京洛の舞 1942 野村浩将 監督

Cinema Japan Retrospective by Maya Grohn

物語は、文久三年五月二十日(1863年7月5日)、尊王攘夷を唱える過激派の公家として知られた姉小路公知(右近衛少将)が、禁裏朔平門外の猿が辻で暗殺された事件を土台にしている(朔平門外の変、もしくは猿が辻の変)。現場には犯人のものと思われる刀が残されていたという。

京洛とは京の都(洛は唐の洛陽)。古来、日本では奈良時代を別にすれば明治天皇が江戸に遷都する以前は都といえば京であり、この映画に見られるとおり京は政治の中心地であった。

時は文久3年(1863年)。日本が諸外国から開国を迫られた年である。幕府、外様藩、そして禁裏において、世論は二分された。攘夷か開国か。
このとき京の警護は会津藩の松平容保(かたもり)が守護職としてその任を担っていた。会津藩が徳川に最も忠誠を誓っていたことは、このチャンネルで紹介されている「嵐に咲く花」などを見れば理解しやすい。しかし皮肉なことに、彼らの徳川に対する強い忠誠心は両刃の剣であった。

このような状況下で、公家たちも政治に積極的に関与するようになった。

幕府内、御簾うち、各藩内でもそれぞれ二分する混乱の中で、特に先鋭化していたのが田中新兵衛をはじめとする一部の薩摩藩士。実のところかれらは薩摩藩という枠を超えてしまっており、藩も持て余している現状であった。だが彼らとて国を思う志士。この国難にあたって異国を受け入れては日本は滅ぶ、というのが攘夷派であるかれらの主張である。そして日本国のためには幕府は倒さねばならぬ、と。かれらが拠り所とした公家のひとりが強硬な攘夷論を唱える姉小路卿であった。その姉小路卿に開国派の勝麟太郎(海舟)が近づいている、というので新兵衛たちは色めき立った。

一方で、京にいる薩摩尖鋭隊の中でも出雲路源三郎などは「いや坂本龍馬の言い分にも耳と傾けるところがあるのではないか」と言い出し始める。

<ストーリー>
坂東寿三郎    姉小路公知 田中新兵衛
阪東好太郎  出雲路源三郎
高峰三枝子  お千加
河村 黎吉  岡田以蔵
日守彰一   女川惣之助
葉山純之輔  青島忠三郎
三井秀男  田邊進一郎
高山徳右エ門  勝麟太郎
月形龍之介  坂本龍馬
尾上多見太郎  近藤勇
西村青児   村田恭平
徳大寺伸  松平容保(かたもり)
吉川満子  お久
松浦築枝  お幾
河野敏子  おしん

文久三年(1863)三月四日
将軍家茂上洛して二条城に入る
国論別れて攘夷開国の二派となり
京攝一帯志士要人の来往頻りなり

京の河原で人々がざわめいている。「なんや、あほらしい。人間の首やと思うたら木像やないか」「木像のさらし首や」

その木像のさらし首の前に立てられた高札;
逆賊足利尊氏 同  義政 同  義満

役人が人々を、どけ、どけ、追い散らしている。会津の役人、村田が険しい顔をして高札を取り除くよう言いつける。

役宅にて
「申し上げるまでもなく、この度、将軍家茂公のご上洛を機に薩摩、長州あたりの浮浪ものらが足利一族の処断に名を借りて実は幕府の方々を威嚇せしめんとのことでございましょう。」
「会津一藩守護職たる面目にかけても、下手人はあくまでも究明しなければならぬぞ」厳しい声で命ずるのは徳大寺伸扮する会津藩主松平容保(かたもり)である。この物語では出番が少ないが、この当時京においてこの容保の役割は非常に重要なものであった。
温厚な容保は攘夷の浪人たちにも一定の寛容さをもっていたというが、この木像首切り事件のときは烈火のごとく憤ったという。大昔の将軍足利の名を借りながら、それは現将軍家に対する攘夷党の真っ向からの挑戦であることをいやというほど見せつけられたのであるから無理もない。
「は」

廊下より、「おそれながら、ただいまお召しによりまして、ただいま近藤、土方、両名がまかりでました」

座敷で待っている新選組の近藤、土方らは意気盛んである。
「はは、たかが食いはぐれの痩せ浪人どもに何ができるものか。まあ、木像斬りぐらいが関の山だろう。のう、近藤うじ。やつらは昼日中どこかの穴に隠れていおって夜になるとこそこそ出ていたずらをしおる。なんのことはないドブネズミだ」
少し離れたところで村田が言う。
「貴公ら、ちかごろ、祇園当たりの色町で歌われている歌を聞いたか? 腹が立つぞ」
「どんな歌です?」
「会津肥後守に上げたいものは、白木の三方に九寸五分(短刀、すなわち首を出せという暗示)」
「何だと!」
一同は顔色を変える。会津肥後守というのは松平容保のこと。
「ふふふふ」近藤は歯牙にもかけない。

一方、薩摩攘夷党の隠れ家では、
「木像斬りは確かに成功でござった。徳川とは違うが将軍には変わりはないからのう」
「しかし、今回の将軍の上洛は幕府にしてもわれらにしても安危の分かれ目だ。この機会を逸しては攘夷も水の泡になる。なあ、以蔵?」
岡田以蔵は黙ってうなづく。
縁側に座っていた女川は優しい声で少女に言う。
「おい、お幾ぼう、お茶をひとつくれ」
「はい」

表では、この隠れ家は骨董屋の店であった。
「これ、なんぼどす?」
客が亭主に値段を聞いている。
「そうですなあ。まあ、ぎりぎり一両二分までにしておきましょう」
「ええ値やなあ。一両と二分か。もう少しまからんか」
「なにしろ元手がかかっておりまして。それ以上はまかりませんなあ」
「やめとこ」
「どうも、お気の毒さまで」
客はあきらめて立ち去る。

後ろ向きでその会話を聞いていた出雲路は、
「おぬし、だいぶ商人らしくなったなあ」
「ふふ、古道具屋の亭主になったり、江州浪人になったり、俺もまったく忙しいよ」
そこへ客がまた来たらしい。亭主は厳しい目で出雲路に目くばせし、出雲路は心得て奥に入っていく。

「女川、おぬし、早くきたのか」
「うん。貴公が出ていってからすぐだ。ひとりでおってもつまらんからな」出雲路と女川は親友、同じ宿に寄宿している。
出雲路は女川に、
「馬鹿をみたよ。せっかく伏見くんだりまで出かけていったのに留守だったよ」
「留守か」
志士のひとりが驚く。
「なんだ出雲路、おぬし竜馬を訪ねたのか」
「うん。いささか話したいことがあってな」
以蔵が言う。
「よせよせ、あんなやつと話をしたって無駄だよ。第一、あいつが何のために勝とねんごろにしているか、その本心が俺にはわからん。勝はちかごろ方々のお公家様がたを訪ねて開国論をぶちまくっているそうだ」
「出雲路、姉小路卿は大丈夫だろうな」
「大丈夫だ、三条、姉小路、両卿ともその攘夷論は絶対不動のものだ」

