人である。

駐在所の警官たちが村人たちとともに望楼を建設しているところに、若い浅野巡査が赴任してくる。「主席はどこでありますか」さっそく着任の挨拶をと浅野が訊ねると、同僚の杉山巡査が「主席はいま対岸の偵察に行っておられる」と笑って答える。

高田稔扮するその高津主席は対岸から船で戻ってきたところで、身体検査を受けている。着ているのは中国服と思われるが、ここでかれが現地の服を身に着けているのは偵察のためであろう。したがって検査も現地人と同様の扱いである。

村人が今日の建設作業を終えて帰っていく。家の中からそれを見ながら「お前さんも駐在所に手伝いに行ったら?」高さんの妻が良人に言う。

ここのセリフは朝鮮語のはずであるが、この映画は主に日本人向けということで日本語にしているのであろう。ここは観客の暗黙の了解が求められるが、当時はともかく現代ではなかなか理解しづらいところかもしれない。また外国の人には日本人と朝鮮人の言語や服装の違いもわかりにくいのだろう。このCinema Japan Retrospectiveチャンネルの常連の方でもかなり誤解していると思われるコメントが見受けられた。

大半の村人は自分たちが作っている望楼の意味をぼんやりと理解しているが、高さんは面白くない。「なんだって巡査たちのたちの垣根造りを自分たちがタダで手伝わなければならないんだ?」とぶつぶつ。

さて、所内に入って着任の挨拶。浅野巡査は作法通り着任報告を行うがそれを面白そうに受けて聞いているのは熊沢巡査。浅野巡査が堅苦しく言い終わったところで「違う、違う、主席はあちらだ」
一同、大いに笑う。

夜は浅野巡査の歓迎会。興が乗ってきたところで、高津主席が金巡査、林巡査に十八番を求める。ここで朝鮮民謡が歌われる。日本統治下の朝鮮映画の英語字幕作りは、「授業料」、「志願兵」「素晴らしきかな金鉱」、「愛と誓ひ」と、これで5本目であるが、いずれも朝鮮の風景や習慣、そして祭りの様子などがさりげなく盛り込まれていて興味深い。

「踊りでも見せていただかなかったら、金さん、まるで内地人ですな」と浅野巡査が感心する。この当時は朝鮮人、満州人に対し日本人のことを内地人と呼んでいる。内地、外地という言葉は日常的に飛びかっていたのであろう。林巡査も「僕もリンをハヤシと読めばわからないでしょう。」と言い、「家内もごらんのとおり和服に慣れましたしねえ」と続ける。リン夫婦はかなり日本文化に傾倒しているようだ。

部下思いの高津主席が宴席に出られなかった巡査と交代して執務室に戻る。定時連絡の電話が入る。「xx駐在所。こちらの上流は異常なし」国境警備はだだっぴろい江岸を警備することである。その仕事がいかに過酷であるか想像がつく。高津は次の駐在所に連絡を入れ、異常のないことを知らせる。

そこへいつも愚痴ばかり言っている高さんがおそるおそる訪ねてくる。「女房が子供を産むので奥さんに手伝ってほしい」原節子扮する高津の妻よし子は少々医療の心得があるということで、おそらく産婆の資格ももっているのであろう。高津がよし子にそれを告げると、よし子は「すぐ行きますよ」と急いで支度する。飲んでいた男たちは「あの強情ものがとうとう頼みにきたか、愉快」と笑いあう。高さんの気質は皆熟知していたのであろう。

宴会は早々に切り上げて巡回の時間。金巡査は高津夫人の通い女中をしている若い娘、王燕に、巡回に行く途中だから「送っていってやる」と申し出る。

王燕の父は食堂を営んでいる。その夜、店には見慣れない客がいる。「おやじ、おまえ、子供はいるのか」と客が聞き、「娘がひとり」と主人は答える。客は続けて「王虎(ワンコ)」というやつを知らないかと尋ねる。
それは家を飛び出したまま帰らない勘当息子のことであった。
「あんたはいったい誰なんだ」と、驚く主人。

そこへ金巡査に送ってもらった王燕が帰ってくる。主人と親し気に話していた金巡査は見慣れぬ客に気づく。

さりげなく職務尋問をしていると、男はいきなり金巡査を襲ってきた。それをかわし、追っていった金巡査に男は発砲し、金巡査は倒れる。銃声を聞いた他の巡査がかけつけるが、金巡査はすでに虫の息。

高さんのお産の手伝いにきていたよし子は騒がしくなった表の様子を見てきてほしいと高さんに頼むが、高さんはお産が先だと言ってきかない。

あわただしくなる駐在所内。犯人の追跡と同時に江岸の警備も怠ってはならない。

金巡査は、看病していた小学校の教師、劉、にたった一人の肉親である妹のことを頼んだあと息を引き取る。

なぜ金巡査が襲われたのか。食堂の主人を取り調べる高津主席。この主人は満州帰り。詰問されて「満州では匪賊にさんざんな目にあった、家は焼かれ女房は殺された。やっとこの地で平安を得た自分が駐在所に反することをするはずがない」と主人は泣く。ここで主人が流暢な日本語を話しているのも不自然ではあるが、ま、映画ですから。

本署からの電話に対し、高津は、事件の首謀者は満州の討伐隊に追われ対岸に逃げ込んだ黄竜(こうりゅう)一味らしいと報告する。

なお、この時代よく出てくる匪賊という言葉は共産主義者、軍閥、そして馬賊など正規非正規の武装集団を指すが、言えることは、清王朝がぐだぐだになってしまったこの時代の中国大陸は混乱をきわめており、日本人にかぎらず誰にとってもとにかく危ないところであった。中国が現在の中華人民共和国という共産党下の統一国家になったのは1949年。戦前の映画を見るときはそれを忘れてはならない。

村内を見回る杉山巡査と浅野巡査。杉山巡査は亭主の愚痴を朝鮮語でこぼす女に朝鮮語で相手してやる。浅野は杉山の達者な朝鮮語に感心するが、当時の朝鮮には日本人向けに朝鮮語を教えるラジオの語学講座もあったのだ。

学校では日本語の授業が行われている。二宮金次郎のお話を子供が朗読している。学校に通っている子供たちはバイリンガルで、別の映画「授業料」で日本人教師が児童に親の言葉を通訳してもらっているところからすると、大人たちより日本語は流暢だったかもしれない。駐在所には「国語常用」という張り紙が見られる。おそらく巡査になるときには日本語が必須であり、これは志願兵の場合もそうだったのではないか。ふだんはともかく軍事においては言葉が通じないのは致命的であろうから。

金巡査の妹英淑が京城から帰ってくる。彼女は医者になるべく勉学に励んでいたが、兄が死んだあと学資の工面もつかいので勉学を諦めて働くつもりだと話す。劉は英淑の兄の金巡査から彼女のことを頼まれている。劉は彼女の学資のために田を売って援助しようと思うが、自分が言い出したのでは彼女が気兼ねすると思うので高津主席からということで彼女に申し出てくれるよう高津に頼む。筋にはあまり関係ないエピソードだが、「ちょっと色っぽいところも」ということで。

高津が放っていた諜報員の男が事件の犯人と黄竜一味の企てを探ってきた。いよいよ彼らがこの村を襲ってくる。河が凍ったときが危ない。北国の軍事作戦では河の凍結時期というのが大きな意味をもってくる。望楼の建設はそれまでに終えなければならない、高津はそれを懸念する。スパイの男をねぎらって高津は金を渡す。こういうときでもささっと金を紙に包むところが日本人。

宿舎では新入りの浅野がくたびれ果てて眠っている。そっと布団をかけてやる高津。

結氷期がやってきた。防備工事もなんとか完成し村人たちをねぎらう高津。黒板に書かれている文字は日本語と朝鮮語であることに注意。
河が凍れば匪賊がやってくる、くれぐれも油断をしないようにと、高津はその心構えを喚起し、実際的な段取りを村人たちと打ち合わせる。

巡査たちの江岸の警備も寒さに伴い厳しさを増す。新入りの浅野にとってはとくにとまどうことばかり。「零下30度になると一晩で池も凍る。凍った魚はのこぎりで切り、凍って足をとられた鴨は鎌で刈り取る。それを鴨の鎌刈りと称するのだ」、と、熊沢巡査は浅野巡査をからかう。

郵便局からの電話で高津に電報が届いているとの知らせ。熊本の実家からである。家に帰った高津は妻のよし子に母がきとくである旨を告げる。妻は「雪は降りだしたばかり。まだ氷は張っていないから帰る時間があるのでは」と勧めるが、高津は「こっちに来る前にすでに別れを済ませてきた」と、帰るつもりがないことを知らせる。「雪が降りだせばこちらはもはや戦場同然だ」

極寒の中で見張りに立つ浅野巡査。突然銃声のような音。
「今の音を聞きましたか」
「ああ、あれは氷の張る音ですよ」
「ああ、あれがそうですか」
浅野巡査も赴任前にいろいろ聞かされてはいたのであろう。

警備の番を終えて戻ってきた浅野巡査。凍えた指を温めているときについうっかり安全装置をはずしたままの銃を倒してしまう。銃声に驚いて真っ先にかけつけてきた杉山巡査に浅野巡査は「すみません。暴発です」と謝る。杉山巡査は「しようがないなあ、懲罰ものだぞ」と言いながらも、帰ってきた高津が浅野の発砲で壊れた窓のことを問いただすと、「かれはまだ不慣れなもので」とさりげなく浅野をかばう。

些細な不注意は命にかかわる。高津は厳しく叱責する。お坊ちゃん育ちらしい浅野は不満を隠しきれない。高津は杉山とともに次の江岸警備の当番に当たるよう浅野に命ずる。

凍てついた雪原を歩きながら浅野は杉山に向かって叫ぶ。「僕はやめます。やめて内地に帰ります。親父は自分がした苦労を僕にもさせたいらしいが、僕はもうたくさんです」それに対し杉山は「愚痴を言える親をもつ君は幸せだ。ぼくなんか死んだところで誰も泣いてもくれない」と諭す。この二人の会話は終盤のシーンの布石である。

高津宅。就寝中の高津に浅野が訪れ、辞職の意を伝える。辞めるといえばすぐに辞められると思うところが浅野らしい。しかし、高津はむろん許さない。「河はすでに凍っている。氷が溶けるまでは自ら一個のことは忘れなければならない。それが国境警察官の務めだ」高津は穏やかに諭す。

高津の妻も杉山も浅野をそれとなくかばっているのだが、若い浅野にはまだ周りのそういう配慮には気づかない。気の晴れない浅野は剣道の練習で思い切り打ち込む。剣道4段の高津にはなかなかかなわないが、多少の憂さ晴らしにはなったかもしれない。

そして正月が近づき、京城から英淑も帰ってくる。正月。一同揃って宮城に奉り敬礼。と、英語ではつい「京城(けいじょう)」と訳してしまったが、これはむろん「宮城(きゅうじょう)」であろう。ここで訂正しておく。
続いて新年の挨拶。村の要人たちはみな朝鮮の礼服で寿ぐ。

高津宅で、英淑や林夫人も手伝って、高津夫人手作りのお雑煮がふるまわれる。凶弾に倒れた金巡査にもお雑煮を、と言い出すものが出て、杉山巡査が仏壇に供えようとする。仏壇を開けると、金巡査の写真と共に老女の写真が。そこで一同は高津の母が亡くなったことを初めて知る。浅野は高津が自分に言った「氷が溶けるまでは自分一個のことは忘れる」と言った言葉を高津自ら実践していたことに気づく。

高津が入ってきて、浅野に「この餅は君のお母さんが僕たちにといって送ってくださったものだ」という。「お母さんのその深い心遣いに息子への愛が感じ取れる」としみじみ語る高津に浅野は深く感じ入る。(と、いうふうに観客もとらえなければならない)。

朝鮮の子供たちの正月風景。どこの国でももちろんスケートは子供たちにとって最も楽しいスポーツ。

次の数秒のシーンは渡河の検閲らしいが、夏と違って人もまばら。河が凍ればどこからでも行き来できるのだから検閲もあまり意味がないだろう。

王燕の父の食堂。父が機嫌よくくちずさむメロディーに誰かが口笛をのせる。息子の王虎が帰ってきたのであった。
顔をしかめながらもとりあえず食べ物を与える父。だが、「お前はもう俺の息子ではない。食ったら出ていけ」と父は冷たくつきはなす。
だが、息子は父に、黄竜の一味が近いうちにここの駐在所を襲う計画だから満州に立ち退くようにと警告する。それを言うために来たのだ、と。(この会話も当然朝鮮語のはずなのでそう思って見ること。)
そこへ黄竜の一味の男が裏切り者の王虎を始末しにやってくる。しかし撃たれたのは父親のほう。騒ぎを聞きつけて駆けてきた劉も傷を負う。

死んだ父親を見て妹の王燕は兄をひっぱたたく。兄は逮捕される。

傷ついた劉を、高津夫人に励まされながら、医者の卵である英淑が手当する。

捕らえられた王虎を尋問する高津。沈黙を続ける王虎。そこへ妹の王燕が入ってきて「こんな悪い人、兄さんじゃない」と泣き崩れる。

黄竜一味の攻撃の可能性は益々高まってきた。高津は本部に弾薬の補給と人員の増員を要請する。そして、高津はリン巡査に、本部に赴き弾薬を受領しかつ応援の警官を同行し明日の朝までに帰還するよう、命令する。

寒風の中、出発するリン巡査を妻と赤ん坊が笑顔で見送る。

しかし、その夜、リン巡査の帰りを待つ間もなく、銃撃が始まる。本部に連絡しようにも電話はもはや通じない。高津夫人は台所の火の始末をし、夫に指示されたとおり武器を塔に運び込む。赤ん坊を背負ったリン夫人も懸命に手助けする。

村には火が放たれ、村人たちは逃げ惑う。高さんのところも襲われる。右往左往する村人たちの間に、「駐在所に行け!」という言葉が飛び交い、人々はこぞって防壁のある駐在所に駆けこむ。望楼はこうした事態のために作られたのである。

銃撃戦はますます激しくなる。パニックになった村人たちに、高津夫人は「リン巡査が応援部隊と共に帰ってきます。落ち着いてください」と励ます。

応援隊の車は雪道を走っているが、まだ到着するまで時間がかかりそうだ。

決死隊は苦戦を強いられ、杉山巡査は外に出て攻撃する許可を求めるが、高津は許さない。「しかし、このままでは壊滅です」そこへ浅野巡査が来て、自分にやらせてくれと高津に頼む。ためらう高津に浅野は返事も聞かず飛び出そうとする。
そこに銃声。
「やられた!」杉山巡査が崩れ落ちる。それを見た浅野は舞い戻り「俺の後を頼む」という杉山の指示のまま杉山のポジションを引き継ぐ。

浅野が自分のポジションについたことを見届けた杉山は、撃たれたはずなのに素早く立ち上がり、「杉山巡査、行ってまいります」との言葉を残して走って出る。杉山は最後のかぼそい生存のチャンスを、近親者のいない自分より浅野に残してやりたかったのである。それは前述の二人の会話から読み取れる。

出たとたん撃たれる杉山。しかし、最後の一撃で一人を倒す。浅野も飛び出す。

中では高さんのおかみさんが、「あんたも何かしなさい、いくじなし」と良人を叱咤している。おずおずしていた高さんも高津の「弾をもってこい!」という声に反射的に身を動かして弾をもっていく。しかし、弾丸はもう底をつきかけていた。

