「先生はみんなのことをずっと見守っています」のずっとって、いつまで?
歌も呼びかけもない、さみしい卒業式と思ったけれど
ポカポカ陽気から一転、冷たい風が吹き荒れた3月の終わり、子どもが小学校を卒業した。
コロナウィルス対策のため、在校生の花輪のアーチをくぐることもなく、保護者の参列もなく、歌も呼びかけもない卒業式。
わたしたち親も残念な気持ちをぬぐい切れず、せめて校門のところで記念写真を撮ろうと、式の終わりに合わせて集まっていた。
式の後、ランドセルを背負って校舎から出てきた子どもたち。なんとなくクラスごとに集まって、お別れのひととき。用意していた花束と寄せ書きを担任の先生に渡して…先生から最後のひとこと。
先生の最後の言葉は…(要約するとこんな感じ)
「みんなと出会って、6年生という大事な1年間を一緒に過ごせたことに感謝しています。」
ざわついている子どもたちを前に、張りのある声で話しはじめる。
「先生はこれからもずっとみんなのことを見守っています。これからいろんなことがあると思うけれど、もしも何か困ったときは、いつでも相談してください。」
ここで一息。
「いつでもっていうのは、先生がほかの小学校にいっても」
「先生が、死ぬまで。」
お祝いの言葉をお守りに、羽ばたいていけよ
正直、12歳のころのわたしだったら、「熱血教師ってやつー?」なんてひいちゃっかもしれない。でも44歳のわたしはシンプルに感動してしまった。
だって「死ぬまで」この子を見守ろうとは、親のわたしだってあんまり思っていなかった。小学校の卒業式を迎えて、やれやれこれで子育ても折り返し地点。そんな気持ちでいたんじゃないか。
子どもたちは卒業式の雰囲気にちょっと浮足立っていたし、先生の言葉がどれだけ響いたかわからない。でも、「死ぬまで見守っているから」と大きな声で堂々と約束した先生の心意気に、少なくともわたしは胸を打たれた。
その約束が守られなくても、全然いい
先生だって一人の人間だし、自分の人生がある。だから、その約束は守られないかもしれない、と大人になったわたしは心のどこかで冷めている。
子どもたちの気持ちに共感できる若さと、一緒にかけっこができる体力と、トラブルを収められる経験とを兼ね備えた時期は、教師人生の中でも限られているはず。一口にいい先生だったねというのは簡単だけれど、タイミングや条件も含めて、すべてが一期一会だ。
20年たったら、教え子の顔と名前だって忘れているかも。親の介護が大変だったりして、相談に乗ってるどころではないかも。未来は誰にも約束できない。
でも、言葉にはすごく力があって、ときに人を縛ったり守ったりする。
今、ヒバリの子みたいに固まって別れを惜しんでいるこの子どもたちのだれか一人でも、いつかつらいときに「見守っているよ」という言葉を思い出して、孤独の淵のギリギリのところから帰って来られるかもしれない。
やさしい嘘は、自転車の練習と同じ
それは、自転車の補助輪を外す練習をするときに、大人が自転車の後ろを支えてくれるのと似ている。
だんだんとバランスがとれるようになってくると、後ろで支えている大人はそっと手を放す。
「まだ手を放していない?」
「放していないよ」
「まだ手を放さないでね」
「放していないよ」
そんなふうにしてあるとき、風を切って自転車をこいでいくのと似ている。
卒業おめでとう
歌も呼びかけもない、在校生の見送りも、保護者の拍手もない、さみしい卒業式と思ったけれど。
その日は冷たい風がビュービュー吹いていて、体は凍えそうだったけれど。あったかい卒業式だったね。
お祝いの言葉をお守りに、羽ばたいていけよ。
卒業おめでとう。
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