そこへ当の坂本竜馬が入ってくる。
「みんな、何を仏頂面しているんだ、はは。おい、出雲路、おれは二、三日前に祇園の松屋で勝先生のごちそうにあずかって、あそこの娘分の、ええとお千加さん、か。初めて会ったが、おぬし、あれは掘り出し物だぞ」
以蔵が険しい顔で言う。
「坂本、」
「なんだ」
「おぬし、何のために勝麟太郎とねんごろにしているのだ」 
「はは、そのことか。それは、勝先生が日本一の開国論者だからよ」
「すると、おぬしは同志を裏切っても開国論に移るつもりだな」
「いやあ、そんなことはない。おれはただ、青い空を青いと見て流れる雲を白いと見ているだけだ」
「ごまかすな、坂本、」
「まあまあ」
詰め寄ろうとする以蔵を出雲路がなだめながら、
「なあ、坂本、おぬしがいま勝の主意に共鳴して攘夷論を捨て開国論を主張すれば、いきおい、それは徳川幕府を助けることになるぞ。つまり、一時でも幕府のいのちを延ばしてやることになるんだ。おぬし、大義をこんにち失っていつまた皇国のために死する日があると思うんだ」
「いやあ、大義は決して失わん。こと皇国の存亡に関するかぎりこの命ぐらいいつでも捨てる。わしが今日開国論に移ったのも皇国百年の将来を思うからだ。だいたいおぬしたちは一言目には攘夷、攘夷と目の色を変えるが、もっと大きく、国家の存亡ということを考えたことがあるか」
以蔵「それを考えればこそだ」
「ほう? では言おう。攘夷というからには異国を相手に戦うことだろう? 以蔵、西洋の軍艦が一時間に何海里走るか知っているか」
「ち、知るもんか、そんなもの」
「はっは。西洋の軍艦はな、一時間に20何海里、日本の軍艦はやっと8海里だ。これでは話しになるまい」
「そんな軍艦なんぞどうでもかまわん」
「では、大砲の弾だ。日本の弾はわずか8丁しか飛ばないのに向こうは何十何丁と飛ぶ。これで対等の戦ができると思うか」
「戦いは精神だ。心構えだ。そんなそろばん勘定じゃないぞ」
「それはそうだ。俺だって決してそろばん勘定だけで戦いに勝てるとは思っていない。しかし、異国人は軍艦で来るぞ。いくら陸に網を張っていたところで勤皇攘夷ができるはずはない。それだけの軍艦、それだけの弾丸が日本で製造できる日まで攘夷を延ばし、まず備えを固めなければならないんだ。そのために勝先生はいま兵庫に海軍の訓練所をつくろうとなされておられるだ」
「黙れ、卑怯者。攘夷は国論だぞ」
「そうだ、そのとおりだ」周りの男たちも以蔵に賛成する。
「臆病者!」
「臆病者? はは、これほど言ってもわからん奴は相手にしてもはじまらん。いや、あまりしゃべりすぎて口がすっぱくなった。どれ口直しに祇園でも行って一杯やるとするか」
立ち去った竜馬を見て、以蔵は刀をとって追いかけようとする。
「おい、どうするんだ」
出雲路が以蔵の肩に手をかける。
「裏切り者を生かしておいては攘夷党の恥だ」
「まあ待て。竜馬の説にも一理ある」
「おぬしまで臆病風に吹かれたな、どけ」
出ようと戸に手をかけたとき、戸が開いて田中新兵衛が入ってくる。
「おっと、気をつけろ、あわてもの。殺気立ってどこに行くんだ」
「竜馬をぶったぎるんだ」
「まあ待て。竜馬はもうその辺にはおりゃあせん。うろうろ探し回るだけ無駄だ。殺らなきゃならんものなら、今度会ったとき俺が一刀両断にしてやる。まあまあ落ち着け」

隠れ家を出て出雲路と女川が通りを歩いている。
「なあ、女川、おぬし、竜馬の言っていること、どう思う?」
「うーむ、おれのような田舎神主にはよくわからんが。おぬしはどう思う?」
「竜馬のいうこともよくわかる。しかし、攘夷をやらなければ幕府はいつまでも倒れぬ。攘夷は幕府を倒すまでの唯一の手段なのだ」
と、言っているところで二人はひとりの男が後をつけていることに気づく。会津の役人であった。役人は気づかれたと知って道を逸れる。
「イヌだな」
ふたりはあたりを探したが、男の姿はもう見えなかった。

「お帰りやす」ふたりは寄宿先に戻る。丁稚が、「お客さんどっせ」
会津の役人は二人が入っていくところを物陰から見ていた。
「誰だ?」出雲路が聞くと、「このまえ来はりました、綺麗な女のひとどす」

部屋で待っていたのはお千加であった。
「お千加さん、いつ来た?」
黙っている出雲路に代わって女川が声をかける。
「ほんの一足お先に。きょうはちょっとそこのお稲荷さんにお参りにきましたさかい、」
「ほう、で、願い事は?」
「まあ、願い事やて」
「はは、お千加さんの願い事だったら言わなくたってわかっている」
出雲路とお千加の仲を十分承知している女川である。
お千加は投げ捨てられた出雲路の羽織を畳み始める。
女川のほうは自分で畳んでいる。
お千加はあわてて、
「うちがしますさかい」
「ああ、いやいや、拙者のはよろしい」
「女川はん、ほんの少しどすけど、河道屋はんのそば餅、もってきました。よろしおしたらあがっておくれやす」
「おお、これはどうもごちそうさま。さっそく、と、言いたいんだが、拙者はやめた。お千加さんが食べさせたいのは、ふふ、拙者ではなかろう。拙者は遠慮する」
「まあ、女川はんて」
「はは、いまのは冗談、冗談。おい、出雲路、うまいものがあるぞ」
「おお、これはうまそうだ」
女川と出雲路は食べ始めるが、女川がふと手をとめると、お千加が出雲路の肩のほこりをとろうとするしぐさをしている。女川はそれを見て餅をのどに詰まらせる、いや、ふりをする。おどろいたお千加は、
「お湯、もってきまひょ」
「あ、いやいや。客人は座って、座って。拙者がもってくる」
女川はそう言って、気をきかせて階下におりていく。
「あるじ、あるじ、湯をくださらんか」
「へいへい。はい、おまっとうさん。あの方だっか?祇園でなんとかいうてた?」
「うん、そうだよ」
女川が急須をもって上がっていくと、出雲路とお千加は窓辺に立って外を見ている。それを見て女川はそっと笑みをもらす。

祇園の店通り。
「こんばんは」「こんばんは」座敷に向かう芸者たちが挨拶をかわしている。
「おかあはん、ただいま」かえってきたお千加は女将に挨拶する。
「おかえり」女将は優しく答える。竜馬は先に娘分のお千加と表現していたところから察するに女将は特別お千加を可愛がっていたのであろう。
「えろう遅なりまして。すんまへん」
銚子を抱えた女が、
「おかあはん、次の間、お銚子二本」
次第に忙しくなる時間である。

支度の間では、
「姐さん、おかえりやす」
先輩のお千加に若い芸者たちが挨拶する。
「お千加ねえさん、ごちそうさんどす」
朋輩の芸者はにやりと笑っていう。
「え?」
「なんぞおみやげは? ええ人に会うてきて」
「あら」
「かくしはってもあきまへんえ。ちゃんと顔に書いてあるわ」
「お帰りやす。なにをおしゃべりしとるんどすか」
座敷が忙しくなるにつれてやり手姐さんたちの口調もせわしなくなる。
「ああ、お雪姐さん、お千加姐さんの嬉しそうな顔、見てやして」
返事もせず、黙って化粧を続けるお千加に、お雪は
「あ、お千加さん、あんた、お座敷、月の間どっせ」
「へえ」

芸者衆が廊下を行きかう。
「姐さん、あとで呼んでおくれ」
「へいへい」

お千加は座敷にはいっていく。
「こんばんは」
お千加を見た田中新兵衛の顔がほころぶ。
「お、お千加どの」
「おおきに」
「姐さん、お先に」
若い芸者たちがお千加に挨拶する。
お千加はとっくりをとって新兵衛にお酌をする。新兵衛は上機嫌である。「新兵衛、お千加どのの酌でなくてはせっかくの酒もうまくない、はは」「まあ、田中はん、ずいぶんきついことを言わはるわ」若い芸者が怒る。「うちのお酌でえらいすいまへん」
「はははは」
そう言われても新兵衛は嬉しそうに笑っている。

