古代マヤ暦の大切な奥義
先史時代紀元前3000年ほど前に、メソアメリカで古代マヤ・アステカ文明につながる先住民族の暮らしがあり、文明が栄えました。西暦750年頃には、熱帯ジャングルマヤの低地だけでも1千人ほどの人々が焼き畑農業をおこないながら、自然神や王のもと小集団として協力しあって文明を築きました。
考古学者たちは、メソアメリカのマヤ地域は多様な地理的条件をもっていて、地球上でもまれな場所であるといっています。そのことが実はマヤ・アステカ文明を誕生させたことに関係しています。
古代マヤアステカの世界観や暦体系を学び知るということは、古代先人たちが築き上げた生活や信仰、古代人の自然観や子育て、共同体の規則や約束事、智慧を、時代も地理的環境も国も思考もまったく異なる日本人の私たちが、古代マヤ先住民の暮らしを「疑似的に体験する」ということになります。暦体系や計算式などを学んで語るということは、天体観測を記録し続けた古代マヤの神官たちの天の知識の集大成を、今でいう偉大な天文学者や研究者、宇宙物理学博士たちの論文や諸理論を学びを享受するということと同じということです。
古代マヤの世界観と奥義
私はセミナーやマヤ暦を学ぶ生徒さんたちにいつも言うことがあります。
それは「マヤの世界観はどういうものかをまず学ぼうとすることが大切」ということです。一口にいうことはできない「古代マヤ・アステカ文明を築いた先住民族の叡知であり奥義であるところのもの」です。
古代マヤの暦や世界観を学んで、それについて語りあう、あるいは占術として体系を構築したものをシェアし合って活かしていくということは「マヤの奥義に命を吹き込むこと」であり「音楽や絵を創造していく芸術的な営み」であるのだと私は思っているからです。
たとえば一流の作曲家であれば、一小節のメロディーであろうと、たった一つの音の音階の流れや強弱であろうと、まあいいか、的に手を抜くことなどないですね。曲に命を吹き込んでいるからです。
あるいは一流の建築家であれば、建造物に命を吹き込むために素材やデザインを考え、神殿としての風格を表現したいのか、機能性に神話性をどう組み込ませ、光と影をどうコラボレートさせたら美しく見えるのか、全体的なイメージとパーツパーツのイメージ一つ一つに建築家の息吹がかかっていて世界観が現われています。
古代マヤ暦にはそういった壮大な宇宙の世界観がちりばめられているのです。