牢の中から王虎が必死に叫ぶ。「だんなさん、出してください。親父の仇を討ちたい!匪賊をやっつけます」
「匪賊をやっつけてもお前の罪は消えんぞ」という高津に、王虎は叫ぶ。
「かまいません。やつらをやっつけたらもう殺されてもいい!」

味方は一人でも欲しいが、ためらう高津。そこへ妹の王燕が、「兄さんを出してあげて。兄さんは悪い人じゃない!」高津は牢の鍵を王燕に放り投げる。牢を出た王虎は武器をもらって走り出る。

一方、応援隊も敵に阻まれ思うように進めない。だが手りゅう弾などで効果的に敵を倒してつき進んでいく。

牢から出してもらって戦っていた王虎は弾もとうにつきたのだろう、素手で父の敵と戦うが最後は共に倒れる。

中ではいよいよ弾が尽きた。
「よし子」、
もはやこれまで、と、高津はそっと妻に呼びかける。
そしてさっきまで使っていた自らの銃を妻にわたす。その銃には残しておいた最後の弾が入っている。「覚悟はできているだろうね」妻は黙って力強くうなづく。

高津は次に「奥さん」と、リン夫人を呼ぶ。
「ご主人が戻られんので心残りのことでしょう。万一の場合、僕が代わって処置しましょう。」
「有難うございます。でもだいじょうぶです。」
リン夫人は気丈にも高津に自分のもっている銃を見せる。処置しましょう、とは、自決を手伝うということである。

英淑は劉に頼む。「いざというときは私を先に撃ってくださいね」

この物語の時代は1935年となっているが、映画が発表されたのは1943年。1937年7月29日の通州事件のことは当時の人々の記憶にまだ鮮明に残っていたことであろう。匪賊に打ち負かされた後、女たちがどのような運命に向き合うか、かれらはよく知っていた。むろん男たちも。

ゲートに集まる匪賊を前にして高津は刀を抜く。「熊沢巡査を呼べ」巡査たちは揃って討ち死にということであろう。「自警団たちは地下道へ」

ゲートが打ち破られるのは時間の問題。

リン夫人は赤ん坊を床におき、銃をとる。英淑は目を閉じて劉の銃を待つ。高津夫人も銃に手をかける。

もはや揃って討ち死にと、望楼から下に降りかけた熊沢巡査。
そこにラッパの音が!
「応援隊が来たぞ!」叫ぶ熊沢巡査の胸に銃弾が命中し、熊沢は倒れる。
しかし彼の最後の一声は人々を死の淵から引き戻した。

なだれ込む救援隊は匪賊を次々に打ち負かしていく。しばしの戦闘のあと、かくて救援を得て望楼は守り得た。しかし、そこには犠牲者も。

戦いが終わり、葬儀の行列。犠牲者の遺骨が並べられ、高さんもいまは神妙に帽子と上着ををとって弔意をあらわす。

最後は犠牲者を悼む高津の弔辞。

警ら未だ去りて帰らずなお春秋に富む警らの殉職はまことに心に沁みてあまりあり請いねがわくば霊魂とこしえにこの地にとどまりて後進を助けよわれらもまたその志を継ぎ、ますます奮励努力、誓って朝鮮統治の精神を...

....... 古の荒野も日に日に過ぎつつあり、かくて辺境の治安は整い民衆はみな安んじて正業につくにいたれり。しかしながら今日の治安と平和の陰に辺境のさきもり、国境警察官の捧げたる焼骨の勇気と自己犠牲の精神こそは長く正史に輝くであろう。

           ー終ー

望楼の決死隊 1943

監督 今井正脚本 山形雄策 八木隆一郎

出演者 高田稔 原節子 斎藤英雄 菅井一郎 清水将夫 鳥羽陽之助 浅田健三 亮木 下谷幸子 戸川弓子 泰薫沈 影朱仁 奎田 沢二 金賢 金信哉 金玉

91.Watashi-no-Niisan 私の兄さん 1934


https://youtu.be/gRkJ-GFU9XE

92.Wakaihito 若い人 1937


https://youtu.be/75Vm9ZgVo2k

93.Haha-to-Ko 母と子 1938


https://youtu.be/vDUZmci-v_E

94.Nakimushi Kozo 泣蟲小僧 1938


https://youtu.be/8w1IxUayiNM

95.Byakuran-no-uta 白蘭の歌 1939


https://youtu.be/GL9IX9uS3gk

96.Robo-no-Ishi 路傍の石 1938


https://youtu.be/87_au2fPy6U

朝、少年が学校カバンを肩にかけて通りを走っている。
小学校に通う子供たちが、みんなで材木屋の前で待ち合わせているのである。
駆けてきた少年「早く行かなきゃ」とみんなをせかすが、鏡造は、
「麻ちゃんがまだこない」
と言って、焚火の前にどっしりと腰をおろしている。
「ぐずぐずしてると遅れちまうぜ」
「そんなこと言ったって麻ちゃんが来なくちゃだめじゃないか」
「でも、おれ遅れるのいやだなあ」
「じゃあ、おいていっちゃうのか。麻ちゃんがひとりだったら可哀そうじゃないか」
みんなは学校に遅れるのがいやである。だが、鏡造は待ってやらないと可哀そうだとかばう。
「まあ、あたれよ」と鏡造は走ってきた少年を焚火に誘う。少年が焚火に手をかざしていると時計の鐘が鳴る。みんな内心気が気でない。

「鏡造、おまえまだぐずぐずしているのか」と鏡造は材木屋の父にどやされる。

「おら、行くよ」
ひとりそう言うとみんなも行こうとする。
「よし、じゃあ、麻ちゃんちに行くのはおれだけでいいよ。みんな先に行ってくれ」
鏡造はそう言って立ち上がる。
「そうけえ、じゃ、行くよ」少年たちはあっという間に駆けだす。
鏡造はすばやく焚火に水をかける。さすが材木屋の倅だけあって火の始末だけはきびしく言われているのだろう。水をかけたところで大急ぎで麻ちゃんの家、呉服屋の伊勢屋に走っていく。

吾一はそんな鏡造の姿を見て一瞬ためらうが、すぐにみんなの後を追っていく。

この吾一と鏡造のちょっとした行為はなかなか興味深い。鏡造は勉強はできないがなかなか面倒見のよいやつなのである。それに対し、吾一は優等生らしく友達を待つより遅刻したくないという気持ちのほうが強い。ただ、鏡造をひとり残すのはいくぶん後ろめたいところもある。

先に行った子供たちは踏切で電車が通るのを待ちながらせかせかと足踏みし、電車が通り過ぎたとたん駆けだす。この映画は鉄道が重要な役割を負っている。

伊勢屋まで走っていった鏡造は麻ちゃんを急かし、二人で走っていくが、けっきょく遅刻してしまう。

教師の次野はまず麻太郎に「また寝坊したのか」と叱り、つぎに「栗村、お前はどうした? お前も寝坊か」と鏡造に問いただす、が、鏡造は何も言わない。
「鏡ちゃん、本当のことを言えばいいのになあ」と他の子供たちはひそひそささやきあい、「鏡ちゃんはえらいよ」と吾一は感心する。
なぜ感心するのか。
言い訳をしないからである。
これはたとえば映画「虹立つ丘」の中でも見られるが、この時代の日本人の美学のひとつとして「言い訳をしない」ということがあげられる。もはや現代においては霞のごとく消え去った古き美徳であるが、これがわからないとこの時代の映画に見られるちょっとした行動は理解できないだろう。

「そこに立っとれ」と二人を立たせておいたあと、そうそう、と、次野先生は今年の春、この町に新しく開校する中学校のことにふれ、進学を希望するものはあるかと生徒たちに問う。もし希望するのなら入学試験の準備をしなければならない。教室はざわめくが誰も手を挙げるものはいない。
「誰もいないか」という先生に対し、「はい」と手を挙げたのは立たされていた麻太郎。
「そうか。だが、遅刻などしていては入学試験に受からんぞ」と先生はからかい、一同笑う。

一方女子のクラスでは音楽の授業中。この時代の小学校は男女別クラスが一般的。
教頭さんであろうか、黒板に一日一訓を書いている。
「己の欲せるところ
之を人に施すこと」
皇紀二五六二年
西暦一九〇二年
明治三十五年一月十日とある。
この物語の舞台は明治35年だということがわかる。

つい教頭が書いているところに気をとられたひとりの少女、
「福谷さん、よそ見をしてはいけません」
と先生に叱られて二番をひとりで歌うよう言われる。
少女は麻太郎の姉(最初は妹となっているが)、呉服の大店伊勢屋の娘おぬいである。お嬢様育ちの彼女はものをじもせず、立派に歌い終わる。歌は母をたたえる歌。

男子のクラスでは読本の時間。熊と戦う砲術使い。古文なので読んでいる子供もたどたどしい。次に栗村、と次の先生が指名するが、鏡造はどこを読むのかもわからない。勉強は苦手なのである。次に指名された吾一はさすが優等生、よどみなくすらすらと読む。熊と我が身との距離を冷静に計算し、いかに効果的に熊を撃ちとめたか。明治の読本らしい豪傑の話らしいが誰のことか。昔の人にはなじみのある話なのかもしれない。

放課後、みんな揃って下校する。
鏡造が麻ちゃんに、
「麻ちゃん、おめえ、ほんとに中学に行くのか。行ってどうするんだい」と聞くと、麻ちゃんは
「うん、だってうちのおとっつあんがやるって言ってるもの」
大店の息子の麻ちゃんは無邪気に返事する。
鏡造は中学なんて行くやつは馬鹿だと笑い飛ばすが吾一は「中学は材木屋じゃない」と言い返す。
「それはそうだけど、でも中学を出たところで稼げないし、何の役にも立たないって父ちゃんが言ってるぜ」と鏡造は屈託なく言い返す。
この役に立つ、立たないという論争はこの物語のサブテーマでもある。
鏡造は中学など興味ないのでからりとしているが、吾一にとってはそれはつらい問題であった。
子供たちも吾一が中学に行きたがっていることを知っている。そして行けない理由も知っている。吾一の家は貧乏だから。吾一はずばりとそれを指摘される。子供はときとして残酷だ。

「お前は優等生だもんな、点取り虫、おべっかつかい」
かっちゃんは吾一の痛いところをさらにつっこむ。思わず喧嘩が始まろうとするとき、

「吾一ちゃん、一緒に帰ろう」
おぬいが声をかける。
「うん、一緒に帰ろう」
と返事したのは麻太郎。
「兄さんじゃないわよ」
とおぬいはぴしゃり。妹のほうがしっかりしているのである。ここではおぬいは兄さんと呼んでいるが、後半ではお姉ちゃんと麻太郎に呼ばれている。

「優等生は優等生同士、帰ればいいさ」と他の子どもたちは嫌みをいうが、おぬいはまったく気にしない。
「吾一ちゃんと私は同じ月同じ日に生まれたんだもの。それに吾一ちゃんは男子クラスで一番、私は女子クラスで一番。仲良くする理由はいくつもあるわ」

二人は伊勢屋の前までぱたぱたと駆けて帰ってくる。おぬいがぷりぷりしている。
「あたしたちぶりっこじゃないわよね。仕立屋の河銀たら、大嫌い」
どうやら途中で河銀に会ってあてこすりを言われたらしい。この河銀は伊勢屋に出入りしている仕立屋で、吾一とも関わりがある。

店の前では番頭がお嬢様の帰りを出迎える。
「まつとやは出来た?」とおぬいがきくと、
「はい、今やっております。今日中にできますよ」と番頭の忠助は丁寧に応える。
まつとや、としか聞き取れないのだが、これは「松鳥屋」であろうか。雪国ならかまくらだろうが、後に出てくるこれはそれに類した子供の遊び小屋のようなもの。英語ではkids hutとしておいた。

店の前で子供二人が別れたあと、足をひきずりながら「こんにちは」と慣れた物腰で河銀が伊勢屋に入ってくる。足が悪いので子供たちより後になったのだろう。

家に帰った吾一を迎えるのは袋張りの手内職で生計を支える母のおれん。
「帰りに会ったよ」
「誰に?」
と聞く母に吾一は足をひきずる真似をする。あまり褒められた真似ではないが、これは河銀という男に対する母子の面白くない感情の表れでもあろう。
「河銀さん?」
「うん、お母さんに用があるって」
母は返事をしない。用はわかっているのだろう。吾一もそれとなく母の気持ちを察している。

「おっかさん、」
中学に行かせてほしいと、吾一は頼む。
「そんなこと。大きな蔵があるような伊勢屋の麻ちゃんのところとうちは違います。うちは稲葉屋さんに家賃も払えないんですから」
稲葉屋というのは吾一が仲良くしている本屋で、家作ももっていて吾一の家の大家さんでもある。

「麻ちゃんのような勉強のできない奴が行くのにどうして僕が...」吾一には納得いかない。母も吾一の気持ちがよくわかる。
「じゃ、お父さんに相談してみましょう」
といったところでその父は保険の仕事とかで年に数度しか帰ってこず、お金も送ってくれない。母の袋張りで糊口をしのいでいるのである。
「そうだ、いいことがある。僕も袋を張るよ」
という吾一に母は
「男はこんな仕事をするものじゃない」と許さない。というところはやはり明治の女か。あるいは士族の末裔でもあったのか自尊心だけは失っていない。

ふてくされて出かけようとする吾一に母はせめてもと銅貨を投げてやる。この銅貨も袋張りから得たわずかな稼ぎの一部。

とぼとぼと吾一は稲葉屋のおじさんの書店を訪ねる。店に入る前に吾一は書店の看板に手をやる。そこには「中学の教科書はこちらでご注文をお受けします」と書かれている。
稲葉屋のおじさんは吾一にやさしく声をかける。
「どうしたい?元気がないね。おっかさんはどうしてる?」
と、訊ねるおじさんは吾一の母のこともなにかと気にかけてくれる。
といっているところに入ってきたのは次野先生。愛称で呼び合う稲葉屋の泰吉と次野立夫は幼馴染みらしい。

先生にお辞儀をする吾一。
「愛川、いい図書館をもっているな」と次野先生。
稲葉屋の母せいがあらわれ、次野に挨拶し奥に誘う。

「吾一ちゃん、うちの小僧さんが帰るまで店番しといてくれないか」
おじさんはこれまでにもしばしば吾一に店番を頼んでいたのであろう。

奥の座敷に向かいながら次野は泰吉に言う。
「僕の身体も三月にはすっかり自由の身になる」
次野は教師の職を捨て文学で身を立てようとしているのであった。3月に子供の卒業式を済ませてから東京に行くつもりだと。

「いまどき文学で食っていけるのか」
「石にかじりついても文学でやっていく」縁側の干し柿をつまみながら次野は答える。

「しかし君の好きなしょうづきしょうらいはなんと言っている?」
しょうづきしょうらいとしか聞き取れないのだが、ここで泰吉は斎藤緑雨の言葉を持ち出す。

「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし。」 夢を指す一本の筆は、現実を表す二本の箸に対しては多勢に無勢。 しかし自分は屈しない。

それに対し次野は、
「いや、僕の解釈は、按ずるに筆は一本なり口はひとつなり、だ」
つまり妻子をもたずひとり口なら何とでもなる、自分は文学と討ち死にするという決心だ。

店番をしている吾一の前を足の悪い河銀が通り過ぎる。どうやら吾一の家に向かっているようで、吾一は気になって後ろ姿を見ているが、また店に戻る。

吾一は店にあった中学校の教科書のページを繰る。
「福沢諭吉翁」

奥ではその福沢諭吉をめぐって次野が泰吉を相手にくさしている。
「福沢先生は偉大な方だがこと文学に関してはまるで理解がない」次野がいうのは「学問ノススメ」の次の箇所だろう。