「大変どっせ!」
女将が座敷にかけこんでくる。
「新選組の見まわりの方々が、」
新兵衛の目が険しくなる。

新選組の男たちがずかずかと入り込んできて、女たちはあわてて席を離れる。
「おい、貴公らはどこの藩のものだ」
「無礼だぞ。無断で人の座敷に乱入するとは」
同志たちが立ち上がる。
新選組の声は厳しい。
「我々は会津藩の見回り役だ。不審の筋があって調べる」
「何を!」
刀に手をかけた同志たちに、「まあまあ、待て」と、新兵衛は落ち着かせる。そして新選組に向かって
「拙者、薩摩藩士、田中新兵衛でござる。御不審の筋、なんなりとお調べください」と、丁寧にあいさつする。
「では、この席はなにゆえの談合でござるか」
「なにゆえの談合とはちと解せぬお言葉で。飲みたくて飲み、語りたくて語っているにすぎぬ」
「なにい」
「飲めばおのずと話しに身も入ろう」
言いながら新兵衛は自らの盃に酒をつぐ。
勢い立つ男に「待て、待て」という声。
「拙者、近藤勇でござる。失礼の段、お許しくだされ」
「おお、近藤うじか」初対面らしいが、互いに名を知っているらしい。
「お見受けするところだいぶ御酒も召し上がるらしい。飲めば話しに身も入るとか、あまり話しに身が入る前にお引上げくだすったほうがよろしゅうはござらぬか? ふふふ」
「ふふふ。ご注意かたじけない」
田中新兵衛と近藤勇の初めての対決。だが、その夜はそれで収まったようだ。

翌朝、新兵衛が朝食を食べているところに、
「お国元からお客さんどっせ」と女中。
「国元から?」
「へえ」
いぶかりながら新兵衛は玄関口に向かうとひとりの若い男が待っていた。「おお、進一郎、おぬしか。誰かと思ったぞ。とうとう出てきたか」
「お久しぶりでごわす。その後、ご壮健で」
「そんな堅苦しい挨拶はいい。まあ、上がれ」
「は」
「おぬし、朝飯はまだか」
「はあ、いまそこの飯屋で食べてきました」
「そうか。国元のほう、変わりはないか」
「あ、はい」
「おとはんも、おかはんも?」
「は、ありがとごわす。それよか国元では今に京では戦がはじまるのではないかと噂しちょります」
「なかなか戦ははじまらんよ。まだまだ幕府方にも力がある」
「いや、しかし、国元の若侍どもはさらし首の噂ば聞いて、誰も足が地につかんでごわすよ。近頃は勤皇脱藩の無尽講をはじめてから、それを路銀に、みんな追々上京することになっておりまして」
無尽講で路銀を工面し、はるばる薩摩から京にやってこようとしている血気盛んな攘夷党の若者たち。だが、新兵衛はさして感動しない。
「ふうん、それは厄介だな。生兵法の田舎者が何人出てきたって足手まといになるばかりだ」

気勢をそがれながらも、進一郎は、
「田中さん、その、人を斬るっちゅうことは技でごわすか、心でごわすか」
「はは、難しいことを言い出しおったな。
うふん、それ、当流の極意は心と気と力の致にある。
心定まって気ふるい、気ふるって、力生ず。
ふふふふ、みんな嘘の皮だ。俺はいつのときでも空夢中だ。道場で習った剣法などなんの役にも立ちはせん」
「いやあ、しかし、」
「たとえこんにゃくでも牛蒡でもただ一心。真剣に斬ることだ。空を切っても手はあがる」
「おいのお師匠さんは神明夢想流を使いもうすが、今度国元ば発つとき極意の三方ば伝授いただきました。極意じゃ斬れんもんでごわすか」
「極意の三方? ははは。それよりおぬし、袴でもとってゆっくりしろ。当分はゆっくり京見物でもすることだ」
「いや、おいは物見遊山に上洛したのではごわせん。ただ一心に勤皇の、」
「わかった、わかった。そうぎくしゃくするな。それだから国ものは嫌がられるんだ」「しかし、おいは、」
「どうだ、京大阪を初めて見て、町の繁盛、人の賑わい、見るもの聞くものに驚いたろう」
「京にも大阪にも、おれはいっこうたまげまはん」
「たまげまはん、か。ははは。しかし今度国元に帰ってみろ、ご城下の町がせまっ苦しく汚くみえるぞ」
「鹿児島でん、70万石の御城下でごわすぞ」
「馬鹿。大坂の堂島に行ってみろ。70万石は一日にも足らぬ出し入れだ」「え?」
「どうだ。たまげもうしたか。そのうえ京都は桜陽の地だ。酒は良し、肴は良し、女は、あ、いやあ、これは先々おぬしなどには縁がなさそうだな。はははは」
「どうでん、おれは田舎者でごわす」
「ふふふふ、おいおい踵の土を落とすんだな」
この新兵衛と進一郎の会話は興味深い。進一郎はおそらく初めて京に出てきたときの新兵衛と重なるところがある。「国元に帰れば御城下の町がせまっくるしく汚く見える」とは、それはすでに京の水にたっぷり染まった新兵衛が自らに対し自嘲的に語ったものであろう。

新兵衛は進一郎を馴染みの居酒屋に連れていく。
進一郎はそこで働いているすっきりとした美しい女中の後ろ姿をつい目で追ってしまう。
進一郎の視線を見てとった新兵衛はとっくりを振っておしんに合図する。
「おい、おしん、おしん、これだ、これだ」
「はい、ただいま」
「田中さん、あれは何ものでごわす?」
「女よ。薩摩女も鴨川の水で洗うとああなるんだ。おい、二朱銀一枚出せ。祝儀だ」
「二朱銀? 祝儀に二朱銀でごわすか?」
「けちけちするなよ。すべて何事にも快楽には木戸銭がいる。女が虫のせいでお世辞を言うと思うと間違うぞ。出せ、出せ」
仕方なく、懐から大仰な懐中を取り出し、しぶしぶ金を出す進一郎。
「おまちどうさま」
おしんが徳利を携えて戻ってくる。
進一郎は懐紙に包んだ二朱銀をぶっきらぼうに差し出す。
「おい、これば、おはんにやるぞ」
「え?」
新兵衛が笑いだす。
「はは、田舎者は祝儀の出し方ひとつ知らん。おしん、これは顔つなぎだとさ。もらっとけ、もらっとけ」
「すんません。あんたも薩摩のお方ですとな」
お酌しながらおしんが尋ねる。
「おどんな、御城下の仙谷馬場の近くでな」
答える進一郎の顔をじっと見て、おしんは言う。
「わたし、どっかで一度お目にかかったような気がしますわ」
「おはんはどこのもんか」
「御城下の中杉下ですたい」おしんもつい薩摩弁になる。
「ほおお」と感心する進一郎に構わず、新兵衛は、
「おしん、これでは小さい。いつもの湯呑を貸せ」
「はい」
新兵衛は二人の会話など興味はなさそうで、無遠慮に割って入る。
「それからこれも二、三本」と、次の酒も頼んでおく。
「はい、かしこまりました」
「どうだ、進一郎、祝儀の効き目はてきめんだろう」
「いや、あれは祝儀のせいではごわせん。俺のことば懐かしがっておるんでごわす」
「こいつ、図々しい」
新兵衛は笑い飛ばすが、しかし、意外にも、酒をもってきたおしんは、
「あなた、田淵さまのご子息さまではございませんか」
「うん、おれは田淵の進一郎じゃが」
「ああ、やっぱりそうでございますとな」
「おはんは誰か」
「わたし、御本家で働かせていただいておりましたお金の姪でございますたい」
「うぉー、それは奇遇じゃ。ま、ま、掛けい」
進一郎はおしんのために椅子を寄せる。
「ああ、そうか、おはんはあの、お金婆の姪か、いや、うーん」
「進一郎、これは二朱銀一枚では安かったのう」
「いやいや、人間はいつどこで誰にあうかわからんものでごわす。いやあ、そうか、懐かしいのう。ま、ま、まあ、まず一杯飲め。そうかあ、」
言いながら進一郎はおしんに酒をつぐ。
進一郎が盛んにおしんに話しかけている最中に、
「いらっしゃいませ」
ひとりの男が入ってくる。女中がすぐ、
「何にしましょう」
「酒だ」男は壁際の席に座り、ぶっきらぼうに返事する。

