自己との対話(温泉ver)2021/12/02
自転車で2キロほど遠出をして、露天風呂がある温泉へと向かった。
平日なら温泉と食事付きで900円と、温泉にあったならば食事まで済ました方がお得にさせられる始末。
あまりにもリーズナブルであるため、週に2回のルーチンにすることが普通に可能である。
せっかくなので、ルーチンにしてみたい。
休日は混むし、食事が100円値上がりするので、敢えて平日に2回入ることを検討している。
おススメは、「月曜日」と「金曜日」だろうか?
・月曜日に楽しめることは平日の楽しみになるし、金曜日に楽しむことは、翌日が休日である文脈だと、考え事が「長期的」なものをしやすい。
20時から食事をするため、17:30には出発して18:00に温泉に着き、18:00〜20:00の2時間、温泉に入るという楽しみ方がある。
ちなみに、帰ってくるのは食事をすましたら、大体21:30になる。これくらいの「のんびりさ」がちょうど良い。
〈自己との対話の内容〉
・落合陽一の言う、温泉の楽しみ方
・落合陽一の言う、非人間的なものとの対話
・落合陽一の言う、自然の香り、哲学の香り
・対話(ダイアローグ)の本質とはなんなのか?
・知識偏重主義の改善
1. 落合陽一の温泉の活用の仕方には共感できる。
何か一つのことについて考えるぞ!と言う気分や、あるいは自己との対話を風情よく行える良い場所である。
2. 落合陽一の言う、非人間的なものとの対話、これは無機物、より言うなら自然との対話である。
ぼくは露天風呂に浸かりながら、函館の冬の寒さを感じ、自然の香りと対話した。
3. 自然との香りの対話をもう少し解像度高くやってみたいが、こういうのは回数がものを言うのだろう。つまり、毎回の自然との対話を楽しめばよいのだ。
4. 対話、ダイアローグは本当にできたならば、これほど心地よい会話というものはない。世間話でもなく、議論でもなく、蓄えた知識とそれに対する自分の考えを分かち合う。これが対話だと考えた。
5. 知識を蓄えることが多いぼくは、自己との対話が足りていないのではないかと思った。というのも、ぼくが会話をすると、知識をひけらかす形になってしまうのを、楽しくも少しは心苦しくもある。何が足りないのかを考えた時に、発言の中の知識の配分が多すぎるのと、それに対する自分の考えや、考え以上にエピソードが足りないのだと考えた。
知識を自分のものにするというのは、得た知識を温泉に浸かりながら、じっくりと考えてみる。何に使えるかとか、これはいいのだろうか?とか。
例えば、ぼくのvtuberに対する知識は、他の持っている知識とは少し毛色が異なる。なぜならば、それに対する自己との対話の数が半端ないからだ。
おそらく、ぼくがvtuberに関して話している時には、たとえ知識を話しているとしても、少しは思想の薫りが漂うはずだ。
そういうものを増やしたい。