
小説「笹原部長の副業」
土曜日は朝から快晴だったので、僕は心の中でガッツポーズをした。
「今度の土曜日さ、遊園地に行こうよ」
僕はぎこちなくならないよう、出来るだけ自然に、アユミを誘った。先週のことだ。
「いいね、あそこのフォカッチャまん、食べたかったんだ」
食いしん坊なアユミは、すぐに可愛いスタンプで返信をよこした。
"それ"は十二時に開始予定だった。場所は遊園地の広場。僕は時計を見たい気持ちを必死に抑え、広場の屋台でフォカッチャまんを買った。
「お昼前だけど天気もいいし、広場で食べようか」
アユミを広場へと誘う。広場に着くと空いているベンチにアユミと腰かけた。ちょうど広場全体が見渡せる噴水前の、とっておきの位置だ。勿論これも、計画通り。
アユミは同じ大学の同期で、僕が猛アタックして交際にこぎつけた。付き合って、もう七年になる。アユミは可愛くて優しくて、ちょっと食いしん坊だけど料理上手で、僕には勿体ない彼女だ。
「気持ちいいねぇ」
晴れわたった空を見上げて微笑むアユミが、とても愛おしかった。その時ちょうど、十二時を告げる時報が鳴った。
突然、音楽が鳴り響く。アユミの好きなポップミュージック。広場を歩いていた一組の男女が、僕らの前に来て突然、歌い出す。
「はじめて会ったときからぁ~目が離せなかったぁ~」
「えっ、なに?」
キレのあるダンスを踊りながら歌う二人組に、戸惑うアユミ。何かのショーが始まったかと思ったのか、人が集まってくる。みんな思い思いに僕らの前で歌って踊る二人組を、楽しそうに眺めている。
集まってきた人の中から、また何人かが飛び出してきて、突然踊りはじめる。わっと、歓声があがる。ダンスメンバーは、どんどん増えていく。子どもを連れていたお母さんだったり、カップルの彼氏だったり、親子連れのお父さんだったり。さっきまで雑踏にまぎれて遊園地を楽しんでいたお客さんが突然、愛の歌を歌いながらダンスを披露してくれる。最高だ。
ふと、腕を振り回して踊るおじさんダンサーから、僕は目が離せなくなった。
…まさかな、いや、でも笹原部長に似ている。
営業企画部の笹原部長は、社内でとても人気があって、僕も好きな上司のうちの一人だった。真っ直ぐ伸びた背筋、清潔感あふれるスーツ姿、いつもぴかぴかに磨かれた靴。仕事ぶりも好きだ。多くを語らないけれど指示は明確、困ったら助けてくれるし間違えたら一緒に謝ってくれる。笹原部長の高い好感度は、人事部にいる僕にまで届いてくる。
その笹原部長に、よく似たダンサーが居る。よりによって、今、目の前で踊っている。
隣のアユミを見ると、アユミもその、笹原部長によく似たおじさんダンサーを見ていた。僕よりもうんと、怪訝な顔をしている。
そんな僕らの様子を無視して、サプライズはクライマックスに近づく。ええい、笹原部長のことは、いったん忘れよう。
そして僕は立ち上がり、アユミの前にひざまずいた。本日のクライマックス。朝から一日中、落とさないように気を付けていた指輪の箱をポケットから取り出して、跪いてアユミの前に捧げた。
「これからもずっと、僕のそばに、いてくれますか?」
心の底から愛していた。僕はアユミと、これから先も、ずっと一緒にいたい。世界中の誰よりも、幸せにしたい。そんなふうに想えるひとは、アユミのほかにいなかった。
僕の気持ちが伝わったのか、アユミが目を潤ませて、嬉しそうにゆっくりと、笑顔で頷いた。
「よろしくお願いします」
そう言って、アユミは指輪を受け取った。広場が歓声に包まれる。大成功、と思った、その時。
「まっ、待ちなさいっ!」
フラッシュモブのメンバーの一人が、大声を張り上げた。先ほどおじさんダンサーだ。
それは、やっぱり、僕のよく見知った笹原部長だった。隣でアユミが呟いた。
「……お父さん?」
「ええっ!?」
「まさかとは思ったが、キミは人事部の……」
「え、待って……、なんで? お父さんと知り合いなの?」
呆然とする三人に、観客やフラッシュモブのメンバーは、ざわついている。
「さっ、笹原部長、単発の仕事でも、副業するときは、ちゃんと申請してくださいよっ」
僕は混乱して、よく分からないことを口走った。
「え、ねぇ、お父さん、どういうこと?」
アユミが笹原部長へ詰め寄った。
「う、……す、すまない。でも離婚して小さい頃に別れた娘が、まさか、プロポーズサプライズのターゲットだなんて、居ても立っても居られなくて……。どんな奴か、ちゃんと見ないとと思って……。アユミ、パパ、ダンスの練習、頑張ったんだよ……」
笹原部長は、目を潤ませた。
「な、なに言ってるのよ、お父さん……。大丈夫だよ、アユミ、ちゃんと、幸せになるよぅ……」
そう言って、アユミは泣き出した。笹原部長も泣きながら、アユミを抱きしめる。おいおいと泣く二人に、僕はすっかり参ってしまった。尻すぼみのフラッシュモブに、ざわざわと、人が引いていく。
「お父さんも、ちゃんと結婚式呼ぶよぉ……」
そんなことを言いながらいつまでも抱き合って泣いている目の前の親子が、僕はなんだかおかしくなってきた。
なんだよ、大好きな二人が家族だっただなんて、僕のほうが、とんだサプライズだ。
「……とりあえず、これ、食べません?」
そう言って僕は、フォカッチャまんを、目の前で泣く未来の家族の前に差し出した。
まだそれはほんのりと、僕の手を、優しく温めてくれていた。