「学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦よろこばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴とうとむべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟ひっきょうその学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
 されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。...」

泰吉は、福沢先生はべつに文学を否定しているわけではないよ、と言い返すが、文学と心中しようとしている次野にとっては実学をまず第一にという福沢の姿勢は受け入れがたい。
「いにしえのみそひともじも三味線に乗ったら都都逸」といったたとえは本当にあったかどうか知らないが、これは笑ってしまう。

次野は
「実学はけっこうだが、世の中には無用の用というものもあるだろう」
と続けるが、これは現代でも議論がわかれるところかもしれない。

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

「どうだ、じつに美しいじゃないか。はばかりながら福沢先生にはこの しづ心なく って気持ちはおわかりにならんね。実学がなんだ、実業界がなんだ?」
「まあまあ、たいそうなお話で」
酒のおかわりをもってきたおせいが笑っている。
「いや、ちょっと調子にのりすぎたようです」
次野は照れる。
「いいじゃありませんか。明日は日曜ですからね。どうぞごゆっくり」

店番をしている吾一のところに獅子舞がやってくる。学校は始まったがまだ松の内 (明治35年ぐらいであればまだ旧暦の正月を使っているかもしれない)。奥からおせいが出てきて獅子舞におひねりを渡す。
吾一が次の店に入っていく獅子舞を見ていると、目の前を河銀が帰っていく。吾一はおばさんに「ちょっと家に帰ってくるね」と言って駆けだす。

案の定、家に帰ると母が途方にくれている。
「吾一ちゃん、すまないけどお使いにいってちょうだい。いま河銀さんがこれを無理においていったのだけれど、おっかさんは受け取ると困ることがあるの。返してきてちょうだい」
河銀は仕立物とその代金まで置いていったのである。袋張りをするよりも仕立物をしたほうが暮らしはずっと楽なはず。だが、おれんは受け取らない。吾一にもそれは理解している。

「お金をなくさないようにね。帰りに石油を買ってきてちょうだい。これは油のお金」とおれんは別に油のお金と瓶を渡す。こういう細かいところをていねいに描いているのがいい。

吾一は書店に戻って、
「おじさん、おっかさんの用があるから店番できないよ」と声をかける。
おせいが「はい、はい、ありがとう」と奥から返事をする。

その声を聞いていた次野は、
「あの愛川吾一という子供は惜しいねえ」
次野は泰吉に吾一の学費を出してやる気はないかともちかけると、泰吉はすでにおれんとその相談をしたことがあると打ち明ける。
酒のおかわりをもってきたおせいが、
「泰さんは吾一ちゃんが好きで、家賃の滞納も見過ごしてやったりと何かと気をつかっているけれど、他の店子たちからやっかみを受けてしまって...」とそれとなく泰吉の思いやりが周りに誤解されているとにおわす。
泰吉は激しく打ち消すが、昔は室町小町と呼ばれたおれんのこと、何かとうわさが絶えないらしい。白羽二重に赤糸で縫って芥子粒ほどの赤糸も見せないぐらい裁縫のうまいおれんが仕立屋の河銀を避けているのもそういった取りざたがわずらわしいのである。

「で、父親は何をしてるんだ?」という次野の問いに、
「それが問題なんだ」
吾一の父正吾の性格は昔から悪かったのかと泰吉はおせいに聞く。
おせいによると、正吾の父、吾一の祖父は鉄道の駅員であったが、正吾が吾一ぐらいの年の頃に殉職したのだという。というのも、
目の悪い老婆が杖を線路に落とし、汽車がすぐにもやってくるというのに、それを拾おうと線路に降りかける。仰天した正吾の父は老婆を突き飛ばして自分が線路に降り、杖をひろってそれを老婆のほうに放り投げた。
そこまではよかった。ところが父はなぜかそのままふらふらと線路に倒れてしまったのである。そこへ汽車が。
急にめまいがしたのか、あるいは靴が線路にはさまってしまったのか。
「杖と殉職、か。面白い」次野は小説の題材を見つけたようだ。

そういった悲劇的な死に方をしたせいで正吾には世間の同情が集まり殉職金も下された。そしてこの町に帰ってきたのだが、年若い正吾は小ずるい人間たちによってたかって食い物にされてしまった。以来、正吾が人を信用しなくなり、自らも山師のようになったのもうなづけるところがある、とおせいは言う。
そして次第に町にいずらくなった正吾はおれんや吾一を放って東京へ行ってしまった。

子供たちが「松おくれ、姫おくれ」と歌いながら店の前を通っていく。これもまだ松の内の遊びなのかもしれない。

夜、吾一の家。吾一が袋を張っている。母はくたびれてついうとうとしている。だが、はっと気が付き、何をしているのかと吾一をとがめる。
「だっておっかさん、いま居眠りしてたぜ」
吾一にそう言われて、おれんもついに「じゃ、手伝ってちょうだい。明日の朝までに仕上げなくてはならないの」と吾一に頼む。
「いくらでもできるよ」と張り切った吾一。母を吾一を手元を何度かみやる。何かおかしいことに無意識にきづいていたのかもしれない。

夜汽車が走っていく音を聞きながら二人はもくもくと袋を張る。

「できた!」
だが、吾一のそれは、ああ、なんと綴じ目が左前になってしまっていた。

やり直すおれんを見て吾一はついに泣き出す。
「お前は一生懸命やってくれた。お前のせいじゃない。こんなことをやらせたおっかさんが悪いの」

次の日か、吾一は伊勢屋の麻ちゃんを訪ねる。おぬいから子供の家に遊びにくるよう言われていたのである。

伊勢屋の裏庭に作られた子供の家。だるまさんが高くかかげられ、小屋の屋根からは煙がのぼっている。お餅を焼いたり、ぜんざいを煮たりしているのだろう。

吾一が行くともうみんな来ていて中は満員のようである。
しかし吾一が来るのを素早くみつけたおぬいは、
「麻ちゃん、いつまでも一等席に座ってるんじゃないわよ」と麻太郎をどかせて吾一を自分の横に座らせる。ここはおぬいが仕切っている場なのだ。(しかしなぜか来ているのは男の子ばかり)

男の子たちはそれぞれの自慢話をしているところだった。かっちゃんは馬の尻尾から毛を三本抜いたというのが自慢らしい。
次に、眠っている牛の背にまたがったら牛が急に起きだして、他の牛も一緒になってもーもーと追いかけられたという冒険話。水道橋の欄干を歩く話。
「つまんない話しばかり」とおぬいは馬鹿にする。
そして話が吾一に回ってきた。
「吾一ちゃんはなにしろ中学に行くんだから俺たちみたいな真似はしねえよな」とかっちゃんに挑発されて、吾一はつい自分は鉄橋の枕木にぶらさがって汽車をやりすごすことができると言ってしまう。これが吾一の性格のひとつでもあるのだろう。
「そんなことできるもんか。本当にできるならやってみろ。明日なんてだめだ、今やってみろ」とかっちゃんに迫られ、吾一は引き下がれなくなる。
考え深そうに吾一を見守る鏡造。

そしてついに一同は鉄橋に向かって歩き出す。

汽笛一声新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる
月を旅路の友として

窓より近く品川の
台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ
山は上総(かずさ)か房州か

梅に名をえし大森を
すぐれば早も川崎の
大師河原(だいしがわら)は程ちかし
急げや電気の道すぐに

一同が線路につくと、おりしも電車は通り過ぎたばかり。
「もうすこし早く来ればよかった」
「でもすぐに上りがくるよ、すれ違いだから。鉄橋に行って待っていよう」
みんなが行きかけるところを鏡造が吾一の手を引っ張る。
鏡造は吾一の肩に手をかけ、
「おまえ、あんなことをしたら死ぬぞ。おまえがやめるって言うなら、おれ、話してやってもいいぜ」

吾一は一瞬ためらうが、おぬいも見ているし、もはやここで引き下がるわけにはいかない。
「意固地だなあ、おまえは」
鏡造は腹を立てた。

いよいよ汽車がやってくる。怖くなってきたおぬいは、
「鏡ちゃん、もうよそうよ、こんなこと」と声をかけるが、
「よすなんてことあるもんか。吾一ちゃんがやるっていったんだもの。やらなきゃおれが承知しないぞ」
鏡造は折れようとしない吾一に対し本気で腹を立ててしまったのである。

ゆっくりと橋の真ん中に歩いていく吾一。汽笛が聞こえる。
吾一は腰をかがめ、枕木のひとつにつかまる。下駄が脱げて下の川に落ちる。吾一は枕木を抱くようにして身体をまげる。
汽笛の音。運転士には吾一の姿が見えているがもはや停止することはできない。
鳴り響く汽笛の音。繰り返し、繰り返し。

恐ろしくなったおぬいは逃げ帰る。
男の子たちも汽車が近づくと逃げ出す。鏡造だけは情けない表情で見守っている。

汽車の激しい汽笛の音。吾一の意識が遠のく。

「動いちゃだめだ、吾一ちゃん。静かに、静かにしといで」
稲葉屋のおじさんの声がどこからか聞こえてくる。

「なんという馬鹿なことを。お前がやれと言ったのか。鉄橋は人間がぶらさがるところじゃないぞ。それでお前の他に誰がいたんだ?」
駅長室らしいところで、材木屋の父と一緒に鏡造が叱られている。気を失っていた吾一はストーブの前の長椅子に寝かされている。母も心配そうにのぞきこんでいる。

「他に何人いたんだ?」
駅長がもう一度鏡造に聞く。
「誰もいません」
「するとおまえとこの子と二人だけで賭けをしたんだね。そうだね?」
「ええ」
「するとお前がどうしてもやらなければ承知しないと言ったのでこの子がぶらさがったのか。それに違いないね」
「ええ」

吾一がとつぜん起き上がる。
「違う! 違う! 違う! 違うんだよ!」
吾一は鏡造のところにかけよる。
「鏡ちゃん!」
「吾一ちゃん!」
二人は抱き合って泣く。
「鏡ちゃんがやれって言ったんじゃない! おれがやるって言ったんだ!」

学校の教室で、吾一と次野先生。
次野は黒板に「愛川吾一」と書く。
「愛川、おまえは自分の名前のことを考えたことがあるか?」
吾一という名は、われはひとりなり、世界中にひとりしかいない自分だという意味だ。そのたったひとりの自分を自分で活かそうとしなければ生まれた甲斐がない。愛川吾一は世界にひとり、またその一生も一回かぎりだ。死ねば終わりだ。鉄橋にぶらさがるなどということはちっとも勇敢なことではない。
死ぬことは爺さんや婆さんにまかせておけばよい。
おまえは自分の名にかけて自分を活かさなくてはならない」
そして次野はにこりと笑う。
「愛川、おまえ中学に行きたくないか?」

家に走って帰る吾一。
通りではまだ正月松の内の花笠芸人たちが家々を回っている。

家に帰る前に吾一は稲葉屋に寄る。
「おじさん、ぼく中学に行けるんだ。次野先生がそう言ったんだ」
「そうかい、それはよかったねえ」
学資の提供者は稲葉屋だが、吾一はまだそのことを知らない。また稲葉屋のおじさんも自分から言おうとも思わない。おじさんは、
「じゃあ、前祝いにいい本をあげよう」と一冊の本を差し出す。
福沢諭吉、学問ノススメ。

家に帰った吾一は早速母に、
「僕、中学に行けるんだ。勉強ができても家庭の事情で中学に行けない子に学資を出してくれる人がいるんだって。次野先生がそう言ってた。僕、明日から放課後も入試の勉強をするんだ」

吾一は早速机の前に座って、稲葉屋のおじさんからもらった本を読み始める。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず...」

その様子を見守っていた母は、
「吾一ちゃん、おっかさんは稲葉屋さんに行って相談してきますからね」といって出かける。母は学資の提供者が稲葉屋であることを知っているのである。

吾一は一心不乱に本を読んでいる。
「されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。」

母が外出していったあと、大道芸人の太鼓の音が聞こえる中、ひとりの洋装の男が吾一の家に向かって歩いてくる。

家の中に入っていく男。吾一は学問ノススメに没頭していて男が自分の後ろに来るまで気がつかない。
「おっかさんはどこに行った?」
男は吾一の父であった。
「稲葉屋さんに行った」
「呼んどいで」

吾一は稲葉屋に行き、店先でおじさんと話しをしていた母をそっと呼ぶ。
「おとっつあんが」
驚く母。しかしすぐに気をとりなおしておじさんに挨拶して家に戻る。

お茶をはこんできた稲葉屋の母おせいは
「あら、おれんさんはもうお帰りかえ?」
「ええ、いまちょっと」
稲葉屋はおそらく察しがついていたのであろう。まずいことになったかもしれない。

号外!と通りで叫ぶ声。この時期の号外であれば1902年1月30日の日英同盟でもあろうか。

家では母が父に吾一の中学校のことを話している。
「吾一は是非行きたいと申しております。学校の成績もいいし、それにせっかく稲葉屋さんが学資を出してくださると...」
父の正吾はここで、外に行って遊んでこいと吾一を外に出す。

二人きりになったところで正吾はおれんに言う。
「おれは人を信用しない。これまで人を信用してひどい目にあってきた。人の世話にならないのがおれの建前だ。
おれには稲葉屋の親切が理解できない。家賃が滞っても取り立てない、面倒もみる、そして吾一の学費まで出してやるという。それがただの親切だと思えるか?」
家賃を滞らせたのは誰だと言いたくなるところだが、こういうことをしれっと言えるのがこの男だ。さらにまた、
「人を信じるのはお前もこりごりしているはずだ。お前はおれを信じてこんなひどい生活をして、後悔しているじゃないか、え?」
とそこまで言われながらも、タバコをつけようとする正吾を見ておれんは立ち上がって台所からマッチをもってきた上に火までつけてやる。それはもう無意識のうちに自然に出てくる動作であった。
タバコを吸いながら正吾は途中で仕立屋の河銀に会ったという。
「いつもは挨拶もしないあいつが向こうから声をかけてきた。おまえ、このごろ仕立ての仕事を止めたそうじゃないか。また仕立てをやってほしいとおれに頼んできたぞ。あ、それから吾一を伊勢屋の小僧に世話してやるとも言っていたぞ」
そして、にやりと笑いながら、
「ま、しかしあいつの親切もなんの目当てがあるんだかわかったもんじゃない」
正吾はおれんに対する河銀の下心もちゃんとお見通しなのである。そして河銀が稲葉屋に嫉妬していることも。

ひとり橋の上でたたずむ吾一。中学への夢は破れた。

夜更け。おれんの家に父が入っていき、まもなくまた出ていく。
この場面はかなり想像力を必要とするが、おそらく正吾は吾一の伊勢屋での奉公も、おれんの仕立ての再開も河銀と話しをつけてきたのだろう。その後、家の玄関に張られた札は借家札と思われる。おそらく別のさらに小さい家作におれんを移したのかもしれない。出ていった父の手には伊勢屋からの金が入っていたはずである。

そして卒業式。
あおげばとおとし わがしのおん...