「おしん、俺にもちと酌をしろよ」と、新兵衛。
「はいはい。今夜はずいぶん召し上がりますとな」
「召し上がっては悪いか、ふふふふ。ん、いつの間にか静かになったな。もうそんな時刻か」
店の中から人が消えているのを新兵衛が気づく。
「四つ時過ぎると町人衆のお客様たちには帳場でそっと耳打ちしますけん、みんな帰りなはります」
「それはまあ、しかし、気の毒だな」
四つ時までは町人も自由に出入りさせておきながら、四つ時を過ぎると侍の、しかも特定の藩侍に向けた店になる。それはすなわち幕府の役人の目をはばかる店であったということは容易に推察できる。店で働くものも、それを承知の心構えがあるのだろう。
「いいえ、そのかわり、宅などこのように薩摩さま、土佐様の御贔屓になっておりますけん、同じ商売でん、肩身が広うございますたい。当節は薩長の方でなければ夜も日も明けませんですたい。風呂屋の中でさえ、薩摩鞘(さや)かや土佐柄(づか)か、と歌っているご時世でございますけんな」
「こいつ、小娘のくせをしていやに油をふっかけるぞ。おい、進一郎、この手に乗るなよ」
「いや、このおなごは正直者でごわす。お金婆あも、いたって正直者でごわしたで」
「こいつ、もう乗ってやがる」
「いやあ」
先ほど入ってきた侍、会津の役人が、さっきから彼らの会話に耳を傾けていた。

そのうち、女将が、
「いつもの座敷が空いたからどうぞお移りやしたらどうどす」と勧める。「いや、今夜はそうもしていられない。ここでよい、ここでよい」という新兵衛に、女将はなおも、
「まあ、いいやおへんか。あちらでゆっくりおしやすな」
「そうおしやす、そうおしやす」と、おしんも勧める。
「では、移るとするか」
そういうことになって、一同席を移ろうとしたのであるが、そこで進一郎は床に落ちていた小さな帳面に気づいて拾い上げる。
帳面を目にした進一郎の顔が変わる。そして座敷に移った新兵衛に、帳面と、おそらくその持ち主である隅の男を指さす。新兵衛は帳面をちらりと見て机にそれを投げ出す。

それから、新兵衛は男に声をかける。
「おい、そこなお侍」
男は返事をせず酒を飲み続ける。新兵衛はまたも言う。
「そこの会津のお侍」
いぶかしげに振り返る男。
「は? 拙者?」
「貴公、何か落とし物はないか」
「は?」と男は自分が帳面を落としたことに気づき、狼狽する。
「あ、それは、」
すわ、と身構える進一郎を新兵衛がいなす。
「なんだ、進一郎、獲物を探し当てた狩り犬みたいに、その顔はなんという顔だ、ははは」新兵衛は続けて、おしんに、
「おい、おしん、ここでひとつ薩摩鞘かや土佐柄か、と、大きな声で歌ってみせろ、ははは」
そっと袖をひくおしんに、
「なに、会津のお役人に遠慮せよというのか。かまわん、かまわん。会津様は二十八万石の大大名だ。縛られるにしても縛られ甲斐がある、のう、進一郎」
立ち去ろうとする会津の役人。
「ん? 帰る? 誰が? おい、会津のお侍!」
新兵衛の声が飛ぶ。
「いや、拙者、他に所用がある。それに何か拙者を藩の隠密とでも思ってみておられるようだで、いや、それにせっかくの御酒を妨げてはならんと思うから」
「いや、そうおあわてなさるにはおよばん。ひとつ献杯を。いま貴公が帰られると、この若い田舎侍は何か帰り道に手配りされるのではないかと思ってびくびくする」
進一郎は、はやる心と同時にいささかとまどう。新兵衛はここでさりげなく進一郎をけしかけているのである。会津の役人は、
「いや、まったく拙者は所用がある。失礼した。ごめん」と、そそくさと立ち去った。
「進一郎」新兵衛は抑えた声とともに合図をする。
一瞬、息を飲んだ進一郎だが、即座に刀をつかみ男を後を追う。
「田淵さま、田淵さま!」
おしんの不安な声のあとに、押し殺された悲鳴が聞こえる。ややあって、進一郎が崩れ折れるように居酒屋に駆け込み、叫ぶ。
「水、水! 水だ!」
おそらくこれは進一郎初めての人斬りだったのであろう。さし出された柄杓から進一郎はむさぼるように水を飲む。

「どうだ、人心地は着いたか」
居酒屋を出て帰る道すがら、新兵衛は進一郎をからかう。
「はは、極意の三方も当てにはならんな」
そこに、思いがけなくお千加の姿を見る。
「や、お千加どの」
「まあ、田中はん」
「座敷帰りか」お千加はうなづく。
「女の一人歩きは危ない。送ってしんぜよう」
「おおきに。けど、」
「まあまあ、遠慮はいらん。おぬしとの道行なら新兵衛、千里を遠しとせず、というぞ。ははは」と、ここで新兵衛は進一郎の存在を思い出し、
「あ、こいつは薩摩の端から出てきた山猿じゃ」進一郎はぶすっとする。「進一郎、何をぼんやりしている。挨拶せんか」
「おいどんは、いや、拙者は、薩摩の出身の田淵進一郎でごわす」
お千加はゆっくり頭を下げる。
新兵衛はそれにかまわず、
「こいつ、変に硬くなって。さ、お千加どの、行こう」
そのまま何が起こるでもなく、花の夜、新兵衛は進一郎とともにお千加を送り届ける。
お千加に惚れていても何もできない。
それが人斬り新兵衛の唯一の弱みであった。

朝。
一方、お千加のいないところでは新兵衛の骨頂はやはり剣。自らの魂ともいうべき名刀、奥和泉守忠重を手にするときは目の輝きが違う。進一郎もその刀にほれぼれとみとれる。そこは薩摩攘夷派のねじろ。新兵衛が進一郎を連れていったのであろう。
「ちっとみせてたまわせ。銘はなんでごわすか」
「奥和泉守忠重(おくいずみのかみただしげ)」
新兵衛が誇らしげに言っているところへ、
「ああ、また刀の自慢か」と以蔵がやってくる。
進一郎の手から忠重を手にとって
「しかし、羨ましいなあ。おれもこの刀で一度暴れてみたいなあ」
「そうは問屋がおろさん。田中新兵衛、命にもかえがたき魂だ」

奥では、男たちが碁を打っている。そこで給仕をしている少女お幾に女川が声をかける。
「お幾坊」
「はい」
「目をつぶって」
「あら?」
「おお、よう似合う」
女川は幾に簪を挿してやったのである。
「女川はん、これ?」
「気に入らんか」
「まあ、うちにくれはるの?」
「うん」
「すんまへん、おおきに」
「おぬし、なかなか女の子には親切だな」
「いや、いま縄手通りを歩いていたらちょっと目についたもんだからな」「いやあ、なかなかわれわれには目につかんもんだよ」
「おぬしといい、出雲路といい、優形はやはり目のつけどころが違う。おなごはんにもてるのも当たり前だな」
「何をいうか」
「出雲路は、そうだ、祇園の、」
「うん、たしか、お千加とかいったな」

そこへ以蔵が入ってくる。
「出雲路のやつ、女子供にうつつをぬかして道場方の訪問もなまけてやしまいな」
誰も返事をしないでいると、出雲路があわただしく入ってくる。
「おい、田中、きょう姉小路卿が勝と会見するというんだ」
「どこで会う?」
「鹿ケ谷の寮だ」
「おぬし、どこで聞いた?」
以蔵も血相を変える。
「武市先生のところに知らせが入った」
「で、時刻は?」新兵衛が問う。
「八つ半頃だ」
「八つ半? でかけよう」

