ご報告「さっぽろ市民文芸の集いに参加してきました」
大変有り難いことに、初めて応募した「さっぽろ市民文芸40号」小説部門にて「さよならピンターダ」という作品が優秀をいただきました。
去る12月2日、札幌カナモトホールにて「さっぽろ市民文芸の集い」があるということで、ドキドキしながら参加してきました〜!
繊細なチキンハート(え?)のため、友達と参加です。「誰でも参加していい」と謳っている割に、友達と参加してる方は、見渡す限りわたしだけ。さては、みんな友達居ないな?笑
そして思っていた以上に年齢層が高めで、正直、非常に場違い感がハンパなかったです。まぁ全く気にはしませんが。(チキンハートは何処)
今年の小説応募数は42編だそうです。入選しといてアレなんですが、書いている人、もっとたくさん居ると思うんだけどな。知らなかったのかな。
個人的な感想なのですが、Xを眺めていると、他の札幌市民芸術祭のなかで、なんとなく、文芸部門は窓際感ある。敷居の高さなのか、周知の問題なのか…。とりあえず、もっと応募してみんなで盛り上げようよ〜!と、それまで一度も市民文芸を買ったこともないのに、偉そうにも思いました、ハイ、すみません。
受賞者のお名前の読み上げが終わると、記念講演がありました。北海道文学館館長のお話。友達は隣で舟漕いでましたが、わたしは亡き祖父が出版関係者だったので、非常に興味深く聞いておりました。
戦後、東京などの中心部では紙が無く印刷所も焼かれていたこと。だから大手出版社が、札幌にこぞって疎開してきたこと。最大で125社もの出版社が札幌に軒を連ねていたこと。亡き祖父の生きた時代や、働く姿を思い浮かべながら、有り難く拝聴しました。
その後の部門ごとの集いでは、選評委員の方から直接書評をいただきました。非常に緊張していたのですが、友達が居てくれて心強く、かつ委員の方の雰囲気が優しく面白くて、お言葉ひとつひとつをリラックスして噛み締めることが出来ました。
ひとりひとりの作品毎に直接書評が聞けて「選ばれるポイント」みたいなものを、記録的にまとめました。わたし個人にも色々とお言葉をいただいたのですが、それは次作以降で返上していくということで笑、ここでは差し控えまーす(ずるい)
① 文体だけで「この人だ」と分かる文章は強い
万房一己さん、ひぐまさん、をじろうさん。昨年と今年に共通して入選している方の文章を読むと、独特の文体があって確かに「この人だ!」と分かる。これってその人の「匂い」みたいなもので、個々人の癖なんだと思う。恐ろしく癖の無い作家さんも居るし、わたしもどちらかと言うと癖の無い無味無臭の文体を目指していたのだけれど、やっぱり文体だけで「この人だ」と分かる文章は強いし、ファンが出来やすい。そりゃね、わたしだってファンになったわけだし!ただ自分の体臭に気付かないように、自分の文体って自分だからこそ捉えられない。そこも課題。
② 定められた枚数めいっぱい書く
市民文芸の小説は40枚が規定枚数だったのですが、26枚で通った方が居たそうです。「26枚で伝えられるなら、それはそれですごいじゃん」と思ったのですが「やっぱり枚数は上限使って欲しい」と選評委員の方は仰っていました。ショートショートや短編に明確な決まりが無い以上、選ぶ側は規定枚数マックスで書いてきてくれた方が、賞に対する本気度が伝わるということなのでしょうか。日本人的といえば日本人的。
③ タイトルはやはり大事
「タイトルが普通すぎて惜しい」と仰られていた作品がありました。そりゃあ「僕は勉強ができない」が「勉強ができない僕」だったり「無線優雅」が「お金がないけど優雅」だったら手に取らないかもしれない。(いえ山田詠美先生の本はどんなタイトルでも買いますが)
作品の雰囲気を決める、歌詞のサビみたいな存在だから、耳に残るタイトルを考え抜いてつけましょう、ということ。
④ 読者の視点を置いてきぼりにしない設定
設定が少し苦しい、というお言葉がありました。市民文芸の小説部門はおそらく、ファンタジーなどの話は通らない気がする。それが門戸の狭さにも繋がっている気がしないでもないけれど、現実世界を設定とした場合「現実的に考えてそれは無理があるよ」という話の繋がりは、どんなに文体が上手くてもそこが気になって入ってこない。夏なのに雪が降るような、読者を置いてきぼりにしない設定で足場を組むこと。
⑤ 自分を曝け出し、切り刻み、血を流して書く
これはとても刺さりました。確かにわたしも「コレって自分のこと?」と良く聞かれます。自分のことと言えば自分のことだし、自分のことじゃないこともたくさんある。それがなんとなくこそばゆい、と言う話に選評委員の方は「そんなの無視無視!みなさん完璧じゃないんです。だから、自分を晒けだして、自分を切り刻んで血を流して、書いてください」って…。刺さるどころかえぐられましたヨ…
村上春樹先生が小説を書くとき「自分の地下二階に降りて行く」と言う有名なお言葉。なんとなく格好つけて書いてるうちは、多分地下にすら降りられてないのだと思う。深く深く自分の声に耳を傾けて、自分の経験を繰り返し咀嚼して、見たくない穴を何度も覗き込んで。そうやって、書いていこう。
以上、スキなことを書きましたが、来年も集いに行けるように精一杯、精進致します。読んでいただき、ありがとうございました♪
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