卒業式のあと、吾一と鏡造は桜の咲く土手うらに。
「おめえ、やっぱり中学には行かないのか」
「ああ」
麻ちゃんもたくちゃんもこうちゃんも、みんな行く。受験者が少なくて入試がなくなったからだ。

「鏡ちゃん、おれ伊勢屋に小僧に行くんだ」
「麻ちゃんちに?」
「ああ」
あまりのつらさに吾一は泣き出してしまう。
「泣くな、おれだって材木屋をやるんだ」
そういって鏡造はなぐさめるが、残念ながら吾一にはそれはなぐさめにはならない。
「吾一ちゃん、見ろよ。鉄橋を汽車が走ってるぜ。おまえがぶら下がった鉄橋を」

伊勢屋。主人の前に吾一が座っている。
「なんていいましたかのう、この子の名前は」
「はい、吾一でございます」
世話をしたお出入りの仕立屋河銀が答える。
主人はその名前が気に入らない。呼びにくい、商人らしくない名前だと。番頭の忠助も、「そうですな。なんとしましょうか。吾吉、というのも呼びにくいし、」と続ける。
「いっそ、ごすけにしましょう。それに吾という字は難しい。一、二、三の五、五助。うん、それがいい」
吾一はここで名前も変えられてしまう。
「あきんどは名前でもなんでも直でなくてはいけませんからな」番頭の忠助は卒なくあいずちをうつ。
「いいかい、お前さんはきょうから五助っていうんだよ。五助と呼ばれたらヘイと答えなくてはいけませんよ」
忠助は五助になった吾一に言い聞かせる。うなづく吾一に主人は、
「それ、それ、それ。それがだめです。呼ばれたらヘイ、と言わなくちゃ」吾一はまだヘイという返事も満足にできない。

店の奥の座敷では息子の麻太郎が新しい中学生の制服に着替えている。
「あんたは中学に入れたのがうれしいのか、制服を着られるのが嬉しいのか、どっち?」
手回しオルガンを回しながらおぬいが言う。
おぬいが演奏しているこれは紙腔琴(しこうきん)というものか。手回しオルガンの一種で、1884年(明治17年)、戸田欽堂が発明し、栗本鋤雲が命名。西川オルガン製作所で製作し、東京銀座の十字屋楽器店で売り出されたという。
「そりゃ中学に入ったから制服が着られるんじゃないか。どっちのほうがより嬉しいんだろうな、わかんないや」
「馬鹿ね。そんなふうだと中学に入ってもまた落第するわよ」
麻太郎よりずっと勉強ができるおぬいは言いたい放題。

そこへ、忠助が吾一を連れて挨拶にやってくる。
「あ、吾一ちゃん!」と駆け寄ろうとする麻太郎に忠助が静かに言い聞かせる。
「お坊ちゃん、吾一ちゃん、なんてもうそんなふうにおっしゃるもんじゃありませんよ」
「どうして?」
「吾一はお店にきたときからもう五助になったのです。」
「五助?変な名前だなあ。まるで雲助みたいだ。ねえ、お姉ちゃん」
麻太郎はここでおぬいをお姉ちゃんと呼んでいるが、最初のほうではおぬいが麻太郎を兄さんと呼んでいる。のちに麻ちゃんとなる。ぬいの性格からすれば姉にしたほうが通りがよいと変えてしまったのかもしれない。映画ではある部分はものすごく綿密なのに、ある部分ではときどきこういういいかげんなところがある。
「いいえ、ちっとも変なことはありません。 もうぼっちゃんのお友達ではないのですから五助と呼び捨てになさらなくてはいけません。さもないとお店のものにしめしがつきません」
忠助は番頭らしい貫禄でていねいにしっかりと三人の子供たちに言いきかす。
「ぼっちゃん、嬢ちゃん、よろしくお願いいたします」
忠助にこずかれながら、昨日までの友達に使用人としての挨拶をしなければならない吾一の屈辱。

座敷を下がって、「さあ、これからおまえさんが覚えなければならないことが一杯あるんだよ」
忠助は厳しいが決していじわるではない。だが、吾一は手風琴の音を聞きながら自分が麻太郎やおぬいとはまったく違った世界に入ったことを知らねばならなかった。

夕食が終わり、奉公人たちはひとりひとりだんなの座敷に行ってごちそうさまの挨拶をする。座敷では主人と妻、そして麻太郎とおぬいが一家団欒の食事中。
吾一も食べ終わって、あいさつに行く。
「ごちそうさま」
主人がとがめる。
「なんです、そのお辞儀は」
やりなおしするが、
「それそれそれ。あきんどにそんなお辞儀はありますか。ただ首を下げればいいってもんじゃありませんよ」
再度やり直しをさせられている吾一をみて麻太郎はそっと笑いをこらえる。おぬいは冷ややかに一瞥してご飯を食べ続ける。
「五助どんはね、あきんどになる修行をしているのですからお辞儀ができなくてはいけませんよ」
おかみさんは優しくそう言う。主人は続けて、
「こんにち、何の心配もなくご飯が食べられるのは何のおかげだと思う?よーくそれを考えてみなさい。そうしたらおまえのお辞儀も少しは変わってくるだろう」
主人もいじわるで言っているのではない。彼は根っからのあきんどであり、彼なりの哲学からいえば商売人の作法は揺るがしがたいものがあるのであろう。

「先に休ませていただきます」
今度は囲碁をしている先輩たちに向かって寝る前の挨拶。
「おまえのお辞儀はね、頭を下げるときよりも上げるときに力が入りすぎるんだよ。それはね、人を蔑んでいる証拠です。いけません、もう一度やりなさい」
「お先に休ませていただきます」
「よろしい。もう休みなさい」

「へっへっへ、てめえが大旦那に言われた通り言ってやがる」
吾一が下がったあと、吾一を叱った男を同胞がからかう。吾一だけではない、みなが同じように教えられてきたのであろう。

奉公人は店の間の座敷で枕を並べて寝ることになっているようだ。着物をたたんで枕元に置き、吾一も布団に入る。屏風の入ったきれいな奥座敷では麻太郎とおぬいが女中に世話をされて床についている。
麻太郎はなかなか寝付けない。いまごろおっかさんはまた袋張りをしているのだろう。
その母の姿がまぶたからはなれない。

「五助、五助、五助どん、五助」
ゆうべ寝付かれなかった吾一は先輩に起こされてやっと寝覚める。急いで布団をたたんで上にもっていく。ひとりひとりふとんをひとまとめにしてかついでいく。この店のやり方らしい。よろよろを布団を肩にかついだ吾一を先輩が上からつっつく。
「ほほう、小さいけどなかなか力があるな。たいていの奴はこのくらいでまいるんだがな」
おそらく新入りはいつもこんな目にあってきたのだろう。

「五助どん」
「ヘイッ」
一日中ひっきりなしにあちらこちらで呼ばれる。吾一の返事もいたについてきた。

「天は人の上にひとをつくらず、人の下にひとをつくらず」水仕事をしながら吾一は学問ノススメをくちずさむ。

靴箱の横で靴をみがく吾一。
「五助、なにしてんの? はやく出してよ わたしの下駄。違う、そっちじゃないそれよ」
おぬいにとって吾一はもう完全に奉公人の五助であった。何か言いたげな吾一のまなざしを冷たくみつめ、おぬいはすたすたと出ていく。それを見守る吾一。

「靴おくれ」
のんびりした声で今度は麻太郎。あわてて目をぬぐう吾一の後ろ姿。

麻太郎の靴を出していると
「五助どん、停車場に荷物をもっていくんだよ!」
またすぐに次の仕事をいいつかる。

荷物をかついで停車場に行く途中、吾一は中学生になった友達がやってくるのを見て物陰にかくれる。

「愛川くん」
停車場で吾一は思いがけず次野先生に会う。次野は学校をやめて東京に向かうところであった。稲葉屋の泰吉も見送りにきている。
「吾一ちゃん、どうだい、辛抱できそうかい?」
「はい」吾一は力なくうなづく。
「おじさんは吾一ちゃんを中学に入れてやりたかったが、お父さんと意見が合わなくてどうすることもできなかった。お母さんは達者かい?」
「ぼく、伊勢屋さんに行ってからまだ一度も会っていないんです」
次野は吾一を励ました。
「辛抱しなくちゃいかんよ。いつか先生が言ったことを忘れちゃいかん。君は愛川吾一だからね。奉公していても勉強を続けろ。先生もこれから東京でみっちりやるつもりだ」
「先生、東京に着いたら手紙くださいね」
「ああ、とびきりきれいな絵葉書を送るよ」

伊勢屋の店先はにぎわっている。
「五助どん、お召しのxxを」「へい!」
お客に出す品物を奥からとってくるのも五助の役目。だが、数ある反物の中からとってきた商品は先輩が指示したものとは違っていた。
「まだこんなこともわからないのか」
先輩は奥の商品棚から自分で取り出す。
「へい、わたくしがもってまいります」
吾一もそれなりに先輩をたてることを覚えたようだ。

小僧の仕事は果てしがない。風呂の薪をくべるのも五助小僧の役目。火吹きだけで火を焚きつけていると、また
「五助!」
と呼ぶ声。
へいと返事して振り返ると麻太郎。
「ちょっとおいでよ」

麻太郎は勉強机の前で、「五助、こういうのできるかい?」と中学の数学の問題を見せた。
「どうだい、難しいだろう?」
「でも、できないことはありませんよ」
「じゃあ、やってみろ」
勉強の不得意な麻太郎は体よく吾一の頭を借りるのだった。

いつのまにか風呂のかまどの煙がとだえている。
「じゃあ、次は5番をやってみい」
問題に没頭していると、
「五助、五助!」
と大旦那が風呂場から呼ぶ声。
「こんな湯に入れるか。湯が沸いたか沸いてないのかもわからんのか。湯をかきまわすこともしておらんのだろう。いけません。さ、焚いて、焚いて」
吾一はあわてて火をくべる。くべながら、れんがの上に数字を書いてまた問題を考え始める。大旦那のくしゃみ。あわててまたうちわを動かす。
くしゃみの後で旦那は「なんまんだぶ、なんまんだぶ」。
だんなは小うるさい人ではあるが、商人らしい合理的な判断力はある人であろう。五助がまだ仕事に慣れない小僧であることもわかっている。

中学校で。麻太郎が黒板で問題の解を書いている。昨日吾一が解いた問題だ。
「よろしい、よくできた」と先生に褒められる。

家に帰って麻太郎は吾一を呼び出す。
「昨日の算術な、みんな合っていたぞ。おまえは頭がいいな」とおだてながら、麻太郎はまた今日の宿題を明日までにやっておくようにと頼む。
「宿題は自分でやらなくちゃ」
「でも今日のは昨日のよりずっと難しいんだ。だから教科書も貸してやる。ねえ、頼むよ」
おぬいが入ってくるが、彼女は何も言わず、黙って琴を引き出す。
麻太郎が貸してくれた教科書は吾一が夢見た中学の教科書。麻太郎はそれをじっとみつめる。

奥の反物置き場の隅っこで吾一は麻太郎の宿題に取り組んでいる。ところへ、先輩はこっそり入ってくる。先輩は吾一の頭をたたく。
「何をしているんだ! 仕事もせずにこんなところで本なんか。旦那に言いつけるぞ。さ、店に出るんだ」
ヘイッと返事して吾一はあわてて出ていく。それを見送って先輩はにっと笑って懐からタバコを取り出す。ここは奉公人たちの息抜きの場所にもなっていたのだろう。

店では大旦那と番頭が新聞をみながら
「上がる、上がる、どんどん上がる」
「けっこうですなあ」
「うちもやらんといけませんな」
「早いほうがよろしいですな」
「今夜から符牒変えをやりますかな」
「けっこうで」
株の話かと思ったら、物価の高騰で自店の商品も値上げしようという話であった。符牒変えとは商品価格の付け替えであろうが、これは直接の価格ではなくおそらく店内だけに通じる符牒を使っていたと思われる。

夜に入って、店はその付け替えという、商品タグの変更作業に入り猛烈に忙しい。
奉公人たちは手慣れた様子で紙縒りをつくっていく。このこよりというのは50年代頃までも商店では長らく使われてきた。丁稚はまずこのこよりの作り方を覚えさせられるという。
「これで一の蔵は終わりました」
「ああ。じゃあ、次は中ぐらを」
仕事は果てしがない。

皆と一緒に吾一も反物を運んでいる。
麻太郎は「五助」と呼び止め、宿題ができたかどうか尋ねる。
「きょうは仕事が忙しくてなかなかできないんですよ」と言われると、麻太郎も商人の息子だからそこは無理はいえない。
あまりの忙しさに奉公人の愚痴が出る。
「お店は儲かるからいいけど、こっちは骨折り損のくたびれもうけだ」
「どうか、もうこれ以上物価が騰貴いたしませんように」
祈ることしかできない。

さすがに「ちょっと一休みしようかい」との主人の一言がはいる。
付け替えによってこうなります、とそろばんを大旦那に見せる番頭。二人とも上機嫌である。お茶をもってきたおかみは主人に五助どんを少し貸してほしいと頼む。麻太郎はけっきょく母親に泣きついたのだろう。上機嫌の主人は「いいとも」と即座に許す。

奥で吾一は麻太郎の宿題にとりくんでいる。時計が11時を打つ。

吾一の家では母のおれんが縫物をしている。

吾一はまだ勉強している。時計が1時を告げる。麻太郎はとっくに寝床の中。

吾一の家。おれんは仕立物をおいて立ち上がろうとし、そのまま崩れ落ちてしまう。

翌朝、おれんの家の前に近所の人々が集まっている。河銀が歩いてくる。
近所の人々がひそひそささやいているところに
「蝙蝠傘のつくろいー」
「病人がいるんだからね、静かにしておくれ」
蝙蝠傘屋に注意したあと、近所のおかみが家の前で稲葉屋に説明している。
「栄養が足りないところへ疲れがたまって心臓がやられたって、医者が言ってる。病院に入れないとあぶないというけど、こちとら病院なんて入る余裕があるわけない」

家の中で床についているおれんの側に吾一が座っている。
「吾一ちゃん、心配かけてすまないね」
力なく母がいう。
「ううん、ぼくは鏡ちゃんが知らせにきてくれてびっくりしただけなんだ」と言いながら吾一は袖からお金を取り出した。
「ぼく、薬買えるんだぜ。だんながお小遣いにってくれたんだ。もっと働けばもっともらえるって。ぼくはもっと働いていくらでも薬を買うよ」と言いながら吾一は母の手にお金を握らせる。

「お店が忙しいのであんまりおっかさんがしてくれたような世話はできないよ。それに麻ちゃんの勉強の手伝いもしなければならないし。でもぼく鏡ちゃんや隣のおばさん、それに稲葉屋のおじさんによく頼んでおくからね」
つらそうな母の顔。母にとって息子の負担になることは絶えられないぐらい心苦しいことであろう。

二人が話している間、外では稲葉屋が鏡造に
「すまないが大和町のお医者さんのところにいって稲葉屋が来てほしいと言っていると言ってくれ」
人になんといわれようと稲葉屋はおれんを入院させるつもりである。

人が去ったあと河銀はおれんの家の前でさらにうろうろしているが、けっきょく家に入ることができないまま立ち去っていく。

何日か過ぎて、ある夜のこと。
吾一は夜中に番頭に起こされた。
「五助どん、五助どん、起きるんだ」
「へい」
寝ぼけながら吾一が返事をする。
「おっかさんが死んだんだよ」
と言われても五助は目を見開いたまま身動きもできない。
「さ、すぐ家に帰るんだ。私もあとからすぐに行くからな」
ぼーっとしている吾一に先輩が
「さ、着物。着物を着かえるんだ」
と出してやる。
こういう大店になると人を雇うときには雇う側もそれなりの気をつかう。とくに子供の場合には家の事情も考えなくてはならない。番頭の「私もすぐあとから行くからな」という言葉はそれを表す。たとえ本音は世間体であったとしてもだ。
先輩の奉公人も母親の死ともなれば後輩をいたわる気持ちは自然に出てくる。

