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いまさら、教育実習をふりかえる

そういえば、教育実習のときの話をわたしの中でまとめてなかったなと思ったので、ここに記録しておくね





たった3週間だったけど、毎日食欲の消えていくストレスフルな日々で、全然寝れなかったし、お疲れ会もセクハラひどかったし辛かったからこそ泣き寝入りになってしまったし、

もし受験合格して教職大学院にいけば、またあの日々をやらなきゃいけないと思うとうげーってなるけど


温かい担当教員の先生に恵まれ、後味よくおわれてしまったから、
なんだかんだ学校という場所から離れられずにいるんだなと思っている

わたしがラッキーすぎたのかもしれないし、なんだかんだ教職が向いていてしまったのかもしれない




大学の指導教員に、もしかしたらなんだかんだ学校という場所に安心を覚えていたのかもしれいね、と言われた

わたしにはほんとうにピンと来なかった
わたしにとって中学校は監獄だったし、教員は味方なんかではなく、むしろ監視してくる存在だと思っていた


いじめを受けていた時も、顧問は何もしてくれなかった
全国大会で宿泊の詳細を決める際、わたしに一人部屋でもいいかとか聞いてきたような大人だった、すごく嫌いだったし、そのときわたしは諦めを覚えたのだ


実際、実習中もありとあらゆるトラウマティックな記憶がフラッシュバックして、1週目はほんとうに学校にいるだけで苦しかった



わたし飽き性なので、3年同じ場所にいると飽きて次の場所に行きたいと思うんだけど、中高に関しては、中学は卒業=出所だとおもっていたし、高校は受験競争が辛くて、どちらもはやくここを抜け出さないとと思っていた

シンプルに飽きたしもういいやってなってるのは現在の大学だけってところ



だからその指導教員の発言には???となった



でもあとから思い返してみたら、

中学のときの社会の先生、高校の地理の先生、世界史の先生、みたいに、やたら社会の先生とは良好な関係性を構築できていたなと



中学の社会の先生とは未だに連絡を取るけど、あの頃はほんとうによく話をしたし、介入してきたりしないけど、たくさん話を聞いてくれた先生だった、その距離感がすごく心地よかった




実習中もその先生すごく相談に乗ってくれたし、あの頃の思い出がわたしを助けてくれていたと思った




高校での実感も含めて、ひとりでも、わたしをその窮屈な感覚から連れだしてくれる先生がいたこと、それがあまりにも大きかったのかもしれない、

そういう経験をくれたのがみんな社会の先生だった、だからわたしも社会なのかもしれないって思った


ってのをわたしの指導教員(※そんな先生も元々地歴の先生)は見抜いているんだろうなと…さすがです





わたしは、配属クラスのみんなにとって、たった3週間でもそういう存在になれていたのならいいなってちょっと思ってる



同じ場所にずっといると煮詰まっちゃうからね、かといって、生活の軸がいくつもある忙しい学生にとっては、変化を主体的にむかえにいく余裕がないことも多いと思う


だからこそ、3週間お邪魔する以上、できる限りいいものが残せたら、と思って、会話の内容や記録(日記?)の返答もすごくかんがえてがんばってみた


実際働くとするとそんな余裕もなくなるんだろうから、初心として思い出せる記憶は作っておこうと思っていた


同時に、こういう感情労働の類が、やりがいという言葉で搾取される現実に憤りを覚える



とにかくそんな実態を肌で感じられて、いい経験だったなって思ってる






※なんか社会の先生っておもろくて好き、っていう人は多いかもしれないが、一般的にみるとわたしもそのうちのひとりだったのかもしれないね、


※わたし、喋りそんなにおもろくないかもしれないので、最近はおもろくなりたくてがんばっています、余談でした…









ほんとうはわたし社会って苦手な方だったし、暗記科目ではないが!なんだかんだ試験のためには暗記しなきゃいけないじゃん、
それが半端なく苦手でなんも覚えられないからしんどいな〜って思ってた



いまだに中学社会ですらわからないことの方が多く、現役の中学生のほうがわたしよりずっといろんなことを覚えてるような気がする…





それでも、今のわたしが授業つくると、IBも一応はやってるし、できることは増えたなって思った、まだぜんぜんですが


中学生たちも優しいので、がんばってわたしの話を聞いてくれてうれしかったよ
みんなのこれからの人生が豊かなものになりますように
わたしもがんばるねって思った








涙を流せなくなるほど苦しい日々を過ごしてるけど、時々実習のことを思い出して、わたしが1人の大人として中学生と関われた少し自分を誇りに思える日々を思い出して、ちょっと励まされたりもする


未だにわたしは自分の母校を監獄のように感じていたけど、それを変えていけるのもわたし(たち)なんだと思っている



社会科には多くのやりようがあるからこそ選んだんだと思うし、したたかにやっていくしかないのかも、辛いけど







先生って呼ばれるの、きっと嫌だなと思うようになるんだろうけど、
わたしのそういうところは好きだよと思う



生存に希望は無いし、ましてや「女の先生」だなんて死んでも呼ばれたくないからマジ教職はわたしのしんどいが煮詰まっているが

ま、このまま教職ルートいく感じになってしまってるから、もう腹くくらないといけない、、
ミスジェンダリングがない世界にはやくなってくださいよ、とほほ



とりあえず卒業したい、泣
卒論と残りの授業、たえぬきたい、、




ぐだぐだ書いちゃったけど、
また時々思い出して、懐かしんだりすればいいと思ってる
リフレクションだいじ!




毎日ヘトヘトだけど、なんとか生き延びて、
また大好きなみなさんに元気で会えますように

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