鹿ケ谷の寮にて。
勝麟太郎と姉小路公知が向かい合っている。
「かねがねうわさには聞いていたが、なるほど勝、君は弁舌といい、才気といい、なかなかの曲者らしいな」
「いや、これは恐れ入ります」
「わしは君に騙されんようにと、道々、眉に唾を塗りながら来たのだ」
「はは、近頃はそうおっしゃるお公家様のほうが曲者ですよ」
「勝、幕府の開国論者の君から招きを受けて、逃げるのは卑怯と考えて諸有志の諫めるのも聞かずこうして出てきたが、わしはあくまでも攘夷論者だぞ」
「よく存じております。しかし攘夷と仰せられ、またわたくしは開国と申し上げますのは、畢竟、それみな皇国を思う誠から出ずるもので尊王の大義にはいささかの変わりがないものと固く信じております」
「では、聞くが、幕府の開国論ははたして尊王の大義に基づくものか、異国を恐れ、異国に媚び、しかもおのれ自らの命を一時でも長く保たんがためのものではないか」
「なんと仰せられます?」
そこへ、姉小路に来客があると告げられる。
「田中新兵衛他二名が御面接いたしたき由にございます」
「しばらく待たせておけ」
「は」

座敷の中で再び、姉小路と勝との会話が再開される。
「勝、わしは率直に言うぞ。君は幕府の禄を食んでいる身。ささすれば君の開国論もしょせんは幕府のためのものであろう。幕府を助けんがためのものとしか、これには思えん」
「いや、麟太郎、縁あって幕府の禄を食んではおりますが、現今の内外の情勢はそんな小さなことにこだわっている場合ではないと考えます。私は決して異国を恐れるのではなく、また攘夷を避けるのでもございません。真の攘夷を断行いたすためにはまず国を開き、徳川三百年の鎖国の夢から目覚め、異国から学ぶべきは学ぶ、捨てるべきは捨ててこそ、皇国の守りも泰山の安きに置くことができるものと信じております」

姉小路と勝が会談している一方で、田中新兵衛、以蔵、出雲路たちは別の部屋に通される。
しばらくして
「お待たせいたしました。どうぞ」
女中に案内されて廊下を歩くところで、三人は帰ろうとしていた勝に会う。
勝はすぐ三人を認めて、
「おお、うわさに聞いていた元気のいい攘夷党の先生たちだな」
出雲路が、「拙者は、拙者どもは、かねがね貴公にお目にかかっていささか御意を得たいと思っていたのだ」
「おお、そうかい。しかし、きょうはわしは少し用事がある」
「そうおっしゃるのは逃げる算段だな」以蔵が挑戦的に言う。
「いや、逃げはしない。しかし、結局水と油では話しにならん。いずれまたお目にかかる機会もあるだろう。では」
そのように廊下で勝と言葉を交わしたあと、三人は姉小路と会う。

姉小路は三人に言う。
「勝が余に、摂津兵庫で海の備えを臨検せよという真意は、おそらく天保山、畑野浦、小名浜、堺などの砲台や海軍訓練所などの状況を目の当たり余に見せてやがてはそれをもって余に開国論を説かんとする底意であろう。その底意を知りながら、ゆえもなくその申し入れを退ければ、あれ見よ、姉小路の攘夷論は実情に即せぬ空論だと、かれら開国論者どもから後ろ指をさされても仕方あるまい。余としても空論家にはなりたくない。勝は余のために幕府の軍艦朝陽丸を用意するとまで申している」
「では、すでに御内諾を?」
「うむ、余は参るつもりじゃ」
「そのご巡検、新兵衛いささか腑に落ちかねまする」
「なんと申す?」
「なにがためのいまさらのご巡検?」
「いや、拙者もその点、いささか合点がまいりかねます」
以蔵も新兵衛に同意する。
「では、そちたちは余を疑うのか」
「おそれながら、折り入って、お願い申し上げたい儀がござります」
出雲路が言う。
「何事じゃ」
「そのご巡検の供の中にぜひともこの源三郎をお加えくださいますよう。まげてご承認のほどお願い申し上げます」
「そちたちが余を疑うのなら、ま、なんとでも気ままにせい。余はあえて拒みはせぬ」

祇園、松屋にて
「あ、お千加はん、まだお座敷あきまへんのどすか」
「へえ」
「出雲路さんら、見えてますえ」
「あら」
「はよ、お座敷もろうてやす」

座敷では、出雲路、以蔵、新兵衛が話し合っている。
「なあ、出雲路」以蔵は出雲路に酌をしながら言う。
「姉小路卿のお供を俺にまかしてくれないか」
「どうしてだ」
「ま、姉小路卿のことだから、絶対にそんなことはないと思うが、なにしろ相手は曲者の勝だ。万一ということがある」
「だから俺はそのために随行を志願したのだ」
「しかし、その、」
「俺の供では信用ならんとでもいうのか」
「うーん、いささかなあ。竜馬の説に耳を貸すおぬしだからなあ」
「おい、以蔵、少し言葉が過ぎやしないか」
新兵衛が以蔵をたしなめる。
「それじゃ、出雲路も可哀そうだ」
「しかし、竜馬は勝に説かれてその口車に乗って幕府の傀儡になっている男だ」以蔵の言葉に出雲路は反発する。
「そりゃあ酷だ。彼の開国論もわれわれと方向こそ違え期するところはただひとつ、王政を復古せんがためだ」
「いや、竜馬は裏切りものだ」
「まあまあ、内輪もめはよせ」新兵衛がとりなす。
「この話はおれに預けろ。姉小路卿のお供には俺がついていく」
「では、もし姉小路卿が勝に説かれて変節をしたら、おぬしどうする?」以蔵は新兵衛の顔を覗き込む。
「ん?」新兵衛の顔がとたんに険しくなる。
「そのときは、一刀両断だ」
「ようし、おれもその説だ
」二人の話を聞いて出雲路は穏やかに言う。
「いや、それはいかん。すぐ刀に訴えるようでは攘夷も単なる暴論になる。たとえ姉小路卿が説かれても防ぐ手段は他にいくらでもある。とにかく足取りを見る必要がある」

店先では、入ってきた女川に、
「まあ、女川はん、おめずらしおすな」女将が声をかける。
「ああ、しばらく」
「まあ、どうぞ。ごゆっくり」

座敷では男三人がなおも議論を重ねている。
「なあ、田中。兵庫行きは俺にまかしてくれ」と、改めて言いつのる出雲路に以蔵が強い口調で言う。
「おぬし、なにかというと待てのなんのと、昨今のおぬしの態度はじつに軟弱だ」言われて出雲路はむっとする。
「軟弱? なにが軟弱だ」
「軟弱だ。噂によると、おぬし、女に惚れてるとかなんとか。うう、実に軟弱極まる」
「もういい、よせ、よせ」と新兵衛。
お千加に惚れている新兵衛も耳が痛かったのかもしれない。
そこへ女川が加わる。
「よう、女川」
「おぬし、あまり帰りが遅いのでのこのこやってきたよ」女川は相変わらずのんびりした風で出雲路に話しかける。
「春宵(しゅんしょう)一刻値千金。わしもたまには酒の香が恋しゅうなってな」
そこへお千加と女たちが
「こんばんは」と言いながら入ってくる。
「おおきに」
新兵衛の顔がほころぶ。
「お千加どの、遅いぞ、遅いぞ」
苦虫をかみつぶしたような顔で以蔵が女川に聞く。
「お千加ってこれか?」
「うん」
出雲路の横に座った女が心得たというふうに、
「お千加ねえさん」
「え?」
新兵衛の横に座っていたお千加がけげんな顔をする。
「うち、代わりまひょか」
「あら? ええわ」
お千加は恥ずかしそうに答える。
その顔を見て新兵衛が何かを察する。
女はにやりと笑いながら、
「あとで怒らんといてや」
そして出雲路に向かって、
「出雲路はん、すんまへん」
「出雲路、おぬし、お千加どのと?」
愕然とする新兵衛。
「あら、田中はん、知りはらしまへんの」
言われて、新兵衛はかろうじて自分を取り戻す。
「ははは、こいつ、おれに断りなくお千加どのに惚れるとは、けしからん」
以蔵が気が付いて冷たい声で言う。
「では、おぬしもか?」
以蔵と女川は新兵衛を見る。
「うそだ、うそだ。ははははは」
新兵衛は笑いながら酒を飲み干す。
「ははははは」