吾一が走って家に帰ってみると、家の中から父と河銀の声が聞こえる。
「そりゃ、身体が悪かったんだから病院に入れてくれるのはけっこうだよ。しかし、なんために毎日見舞いに行くんだ?」
酔った父の声。
「まあまあ、それを言っちゃいけませんや。それを言っちゃ稲葉屋さんの親切が無になります」
河銀がなだめる。
「ほう、ではそれを教えてくれた河銀さん、あんたの親切も無になりますかね」
正吾は嫌みを言う。河銀がおれんに惚れていて稲葉屋に嫉妬しながらも正吾に告げ口をすること意外何もできない弱い河銀であることを知っているのである。
「そんな話はよしなって。仏が聞いたら泣くからね」
たまりかねて近所のおかみが口を出す。
「おかみさん、ご親切にありがとう。しかし、いい按配に仏は浮かびましたんでねえ」
これはすさまじいほど冷酷な言葉である。
なぜこの男はここまで冷酷になれるのか。ただ、むろん肯定は決してできないものの、この男の気持ちも少しはわかるのである。
おれんのかたくなな、という表現もおかしいが、しかしその徹底的な従順さにおそらくこの男はずっといらだってきたのであろう。その従順さはむしろ挑戦的ともとらえられたかもしれない。被虐性は加虐性を刺激するとでもいうのか。

さすがに正吾のその言葉には河銀も首をうなだれる。
「お、吾一じゃないか」
ここで正吾は吾一が入口に立っていることに気付く。
近所のおかみも吾一に気が付き泣きながら言う。
「吾一ちゃん、帰ってたのかい。母ちゃんがとんだことをしてくれてねえ」
とんだこと、とは何か。後にわかるがおれんは身投げをしたのである。
それを知れば正吾の言葉の残酷さがいっそう際立つ。

「おっかさんは吾一ちゃんのことをそれは心配していたよ。さ、線香を上げて」というおかみを振り切り、父の呼ぶ声も無視して吾一は駆けだしていく。

走っていく吾一をみつけ、鏡造が後を追う。
暗い神社の中で吾一は初めて大声で泣き出す。
「おっかさん、死んじゃいやだ、いやだ」
吾一の泣き声は続く。
鏡造は黙ってそれを見守っていた。

それからおそらく数か月後あるいは一年後か、謡の練習をしている主人の居間で番頭と話しをしている。
「いけませんな。もう見どころがない。仕事もせずしょっちゅう隠れて本を読んでいる」
吾一のことである。
「あれじゃあきんどになれませんよ」
「ごもっともで」
「東京のおやじさんのところに返せませんかな」
「反物なら伝票をつけて送り返せましょうが」
「届きませんかな」
あきんどになる気のないものを置いておく気は主人にはさらさらない。そこは冷たくても合理的な判断をする主人である。番頭はおずおずと、
「何しろまだ子供のことですから途中で何かありましたお店ののれんに関わりましょう」
「暖簾に関わるのはそんなことではありません。伊勢屋の小僧はつい最近身投げをした女の子供だと言いふらされることのほうです。いけませんな。何とかしてもらいましょう」
こうなると主人は厳しい。
「それおぼえてか くにさわの...」
話しはそれで済んだ。主人はまた謡を続ける。
ここで観客はおれんが身投げをしたことを知るのである。

まかされた番頭の忠助は染物屋の京屋に相談をもちかける。京屋は行商もしているのだろう商いで東京に行く。忠助は京屋に吾一を東京まで送ってくれと頼む。
「はい、それはもう伊勢屋さんのお頼みですからお引き受けしますが、しかし掛かりのほうは」
「はい、それは伊勢屋のほうでちゃんといたします。で、どのぐらい?」
京屋がそろばんをはじいて忠助に見せる。
「それは高い。こんなもので」
商談成立。

荷物をかついで吾一は京屋の後についていく。
「染物屋さん」吾一が呼ぶ。
「またあ。だんなと呼ぶんだよ」
おそらく吾一は店でいつも京屋のことをそう呼んでいたのであろう。京屋が吾一にだんなと言わせるのは京屋の思惑があるからだ。
吾一はちょっと稲葉屋に寄っていってもいいかと頼む。
「早くしなよ。だんなは駅のほうに歩いていくからな」

「こんにちは」吾一は稲葉屋の店先にいるおせいに声をかける。
「まあまあ、吾一ちゃん」
おせいは嬉しそうに挨拶したが、残念ながら稲葉屋のおじさんは留守であった。
「ぼく東京に行くんです。次野先生の住所を知りたかったんだけど」
「まあ、それはそれは。おじさんがいなくて本当に残念。身体に気をつけてね」

東京行きの汽車の中。
汽車に乗れば吾一の気分も浮き立つ。
「だんな、汽車って気持ちのいいもんですね」
「ああ」
なじみの鉄橋のところで吾一は大きな声で万歳を叫ぶ。

しかし、降りたところはまだ東京まで21里(82㎞)ある。
田舎道を荷物を肩にかかげて歩きながら吾一が聞く。
「だんな、いつになったら東京に着けるんですか」
「そうさな、ま、この村を片づけたら行くことにしようか」
「今度こそ嘘じゃありませんね」
吾一がそう聞くところをみるとこれまで何度も同じ会話があったらしい。
京屋を吾一をお供にして村々を行商に回っているのである。もともとそれを計算に入れていたのであろう。自分をだんなと呼ぶようにと言ったのもこのためである。

「だんな、いつになったら東京に着けるんです?」
夜、宿をとった家の囲炉裏端で吾一がまた聞く。
「そうさな、次の町を済ませてからにしようかい」
「いったい東京までいくつの町や村があるんです?」
「さあ、だんなにもわからんわい」
吾一が詰め寄るが、京屋はまたのらりくらり。
あきらめて吾一は本をとりあげ、読み始める。
「むかし、能因法師というひと... 都をばかすみの...」
奥の細道の一節か。

また何日か過ぎたあとか。荷も少なくなった。
停車場で。
「おい、東京まで2枚」
そういって京屋は吾一に金を与えた。
喜んで吾一は切符売り場にとんでいき、はずんだ声で切符を買う。
「東京行き2枚」
切符は 鉾田―東京
次の切符は路面電車 雷門 金6銭

やっと東京へ。馬に引かれた路面電車から二人は降りる。初めて見る東京。派手な物音でチンドン屋が通る。吾一はそれにしばし目を奪われるが、すぐに京屋の後を追う。

通りの奥を一軒ずつ調べて京屋は
「ああ、ここだ、ここだ。なかなか立派な家じゃないか。さあ、おとっつあんに会わせてやるぞ」
と吾一の背中を押す。その前に京屋はあわてて耳打ちする。
「おい、五助、いいか、お前は反物を失くしたんだぞ」
「え?」
わけのわからないことを言われて吾一はとまどうが、あえて逆らうことはしなかった。
家の表札は、久美田住江、となっている。

出迎えたのは沢村貞子扮する女、どうやらこの家は下宿をしているようでそのおかみらしい。おそらく愛川正吾の愛人なのだろう。ひとくせもふたくせもありそうな女である。
「すると何ですか、この子が反物を失くしたので、使い物にならないので返す、とそういうわけですか」
「そうですよ。で、その失くした品物のことなんですけどね」
抜け目のない京屋は金になりそうな機会を逃すつもりはない。このぐらいの造作の家なら多少の金はあると見込んだのだろう。
「なんといってもこの子の落ち度なんだから弁償してもらわなくちゃ」
「へええ、小僧が品物を失くしたら身よりが弁償しなくちゃならないんですか」
女も負けていない。
「そりゃお得意さんの品物を失くしたら責任をとっていただかないと」
「そおおですか。京屋さんとかおっしゃいましたわね。それじゃちょっとお聞きしますがね」
女はにやりと笑って角火鉢から身を乗り出す。
「大事な子供がいなくなったら、そのほうはどうなるんでございましょうね」
「へ?そう申しますと?」
吾一は黙って聞いているが、だんだん事情が呑み込めてきたらしい。
「しらばっくれちゃこまりますよ。人の子供を騙して連れまわしておいて、それじゃちょっと話しが違やあしませんか」
女はこの手の男に慣れているのだろう。攻めるところを知っている。
「いや、私は忠助さんに頼まれただけで、その、」
京屋はしどろもどろになっている。
「忠助さんなんてあたしゃ知りませんよ。どこの大番頭だってご主人だって人の子供を勝手にあっちへやったりこっちへやったり、そんな権利があるもんですか」
こういうセリフは相手が大店だからこそ通じる脅し文句であるが、話が伊勢屋までおよぶと京屋も今度は自分の身が危うくなってくる。女はさらに詰め寄る。京屋も自分が相手に及ばないことを悟りはじめた。

吾一はふたりのやりとりしっかりと聞いている。どっちもどっち。吾一も大人のずるさを理解しはじめたのだろう。

そこへ若い女が入ってくる。
「姐さん、梅原さんが炭をとってこいって」
梅原というのは下宿している医学生である。
「炭ぐらい自分でとりなさいよ」
「だってえー」
娘は手が汚れるのがいやなのである。
女は吾一にむかって、
「ちょいとおまえさん、人のうちに来たら手伝うものだよ。台所にいってお嬢さんに炭を出しておやり」
女は吾一に対しても容赦ない。
「台所はこっちよ」
娘はつんとして吾一をうながす。

吾一が出ていくと京屋は
「へへへ」と女にすりよっていく。

台所で炭をとりだしている吾一の耳に女の声が聞こえる。
「でも京屋さん、これですべてが片付いたと思ってもらっちゃ困りますよ。愛川が帰ってきたらまたご挨拶に行かせてもらいますよ」
「いえいえいえ、もうとんでもない」
京屋は早々に退散したようである。女のほうが一枚も二枚も上手だ。これらの交渉は陰に大店の伊勢屋がからんでいるからこそ生じたもので女の脅しもそれを見越してのことである。

愛川正吾はここでも長い留守をしているらしい。吾一はさっそく伊勢屋と同じくここでも働くことになる。廊下の拭き掃除をしていると、ふすまが開いて下宿の梅原という学生が小銭を投げつける。
「おい、小僧。タバコを買ってこい。xxだぞ。間違えるな」
このタバコの銘柄、xxのところがどうしても聞き取れない。金持ちの息子という設定だから外国製だと思う。だが、当時のタバコをざっと調べてみたが該当するものは見当たらなかった。

吾一はすっくと立って、
「私には名前があるんですから名前を呼んでください」
「生意気なことをいうな」
「吾一っていうんです」
「およしよ、小僧」
と、そこへ娘が現れる。
「大学の方にたてつくもんじゃないわよ」とふすまをぴしゃり。
「ほんとに生意気な小僧だわ」
「わたしはもう小僧じゃありません」
「それじゃ男の女中よ」
「やっぱり同じことじゃないか。ははは」
娘と梅原はふすまの向こうで笑い合う。

吾一はまた廊下の掃除を続ける。別の髭面の下宿生が現れる。
「うーむ、小僧じゃないか。なんとかいったな、君の名前は?」
「吾一です」
「ああ、吾一か。じゃ、吾一くん、おれにもタバコを買ってきてくれ」
「へい」
「へい? そんな返事をするからあんなやつらにまた小僧と言われるんだぞ。はい、と言え、はい、と」
「ハイッ」
「そうそう」
髭面の下宿人、熊方はにっこり笑って吾一を見送り、梅原に嫌みの歌をうたう。

「小春日や、娘付き、賄い付きのむさしき貸間あり、か」

自分の部屋に入ってまたうたいつづける。
「ちょいちょい買いなよ、ちょいちょい買いな、なんでもかんでも二百と八文、前の通りはなんでも百文、ひげの通りは二百と八文...」
そして女と娘の顔を飴にみたてたポンチ絵を描いている。どちらの飴も二銭五厘。

居間で娘が女に泣き言を並べている。熊方の皮肉に我慢できない。
「姐さんもあたしも二銭五厘だなんてくやしいわ」
聞きようによっては姐さんと同じ価格だというのが気に食わないようにもとれるが、ま、いずれにしろ二銭五厘ではそれは面白くないだろう。

「また熊方のやつだね。ろくろく間代も払わないくせに」
煙管をたたきながら女が忌々しそうに言う。
「あんなやつ置かないでちょうだい」くすんくすんと娘。
「まあまあ、それよりきょうは芝居に行く日よ。もうすぐ梅原さんが帰っていらっしゃるわ。早く支度なさい」
そう聞くと娘の顔はぱっと輝く。
「そうだったわ。あたしきもの何を着ていこうかしら。あら、なにしてるのよ、小僧のくせに」
娘は拭き掃除をしながら股の間からのぞいている吾一をしかりつける。

化粧鏡の前で、
「姐さん、早くしてよ」
「はいはい。そうだ、行きがけに三井呉服店にでも寄っていこうかね」
「あたし、新しいショールがほしいわ」
「ああ、買ってもいいよ」
女は娘の襟足に白粉を塗りながらしゃべっている。縁側でランプの掃除をしながらそれを聞いていた吾一はおかみさんに声をかける。
「おかみさん」
「なんだい?」
「わたし昼間どんだけでも働きますから、夜学校に行かせてもらえませんか」

娘はふりむく。
「勉強したいんだって? まああきれた」
「おまえ、なんだろ、梅原さんが本を読んでいるのをみて急にそんな気になったんだろ。だめですよ。梅原さんはね、立派な親御さんがあってちゃんと学資を送っているからこそああして医科大学でもどこでも行けるんですよ。おまえのような家とわけが違うんですよ」
女は冷たい現実を告げる。娘も続けて、
「学校行って何勉強するのさ」
「勉強なんてどうでもいいからね、ランプ掃除をもっとちゃんとおし。お前の芯の切り方はいつだってでこぼこだよ」
女の言葉に吾一は無言でランプの掃除を続ける。

薄暗い部屋の中で吾一は寝そべってはがきを書いている。吾一の居場所は階段下。ハリー・ポッターと同じ。
「鏡造君
私は秋になってから東京に着きました。
東京で一番良いのは
鉄道馬車の
鈴の音でした。」

「ただいま」
そこへ熊方が帰ってくる。
「いやにひっそりしてるな。みんなどうした?」
「芝居へ行きました」
「また金持ちと一緒だな。さ、鬼のいぬ間だ、おれの部屋に遊びに来い。どうした不景気な顔をして。また叱られたな。ちょいちょい買いなのいうことなど気にしなくていい、さあこい」
なにが「ちょいちょい買いな」なのかよくわからないが、これが熊方流の人物評なのだろう。

熊方の部屋で。
「おかみがあんなだからお前も苦労するだろうがくよくよするな。おまえぐらいの年に苦労するのはいいことだぜ。まあ、そこへ座れ」
学生帽をほうりなげて、
「赤ん坊だってますりを飲まされるんだからなあ。若い時分に苦い水を飲まなかったやつは肥立ちが悪いよ。な」
と言いながら袴をぬぐ。ますりとしか聞こえないのだが、昔は赤ちゃんに飲ませる苦い薬があったのかもしれない。
吾一は熊方が描いた滑稽な絵を一枚ずつ見ている。
達磨の絵のところで、熊方はいう。
「これはお前だぞ。わかるか」
「やっぱりポンチですか」
「ポンチというやつがあるか。わからないんだな。よしここに書いてある声を読んでみろ」

