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「義」について考えてみる【巻之拾五 武士道の7つの徳から過去を振り返る その3】
こんばんは!COLOURFUL WORKER(とはなんぞや?は追々…)の滝澤摩耶(たきざわまや)です(;・;;ω;・;;;)
・・・暑い。暑い。暑いです。
暑いから、ではないと思うのですが、今うちの冷凍庫には尋常でない量のアイスクリームが、冷蔵庫には尋常でない種類の果物が。。。笑
暑くてもしっかり食べないと体力つかないので、ご飯作りから逃げてアイスと果物ばっかにならないよう頑張ります!
さて、今日はしばらくぶりの武士道に返ってみようと思います。
まだ全然読み込めてないので浅いレベルにはなりますが、気になった方はお付き合いください(*‘▽‘)
なお、武士道における「義」は「勇」とセットで武士道の双生児と言われています。そのため、次回は「勇」に決定!笑
「義」とは
「義」は正義。侍に求められた徳の中で最も重要と言われています。
どんな状況にあっても、悪いことや間違ったことを避けて正しい行動をとること。
…ということは、わが愛しの新さんは、まさに侍の中の侍!(*´ω`*)
これは、置き換えなくてもわかりやすいのではないでしょうか?
因みに私の過去の経験で例えると、仕事のスケジュールの中で”この日は出かけたことにしちゃえよ!”というワルイお誘いをいただいた(誘った本人に悪気はなく、激務だしそういうところで少し息抜けばというお優しい気持ちだったのだと思うことにしている。笑)けど、私の中ではそれをよしとはせず断る、という感じかなぁ。笑
考えていて私は、義ってすごい難しくないか?と…
人の価値観によって”正しい行動”の定義は結構違うのでは、と思ったからです。物事の価値基準の視点によって、同じ行動が良くもなり悪くもなるんじゃないでしょうか?
じゃあ武士道ではどう書いてあるのかなと思って読んでみたところ、義はこうである!という表現がなく、何人かの人を例に挙げてこう言っている、という例ばかり。むむむ。敢えていろんな人の説を挙げるばかりで、こうだと定義づけてくれていない気がする。
そしたら、他の資料に、正義とはこうですと具体的な例を挙げてしまうことで、人がそれについて自分自身で考えなくなってしまうことを避けるために定義づけていないのではないか?という推察が書かれていた。
私もそれに同意(´・ω・`)ノ
定義があることの良し悪し
確かに、定義でがんじがらめでは何も考えずに言われたことをただやるだけになりかねない、でも定義がないのもこれまた難しい。
基準があればそれに寄せていくことはできるかもしれないけど、それがないとなると、どうやってお互いの定義を持ちながらにして近づけていくことができるのか?
多分この武士道に於いては「義」の周辺を取り巻いている他の徳の学びから得るものを通して、自然に正しいこと・間違っていることが近いところに行きつくと考えているのではないだろうか。おしえて、新渡戸さん(>□<)笑
皆さんの考える義は、どうですか?
正義ってその人の信念で、それは揺るぎないもの。「義」が武士道の骨格だという表現はピッタリ。
正義を貫けば必ず良い結果が出るとも限らないのが難しいところ(経験者は思いを馳せる。笑)。
でも、人の意見に左右されてコロコロ言っていることが変わる人よりは芯が通っている人についていきたいなと思う性格なので…
私自身も、義が体現できる人間に近づけるよう努めます。
まだ読み込めてないのでこんな薄っぺらいことしか伝えられませんでしたが…きちんと読んだ暁にはもっとちゃんとお伝えできればと思います!
もう7月も終わり!?ってことは・・・夏休みだー!!と叫びながら
巻之拾五【完】 巻之拾六へ続く