その夜、夜道を一人歩く新兵衛。夜泣き蕎麦屋を見て、
「もうおしまいか」
「あ、へい」
「冷やで一杯くれんか」
仕方なく、蕎麦屋は新兵衛に酒を出す。
「おまっとうさんです」
飲み干して、新兵衛は金を払い、立ち去る。
「おおきに」

新兵衛は失恋した。

文久三年四月下旬
姉小路公知摂海一帯の防備状況を巡検し
初めて様式兵器並びに兵術の真髄に触れ、
同五月上旬帰洛す

姉小路宅で、勝が訴える。
「軍艦の速力、砲台の設置、弾丸の威力などいずれも先日のご巡視によって十分ご納得のこととは存じますが、あれでも西洋のそれに比べまするときに、残念ながら、いまだ遠く及ぶことではございません。ただいたずらに攘夷を口にする浪士の輩が何と申しましょうとも、世界の態勢はすでに開国の機運に向かっております。日本はもはや日本のみの日本ではなく世界万国の中の日本にならなければなりません。今こそ国民全体がみな等しく心をひとつにして進まねばならない時でございます。この国家存亡の時にあたり、あくまでも攘夷論を固守なさるのは一部過激なる浪士どもをお恐れあそばされてのお心かと拝察つかまつります。麟太郎、お願い申し上げます。日本国のために、やがて来るべき新しき日本国のために、この勝と共にお命をお捨てくださいますよう、幾重にも、幾重にも、お願い申し上げます。もし私ども両名の命によってこの日本国が新しく生まれ変わりますならば、この身ひとつを捨てることこそ男子たるものの本懐ではござりませぬか」
は姉小路に心からそう訴えた。

嵐山 渡月橋、旅の夫婦。
「あれが渡月橋だ」
「桜のころはさぞ見事でしょうね」
「うん、京の嵐山と歌にさえ歌われる名所だ。あの山一帯、花見客で一杯うずまるそうです」
夫婦連れが歩き続けていくと、侍がとどめる。
「これこれどこへ行く?」
「はい、大悲閣にお参りに」
「そっちに脇道がある。そのほうへ通れ」
「この道を通りましては、」
「仔細があるから遠慮しろというのだ」
「へ、すまんこってした。おい、あかん、あかん」
夫婦連れはおとなしく引き下がる。
見張りに立っていたのは攘夷党の仲間であった。
「おい、まだ寄合は済まんかのう」

奥のほうでは攘夷党の男たちが集まっていた。新兵衛が女川に何か詰め寄っている。女川はとまどいながらもきっぱりと言う。
「知らん、わしは、知らん」
「同じ屋根の下にいながらおぬしが知らんはずはない。もし姉小路卿の変節が事実なら、大半は出雲路の責任だ」
「あいつが何のために摂津や兵庫くんだりまでついていったと思う?」
新兵衛に続いて以蔵がさらに女川を責める。
「そんなことまでわしが知るかい。そんなに疑うんだったら、なんで今日の会合に出雲路だけ省いたんだ」
「変節の疑いあるものを呼べると思うか」
続いて、わけ知り顔で進一郎が言う。
「姉小路卿が幕府方に買収されとるという噂があるぞ」
「近頃幕府方の経済が急に厳重になったのもそのせいだろう」
「もはや姉小路の変節は疑いなか」
女川はどうあろうと出雲路をかばっている。
「おぬしたちは、おぬしたちはそれをみんな出雲路の責任だというのか」
「そうとしか考えられん」
「それじゃあ、あいつがかわいそうだ」
以蔵が女川につかつかと進みよる。
「なにがかわいそうだ? それは出雲路がだな、道場方の訪問を怠っていたからだ」
会合の決がとられる。
「では、出雲路自身はどうする?」
「除名すべし」
「やむなし」賛成、賛成、の声があがる。
「じゃあ、姉小路は?」
新兵衛が立ち上がる。
「俺がひきうける」
「うん、姉小路やるべし!」進一郎が即座に賛成する。
「ふふふ、こいつ、いっぱしの志士きどりでいやがる」
「田中、それは俺にまかせろ」以蔵が新兵衛に言う。
「散れ、散れ」
そこへ見張りの侍が抑えた声で知らせる。

散ってから歩いていると新兵衛は出雲路がやってくるのを見つける。
「出雲路、姉小路卿の一件、もはやきさま弁解の言葉はあるまい」
「おぬしらの推量どおり、今度の兵庫、大坂の巡検の結果、姉小路卿はとうてい攘夷の行われ難きを悟ったのは事実だ」
「きさま、それだったらなぜ最後の手段をとらなかったのだ」
出雲路の着物の襟に手をかける新兵衛を女川が遮る。
「貴公のほうが強いのだから。手荒なことをしてはいかん」
「うるさい、ひっこんでろ」
「乱暴しちゃいかんぞ」女川の声を無視し、出雲路の襟をつかんだままなおも新兵衛は迫る。
「貴様の本心を聞こう」
「姉小路卿の考えが変わったのは変節じゃない。思想が進歩したのだ」
「貴様までもが変節したのか」
「待て、田中。姉小路卿は将来幕府を倒す場合に是非働いてもらわねばならんのだ。われわれが現在主張するのは攘夷でもその最後の目的は幕府を倒して再び王政の昔に返すにある。田中、そのときだ。そのときには姉小路卿はぜひとも働いてもらわなければならん人なのだ」
女川が出雲路に賛同する。
「そうだ、そのとおりだ」
「うるさい、また理屈をいう」
出雲路は必死になって言う。
「田中、頼む。姉小路卿のことはしばらくおれにまかせてくれ。な、頼む」女川「出雲路もああ言っている。かれとしても考えがあってのことだろう」「考え? 考えとはなんだ?」
「姉小路卿に反省を求めるのだ。姉小路卿をもういちど攘夷論に引き戻すんだ」
そこへ以蔵がやってくる。
「田中、やるのは今だ。おぬしがやらなきゃ、俺がやる。こいつの軟弱論なんかに耳を貸してはいかんぞ」
出雲路「なに? 軟弱論とはなんだ」
「軟弱だ。卑怯だ。二言目には待てのなんのと。貴様は命を惜しんでいるのだ」
「なんだと」
「国事を忘れて女に迷い、」
「いつ俺が女に、」
「迷えばこそだ。命も惜しかろう」
「待て、出雲路は何も女のために、」女川は必死で出雲路をかばう。
「貴様、女が大事か、同志が大事か。出雲路、刀にかけても貴様の決心の程を見せろ」以蔵の意を察して、女川がゆっくり以蔵に近づく。
「以蔵、おぬし、まさかお千加さんを、」
「そうだ」誠を示すために女を殺せという以蔵。
苦しむ出雲路の顔。
女川は、「なにも罪もないお千加さんを、そりゃ無茶だ」
「なにが無茶だ。同志百九十人の迷惑をただひとりの女に代えてそれで男一匹の面目が立つと思うか。さ、刀にかけてはっきり決心を見せろ」