ダルマさん
ダルマさん
お足をお出し
自分のお足で
歩いて御覧

「どうだ、少しはわかるか?」
吾一は返事ができない。
「やっぱりわからんか。よし、それをおまえにやるからもっていって二三日そのダルマさんとにらめっこしてみろ」
「ありがとうございます」
続いて吾一は
「でも熊方さん、こんな絵ばかり描いて、なんで本当の絵を描かないんですか」
「ん?本当の絵か。こいつはまいったな」
「大抵の絵描きさんは富士山や靖国を描くでしょう。そういうものを描いたほうが」
「うーむ、金になるというのか。はは、どうも下宿代も払えないとお前にも馬鹿にされるなあ」
「そうじゃないんですよ」
「そうかあ」
熊方は吾一の目をじっと見つめて、
「あのなあ、世の中には声を出す絵と出さない絵があるんだ。普通には無声の詩とかいって絵は声を出さないものとされている。だが、今の絵を見ろよ、ただ絵具を塗りたくっているだけで詩なんかどこにもありはしないじゃないか。詩とはなんだ? ひとつの声じゃないか。今の時代、石でも叫ばんという時代に絵だって声を出さずにいられるか」
ここで熊方が「石でも叫ばん」と言った言葉はドイツ語であろう。
「だがおれには詩なんてやさしい声は出ないから、しゃがれ声を張り上げて怒鳴るんだ、皮肉を言うんだ。そのどら声が、あてこすりが、誰かに蹴飛ばされないと、何かに押さえつけられないと、腹の中から本当のどら声が出てこないのだ。ふんづけられて、背中に重ーいものを乗っけられたときに、こんちきしょう、と跳ね返す力が出てくるのが俺たちの骨頂なのだ。偉大な詩人は必ずこうした苦労の中から生まれてくるに決まっている」
吾一はうなづく。
「ポンチって面白いものですねえ」
「ほう、いくらかわかるのか」
「私もいちどその詩人になってみたいと思います」
「ははははは、なってみたいと思います、は、よかった」
大声で笑ったあと熊方は
「だが、偉大な詩人も腹がへったぞ。おい、開化を頼んできてくれ」
「開化どんぶりですか」
吾一はしかし動こうとしない。それを見て熊方は、
「おい、何かおかみから言われてるな。おれには店やものをとるな、と」
図星である。
「心配するなよ。おれだって払うときにはちゃんと払うよ。ちょっと走っていってこいよ」
そう言われて吾一はやっと「はい」と言って立ち上がった。
「おい待て、どんぶりは二つだぞ」
「ふたつ?そんなに食べるんですか」
「ま、いいからそういってこいよ」

まもなく開化どんぶりを食べている二人。
「開化どんぶりってうまいものですねえ」
吾一がしみじみとつぶやく。
「ほう、おまえ初めてか。それはよかったなあ。さあ、食え、食え」
開化どんぶりとはいかにも明治らしいネーミング。牛肉が入っているのかも。

翌日吾一はまたランプ掃除をしている。かたわらに本を広げて読みながらの掃除である。
がらがらっと玄関の戸があいて、
「こんにちは、毎度ありがとうございます。どんぶりをいただきにまいりました」
「あら、あんたんとこのものなんか来てないわよ」
娘が返事をしている。
「いいえ、昨日、開化どんぶりをふたつもって来ました。あ、ここにありました。いただいていきます」

「姐さん、きのうとったの?」
「わたし知りませんよ。あ、小僧に聞いてみて」
娘が、「きのう開化、誰がとったの?」と吾一に聞く。
「熊方さんです」
「お客さんでもあったの?」
「いいえ」
「それじゃ、どうしてふたつなんてとったの?」
「わたしがひとつごちそうになったんです」
悪びれもせず吾一ははっきり返事する。
「んまあ」
「小僧、こっちへおいで」
女が座敷の中から呼ぶ。だが吾一は動かない。
「さ、はやく姐さんのところにいらっしゃいよ」
娘は吾一の腕をつかむ。
「ぼくいまランプ掃除をしてるんですよ」
「馬鹿、生意気」
娘はつま先で吾一の読んでいた本を蹴飛ばす。蹴飛ばされて縁側から落ちた本とはさんでいたダルマの絵が地面に広がる。
吾一はもっていたランプを思い切り打ち付ける。
「姐さん!」
娘は驚いて座敷に飛んで逃げる。

吾一は本とダルマの絵をひろいあげ懐に入れる。
それを無言で見ていた女は障子をぴしゃりと閉める。

吾一はゆっくりと縁側に戻りまたランプをとりあげて磨きかけるが、障子の奥から女の声。
「愛川が帰ってきたらこの家から追い出してやるから」

それを聞いて吾一の何かが切れた。
「ああっ」という掛け声とともに吾一はランプを庭石に向かって投げつける。ひとつ、またひとつ。

不安そうに見守る二人の女には目もくれず、吾一は自分の部屋に行って帽子をとり、がらがらと玄関を開けて家を出ていく。

歩いていく吾一の後ろ姿。鉄道馬車の通る大通りを横切って、どこまでも歩いていく。

97. Kojiki Taisho 乞食大将 1945


https://youtu.be/y3hqaWJajOQ

乞食大将 1945年9月完成 1952年2月公開
監督 松田 定次(まつだ さだつぐ、1906年11月2日 - 2003年1月20日)

原作:大佛次郎

まさに同じ時期に完成された黒澤明監督の「虎の尾を踏む男達」(1945/09 完成/1952/02 公開)と同様、戦後GHQの検問で上映禁止となり、その後、民間情報局教育局による禁止映画再審査によって第1回に解除された劇映画8本のうちの1本。

<ストーリー>

黒田節のバックグラウンドミュージック。

時は慶長2年(1597年)、すなわちこの物語は関ケ原の合戦(1600年10月21日)の前から始まっているのである。ただし、物語の歴史的意味はかなり大雑把なものなのでそれに捕らわれすぎると娯楽性が失われる。早い話、それではちっとも面白うない。
で、物語、

黒田長政
領下の豪族
宇都宮鎮房(しずふさ-しげふさ、とも記載される)を
攻めて大敗す

と、いうところから始まる。
大敗した兵士たちがとぼとぼと帰っていく様子。負傷兵多数。
「殿!」
沈痛な面持ちの黒田長政にさらに悲報がもたらされた。
「後藤又兵衛、討ち死にとの由」
「何、又兵衛が? そうか、又兵衛を死なせたか...
わしが松寿丸と呼ばれた昔から父上の下で兄弟同然に育てられ、おれがにしが(おぬしが)と呼びおうてきた基次。父上がなんと思われよう。基次が羨ましいわ」
と言うと、長政は脇差をとって自らの髻を切ってしまう。驚く家臣たち。
「殿、何をなされます?」
長政は家臣たちに言い放つ。
「城井谷(きいだに)ずれに打ち負かされ、又兵衛までも失ったとあらば父上に合わす顔がない。これはせめてもの申し訳じゃ」
感じた家臣たちも次々と髻を切ってしまう。そこへ、
「殿!」
傷つきながらも元気な声で入ってきたのは、後藤又兵衛基次その人。
「又兵衛、そち...」生きていたのかと喜ぶ長政に、又兵衛は皆の頭をみて不審な顔で、
「これはいったい何の真似でござる?」
「大殿への申し訳じゃ。そちもならえ」
老臣が又兵衛にいうと、又兵衛はからからと笑う。
「これは異なことをうけたまわる。勝つこともあれば負けることもあるのが戦でござる。負けるたびにいちいち髪を切っていては毛ののびる暇がございますまい」
笑いとばす又兵衛に長政はむっとする。
「なんと」
「殿、」
そんなことにはおかまいなく、又兵衛は長政に近寄り、
「夜討ちをおかけなされ」
「何?」
「今夜の敵は勝ち誇って油断をしておりまする。この機を逃してはなりませぬ」
「手負いがなにをほざく」
長政は又兵衛の提言をとりあおうともしない。
又兵衛は必死になって説得を続ける。
「いや、八幡。この機を逃すことはならん。夜討ちをかければ別軍のひとつやふたつ。ご決断を! 今夜を逃せばまた同じ過ちを何度も繰り返すことになり申す」
「聞かぬ気のやつめ。その身体で動けるか」
「ご下知次第じゃ。大将が動けと命ずればこの又兵衛はきっと動く。動くなと言われても動いてみせ申す」
「強情なやつめ」
「殿!」
「ならん!」
そう言い放ったあと長政は
「明日のことといたす。そちも傷の手当をせい」
「いや、明日では、すでに...」
「ええい、みなも疲れておる。負傷者も多い。この上の無理はならん」
「無理と言わるるか。勝つ戦をお捨てになるおつもりか。なにほど味方が疲れていようとも...」
「黙れ!」
「いやご下知ひとつで動かぬものも動く。これが大将のご器量でござるぞ」
近しいゆえか又兵衛の言葉も遠慮がない。
「又兵衛、おれに器量なしというか!」
長政の怒りはつのっていく。
「ご器量あればこそ、たって申す」
又兵衛は引き下がらない。家臣の間から、「後藤うじ、無礼であるぞ」の声も湧き上がる。
「黙れ! 指図は受けぬ。ならんといえばならんわ!」
長政も堪忍袋の緒が切れた。
又兵衛はしばし沈黙し、不敵な笑みを残して立ち上がる。

外では馬蔵はじめ又兵衛の家来たちが待っていた。馬蔵が又兵衛に馬の手綱を渡すとかれらはすぐに得心し、「急げ!」と、自分たちも馬を出して又兵衛を追う。

「後藤又兵衛どの、城井谷(きいだに)に向かわれましたぞー!」伝令が大声で叫ぶ。

「ええい、強情なやつだ。よし、夜討ちじゃ、又兵衛に討たすな!」
こうなればやむをえない。長政も瞬時に覚悟を決めて夜討ちの決断をする。

結果、

形勢一転
破れた宇都宮は
嫡子花若と妹の鶴姫を
人質として和議を乞う

人質を乗せた駕籠二丁、山道の受け渡し場所に向かう。

「お迎えのものにござる」
受け取りにきたのは後藤又兵衛。それに対し鶴姫も丁重に挨拶を返す。
「ごくろうにござりまする」
「宇都宮どのに槍をつけることを日頃の念願としておりましたが、それが心残りのことでござった」
又兵衛の言葉に鶴姫は武士(もののふ)の志を感じ取ったのであろう。
「ご姓名は?」
「後藤又兵衛基次と申す」
「折あらば兄鎮房に申し伝えまするでありましょう」

このような会話は戦国時代ならではのもので、名のある剣客が互いに意識し競い合うことを尊ぶ時代であった。
またこの時代、和議の条件に人質を差し出すことは恒例化しており、そもそも家康にしろ長政にしろ子供の頃に人質となって敵の城で育てられるという経験を経た上での現在の立ち位置がある。
ただ、宇都宮に関していえば史実では鶴姫は妹ではなく娘であり、花岩は、城井滅亡のおり、かろうじて逃れることのできた懐妊中の鎮房の妻が後に出産してできた息子とのことである。
実をいえば鶴姫は悲劇的な最後を迎えるのであるが、映画のストーリーにおいては作者の創造が醍醐味なのであって、史実は単にその創造を支えているにすぎない。ただ往々にして創造よりも現実のほうがはるかに劇的であるというのも興味深い。

「いや、人質ぐらいでは安堵いたされぬ」
黒田の城では長政と家臣たちが盛んに論議をしている。城井谷城(きいだにじょう)は山に囲まれた地の利ゆえに落とすのは困難を極めた。また城井(きい)にはこれまでも手ごわい敵であることをさんざん見せつけられているので黒田側が不信をもつのも当然であった。

「おのが野望のためには肉親兄弟とても見殺しにするのが当節のならいじゃ」
「しょせん災いの元を絶たねばらちがあかん。いつまでも料理できんとあっては当家の名折れじゃ」
「と申して、討つとなればしょせん、しものにかけるしかないと思うが」

この「しものにかける」という言い回し。意味は暗殺だとわかるが、聞きなれない言葉である。戦略としては有りだが剣客としては「下(げ)」ということでの下(しも)か。(間違っていれば訂正お願い)

「で、その役は?」
ということで呼び出されたのが又兵衛。

「待ちかねたぞ又兵衛、近う寄れ、近う寄れ」
長政、又兵衛を招き寄せる。
「又兵衛、宇都宮鎮房を呼び出して仕留めるが、貴様の槍でやれ」
驚いて顔を上げる又兵衛に長政は、
「しものじゃ」
「不意をつくのでござるか」
「おれがなにげのう会うて話しをする。酒ぐらいは出して馳走しよう」
「ごめんこうむります」
又兵衛はきっぱりと返事をする。
「他のものに仰せつかわせませ。手前はごめんこうむります」
「なぜじゃ?」
「されば、手前には難儀でござる。他のものに仰せつけくだされ」
「又兵衛、主命じゃ、主命じゃぞ」
と言われると又兵衛も返事ができない。だが、
「戦場の儀は別でござる。いや、これははなはだしきお眼鏡ちがい。又兵衛には手に余りもうす」
「又兵衛、剣をとっては天下に名をなす鎮房。それを貴様にくれてやろうという、そのはからいがなぜ気にくわぬ?」
「なれど戦場の儀は別。この役、おのれには不向きでござる」
「だまれ! すでに宇都宮には呼び出しをかけたわ。この役きっと申しつける」
「嫌でござる。お断りもうす。ご容赦くだされ」
そういうと又兵衛は深々と頭を下げたのち、立ち上がって出ていってしまう。
「無礼であるぞ又兵衛!」「又兵衛うじ!」
家臣たちの声をぬって
「申し上げます!」あわただしく告げる声。
「何事じゃ?」
「は、ただいま宇都宮鎮房、参上いたしてございます」
「城井谷が?」
「は、一党百余名ほどをひきつれ、すでに大門口にさしかかっております」

馬の音。城井谷城の城主、郎党とともにやってくる。
「宇都宮鎮房、黒田の殿にお目通り願う」
鎮房、堂々たる物腰で案内を求める。演じているのは羅門光三郎。セリフは少ないがその存在感はずんとくる。

「あのう、お太刀を、お太刀を」
廊下を歩きながら黒田の郎党が鎮房の太刀を預かろうとするが跳ねのけられる。

門内では双方の郎党が緊張した面持ちでにらみ合っている。

「城井谷の一党が来た」黒田の屋内でも郎党たちが警戒しささやきあう。廊下をへだて中庭の向こうでそれを眺める鶴姫と花若。
「おば様、父上がお出ででございますか」といささか回らぬ舌で鶴姫に尋ねる花若。その花若に鶴姫が言う。
「花若、しかと覚えておりまするか。人質の身の覚悟のほどはかねて言い聞かせている通り...」
いつ命を絶たれるかわからないのが人質。花若は健気にもうなづく。
「よいか、取り乱してはなりませぬぞ」
幼少の身でありながらも武士は武士。鶴姫がそう言い聞かせているところに黒田の老女があらわれる。

「城井谷の方々、神妙になされませ」
老女が侍女たちに目くばせすると、女たちは鶴姫と花若に縄をかける。
縄をかけられ廊下を歩く二人を横目に家臣たちが「肝心のものはおらぬか。お召じゃ」とあわただしく通り過ぎる。おそらく暗殺計画の人員が召集されているのであろう。

「旦那さま、旦那さま」
槍もちの馬蔵が槍をもってあわただしく駆けつける。
「何じゃ?」
又兵衛は鷹揚に応える。
「首尾よくお仕留めなされませ。手柄をおたてなされませ」
「たわけめ!」
又兵衛は馬蔵をしかりつける。
「いね!」
叱られて馬蔵はけげんな顔をして去っていくが、槍だけは残していく。

座敷ではいちおうもてなしということで謡が演じられている。
その音を聞きながらも門内では宇都宮の郎党と黒田の郎党が油断なくにらみ合う。

一方、座敷では二人の稚児がうやうやしく鎮房に酒をふるまう。
大杯になみなみと注がれる酒。にらみ合う鎮房と長政。
注がれる酒が縁からこぼれおちたところで鎮房、その盃を飲み干す。
「肴は? 肴はどうした、太郎兵衛!」
長政が声をかけると肴を盛っていると思われる高坏をもって太郎兵衛が鎮房に近づく。
そして、いきなりその高坏で鎮房の頭を思い切り殴った。
驚き、憤る鎮房。だが、かねて覚悟はしていたのであろう。刀を抜き、切りかかる長政を無言のまま押し返す。さすが剣客、黒田の家臣が集まってくるが、誰も切り込むことができない。

かかってくる家臣をたやすく跳ねのけながら、鎮房はじりじりと長政に近づく。長政はあとずさりをする。
それを見てとった又兵衛は馬蔵がおいていった槍を手にする。
長政は鎮房に追い詰められ、ついに切り込む。が、鎮房に伏せられてあわや、というところに又兵衛の槍が鎮房の剣を遮る。
「後藤又兵衛基次、見参!」
謡の音が激しくなり二人の勝負も緊張の度合を増す。
激しい攻防の末、ついに又兵衛の槍が鎮房の胸に突き刺さる。
「やりおった」
そう最後の言葉を残して鎮房はどうとくずれ落ちる。なかなかどうして、余人にはできない見事な倒れ方。

「お聞かせくだされませ」
牢の中から鶴姫が牢番の老人に哀願する。
「城井谷のものたちはなんとしました? 鎮房の最後を見届けずして山へもどりましてござりまするか? お聞かせくだされませ」
「いや、勇ましく戦われて一人残らず斬り死になされた。さすがは宇都宮の一党よとご家中の方々も舌を巻いておられもうした」
「さようでありましたか」
戦国の姫君は老人のこの言葉に満足する。
「して、兄鎮房をお仕留めなされたのはどなたさまにござりましたか。お情けでござります。あの世のみやげに名もなき武士に討たれたとは考えとうござりませぬ」
老人はにっこり笑って答える。
「後藤又兵衛基次どの、槍をもって向かったと伺っておる」
「後藤、基次どの...」
つぶやく鶴姫のかたわらで思いつめた表情の花若がそれを聞いている。

山道を進む二丁の駕籠。鶴姫と花岩が乗る駕籠であった。いよいよ磔か。鶴姫の脳裏にうかぶのはそのこと。身にまとっているのは白装束。(史実では鶴姫は13人の侍女とともに磔になっているとのこと)
「出ませい」
と言われて駕籠から出た鶴姫の前に立っていたのは又兵衛。

「姫、宇都宮どのと本意なき出会いをいたしてござる。今日かぎり又兵衛、黒田の家を退去せねばならぬ」
「なんとおおせられまする」
「なれどご信用なされませ。われら武士らしく一騎打ちの勝負をいたしてござる」
それはそうに違いないと、鶴姫は静かにうなづく。
「さらば!」
又兵衛は馬に乗り、「堅固におわせ」の言葉とともに去っていく。

「又兵衛のどのはこたびの功名に対し、お身たちの命乞いをなされたのでございますぞ」
「え?」
家臣の言葉に驚く鶴姫。目は又兵衛を追う。だが又兵衛の後ろ姿はすでに遠ざかっていた。
一方、花若はけわしい目つきでそれを見ていた。

「なに? 又兵衛、退去と?」
黒田の城中では長政が又兵衛退去の報告を受けていた。
「は、察するところ、宇都宮しもの役、立って申し付けられたことを根にもってのことかと」
「ううむ、不埒なやつめ。役を不満として主にはむかうとは。五郎佐、五郎佐はおらぬか!」
長政は家来に又兵衛を征伐するよう申しつける。
「なんじら両名、力を合わせてかならず又兵衛の首をもってまいれ!」
「ははーっ」

二人の男は又兵衛の後を追って彼の通った山道を歩いていく。

一方、又兵衛はゆっくりと馬にゆられている。後ろから息をきらしながら追ってきたのは馬蔵。
「殿ー!」
馬蔵はひざまづき、
「殿、お供をお許しください、何卒」と又兵衛に許しを乞う。
「たわけめ。許しなく主家を退去する又兵衛、たとえひとりたりとも供はかなわん。それを忘れおったか」
「はい、お指図はうけたまわってございます。なれど馬蔵めは親の代よりの槍持ちにござります。われらには、われらには別にござりまする」
馬蔵の決意はゆるがない。

けっきょく馬蔵をつれて又兵衛はまた馬旅を続ける。
と、その後ろからまた
「殿ー!」
と荷物をもって駆けてくる男。
「殿、ぜひともお願いもうす」
「嘉兵衛、戻れ」
「あいや、ごばでんを務める嘉兵衛、われらは別でござる」

供が二人になったところでまた後ろから
「殿!」
いささか年配の侍がまた膝まづく。
「殿、御供つかまつる。八道まで御供申し上げた平四郎、われら儀は別でござる。」

そしてまた、
「殿!」
またか、と、又兵衛は怖い顔をして言う。
「弥八、おのれ、女房子供をなんとした?」
「は、せがれ女房とも合点の上でござる」
あきれながらも
「乞食同然の又兵衛、ついてきてもよいが、腹がへるぞ」と又兵衛。
弥八は満面の笑みを浮かべ
「は、早速のご承認かたじけのうござる。一同に成り代わり、弥八、御礼申し上げます」
「何?」
ぽかんとする又兵衛に弥八は大声で、
「おおい、みなのもの、お許しがでたぞ」
ぞろぞろと現れる男たち。
あきれながらも最後はほろりとする又兵衛。

「後藤又兵衛 宿」
宿の外で黒田の五郎佐たちが又兵衛の様子を伺っている。
そこへ供をつれてやってきた身分ありげな侍。
「左衛門大夫が家来、福島丹波、後藤どのに御意を得たい」

座敷にて又兵衛を前に福島丹波、
「主人正則は貴殿をお招き申し上げたき所存にござる。まげてご承認願いとう存ずる」
世に知れた後藤又兵衛が禄を離れたと聞いて早速ヘッドハンターが現れるが、又兵衛は笑いながら鷹揚に、
「せっかくのご厚志ながら、手前いささか禄に望みがござってのう」
「いやあ、ごもっとも。してご所望の高はいかほどでござろうか」
「さよう、又兵衛いささか家来を召しつれおりますれば、このものどもに三百石あてもたまわりとうござる」
「ほほう、貴殿のご家来には禄高の上下はござらぬのか」
「いや、黒田家におりましたときはござった。が、現在乞食同様の又兵衛に随しいたしおる志に上下はござりませぬ」
「なるほど、それはいと易き儀にござれば、ご家来衆はそれといたしてご貴殿は?」
「ははは、手前は無禄でけっこうでござる」
「無禄? 無禄でなんとされる」
「されば、家来どもに順繰りに厄介になりまする。家来どもさえ生計(たつき)に困らねば、手前、いっこうに苦しゅうござらぬ」
控えの間で聞いていた家来たちは思わず涙をこぼす。
「こら、泣くやつがあるか」と馬蔵をたしなめた嘉兵衛もさりげなく涙を拭う。

帰り際、宿の入口で丹波は計算をする。
「家来10人で3000石、15人としたところで4500石。はは、5000石足らずで後藤殿のような勇士を雇えればこれはとんだ儲けものじゃ」
と、そこへ現れたのが
「又兵衛家来、朝倉嘉兵衛でござる」
「又兵衛家来、夜須平四郎でござる」
「拙者、長者丸弥八、どうぞ」
「拙者、白熊助之丞でござる」
「又兵衛家来、馬蔵めにござりまする」
「渡辺仙平」
「同じく松田伝八」
次から次へと現れる。あっけにとられながらも、供の者が指を追ってひとりふたりと数えはじめる。

一方、座敷の中で寝ころがっている又兵衛を狙って黒田の刺客が庭から隙をうかがっている。やがて羽織を脱ぎ捨て態勢を整える。

「99、100、101...」宿の前で丹波の供のものがまだ数を数えているが、ついに
「だんなさまあー」
男たちの間をかきわけて丹波に
「だんなさま、百を超えておりまする」
「うん? なに百? されば30000? 三万石か!」
驚いて目をむく丹波。

庭では刺客が又兵衛に近づく。
「おお、八総に五郎佐ではないか」
気が付いた又兵衛が懐かしそうに声をかける。
「久しいのう」
「又どの、御意じゃ!」
二人は刀に手をかける。
「ん? 又兵衛を討つというか」
又兵衛は立ち上がる。
「さらば、討て」
ずかずかと近寄る又兵衛にふたりは思わず後ずさりする。もはや二人は迫力だけで負けている。まるで勝負にならない。

「又兵衛を見ながら討ち得ざりし不覚、未熟。その場において腹かき切らんと存じたれど、殿にお知らせ仕らずんば未だ役目あい済まんと存じ、かくはおめおめと立ち帰ってござる」
城に帰って長政に平伏する二人。
「いざ、ご法通りのおしおき願わしゅう存じまする」
詫びる二人に家老が叱りつける。
「ええい、未練ものめが。主名を辱めるとはそのほうたちのことだ。なぜ又兵衛が討てねばその場にて切腹いたさん? ええい、目通りかなわん、さがれ!」
「待て、待て、爺よ」
長政、笑いながらとどめる。
「これは余の過ちであったわい。又兵衛ほどの男を討たせんとしたのが余の不覚じゃ。よい、よい。爺よ、かれら両名に本日より百石ずつの加増をいたしてつかわせ」
「は?」
あっけにとられる家老。
刺客二人は感極まって深々と平伏する。長政も少し時間を経て機嫌が直ってきたのであろう。もとより気心のしれた又兵衛であった。

時は流れる

さらりと「時は流れる」という一行であるが、この間17年、天下分け目の関ケ原の戦いを中心とする日本歴史の転換点といえる時代であり、この関ケ原では又兵衛は黒田の家臣として徳川家康側(東軍)につき、武功をあげているのである。多少の時間のずれがあるのは承知の上の、とにかくこれは娯楽映画。

ともあれ関ケ原で豊臣側(西軍)に勝った家康であるが、まだ安心はできない。いろいろと難癖をつけて豊臣をゆさぶり、完璧に破滅させようとしたのが大阪冬の陣と夏の陣。
又兵衛はその冬の陣において今度は豊臣側につこうとしている。この戦国時代は家臣のほうも主君を選ぶ自由があり「人につく」時代であったといえる。又兵衛の家臣が又兵衛を選んだのも同様であり、かれらは又兵衛のために死ぬのであって、又兵衛が東軍につくのか西軍につくのかということにはこだわっていない。

その冬の陣が始まるのではないかという不穏な空気の中、又兵衛はまた乞食大将になっていた。

枯野の中で、又兵衛はひさごの酒を飲み、馬蔵はなにやら料理の用意をしている。野の暮らしも相当長いのか、又兵衛の前には洗濯物がはためいている。
「厳寒に紅葉を焚いて酒を温む、か。うん。おい馬蔵、風流なものだなあ」
「殿、風流というのはひもじいものでございますなあ」
鍋に竹筒の水を注ぎながら馬蔵が嬉しそうに答える。
「何を煮るのだ?」
「は、湯など煮てしんぜます」
「湯か」
又兵衛は盃のついた大きな瓢箪をとって眺め、それを振る。
「ござりまするか」
「ひさご、ひさご、問えど答えず」
どうやら酒は飲みつくしたようである。
「はは、では松風の音でも聞こうか」
又兵衛はゆっくりと横たわる。

家来のひとり嘉兵衛が片手にウサギ、片手に鶏かかげて走っている。
別の家来は村の質屋とおぼしきところで、
「これは重大ものだ。預けおくが粗末にするなよ」
「へへえ」
嘉兵衛のほうは鶏をもっていた手を放してしまい、あわてて追いかける。
「髭の大将をうちとったぞー」と言いながら大きな魚をかかげて走る男。
野菜であふれた籠をもって走りながらつい地面にぶちまけてあわてる男たち。

きれいに盛り直した食糧を前にして男たちは揃って又兵衛の前でうやうやしくお辞儀をする。
「これは何事じゃ。何事が出来(しゅったい)いたした?」
怪訝な又兵衛に、
「殿、祝着にぞんじまする」
「祝着? はて、何のことじゃ」
「ご失念にござりまするか。こんにちは殿のご誕生日でございまする」
言われてみると
「おお、さようであったか」
そしてずらりと並べられた食糧を見て、
「してこれらの品々はいかがいたした」
「は、百姓衆の手伝いをいたし、使用賃としてもろうたのでございます」

馳走の準備。鶏の毛をむしり、野菜を切り、魚の処理をし、包丁さばきはみな達者である。
「おおい」
川の向こうからばちゃばちゃと走ってくる男。
「おお、どこへ行っていた」
「ははは」
「おぬし、鎧櫃をなんとした」
「ああ、これだ、これだよ」
聞かれた男はもっていた酒だるをぺたぺたたたく。酒に化けた鎧びつ。むろん宴会には酒がなくては。
「殿にはさぞお喜びであろう。したが、裸で戦闘はなるまい」
「なんの、おれは裸でも戦場にいったら鎧とるたい」
「がははは、そうたい、そうたい、戦場で鎧武者に不自由はせんけんのう。ただもらえばよかたいもんのう」

荒野での宴会。余興はもちろん黒田節。

酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の(ひのもといちの)この槍を
飲みとるほどに 飲むならば
これぞまことの 黒田武士

峰の嵐か 松風か
訪ぬる人の 琴の音か
駒をひきとめ 立ち寄れば
爪音(つまおと)高き 想夫恋(そうふれん)

春の弥生の あけぼのに
四方(よも)の山辺を 見渡せば
花のさかりも 白雲の
かからぬ峰こそ なかりけれ

花たちばなも 匂うなり
軒の菖蒲(あやめ)も かおるなり
夕暮れ前の 五月雨(さみだれ)に
山ほととぎす 名のりして

荒野の宴会は賑やかに続く。

一方、とある座敷で向いあうのは宇都宮のわすれがたみ鶴姫と朝末(花若)。
「明日はもう...」
と言いかける鶴姫に甥の朝末(ともすえ、鶴姫は「ともずえ」発音している)は涙をこぼす。
「何を泣きゃる。そなたはもう昔の花若ではない。宇都宮が当主、朝末ではないか。おんなわらべのようにしばしの別れを悲しんでなんとするぞ」
「おば上、別離が悲しゅうて泣くのではござりませぬ。おば上がみどりの黒髪をおろされるのかと思うと、」
「なんと言やる?」
朝末は鶴姫のひそかな決心をすでに察していたのであろう。
「おいたわしゅうて、心が痛むのでございます」
「花若」
つい幼名を呼んでしまう鶴姫。
「もし父上おわさば... おば上、朝末は吉岡どのの御家で武をみがき、必ず父上のうらみをおはらし申し上げます。そうして、そうしてきっと、宇都宮の家名を世に出してごらんにいれます」
「宇都宮一族に生き残れるは天にも地にもわれらふたりきり。一別の後はずいぶん身体に気を付けますように」
「おば上にも身体においといくだされませ」
朝末はまたすすり泣く。