姉小路宅。出雲路が訪れている。
「同志一同が各東西にに奔走して艱難辛苦いたしておりますのは、そもなにゆえとおぼしめされますか。ただ一途に攘夷を眼目とし、こなたさま並びに三条様におすがり申しあげて、」
「出雲路、それはそちの本心か」
「は?」
「余はこの目で見てきたのじゃぞ。そちとてもその目で見、その心で悟ったはずじゃ。果たして攘夷が実行され得るものと思うのか」
「い、いいえ。私のことを申し上げるのではございません。私のことはしばらくおいて、こなたさまのことを、いえ、こなたさまだけは、」
「ははは、これは異なことを聞く。では、そちは自分では不可能と思う攘夷をこの姉小路に行えと申すのか。  出雲路、そちは涙を浮かべているのう」
「は、いえ」
「そちは余が開国論に移れば攘夷の同志どものために余の命が危険にさらされる、それを気遣うているのであろう」
「そ、それは、」
「出雲路、姉小路は必ず成ると思うところにまい進して、よしそれが中道に倒れても決して悔やむものではないぞ」

薩摩派の居酒屋。
「なんちゅうてん、人間は要領じゃ」
おしんを前に進一郎が自慢気に語っている。
「おいはきょう武市先生の使いで三条卿に会うてきた。あげんええ方とつきおうていればどっちにころんだっちゅうて損はなか」
「三条さまというのはお公家さまでしょ」
「うん」
「あーた、そげんえらいお方と?」
「ふふ。なにを目を丸くしとるか。三条公というのはなかなか面白い人物じゃよ。おい、おしん、これじゃ小さい、湯呑もってこい。うん? なにを考えておるっとか。昨日にしてもおいは同志会合の席上で姉小路をやるっちゅうて頑張ったんじゃが、はなから奴め、まあまあと」
とうとうとぶっているとき、まずいことにそこへ新兵衛が入ってきた。
進一郎は気まずそうに下を向く。
新兵衛のほうはなにか考え事をしているふうで、進一郎など眼中になく、黙って隅の席につく。
「おしん、酒をくれ」
ここで進一郎が立ちあがり、とっくりをもって新兵衛のところへ行こうとしたとき、以蔵が血相を変えて入ってくる。
「どうした?」
「田中、くやしい、おれはくやしいんだ!」
以蔵は後ろを向いて柱に手をかける。
「姉小路は、今夜、開国会議に列席するという噂だ。田中。田中、おぬしが源三郎に決心を預けなければよかったんだ」
新兵衛はそれを聞いて固い表情のまま、黙って出ていく。

出雲路の宿ではお千加が座っている。出雲路が言う。
「お千加さん、やっぱり俺はみんなを説いてくる。姉小路卿はどんなことをしても殺してはならん人だ」
そこへ新兵衛が駆けこんでくる。
「出雲路、貴様、よくもおれを裏切ったな」
「裏切った?」
「そうだ、裏切ったではないか。姉小路卿は今夜、開国論者の会議に列席するぞ」
「え、今夜?」
それは出雲路にとっても衝撃の知らせであった。
新兵衛は耐えかねたように言う。
「もしここで攘夷中止のお触れが出ればなんとする。同志多年の辛苦も水の泡だぞ。貴様なぜあのときおれに任せなかった、なぜおれを説き伏せた」
「ま、待て」
「言うな! 攘夷党の存亡は今夜一夜にかかっているんだぞ。この始末はなんとする? 俺のこの面目はなんとするんだ?同志一同への申し開きに、俺の目の前で腹を切れ」
新兵衛は自分の刀を出雲路の前に置く。
お千加が叫ぶ。
「あなた!」
「お千加さん」

ややあって、
「田中、おれにいま一服の命を貸してくれ」
「貴様、この期に及んでまだそんな、」
「いや、決して逃げも隠れもせん。死ぬべき命を借り受けて、犯した罪を償うんだ」
「なに」
「おぬしの面目も必ずたてる。田中、この刀、借りていくぞ」
「貴様、逃げるか」
脇差をもって追いかけようとする新兵衛をお千加は必死になって止める。

「斬るならお千加を。お千加を身代わりにしておくれやす」
下のほうから女川の声。
「どこへ行くんだ出雲路!」
女川がそのまま駆けこんできて新兵衛を止める。
「待て、田中、女を斬ってなんとするんだ」
「どけ」
「いや。恋の遺恨で女を斬るんじゃあるまいな」
言われて新兵衛ははっとする。
女川は続けて、
「この女は出雲路のために身も心も投げ出して顧みない女なのだ。それほどまでに出雲路を愛している女を、貴様、斬ってなんとするんだ。出雲路はいまなんのために駆けだしていったと思う? どこに行ったと思う? 田中、彼としては最も殺したくない人を殺しに行ったのだ。その出雲路をこれほどまでに愛する女を、」
お千加は泣き崩れている。
力なく、新兵衛は脇差を取り落とす。
「女川、おれが悪かった。
お千加さんは出雲路の女だ。
出雲路の女だ」

御所、朔平門外。ちなみに、この映画の撮影は実際にこの朔平門外猿が辻のところで行われたという。
姉小路が帰宅途中、突然従者が斬りつけられる。
「なにもの?」
警護の侍が誰何する。
姉小路が供のものに言う。
「太刀をもて。何者か。名を名乗れ」
覆面の男が答える。
「お願いです、お許しください」
姉小路はその声で気がつく。
「出雲路か!」
「御免!」
次の瞬間、扇子が地面に落ちる。
暗殺は終わった。

出雲路と女川の宿の戸を叩く音。
「へえへえ、ただいま、ただいま。どなたはんどす」
主人が戸を開けようとする前に、女川がとっさに主人のもっていた灯りを手で打ち払って消す。

よろよろと入ってきた出雲路をお千加が支える。
お千加は状況を察して、すぐ音をたてないように井戸の水を汲もうとする。だが、内井戸のつるべはどうしてもきしんで音を立ててしまう。
女川は明日の朝食用に用意してある米のとぎ汁に気が付き、そこに出雲路の手をもっていく。
米が浸かっているその水はたちまち真っ赤に染まった。

「やったのか?」と声にならない声で女川が聞くと、出雲路はみじめな声で、
「ただ、ただ、残念なのは、俺の腕の鈍さから、新兵衛の愛刀、和泉守忠重を、」
「どうした?」
残してきてしまったのか、と、女川は察した。

会津の役宅にて。
捕獲されたその愛刀は守護代容保の面前にあった。
「しからば、和泉守忠重は、たしかに薩摩浪人、田中新兵衛所有のものに相違ないか」
「は、確かに」
「確かに彼が日頃自慢のものに相違ございません」
「なお、姉小路卿は賊にむかって出雲路か、と叫ばれたという。もはや猶予はならん。田中、出雲路、両人ともただちに召しとれい」
「は」

降りしきる雨の中、新兵衛の宿。新兵衛は仏壇の前で座ったきりである。
「まだ休まんとですか」
思い切って進一郎が声をかける。
そこへ扉をたたく音。
新兵衛は進一郎に目くばせし、進一郎は立ち上がる。戸を開けると入ってきたのはお千加だった。
新兵衛が走り寄る。
「お、どうした? 出雲路は?」
家の周りを役人たちが取り囲み始める。
「俺に罪を着せるためにその場にあの刀を捨ててきたなどとは、そんなこと、そんなこと、俺が考えるものか」
「では」お千加の顔が明るくなる。
「俺に手柄を与えようとしてあの忠重をもっていったあいつの気持ち、おれは出雲路に礼を言わねばならぬぐらいだ」
扉を叩く音。強くなる。
「開けろ!」
「田中新兵衛、神妙にいたせ!」
進一郎はとっさに刀をとって新兵衛とお千加に「行け」と合図する。
新兵衛はお千加をかばいながら階段を上る。
追手が迫る。お千加を物干し台に追いやって、新兵衛は追手と対峙しようとする。そこへ、バタバタと進一郎が駆けあがってくる。
身を挺して二人を逃そうとする進一郎。
多少の時間は稼げたが、しょせん多勢に無勢。
新兵衛とお千加は進一郎のおかげでかろうじて逃れ得たものの、進一郎が倒されたであろうことは新兵衛にはわかっていた。
息絶えた進一郎を照らす蝋燭。その上に蚊帳が落ちる。