翌朝、旅支度の鶴姫と朝末は川の渡し場までやってくる。
「やーい、乞食だ、乞食だ」
子供たちのはやしたてる声。
「乞食がおもろいことしとるぜ」

家来たちが木を組んで仮の輿をつくり又兵衛をかつぎあげて川を渡ろうとするところであった。
又兵衛のために身の回りのものを売り払ってしまった家来たちの姿はたしかに乞食同然。だがみな嬉しそうに又兵衛の周りでとびはねるようにして川をわたっていく。
「わっしょい、わっしょい!」
又兵衛も満面の笑みを浮かべて扇を振っている。
賑やかな川越え。しかし、次第に輿をかついでいる年配の男たちの顔がいささか苦しそうになってくる。機嫌よく扇を振っている又兵衛をちょっぴりうらめしげに見てしまう。17年の歳月、それは家来たちもそれだけ年をとったということを表すシーンである。

「あれは世にあるときは名のある大将だったそうな」
「ああ、なんでも黒田の後藤か、後藤の黒田かと言われたほどの豪傑だそうですな」
「おお、筑前の後藤又兵衛か」
川岸で見物している旅人たちが話し合っている。
それを耳にして朝末は思わず前に足を踏み出す。鶴姫が叫ぶ。
「朝末!」
思わず刀を抜きそうになるが、家来たちに囲まれた又兵衛の一行はすでに向こう岸に近づいていた。

慶長19年(1614)

江戸城

家康を前に家臣たち。徳川と豊臣の大決戦を前に緊張は頂点に達しているところである。
「秀頼公お招きの浪人どもすでにおびただしい数に及んだにござります」
「諸国に名のある浪人はほとんど大阪に馳せ参じおる始末にござります」
「名ある浪人どもじゃと? 誰じゃ」
家康が尋ねる。
「さよう、まず長曾我部、後藤などでござりましょう」
「後藤? 又兵衛か?」
「は」
そこへ、
「申し上げます。黒田様ご出頭にござりまする」
黒田長政が家康の前に現れる。

家康は笑みをうかべ、
「甲州、よいところへ見えられた。又兵衛がのう、秀頼の味方とあるがどうあろうの」
「さもあらんかと存じまする」
「どうじゃ、又兵衛どれほどの男かの」
「又兵衛ひとり大阪に入城いたさば、一年で落ちる城も二年はかかりましょう。まず当時の浪人どもの中では屈強の人物にござりまする」
もはや長政にとって敵ともなった又兵衛であるがそれはそれとして評価の目にくもりはない。
「甲斐守どの、その又兵衛と昵懇のものはござりますまいか」
と、本多佐渡の守に聞かれ、
「さよう、揚西堂(ようさいどう)と申す禅僧が昔馴染みにていまなお懇意にいたしおる由」
長政は、又兵衛のことを知り尽くしているからこそ、この禅僧のことを教えた。とはいえ、ここで家康が又兵衛を懐柔しようとする手助けをしながらも、おそらく懐柔し得ないことも承知していたに違いない。

風雲急を告げ

(大阪に向かう)山の高台から嘉兵衛と馬蔵が大坂に向かう山道を上ってくる人々を見下ろしている。
「行くわ行くわ鎧虫が。夥しい浪人の往来じゃのう。本当はあれは蟻の行列ではないか」
「いよいよ関東-関西、お手切れでございましょうか」馬蔵が尋ねる。
「うむ、だいぶ雲行きが速くなったようじゃ」
「では出陣の日も早うございますな。みなさま、この合図をお待ちかねでございましょう」
「一刻千秋の思いで待っているんだ。馬蔵、合図の狼煙は威勢よくあげてくれよ」
「はい」
「ひとりたりとも遅参のものがってはあいならんからな」
「こころえております」
帰りかかる嘉兵衛に馬蔵は、
「殿は?」と尋ねる。
「疾うにお出ましじゃ。きょうはそれ、宇都宮殿のあの日ではないか。近くに寺があるとのことゆえそこへまいられたのであろうぞ」
嘉兵衛が立ち去ったあと、馬蔵は思いにふける。
「宇都宮どのの... そうか、十七回忌であったか」

とある寺で、髪をおろした鶴姫が仏壇の前に座っている。
「たのもう! たのもう!」という男の声。
又兵衛である。出てきた鶴姫は又兵衛の姿を見て驚く。
「おお、御身は!」
又兵衛も尼となった鶴姫の姿を見て驚く。

座敷にて二人は向かい合う。鶴姫は静かに語る。
「十七年の年月は夢のようでござりました」
「お変わりなされたのう」
「あなたさまも」
互いにじっとみつめあったのち、又兵衛が尋ねる
「ああ、花若どのはいかがなされた」
「都の吉岡殿に身を寄せ、兵法を励みおります」
この時代で吉岡といえば宮本武蔵でもお馴染みの京の吉岡道場のことだろう。
「さようでござったか」
「して、今のおすまいは?」
「いや、決まった住まいとてござらん。野や山に伏し、とんだ乞食の境涯にござる。ははは。いや、又兵衛、今の世には用のない男になりもうした」
「さようではござりますまい。世はただならぬ雲行きと、こんな世捨て人さえ承知しておりまする。こんにち後藤どのほどの大将を江戸表にても大阪にても捨ておく道理はございますまい」
鶴姫は時代の流れを見逃していない。

又兵衛の山の仮屋では、ひとりの身分ありげな武士が嘉兵衛に、
「よしなに頼みいる。秀頼様まちかねてあらせらるる」
「しかと申し伝えるでありましょう」
「さらばお待ちいたすぞ」
「は」
それは西軍秀頼から又兵衛への正式な招聘であった。すなわち、又兵衛が大坂方につくのかどうかを決める問いであった。

鶴姫の寺を出る又兵衛、そこで花を手にした朝末とすれ違う。
十七年前の花岩はまだ幼子、又兵衛はそのまま通り過ぎる。朝末のほうは編み笠姿の又兵衛にどこか見覚えがありそうなと後を振り返るが、わからぬまま寺に入る。
「おば上、」
「おお、朝末、ようまいられた」
「京より夜道をかけてはせ参じてございます」
「さ、さ、中へ」
「おば上にはご健勝にてなによりでございます」
「そなたも健勝にて」
「これを」と、朝末は花を渡す。彼は父の十七回忌に来たものであろう。
「み仏にはさぞご満足におぼしめしましょう」
花をもって立つ鶴姫の後ろから
「おば上、今の乞食浪人は?」
朝末は尋ねる。
「おお、会われたか」
鶴姫はさりげなく答える。「後藤どのじゃ」
「なに後藤? 又兵衛でござるか!」
朝末は血相を変える。
鶴姫は振り返って黙ってうなづく。
「けっ!」
飛び出そうとする朝末に、
「待ちゃ。どこへまいられる?」
「知れたこと、父上の仇。こんにち巡り合えたのはみ仏のめぐり合わせでございましょう。御免!」
「朝末! そなたまだそのようなことを」
「何をお言いでございます。われら両名十余年、艱難辛苦は誰ゆえでございます? おば上には亡き父のご無念をお忘れになりましたか」
「わすれはいたしません」
「ならば、なぜ。なぜ、お止めなされます」
「基次どのを仇と狙うのは罪ではありますまいか」
「何を...」
朝末は伯母の言葉を聞き捨てて、そのまま外に飛び出す。だが又兵衛の姿はもうどこにも見えない。

又兵衛が仮屋に帰るとそこには立派な駕籠が置かれている。馬蔵が言う。
「殿、お客様でございます」
うなづいて又兵衛が中に入っていくとそこには一人の僧がねそべっていた。
「いやあ、待ちかねたぞ、又兵衛」
「いよう、揚西どのではないか。めずらしいのう」
「おぬしは堅固でけっこうじゃな」
ふたりは嬉しそうに挨拶をかわす。
「和尚、何があって?」
「佐渡に頼まれての」
「佐渡? 本多佐渡の守か」
「さよう」

仮屋の外には鶴姫が佇んでいる。

「昨日までは乞食の大将が今日は日本一の果報者じゃ。見よ、家康公より夥しい品物じゃ」
揚西がいうとおり仮屋には反物をはじめ夥しい品物で満ち溢れていた。
「なんとのう」
又兵衛もそれを見て感心する。
「その上、姫路十万石をくれようとは」
と言いつつ和尚は十万石の下知状を又兵衛の前に突き出す。
「どうじゃ!」

鶴姫は二人の会話を聞いている。

「のう、揚西どの」
「ううん?」
「東は日の出じゃ」
「うん」
「草木もなびく勢いじゃ。日本じゅうの大名ひとりとして関東になびき従わぬものはないわ。西は、ああ、あれじゃ」
又兵衛はそう言いながら外を見た。
「陽は傾く」
その言葉を受け、厳しい顔で揚西は後を続ける。
「豊家(ほうけ)の末じゃのう」
又兵衛はきっぱりと言う。
「和尚、基次、西へまいる」
「西方は弥陀の浄土」
揚西はかすかな笑みとともに又兵衛の言葉に応じる。そして大きな声で、
「日本中の大名を相手にするか」
それに対し又兵衛も、笑みとともに
「さらば日本じゅうの大名を引き受けて戦うも大丈夫(ますらお)の本懐。この上なき死に場所ではあるまいか。和尚、如何?」
「はははは、いやはて、侍というものは贅沢な死に場所を選びたがるものじゃな」
そして二人は声を揃えて呵々大笑。

外でそれを聞いている鶴姫。

「さて、和尚、あらためて頼みがある」
又兵衛はあらたまって言う。
「はてのう」
「手前、世にあるころ、宇都宮どのをしものにかくる仕儀となり、宇都宮家は滅亡いたしたが、聞けば鎮房が忘れがたみ朝末どの、京の吉岡方に修行まかりある由、あわれ。願わくば和尚、ご昵懇の大名に右のものお取立てのほど推挙いたしてはくれまいか」
外にいた鶴姫は又兵衛の言葉にはっとする。

「はてさて、いうに優しき志。いとやすきことじゃ。揚西堂、たしかにお引き受けもうした」
「ご承認かたじけない」
又兵衛は頭を下げる。
「これにて宇都宮の家、再興も成り、手前、十有余年、心にかかりし雲も晴れ申した」
鶴姫は瞑目する。

大阪冬の陣

入城の時は来た

ほら貝の響き

又兵衛の家来たちも準備に忙しい。質に入れていた鎧もなんとか受けだして駆けつける。

又兵衛の前にずらりと並ぶ家来たちを又兵衛は嬉しそうに見守る。

一方、同じく鎧に身をかためた朝末も伯母への暇乞いに行く。
「おば上」
「おお、朝末。その姿は?」
「おば上、いよいよ宇都宮家再興の時節でございます。それがし板倉どののお招きに預かってござりまする」
「なに、所司代どのの?」
「はい。一陽来復の春、めぐりきたってございます。それがし関東のご人望を借り受け、華々しく功名を立て、家名を上げる所存でございます」
「朝末」
「おば上」
両人とも手を握り合って嬉しさをかくしきれない。
そこへ馬の足音とともに、
「姫!」
又兵衛がやってきた。
「おお、姫、ここにござったか。又兵衛、お暇乞いにまいった」

朝末が又兵衛に近づく、
「おお、貴殿は...」
朝末、一歩飛び下がって言い放つ。
「ようも忘れはいたすまい。それがしは宇都宮鎮房のわすれがたみ、幼名は花若こと、弥左衛門朝末なるわ!」
刀を抜いた朝末を見て、
「おお!」
又兵衛は驚く。そこへ家来が又兵衛を気づかってばらばらとやってくる。
「ひかえませ!」
鶴姫の鋭い声。
「おば上」
不審げに鶴姫にかけよる朝末。
「朝末、戦場にて討ち、討たるることこそ武士(もののふ)のならい。ここは基次どの討ち奉るべき場合ではありませぬ」
悔しがる朝末をよそに鶴姫は又兵衛に言う。
「若年ものの慮外なきふるまい、ご容赦くだされませ」
又兵衛は笑みを浮かべる。
「なんの。勇ましき若武者になられもうしたわ」
「恐れいりまする」
丁重に礼をのべた鶴姫は続いて、
「つきましてはご出陣のはなむけに、」
と言いながら、座敷にあった兜をとりあげる。
「兄鎮房が残した品でござりまする」
「この兜を又兵衛に?」
なぜ自分に、といぶかる又兵衛。
「ご受納くださりませ」
鶴姫は再び繰り返す。しばし考えた末、又兵衛は
「かたじけなきはなむけ、亡き宇都宮どのの武勇にあやかり、ちょうだいいたすでござる」
そして朝末に向い厳しい声で、
「朝末どの、御身と再び敵味方とあいわかれ、戦場にてあいまみゆる時がまいった」
朝末は、はっとする。又兵衛は重ねて言う。
「お忘れあるな。戦場にてこの兜を目印に。よいか、この兜を目印に必ず又兵衛が首とって手柄にされよ」
「兜を目印に...」
戦場での武士と武士との戦い。朝末は又兵衛の意を汲みとった。
「おお、心得た」
朝末の言葉に又兵衛はうなづき、別れを告げる
「おう、さらば。さらばじゃ」

          -終-

市川右太衛門 : 後藤又兵衛基次
羅門光三郎 : 宇都宮鎮房
月形龍之介 : 黒田甲斐守長政
澤村マサヒコ : 花若
香川良介 : 福島丹波
藤野秀夫 : 徳川家康
中村芳子: 鶴姫
嵐徳三郎: 本多正信
荒木忍: 夜須平四郎
香川良介: 福島丹波
葛木香一 明石全登
小川隆 黒田惣兵衛
見明凡太郎 揚西堂
南部章三 馬蔵
原聖四郎 野村太郎兵衛
水野浩 牢番の老人
津島慶一郎 朝倉嘉兵衛
島田照夫 朝末 Tomosue
常盤操子 菊の井
横山文彦 蒲池弥惣
葉山富之輔 母里太兵衛
大河原左雁次 松村彦右衛門
藤川準 堀五郎太
興津光 篠隅助之亟
小池柳星 長者丸弥七


98.Joriku Daiippo 上陸第一歩 1932


https://youtu.be/3sFcQgS7NTY

99.Uguisu 鶯 1938

https://youtu.be/DCMZCe51YGk

Utau-tanuki-goten 歌う狸御殿1942

https://youtu.be/TRJo3bwl0Pc

100.Tokyo Gonin Otoko 東京五人男 1945


https://youtu.be/wFzzwwJL6bI

焼野原の東京を舞台にして戦後半年足らずで仕上げた映画「東京五人男」。この底抜けの明るさこそ日本人の力といってもよいかもしれない。主役のひとり石田一松はのんき節でスターになり、後に国会議員にもなった人だが、広島の原爆で母と妹を失った。不運にも直前に爆心地のすぐ近くに引っ越したところだったそうだ。

記録映画「南京」


https://www.youtube.com/watch?v=FJv7J8y2bvk&t=1343s

大東亜会議

https://www.youtube.com/watch?v=6aMu4RpIQak&t=50s
この時代、アジアがどのような状態であったのか。アジア各国の主導者が集まった貴重な映像である。


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