祇園のお千加の店では、女が朋輩に向かって金切り声を上げている。
「おかあはんが、おかあはんが!」
役人の厳しい尋問を受けている、というのである。
「隠し立てをすると痛い目にあうぞ。言え、出雲路をどこに隠した? お千加をどこに逃がした?」
女将は必死に申し立てする。
「決して嘘は申しまへん。お千加はゆうべ出たまま戻りまへん。まして出雲路さまのことなど、」
近藤勇が男たちに言う。
「おい、家探ししろ」
だが、二人は見つからなかった。

とある田舎家。鶏が歩き回っている。お千加が出てきて干してあった帯が乾いているかどうか確かめる。
「まだ乾きまへんか」箒で庭掃除をしていた女がお千加に声をかける。
「へえ。えらいお世話になりまして」
「なんの、なんの。ここはお遍路の通り道。これもなにかの縁でしょう。そろそろお遍路のお仕度しましょうか」
「すんまへん」
お千加と新兵衛はどうやら着物がずぶぬれになるような状態で助けを得たらしい。お千加が着ていた上等の着物や帯は手の込んだ織物であり、ずぶぬれになったとすれば乾くにも時間がかかる。

そこへ僧侶の姿をした男が近づいてくる。
「お千加さん」
不審そうな顔をするお千加に、
「俺だよ、俺だよ、女川だよ」
「まあ、女川はん。ようまあご無事で。そうして、あの、」
「うん、出雲路か? 無事だ、無事だ。無事で大原のかまぶろにいるよ」
「まあ」
「田中は?」
「あんたはんらの様子を聞いてくるいうて、松屋へ」
「大胆なやつだなあ」

風呂敷を片手にした新兵衛が松林道を歩いている。目明しらしい二人の男があとをつけている。気配を感じたか、新兵衛は木の陰にかくれ様子を伺う。

新兵衛は寄寓している田舎家に用心深く入っていく。
「おかえりやす」
お千加が出迎える。
女川も「あ、田中」
「や、出雲路はどうした」
「無事だ。無事で大原にいる」
「よかった。よかった」
新兵衛はほっとする。
女川もはずんだ声で、
「いや、実はおれもおぬしたちを探しに出てきたんだよ」
「町の中は詮議が厳しいので一歩だって入れはせん。お千加さん、土産を買ってきた」
と新兵衛はもっていた風呂敷包みをお千加に見せる。
いぶかるお千加。中には着物が入っていた。
「まあ、これは?」
「気に入らんかの。街道筋の古着屋で、新兵衛冷や汗をかきながら見立ててきた。どっちにしてもその形ではひと目についていかんからな」
「えらいすみません」
美形の粋筋の女となればそれだけでもひと目につく。
ましてや豪華な着物を着ているとなればただではすまない。
新兵衛の気配りにお千加は胸をうたれる。
「まあまあ、とにかく急いで着替えなさい」
「へい」

戸の外ではさっきの目明しが様子をうかがっている。

女川が言う。
「田中、おぬし、出雲路を許してやってくれるか」
「え? なんだ、いったい?」
「あのとき姉小路卿はひとこえ、出雲路ではないか、と叫ばれたそうだ。その声を聞いて彼の腕はいっそう鈍ってしまったんだ」
「ああ、刀のことか。うん、お千加さんから聞いたよ。あいつは嵐山で俺の決心を封じたことから、俺の面目を立てんとしてあの刀をもっていったのだ」
「おぬし、わかってくれるのか」
「わかる、わかるとも」
「田中、ありがとう」
女川は両手をついた。
「ありがとう。出雲路に代わって礼を言うぞ」
「いや、礼は俺が言う。俺はあいつを友達にもったことを誇りとする。俺はいままで攘夷、攘夷と、わけもわからず空さわぎをやってきたが、そんな時代はもう過ぎた。まもなく新しい時代が来る」
「田中、それはおぬしの本心か」
「おれもようやく、竜馬や出雲路の言っていることがおぼろげながらわかるような気がしてきた」

外では目明しの知らせを受けて追手が迫ってきていた。

「女川、お千加さんを出雲路のところにとどけてやってくれないか」「え?」
「そしてあいつに竜馬の海軍塾に行くよう勧めてやってくれ。あいつに当分、同志を忘れ、京都を忘れさせて、新しい本を読ませてやりたいんだ」
「が、しかし、おぬしはこれからどうするんだ?」
「俺のことは心配するな。おれに代わって勉強するよう言ってくれ。おれは、おれはこれまでの時代に生きてきた男だ。あいつは次の時代に生きる男だ。それでいいんだ」
「田中、おぬし、まさか、」
「何をいう」
着替えたお千加が入ってくる。
「おう、似合う、似合う」
そう言ったあと新兵衛はすぐに
「さあ、すぐ、出かけてくれ」
「え?」
「お千加さん、あんた女川と一緒に出雲路のところに行ってください」

追手が家のそばまで迫っている。

「出雲路は大切な体です。いまつまらないことで間違っては取り返しがつきません。どんなことをしても生きて新時代の用意をしなければならない男です。お千加さん、頼みます。あなたがそう言ってください。なにも考えずに一心不乱に勉強させてやってください」
「せやけど、いま、この危ない同志の難儀を見捨てて、」
「いや、現在京都ですべきことは、新兵衛、必ずふたり前働きます。その心配は入りません。新兵衛、頼みます。あいつのことだけは頼みます。早く行ってください」
「田中はん、あんたはん、なんぞ、なんぞあんたはんの身の上に変わったことでもおきたんやおへんか」
「お千加さん、なにを心配する。田中新兵衛には薩摩藩がひかえています。大丈夫。大丈夫。決して外から手出しはなりません。さ、早く行ってやってください。遅くなってあいつに間違いでもあっては大変です」
「へえ」
「さあ、行った。女川、何をぐずぐずしている。行かんか。行ってくれ、頼む。頼む。女川、遅くなって出雲路の身になにかあったら新兵衛、一生うらむぞ。行ってくれ。行ってくれ」
「ん。わかった。行く。行くぞ、田中」
「田中はん、では、ご機嫌よろしゅう。またきっと、お目にかかれまっしゃろね」
「きっと、会いましょう。会いましょう。気を付けて。さ、早く」
新兵衛は二人のために障子を開けてやる。
去っていく二人を見送る新兵衛。
お千加は振り向いて頭を下げる。
それを見て微笑む新兵衛。

だが彼の背後にはもう追手が来ていた。
ぽとりと短刀が落ちる。
新兵衛が自刃したのであった。

何日か過ぎて、とある川岸で、小舟に乗る出雲路とお千加を、侍姿に戻った女川が見送っている。「田中の行為を無にするな」
 <終>

「田中新兵衛には薩摩藩がついてる」という新兵衛の最後の言葉の虚しさ、それがじつに切ない。テロリストと化してしまった人斬りたちにもはや藩の居場所はない。そんな彼らでも、この映画の中では、彼らも彼らなりに国を思う志士であったと言いたかったのだろう。これらのキャラクターの作り方はじつに入念で奥深い。斬られる側の姉小路と斬る側の田中新兵衛、この矛盾する人物像を、阪東寿太郎という一人の役者が演じているのだ。物語では出雲路が苦悩しながら姉小路を斬るということになっているが、このキャラクターを作り出したことで、物語の娯楽性を高めつつ、同時に勝麟太郎や坂本竜馬の言葉がうまく補完されることになった。

それにしても、これは軍事力がなければ国を守れないという現実をつきつけられる物語でもある。


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